「essay」カテゴリーアーカイブ

打吹回廊という風景

2019年7月20日(土)、西日本では、九州を中心に台風の影響で、大雨が降っている地方もあった。

鳥取も数日前から影響は出ていて、長い時間雨が降っていることもあった。水曜日、木曜日あたりから、もしかしたら、20日のオープニングイベント自体の開催も危ぶまれている状況だった。

それでも無事オープニングイベントが開催できたのは、とても喜ばしいことだ。

「打吹回廊」というのは、鳥取県倉吉市の中心地にある、倉吉銀座商店街に新しくできた賑わい施設だ。以前ナショナル会館という建物?があった場所らしい。市役所や観光名所である、白壁土蔵群からも近い。
倉吉銀座商店街のFacebookページ

1980年代に当時倉吉から関金を結んでいたJR倉吉線が廃止になり、少子高齢化社会を迎えて、シャッターを下ろす店も多くなってきた。これは、全国的に地方の中心市街地に見られる光景だ。

それでも、この地域には、白壁土蔵群があり、近くには、倉吉パーススクエアもある。ここには、1500席の大ホール等を有する倉吉未来中心が建ち、数年後には、県立美術館ができる予定だ。
ウェブ版美術館準備室(鳥取県教育委員会)のページ

そういう意味では新たに活性化しつつある元気な地域と言っていいだろう。

人口が減り、商店が店を閉めるのは、寂しいことだし、かつての賑わいを懐かしく思うこともあるだろう。しかし、寂しい、残念だと思うことだけでは、何も生まれない。

今必要なのは何なのか、考えて作られた、新しいものが生まれたことを素直に喜びたい。

オープニングステージで演奏

この打吹回廊のオープニングイベントで、アポンとして、参加、ステージに華を添えました。

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波動について考える

以前トップページに書いた記事を転載しました。ここに書いてあることは、ぼくの思考であり、証明されたものではありません。

波動には、物理的な制約はありません。離れていても人の波動を感じることがあります。それはその人がラジオの周波数が合うように、自分の周波数とシンクロするときに起こります。

そういう種や遺伝子を受け継いだ親子だったり、双子だったり、非常に波動の合う恋人同士だったり、たまにそういう人同士が、離れていてもお互いの変化をキャッチできることがあるのは、偶然ではなく、そういった作用によるものです。

料理がおいしいのは、使われる材料が、新鮮で吟味されたものであるという事はもちろんですが、その料理をするシェフの腕によるものが大きいでしょう。

人にとって知識や記憶というものは、食品カゴや冷蔵庫に入っている材料でしかありません。

その知識や記憶が豊富で、新鮮で、吟味された確かなものであるという事はもちろん大切ですが、それ以上に品性や知性が重要なのだと思います。

その品性や知性こそが、その人が持っている波動です。

波動というのは、脳幹や、松果体から発せられる、ごくわずかな振動です。

波動は、非常に小さな振動なのですが、情報量は、DNAをはるかに超える宇宙規模のものです。

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2019夏日記

子どものころ、毎年のように夏休みに日記を書く宿題が出ていた。まともに書けたためしはなく、始業式の数日前にあわてて書いていた。今の子どもはどうだろう。あの頃は、毎日が、ただじりじりと暑くて、今思えばたいした困りごとらしい出来事はなくて、本当にパステルカラーの毎日を描いていたころだった。

あの頃を思い出すと、現代の自分が持っている時計の針の動きは、目まぐるしいと感じる。

ただぼうっとできていないと思う分、実はぼうっとしていても、常に何かやっていることにして、時間を、自分の意識をごまかしているのだと思う。

思っているほど、時間の速度は変わってはいない。すべて自分の意識が作り出している、錯覚なのだ。

この夏、2019夏日記として、日々の思いを残してみようと思う。

2019.7.18.Thu

台風が発生して日本海に近づいているニュースを聞いた。イベントのある週末の天気が気になる。

京都で痛ましい放火事件が起きた。ここにその詳細は記さない。ただとても悲惨な事件だ。

自分自身を振り返るというか、自分の意識を感じることがある。そこに感情が伴うとき、それはなぜなんだろうと思う。意識の奥底に何かしら動くものが感情になる。逃げているのか、固まっているのか。逃げているとしたら、何から逃げているのか。しっかり自分自身の意識を見定める必要がある。

最近は、晴れたら、布勢とかの走れる場所に行ける時間、着替える時間があれば、走りに行く。そうでなければ、できるだけウォーキングはしようと思う。死ぬまでには一度はマラソンを走ってみたい。どうせなら、海外の大きなマラソン大会がいい。まだ2キロを走るのがやっとだ。

なりきり野村萬斎

昨日腰をぎくっ、とやりまして。

年に1回か2回はやるのでほぼ持病なんですが。

今回は、すぐに医者に行けたので、レントゲンでも骨には異常はありませんでした。ほっ。

いつもなら仙骨(せんこつ)が左にずれちゃったりしてることが多くて、そらぁ、とっても痛いんですが、今回は、まあ、多少は動けるカンジ。

診察で、かかりつけの医者に「どうしましたか?」と聞かれて、「トイレで」って言った瞬間に「うんこしてた?」って、間髪入れずに(笑)。はい。ウォッシュレットで良かったです。

その先生曰く、この日、そういう人がめっちゃ多かったようです。「今日、そういう人が多いんです。今日です。」って不思議そうに言ってました。へぇー、そうなんだー。

朝、起きたら、ゆーっくり、指導されたとおりの腰のストレッチをして、ゆーぅっくり、そろーり、そろーりと、着替えをして、湿布を貼って、腰サポーターを巻いて、腕の力で起きたり、座ったりをしています。

歩くときもすり足で、いっぽいっぽ。

「そろーり、そぉろぉーり。」

声に出したら、笑えた。

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店の名はライフ、自転車屋はない。

18歳で初めて鳥取から上京した時、電車の同じ車両に、大きな四角い荷物を背負った行商の人がいた。空は晴れていて、朝だった。通勤時間帯の少し前くらいで、3つくらいある改札で、当時のぼくと同じような年代、20歳前後くらいの駅員が、数人で常にハサミをカシャカシャ動かしていた、その音が今でも記憶にある。

初めて降りた東京の駅は、中央線の中野駅だった。東京駅でも乗り継ぎをしたのだけれど、メモを見ながら、案内標識を見ながらホームを探して歩いていたので、その当時の東京駅の記憶はまったくない。

改札を出て見えた奇妙な三角形の大きな建物が中野サンプラザだということはわかっていたけど、不思議とジオラマを見ているような感覚だった。

公衆電話ボックスを探して、電話をして、出迎えてくれた下宿先の新聞販売店主は、汗っかきの40代くらいの人だった。下宿から少し離れた高円寺駅に荷札を付けた荷物を預けていたので、かなり遠回りをして、野方(のがた)に着いた。東京の朝の匂いが独特だった。

下宿先には先輩も含めて6、7人の学生がいた。同じように新聞配達をしながら学校に通う仲間だった。同級生は4人だった。

店は新聞販売店、隣の店は、陽気な明るいおばさんのいるパン屋だった。

考えたことが現実となる

「思考は現実化する(Think and Grow Rich)」というのは、ナポレオン・ヒルのベストセラー本のタイトルだ。実際そのとおりなんだと思う。もし「思考が現実化していない」ときがあるとしたら、考えたことを捻じ曲げてしまっていたり、自分でも気づかずに間違ったフィルターを通しているときだ。

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自分が「嘘つき」だなんて、思ってもみなかった。

ただ、今までのことを思い起こすと、人に合わせているときってあったし、黙ってごまかしていたりもしていた。

自分の感情の行き場を失って、人のせいにしたり、違う理由をさがしたりもして。

今までのぼくも、見た目は「いい人」なんだよね。そういうフリをするわけだからさ。

「うん。それ、いいね。」(心の声:いやー、どうかなぁ。)
「はい。やります。」(心の声:めんどくさいなぁ。)

こんな文章を書きながらも、「なんだか、ふだんからとんでもない大嘘つきみたいに思われそうだなぁ。」という思いが浮かんで、違うことを書きそうになります。

最近、あえて、そういう自分のナマの声をアウトプットすることが必要だなって思ってる。もともと作らなくていいものを自分で作っていて、それがそのまま現実化していた、という事実。

そういうことに気づいたんだ。

本当に「いい」と思ったものは「いい」と言えばいいわけだし。

「だめ」って思ったら、そのこともごまかさず、いい人ぶらず、ちゃんと伝える。

そうやって、シンプルに自分を磨いて、アウトプットしていけば、それだけでいいんだって今は思う。

自分の磨かれていないところも、さらけ出す。

実際、そうしないと、いつまでも磨かれないし、磨かれないままでいいという現実が生まれる。

さあ、これから、おもしろくなるべ。

たぶん(笑)。

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『アミ 小さな宇宙人』を読みました。

エンリケ・バリオス著、石原彰二訳、さくらももこ絵、徳間書店発行。

「うん。そうだよね。」って、納得しながら読みました。

今だから素直に読めたのかなぁ。

うんと子どもの頃に読んでいたらどうだっただろう。

そんな「たられば」を考えるのも意味のないことだけど。

出会う必要のあるときに、出会うものなんだろうなと思う。

ある方から、紹介されて読みました。

電子書籍で探したら、なくて。文庫本で出ているんだけど、単行本で読みたくて、中古の本を買いました。

鳥取県立図書館に行ったら、単行本も文庫も書架には並んでなくて、貸出可能な蔵書として保管されていたようだった。借りなかったけど。

クリックして拡大します。

3部作として、あと2作続編があります。

既に買ってあります。

読みます。

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瞑想の代わりに自画像を描く。

瞑想しようと思うと、ただの居眠りになっちゃうとか、何かしら、いろいろ雑念から抜けられなかったりします。

それなら、何か集中できることをやればいいじゃん。って、ことで、自画像っぽい絵を描いてみました。

瞑想すると、自分の意識を見ることになります。自画像を描くということは、瞑想の代わりに集中します。そして、自分に意識を向けることにもなります。

何をしちゃだめとか、そういうことを一切なしに、いろいろ意識に映し出されて、出てくるものを認めて、一心に絵を描きました。

ほっとしたら、夜中ですし、眠くなりました。

ただの居眠りじゃなく、本格的に、寝ます。ぐんない。

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ニンゲンってバカだよね

いやいやいやいや。

IQ高いし、計算できるし、言葉や文字、思考・哲学・科学を持ってるしって。

そう言うよね。

だから、知能ありますって。

で、それで?

なんで、理解し合えない?

戦争するし、殺し合うよね。

無駄なもの生み出すし。

意味ないじゃん。

バカ・・・だよね。

感覚はどうなの?

どんな生き物に比べても、見えるの?

どんな生き物に比べても、聴けるの?

どんな生き物に比べても、敏感なの?

どんな生き物に比べても、味わかるの?

どんな生き物に比べても、匂い、わかるの?

能力はどうなの?走るの速い?飛べる?潜れる?

ニンゲンって、バカを通り越して、愚かだよ。低能だよ。作り出している社会がそれを証明してるよ。

ただニンゲンだけがわかる知識でカバーしてるだけだって。それって本当はまったく意味がないんだってことを理解しないと、いけないね。

自戒の意味を込めて、そう思うんだ。そのことを認めないと、ぼく自身、次の世界が見えないと思うから。

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なんで「9」なのに「1」なのさ

要は、めんどくさいのね。

2019年が「元年」って。

1989年が「平成元年」だったんだから、31引く30で計算できるじゃんって、あったまいい人もいるんだろうけどさ。

昭和は西暦の下2桁から25を引いたらいい、とかって。

そういう、計算、好き??

やだ。

今だって、考えるのね。えっと、平成31年だっけ、どうだった?って。

ばかだから。

もちろん!!

ニンゲンって、実は数字の計算が苦手なのよ。そこを逆手にとってさ、経済って、数字じゃない?暗示をかけるの。ふだん、桁数の少ない数字を扱うから、どーんとでかい数字がとんでもない数字に見えたりする。

あ。そういう話は、また今度ね(笑)。年号の話でしたデシタ。

2019年令和元年。慣れるかなァ。

もう元号を使わないって宣言してもいいんだけど、それもそのうち、挫折するよね。まわりが元号を必要とするだろうし。書類に記入欄できるだろうし。西暦の根拠はっていうと、キリストの生誕だし、それもなんだかな。

あー。めんどくさい。それだけ!

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