「essay」カテゴリーアーカイブ

成長なんて、ラララ

人が成長するっていうのは、ストーリーなんだって、思う。

58歳になったから、こうなったというのは、ないわけ。

成長する人もいれば、しない人もいて、それは年齢に関係なく。

変化があるだけ。

成長にこだわるとさ。衰えるのって怖いよね。

変化があるだけなんだよ。

ストーリーなんだから、どっかで死んだところで、いいわけさ。

たとえばさ、ドラマでさ。月9とか、見るじゃん?

自分の人生も、そういうストーリーだと思えば、いいわけ。

そのときに、現実にさ。真実があるかどうか。心がそこにあるかどうか。人と向き合っているのか、どうかってとこ。今、身近にいる人のことを思い出して、どうなのかって、自分に考えるより前にまずどう感じているのかを見つめるわけ。

身内企業でさ。社長が父親だからとか、考えなくていい。

好きな人が、どこか遠い存在だとか、考えなくていい。

病気がひどくて、もう死にそうだから、とか。

現実と、真実と、自分の心。そこに意識を持てたら、それだけで、人はしあわせになれる。

ストーリーは、自分で作れるよ。

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謙遜って自分を落とすこと?

謙遜とは「へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと。」とある(Google検索より)。

別の解説には「卑下することではない。」ともある。

そうか! ぼくは、これまで謙遜するつもりで、卑下していたんだな。相手を尊重したつもりで、それで何となく丸く収まるんじゃないかと勘違いしてた。ずっと、そんなカンジだったかも。

それがぼくの永年の癖で、ぼくは、自分自身に対しても低く見るようになっていたんだと思う。でも、それって結局ウソだね。相手に対してもウソをついてるってことになるね。

あっちゃあ・・・、と思ったハナシでした。

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その都度やる。たらればは捨てる。

よく言われていること。ぼく自身のために、確認のために、書いておく。

しようと思ったことは、その都度やる。

重要でない、必要ない、忘れていい。

そう思ったこと「だけ」を、捨てる。

その都度やることが難しければ、最低限「声を出す」

声を出すのは、誰もいなければ、ひとりごとでも構わない。

それを、習慣にする。常にそうする。

これまでは、「こうしたら・・・。」「こうなれば・・・。」って考えて、重要なことでも、後回しにしていた。

あとからでも、できれば、それでいい、できると思っていた。

甘かった。

生きるって、そんな甘いもんじゃない。

それでもこれまで過ごせたのは、関わる人がガマンしていただけだった。

・・・ってことに58歳のおっさん(ぼく)が気がつくわけです。

まあ、年齢ではないとは言いますけどね。

恥ずかしいよね。

って、恥をさらすんですけど、それもこれも自分のため。

で、まあ、これを読んだ人が、今からでも遅くないって思ってもらえれば、・・・。そこは、オマケとして。

さて、仕事に行きます。

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もちろん、ここで言っているのは、人と関わることに関して。

このブログを書くとか、本を読むとか、買い物をしたり、洗濯や掃除をしたりするような日常のことを後回しにしてはイケマセンみたいなことでは、ありません。

そういうことは後回しにしてでも、意味のあること、押さえるべきところは押さえましょうという話です。

目標を持つこと

目標をもち、計画を立てることは、重要なことです。

今、ぼくは、自分が何をどう感じているのかということに意識を集中しています。「いまここ」の精神です。

「いまここ」を考えた場合、目標を持つことは必要がないのでしょうか。たしかに、これまでは進捗状況をずいぶん気にしていたと思います。しかし、今は、目標を持ち、計画を立てることで、どう感じているかという指標になっていると思います。

たとえば「富士山に登りたい。」という目標があったとします。これは、あくまでたとえ話です。そのときに、進捗状況を気にしていては、目の前にある景色が楽しめません。ぼくは、目の前の景色も楽しみつつ、富士山に登りたいという思いも大事にしたいのです。そんな感じです。

2019年、きっといい年になると思います。

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きのう使ったハンカチ

暖かな冬だけど、インフルエンザが流行っているらしい。朝晩の洗顔とお昼の歯磨き、うがいは当然だが、それ以外にも手洗いうがいは必要だ。

公共のトイレで、適当に指先を濡らしてパッパッとして、パタパタとハンカチで拭くなんてことではダメだ。

鏡の前でまず自分の姿と向き合う。それから袖を捲り上げてブレスレットと時計をはずす。排水栓を閉め、少量の水を貯める。手のひらで水をすくい、洗面台と蛇口を水で洗う。それから石鹸で丹念に両手を洗う。流水で石鹸を洗い流し、蛇口を閉め、排水栓を開ける。ハンカチで、手をていねいに拭く。

その後のぼくのやることは、もしそばに誰かいれば、ちょっと驚くことかも知れない。

今日のハンカチの他に、きのう使ったハンカチをどこかのポケットに入れている。

そのハンカチで、洗面台のまわりの水しぶきなどを拭き取る。汚くないのか? いいえ。そのために、最初に貯めた水で、洗面台の周りを洗ってる。ハンカチは、あとでクルマのダッシュボードに広げておけば、走っている間に乾く。

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地獄の釜1月16日

我が家には「地獄の釜」という風習がある。この日は風呂の火を焚くことができない。風呂も今どき薪で焚く家はほとんどないだろう。うちも以前はかまどがあったが、今は石油ボイラーだ。それでも、昭和一桁の母が嫌がるので、毎日でも風呂に入りたい方だが、この日は、シャワーも我慢する。

代々伝わっている風習だと母は言っているが、本当だろうか。地獄の釜というのは、地獄で罪人を釜茹での刑にした釜というイメージがあって、その釜が開く日なんだそうだ。

地獄の釜に風呂。何となく気味悪がって、先祖か親戚の誰かが言いだしたんだろう。他の誰に聞いても、こういう風習があるというのは、知らないという。

まあ、年に1日そういう日があってもいいか。毎年、母に言われるまで忘れてるんだけど、こうやって、ブログに書いたら、当分は忘れないかも知れない。

かまどの写真はWikipediaから拝借しました。

釜 – Wikipedia

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SABAKU

もし、辺り一面に砂漠しかないとしたら、目的地を目指して歩くしかない。

「どうしようか。」と迷う余地はない。じっとしていれば、確実に死ぬ。

「迷う」というのは、死ぬ以外の選択肢が多いということだ。

迷わないためには、こうすると「決める」以外にない。

流されるばかりだと、いつまでも決められない。

ものごとには、ひとつひとつ「意味」がある。

「意味」を見逃さないこと、つかむことが重要だ。そこには、過去も現在も社会も地位もない。

自分にとっての「意味」はなにか。そして、「決める」。それに尽きる。

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還暦の集いやら、同窓会やら

レッスンに来られる生徒さんの話で、細かいことは言えませんが、その方、今年還暦だそうで、遠い故郷での還暦の集いに出るのが楽しみだそうだ。

あとで、同級生にいろいろ言われるのだが、ぼくはそういった同窓会のようなものが苦手なので、これまでほとんど出席したことがない。

昔の話とか、誰それがくっついたとか、病気の話、孫の話、で、話の花が咲くんだそうだ。久しぶりに会った同級生が変わりすぎていて、誰が誰かわからないとか。

まあ、還暦というのもそれまで生きていれば一生に一度のことなので、多分あと2年あるが、行ってもいいのかなとは思う。新しい出会いだと思えば、それはそれでいいのかも知れない。

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まだ1月のサクラの木の下

午前中は富桑地区公民館でのオカリーナ教室です。少し早い時間に到着したので、入り口から少し離れた桜の木の下に車を停めました。

もう、芽は出ています。サクラの花が咲く時期まで、あと 2ヶ月ぐらいはあると思うんですけど、こうして少しずつ芽を膨らませていくんだなぁと思います。

外の気温は3度くらいです。まだまだ寒いし、これから雪が降ることもあるだろうな。

さて、時間です。行きますか。

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レモンを取り出しました。

何ヶ月か前にキゥイ酒を作って、そろそろ時期が来たので、ぶつ切りにして入れていたレモンを取り出した。あと1ヶ月くらいで出来上がりの予定だ。キゥイ酒を作るのは2回目だが、今回も、うまいぞ、きっと。

その時の写真を撮って見ると、お皿の上にのってるのは、レモンじゃなくて、バナナを切ったのみたいに見える。取り出したレモンは、絞って、グラスに入れた。そして、お酒を注いで飲み干した。たった一杯のレモン酒。これも、うまい。

そういいつつも、昨年2018年の暮れから、家ではあまりお酒を飲んでいない。いや、まったく飲んでないことはない。時期的に暮れ正月だし、忘年会とかもあったし。でも、これまでが飲みすぎて、飲んだくれていたとすれば、微々たるもんだった。

まあ、酒を飲むんなら、家だろうが、外だろうが、うまい酒を飲みたい。うまけりゃ家でも飲みたいときに味わって飲む。習慣で、なんとなく飲むというのは、ちがうかな、と思ったから、飲んでいないだけ。

2019年は、何を感じるのか、を大事にしたい。いい年にしたい。

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