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随所に主となる

誰でもあると思うが、何かに集中しているときや、無心でいるとき、ふっとイメージが浮かぶことがある。

頭の中に活字が浮かぶこともあれば、誰かの声だったり、抽象的な概念だったりする。

今日は、就寝前に一人で湯船につかっていたときに、ふと「主(ぬし)」という言葉と同時に「すべき」とか「すべし」というような響きが頭の中に浮かんだ。

文字をつなげると「ぬすべし」となって、なんとなく「ぬすむ」にも聞こえて語呂が悪い。

風呂から上がって、インターネットを検索して、イメージに合う言葉を探してみた。

臨済宗の開祖である臨済義玄禅師の言葉で「随処作主 立処皆真」(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり)というのが、イメージに近いようだ。

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「常に主体性を持てば、間違いのない行動ができる。」

この言葉を読んで、はっとした。

今、ぼくは、自分を見ようとしていて、内向きに思考をしようとしていたらしい。

自分を見るというのは、今見えるもの、感じるものを自分のものとして見て、感じるということなんだということに気付かされた。

「まず、波動がある。」

そう言った友人がいる。すべてのものをまず自分のこととして捉えること。

自分を見て、感じることができれば、思考するのではなく、思考が生まれる。

今、まさに、ぼんやりとしていたイメージが思考として生まれたようだ。

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目薬を味わう、しあわせ。

目が健康な人が「目薬を味わう。」なんてことは、ないわけですよ。

味わう。目薬をさすと、本当に目が「うまい!」って言っているように感じるくらい気持ちいいわけです。

これは、しあわせだと思うんです。

ふだんは、コンタクトレンズを目にはめているんですが、裸眼だったり、メガネをかけているときには感じないクリアな視界がどーっんと、広がるわけです。

これも、感じなければそれまでなんですが、しあわせなんです。

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どっかのコーヒーのコマーシャル(ダバダー♪)じゃないけど、「違いがわかる。」ってことがしあわせなんだと思うんですね。

じゃあ、その「違い」ってなんだってことですよね。

ぼくは、違いがあるって、なんだか特別なことのように思っていたわけなんですけど、それは幻想だったですね。

違いは、いつも、どこにでも、当たり前にあるわけです。

あったりまぅえ〜に、あるわけどぅえ〜っす!!

・・・はい。ふつうに言いますね。

違いはあります。

むしろ、「同じ」と思っていることが錯覚だったのです。

ふかーい話に突入しそうなんで、ふかーい話はそれが得意な人に任せるとして、違いが感じられるというのは、割と自分で「足りない」とか、「できない」「劣っている」とか思っているところに意味があったような気がします。

社会が決めている基準って、単にひとつのものさしでしかなくて、そのものさしだけで物事を見ると「しあわせ」そのものを見逃すことがあるかも!ってことです。

目薬はおいしい、そういう話でした!

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ただそのままを活かして、生きること

幽霊とか、オバケとか。

ぼく、割と、見えます。

自分では、意味はわかりません。

どうってことはないんです。

小さい頃から見慣れているので。

でも、それを言うと、怖がりますね。

とくに子どもは。

なので、なるべく黙っています。

要は、波動なんだと思います。

波動、波長があったときに、見える。

人は、ふっと寒くなったり、急にどーんと気分が落ち込んだりするときってあると思います。

幽霊やオバケは普通にいます。

みんな波動を残して死ぬんですから。

いるのが、当たり前です。

あとは、自分自身なんです。

そこに合う波動、波長があるっていうのは、実はあんまり良くない。

でもたまたま敏感な人が、幽霊やオバケを実際に見てしまう。

幽霊やオバケが見えるっていうのは、自分自身の波動の状態が見えるということ。

なんだかんだいって、怖いのは、生きてる人間なんで、自分自身の波動を見せてくれる存在には、ぼくは感謝しかありません。

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物欲が剥がれ落ちていき、、、

ぼくは以前は、便利なモノ、高級そうなモノ、先端を感じさせるモノ、そういうモノたちに割とホイホイと飛びつく方でした。

その結果、使わない、必要のないものもたくさん身の回りに残ることになりました。

電気屋さんに行くと、以前は宝の山のように思えたのに、今日久しぶりに行くと、まるで異空間のように感じます。

何を見ても、まったく興味がわきません。

それはまるで、行くつもりのなかった遊園地を散歩しているような気分でした。

まったくつまらないわけではないんだけど、とにかく異空間、そんな感じなんです。

家に帰ると、最近は、不用品だと思うものは割とさっと捨てています。

どんどん身の回りからモノが減っていきます。

そうすると、必要なモノだけが残る。そんな感じになります。

濁っていた池の水が減っていって、だんだんと透明になっていって、泳いでいた魚が見えてきた、そんなイメージです。

なんといらないモノに囲まれていたんでしょう。

どんどん快適になっていきます。

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できる意識<できない意識

意識が現実を作る。

そう思える人も、そう思えない人も、それが真実です。

その中でも、できる意識より、できない意識の方が強力です。

「できる。」と、なかなか思えなくても、「できない。」というのは簡単に思えてしまう。

その結果、できるはずのこともできない。

で、意識が働くわけです。下記は、これまでの、ぼくの場合ですよ。

「やれなくはない。」
「できるはず。」
「なんで、できないんだろう。」
「こうしたら、ああしたら、どーたらこーたら。」

で、その意識が、ますます確実にできない現実を作ってきたわけです。

できない意識の方が強力なんですから、意識すればするほど、できないわけです。

呼吸できない人がいますか。
空を飛べる人がいますか。

もともと、放っていても、できることはできるし、できないことはできない。

それなら、意識を捨てるのが一番効果的です。

そのまま、呼吸できる自分、空を飛べない自分を認めます。
できることはできて、できないことはできない自分を認めます。

できた。できなかった。は、結果です。

結果にとらわれず、自分を認めるのです。

というようなことを、今、ぼくは自分に問いかけているところです。

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自信って、どこにあるの?

自信がない。
不安だ。

漠然と。なんとなく・・・。

自信がない。何が?・・・答えられない。
不安。何が?・・・答えられない。

だって出来てないから。
ダッテ。デモ。ダカラ。

自信って、成功体験を積み重ねることだと思っていた。
知識を得て、できることを増やすことだと思っていた。

自信て、自分を信じること。

何かをして得られることじゃなかった。
今すぐできること、だった。

自分で信じられる自分を持てばいい。
時間も他人の評価もいらなかった。

自信がないということは、人の評価を待つことだった。
人に委ねることであり、自分をおとしめることだった。

自信はできるのでも、作るのでもない。

ここにあることを信じること。

それだけ。

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聖神社にて

音楽のパートナーTさんが先日新しい財布を購入されました。ぼくはというと、今持っているDakotaの黒財布が気に入っていたので、新しく購入するつもりはなかったのです。

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この財布は、使い始めて2年くらいで、なじんで味が出始めたころですよ。

それが、どうしたわけか、ぼくに偶然の出会いがあって、次に買うことになる財布と出会ってしまったわけです。

わかりにくい話ですが「これは今、この財布を買っておくべきなんだな。」と思う出来事があったというわけです。

いわゆる「縁」ってやつです。

人は、縁によって生かされているわけです。その縁を活かすかどうかは、その時のその人の判断に任されます。

縁によって、その後どうなるのかが変わります。人は「運命」と言ったりもしますが。

この財布、高いし、大きいし、必要ないし・・・。と考えるのが、思考のブロックです。そうやって考え始めると、縁を感じたその時の感覚はもう忘れているわけです。

ぼくがその財布と出会ったことを知ったTさんたちが、その縁を後押ししてくれました。

そうして、ぼくは、縁を感じた感覚を思い出して、買うことにしたわけです。

これがそうなんですけど、ベルトの模様です。

メーカーのロゴの入った、チェーン・アクセサリーがついています。

Tさんが中にお塩をひとつまみ紙に包んで入れてくれました。

そして、ぼくも少しおまじないをすることにしました。

昨日買ったばかりの、この財布を鳥取市の聖神社にお連れしました。

黄色いカエルの布で包んで、さらにその上に、黄色いアンダラさんを乗せます。

こうして、聖神社にお参りしてきました。

聖神社だけではなく、よくあちこちの神社にはお参りします。

素敵な出会いにただ、感謝です。

今はまだ、ただ持ち歩いているだけです。もう少し、オマジナイをして、11月8日新月の日から使い始めることにします。

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チック・コリアin松江

今日(2018年10月20日)は、娘と松江まで行ってきました。

自宅から2時間ちょっとかかります。遠いですね。

せっかくなので、早めに行って、島根県立美術館にも寄ってきました。

美術館では、松平不昧(ふまい)公のコレクションの数々と常設展を見てきました。

昨日が雨でしたので、天候を心配していましたが、晴れてとてもいい天気でした。

今日のお目当ては、島根県民会館大ホールでの、チック・コリアのコンサートでした。

ピアノのウィングは最大に開いていて、高い位置に、2本のマイクが背の高いブームスタンドでセットされていました。

英語でご本人が話す内容は半分くらいしか理解できていないので、確かではないのですが、今回のツアーは録音して、CD化されるようです。なので、そのマイクは録音用だけで、客席から聞こえるピアノの音は、ほとんどが生音だけでした。

1曲目はモーツァルトとガーシュインが融合したような音楽でした。

二人の作曲家からインスピレーションを得て、インプロヴァイズするみたいなことを言っていたと思います。それがコンポーズすることだと。勝手な翻訳で、違うかもしれません。

チック・コリアは、とてもラフなスタイルでした。ナイキのスニーカーでしたし。

とにかく、音がきれい。音楽を聴きながら、清流が流れているように感じます。音のつぶつぶが光っている、そんな感じです。

2部ではピアノの影に隠してあった椅子を自ら、ピアノのそばに置いて、「What is this?」といい、話し始めます。

絵を描く人は、「肖像画」を描く。
写真家はポートレートを撮ります。
音楽で、同じようなことをやってみたい。
たぶんそんなことを言っておられたと思います。

客席に呼びかけて、手を上げた年配の男性がまずステージに上がりました。

ピアノのそばに顔が向き合う形で座ってもらい、その人をピアノごしに見るようにして、即興演奏が始まりました。

即興で描く、音楽の肖像画です。美しいけれど、少し難解な感じがしました。

今度は若い女性がいいと、手を上げてもらいます。

さっきよりたくさんの方の手が上がりました。

あなたは違う。と言われた方がおられました。若くなかったのか、男性だったのかは、よく見えませんでした。

2人目は二十歳かひょっとしたら、もう少し若いような細身の女性でした。

確かに奏でる音楽が違っていました。

透明感に満ちていて、非常に美しいシンプルなメロディでした。

今度は、連弾で共演したいといいました。なんて無茶なことを言うんだろうと思ってました。
それでも、ピアノの弾ける人に手を挙げてもらい、2人の男性がかわるがわるステージに上がりました。

それぞれ、エキサイティングな演奏でした。面白かった。すごい。

子どもたちのための小品を書いたというようなことを言い、全部はやらない、20曲のうちのたった(オンリー)3曲を演奏するといいつつ、結局12曲演奏しました。

1曲1曲、恥ずかしそうに指で「何曲目」というサインを作りながら。その度、客席も温かいかすかなどよめき。うん、いいんだよ、好きにしたらいいんだよ、という雰囲気。

アンコールは、ニューバージョンの「スペイン」でした。ロドリーゴのアランフェスのテーマが延々と続いた後、印象的な手拍子のあるフレーズが始まり、最後はスタンドオベーションでした。

いやー、楽しかった。

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お金を洗ってみた。

よく、神社に行くので、いつも小銭を持つようにはしているんですが、昨日は倉吉の賀茂神社の手水のところでお金を洗ってみたら、なんか楽しかったんですね。清々しいというか。

それで、今日は、どこの神社に行くかはわかりませんが、朝、お金を洗ってみたんです。

その写真がこれなんですが、すごく輝いたんですね。これはもっと楽しいじゃないですか。

キラキラ、わくわくの写真です。

お金を洗ったことで、単なる数字のついたモノじゃなくて、意味のあるお金に変わった瞬間です。

これが伝わらないわけがない。

このお金を神様に届けるのが楽しみな、朝です。

シンプルに生きる。

生きるって、もともとシンプルなこと、なんだと思う。

食って寝て、闘って奪われて、傷ついて慰めあって。

それで、死ぬ命もあれば、生きながらえる命もある。

運がいいとか、悪いとかっていうのも、その人がそう感じるから、そうなのであって、いいか悪いかさえ存在しない。

あるのは、縁。

それを、つなぐのも、つながないのも、自由。

常に意思を持ち、責任を持ち、流されないこと。

意思とか、責任とかって硬く考えると、難しいって思うんだけど、それもシンプル。

当たり前に、今を見つめること。

できないと思った瞬間に「できない。」が目の前に現れるだけ。

できないを選んでいるのも自分だということに、ぼくは以前は気が付かなかった。

ただ、生きる。

シンプルに生きる。

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ただそのままを活かして、生きること
私という現象を生きる
あと100年、生きる。
心を動かすもの〜デモでも鉄砲でもなく〜