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9月17日93歳の青年

今日がどんな日だったかを手短に書いておこうと思います。

午前中、パソコンのレッスンでした。いろいろやりました。「いろいろなことを、その都度やる。」ここでは、いつもそういうレッスンです。レッスンもいろいろです。徹底的に同じことを時間をかけてやることもあります。それは、パソコンの場合も、オカリーナやほかの音楽レッスンの場合も、同じです。ぼくに求められていることに対して、応えていると、自然そうなります。

午後、訪問演奏がありました。鳥取市国府町の「和みの郷(なごみのさと)」というところです。敬老の会みたいなのがあって、30人くらいのお年寄りの前で、オカリーナ教室の生徒さんたちと一緒に演奏してきました。とても93歳とは思えない、若々しい「青年」がおられました。人間、年齢ではないのだなということを改めて実感させられました。
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オカリーナ教室の生徒さんの一人は陶芸をされる方です。近くの公民館(コミュニティセンター)で陶芸の作品展があるということでしたので、訪問演奏に行った生徒さんたちと陶芸の鑑賞会に行きました。鳥取は自然も、人も、それぞれの文化も素晴らしいところです。見応えがありました。作品の作者ご本人もおられるので、許可を得て、椀やら、皿やらを手に取らせていただきました。見てもよし、手触りもよし。さまざまな趣向も感嘆しきり。

夕方はパソコンサポートに行きました。エクセルとCD作成でした。手順の説明と、質問に対する回答をします。スムースにいき、その後もうまく行ったよとLINEでメッセージをいただきました。ここは、しばらく安泰です。

岩美町に帰り、ジュンテンドーで大きめの滑り止めシートを購入しました。トランクスペースにひいて、ギターケースがコトコトクルマの荷室で動かないようにするためです。クルマの使い勝手がまたよくなりました。

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届かないモノ、見えないモノ

今、この瞬間にも宇宙は存在しています。

ただ、今のぼくには、目の前に見える風景しか見えません。

目の前に星や月が見えていても、ぼくの手には届きません。

それでも人は、それが存在するって信じられれば、届かない、見えないモノを崇拝します。

その最も崇高な存在が、神であり、宇宙なのだと思う。

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ぼくの意識の中では、目の前に見える風景が現実であり、この現実は、神や宇宙から最も遠い存在でした。

現実は、ホコリにまみれていたり、不完全で、足りないモノだとぼくは思っていました。

だから、ホコリにまみれていて、不完全で、足りない世界をぼく自身が作ってきたように思います。

それは、ずっとずっと、いつまでも果てしなく続くように思っていました。

ぼく自身が、そうやって「いつかは何か成し遂げられる。」と漠然と思うために、自分の意識の中で必要な世界を作ってきたように思います。

これまでぼく自身が意識の中で作ってきた世界は、そもそも、神のいる、宇宙の存在する世界とは、違う次元なんじゃないかと、思うようになりました。

神のいる、宇宙の存在する世界は「常にすべてがそこにある」世界なんじゃないだろうか。

「常にすべてがそこにある」のなら、何があるのか、何が見えるのか、何ができるのか、自動的に決まるでしょう。

ムリに何かをするとか、成し遂げるなどと大げさなことではないでしょう。

年を取ることでも、名声を得ることでもないでしょう。

ホコリにまみれていても、不完全でも、足りなくても、届くもの、見えるものは、いつでもここにあります。

ただただ、何を感じるのか、をこれからは、大事にしようと思う。

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2本のケーナ

田後90楽器博物館#31と#32

ここに2本のケーナがあります。

1998年に最初のオカリーナを購入したのち、1年後くらいにヤマシタ楽器で購入したの、ケーナ制作工房「風工房 EL VIENT」(エル・ビエント)です。これがぼくが買った初めてのケーナです。

エル・ヴィエントは、とても吹きやすく、繊細さを感じます。この他に短い管の楽器も購入しています。

また、その約10年後の2009年6月に大木岩夫のケーナ工房のケーナを購入しています。

大木岩夫さんのケーナは、管の内径も大きく、指穴も若干大きくなっています。エル・ビエントと同じボリビア運指で、2本とも竹製で見た目はよく似ているのですが、音色や息の使い方が変わってきます。

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田後90楽器博物館の目次(作成中)
鈴木楽器製作所「アンデス25F」

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「息」をそのまま「音」に変える魔法

これは「はてなダイアリー」「オカリーナ日々雑感」に掲載していた2011年(平成23年)4月3日の記事を書き直したものです。

「息」がつく日本語、熟語はたくさんあります。
「寝息」「吐息」「鼻息」「息吹」「青息吐息」「息巻く」「気息」「息の根」「ため息」「息が合う」「息が詰まる」まだまだあります。

息ひとつで表情までもが見えるような気がしますね。
これほど身近で欠かせない存在でもある「息」。

その「息」を使って演奏する楽器もまたたくさんあります。
そのほとんどが「管楽器」で、「息」で吹くというよりは、「息」の助けを借りて吹く楽器です。

オカリーナは、その中でも「息」そのもので吹く、「息がそのまま音になる」楽器だと言ってもいいでしょう。

皆さんは、呼吸をする以外に「息」をどんなときに使いますか。

熱いお茶や味噌汁を冷ますときに「ふうーっ」と息を吹きかけますね。
寒いときに手を温めるときには「はあ」と息を当てて、手をこすり合わせたりします。
風船をふくらませるときは、思いっきり「ぷうー!」と力を込めて息を風船に送り込みます。

皆さんすでにいろんな「息」を使い分けているんですね。

「息」には、「瞬発力」が必要なときがあります。
誕生日のケーキのロウソクを吹き消すときには、目の前の炎に直接ほどよい「息」が届くように強すぎず弱すぎず、「ふっ」というような「息」です。

このほかにも「息」には、「スピード」や「量」、「強さ」「長さ」などの違いがあります。

オカリーナを吹くときには、それぞれのバランスが必要です。

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どらいぶ・みー・とぅ・ざ・むーん

今日は、月が満ちる日。シオドキってことばに、ぴったりな日です。

夏至の頃の満月は、ストロベリー・ムーンというような言い方もあるんだとか。月の名前もいろいろだね。

地球から月までの距離は、384,400キロらしい。このクルマも、あと1,400キロで、もうすぐ月に到着するのかな。

なんかちょうどそれくらいに乗り換えることになりそうだわ。

電話ではなかなか話が進まないので、お世話になっているクルマ屋さんに行ってきました。

なんのことはない、内装とか、装備品で、あれこれとなかなか決まらないお客さんのほうが多いそうな。

直接会って話をしたほうが結果速いってことだね。

あとは見積もりをして、いろいろ手続きをして、納車を待つことになります。

それまで、ステップワゴンも大事に乗ります。

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やらなければ「できない」は生まれない

オカリーナ教室の生徒さんの中に「どうしたらできるようになりますか。」と、よく尋ねられます。

「基本的なことは、そんなに多くはありません。大事なのはイメージすることです。呼吸ひとつでも、どれくらいの息をどこに当てるのかを考えることです。また、一緒に演奏している人の音を聞いて、どんなふうに聞こえるのかを常に想像することです。想像していますか?それだけでもずいぶん変わると思います。」

というようなことを言います。それでも熱心に具体的にどうしたらいいのか、何を学んだらいいのかを聞かれます。

熱心なのはいいことだし、その気持ちがあれば、日々いろんな発見があるのだろう。

呼吸の仕方とか、息を当てるポイント、リズムやテンポをどんな風に感じることができるのか、それぞれが必要としていると思われることをその都度お話をします。

伝えたことが少しでも役に立つのなら、ぼくもうれしく思う。

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ただ気になることは、なんだかムズカシク考えているのかなと思われる場面があるということだ。

ふだん音楽に関わっている人でなければ「慣れない楽譜を見ながら、間違えずに吹く。」だけで、すごいことだと思う。

ぼくの演奏と比べると、どうしても「違い」を感じるのだと思う。それで、なんで違うのかが、わからなくて、質問をされるのだと思う。

ぼくから見れば、「違い」がわかるだけでいいじゃないのかなと思ったりもする。実際、「違い」がわからない人もたくさんいるように思います。

誤解しないでいただきたいのは、わかるから優れているとは限らないということです。「わからなければいけない。」「できないといけない。」にとらわれる必要はまったくないと思います。

できないことをやろうとしなければ、「できない」は生まれないわけで、常に「今、できている。」から出発して、気が付いたら「できている。」が増えていることになるんだと思う。

音楽に関しては、それが当たり前って思うけど、音楽以外のことでは、ぼく自身も「できない」をやろうとして、「できない」を重ねていたな、できるできないの価値観にとらわれていたのだなと、今思うのです。

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「いただきます。」の姿勢を思いながらオカリーナを吹く、ということ

これは、「はてなダイアリー」「オカリーナ、日々雑感」に掲載していた2013年(平成25年)7月3日の記事を書き直したものです。

皆さん、ごちそうを目の前にして、手を合わせるとき、どうしていますか。
おそらく、世界中の誰もがそうだと思いますが、ごちそうをにらんだり、鼻息荒く、肩をいからせる人はいませんね。

もしも「いただきます。」と、手を合わせる習慣を忘れている、という方がおられたのなら、その時は、お祈りのときのことを想像してください。

あるいは、神社の賽銭箱の前で、金額に見合わない願い事を思うときのことを。

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ほら、素晴らしくステキな姿勢をしていると思いませんか。合掌ではなくて、両手を組む場面もあるでしょう。力まずに背筋がすっと伸びて、正面をしっかり向いていますね。人は、こういうときの姿勢は実に自然でのびやかです。

こういう姿勢で歌を歌い、楽器を演奏してほしいのです。

いつもこの姿勢のことを想像してください。そして、楽器に慣れないうちは、手や肩に力が入ってないだろうかと、ひとつひとつを点検しながら、ゆっくり長い音から吹き始めてください。

レッスン♪出前します!!〜音楽♫レッスンとパソコンサポート〜パソコン教室のエフセブン・ドットコム
鳥取県、岩が美しい町にて〜海も山も温泉もあるまち

スルスルこうそですっきりな体へ

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田後90楽器博物館の目次(製作中)

#1 めんちくのケーナ工房・井上文夫さん制作のケーナ
#2 鈴木楽器製作所クロマティック・ハーモニカSCX-64
#3 トンボ楽器エアロリーソ(ブルースハープ)
#4 黒坂黒太郎コカリナ
#5 ホーナー・クロマティック・ハーモニカ「クロモニカ」10穴
#6 イカロス・トリプルオカリナ
#7 プリマ楽器・マエストロバスC(オカリーナ)
#8 ヨシツカオカリナ・D♭管(アルト)
#9 ホルトン・メタルクラリネット
#10 茶カリナ

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#11
#12
アウロス・ソプラノリコーダー105A(E) バロック式「ベルカント」
アウロス・ソプラノリコーダー502B(G) ジャーマン式「シンフォニー」
#13 ドイツホーナー社のクロマチックハーモニカ、CX12
#14 庵(いおり)オカリナのソプラノC管
#15 セルマー・クラリネット10S
#16 エレキギターEpiphone SG Special(エピフォン・エスジー・スペシャル)
#17 アンデス25F
#18 ヨシツカオカリナ・A♭
#19 Zinオカリナ「ボタン付き」
#20 木製オカリナ
#21 工房“悠”ソプラノDオカリナ
#22 プラスチックのオカリナ
#23 アケタオカリナアルトG
#24 アケタオカリーナ、テノールF
#25 アケタ・ダブレット(オカリーナ)C管
#26 ルナ・ギター
#27 こんなに小さくても、トリプル
#28 Zinオカリナ
#29 ヨシツカC
#30 アケタ(プリマ楽器)B♭管オカリナ
最低音ソの出るオカリーナ

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#31
#32
2本のケーナ,エル・ヴィエントと大木岩夫さんのケーナ
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最低音ソの出るオカリーナ

田後90楽器博物館#30

久しぶりの楽器紹介、投稿です。

オカリーナという楽器は、音域が非常に狭く、楽譜の上では、五線紙の下第2線上のラの音から、第1線のファまでしか音が出ません。民謡や童謡唱歌などの多くは、この音域で収まる曲目もたくさんあるのですが、それにしても低いソや高いソが出てくる曲があると、音を上げたり下げたりして、調整することもあります。もっと広い音域の曲を演奏するときには、メロディの一部を音域に収まるように変えたり、曲の途中で別の音域を持つ楽器に持ち替えたりします。

最近よく見かけるダブル、トリプルといった複数管のオカリーナは、音域の異なる2つ、3つの楽器が一体となった楽器で、吹口が一箇所に2つ、3つ並んでいます。これなら、持ち替えなくても一つの楽器で広い音域が演奏できるわけです。

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今回紹介するのは複数管のオカリーナではなく、アケタ(プリマ楽器)のB♭管のオカリーナです。

以前、高いファは出なくてもいいけど、低いソが出る楽器が必要な場面があった。C管で低いソが出るように穴の数を増やした楽器(つまり高いファもそのまま出る)も作られているけれど、作るのが難しいためか、滅多に手に入らない。そこで、このアケタ(プリマ楽器)のB♭管のオカリーナを使ったことがあります。どういう楽器かというと、アルトCのオカリーナをそのまま1音下げた楽器ということになります。B♭用の楽譜を準備してもいいし、C管の楽譜を1音「上げて」演奏してもいいわけです。

ややこしい話はスルーしましょう(笑)。とにかく、この楽器のおかげで、曲の中に出てきた低いソの音が演奏できたわけです。

単純に吹奏楽でよく使われているトランペットやクラリネットと同じような感覚で演奏できる移調楽器と考えてもいいです。

見た目の大きさは、アルトC管と大差はありません。特徴的なのは、左端のとんがり帽子のような出っ張りです。なんでこんな不思議なおもしろいカタチなんでしょうね。

 



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2つの夜のライブ2《Nagi MOCA》

上質なアート作品は、心を豊かにしてくれる。

音楽の場合は、ライブがいいな。心が落ち着き、やわらぐ感じがする。

そう思えるライブに、この日も行くことができた。

2018年6月10日(日)夜も雨だった。梅雨の雨で、静かな雨だ。

智頭から国道53号線を走り、峠を越えると岡山県奈義町で、ここに奈義町現代美術館(Nagi MOCA)がある。

これまでも53号線を通るたびに看板は目にしていたが、行くのは初めてだった。

信号のある交差点を右折して、駐車場に少し迷って筒のような建物の横を一度通り過ぎた。

引き返して、何台かクルマが停まっている場所に「ここかな?」と見当をつけて、クルマを停め、建物を見ると、商工会議所の看板があった。隣には、部屋の明かりの中に書棚が見えて、図書館らしい建物がある。先程見た筒状の建築物の方に近づくと、ようやく「Nagi MOCA」の看板が見えて、ここでよかったんだとわかる。

この日は、ここでミュージアム・ナイトライブがあり、新進気鋭のアンサンブル・ジャガーというヴァイオリンとチェロの2人のユニットの演奏を聞くことができた。

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ミュージアム×ナイト奈義MOCA 2018
ステージとオブジェのある空間から、入り口方向を見た。

打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた空間。通路を除いて、大きな丸い石が敷き詰められたスペースに、ワイヤーの曲線で作られたシンプルなオブジェが石畳から上に何本も伸びて、空を飛ぶ生きものの軌跡を描くように輪を作っていた。その中央奥に小さな半畳ほどの台座が2つの島のように置かれていて、その一つには、譜面台だけが、もう一つには、チェロと椅子と譜面台が薄明かりの中で開演を待っていた。

当然のことながら、音響はよく響く。

「クルマのジャガーでもなく、動物のジャガーでもありません。」

MCでヴァイオリンの長沢拓己さんが言う。チェロは江島直之さん。二人とも若いけれど、各地で精力的に演奏活動をしているようだ。曲目はかなりマニアックな選曲で、もうぼくは、ほとんど題名も覚えていない。それでも、二人ともその会場の独特の雰囲気を楽しんでいるのがわかったし、ぼくも聞いていて楽しかった。

「ジャガーは、岡山弁のじゃがぁ、です。」(笑)

鋭いバイオリンのアクセントも、重厚なチェロのソロも、空間の響きによって、元からそんな音だったと感じられるくらいに嫌味のない音の味付けで聞くことができた。

先日の沢庵寺のジャズ演奏でも「七つの子」「浜辺の歌」日本の歌の良さが光っていた。偶然か、この日も、「城ヶ島の雨」「椰子の実」「はつ恋」それから、黛敏郎作曲の「文楽」チェロ独奏の迫力が印象に残った。

いやー、音楽って、ほんっと、ええもんじゃがぁ!

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