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瞑想の代わりに自画像を描く。

瞑想しようと思うと、ただの居眠りになっちゃうとか、何かしら、いろいろ雑念から抜けられなかったりします。

それなら、何か集中できることをやればいいじゃん。って、ことで、自画像っぽい絵を描いてみました。

瞑想すると、自分の意識を見ることになります。自画像を描くということは、瞑想の代わりに集中します。そして、自分に意識を向けることにもなります。

何をしちゃだめとか、そういうことを一切なしに、いろいろ意識に映し出されて、出てくるものを認めて、一心に絵を描きました。

ほっとしたら、夜中ですし、眠くなりました。

ただの居眠りじゃなく、本格的に、寝ます。ぐんない。

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ニンゲンってバカだよね

いやいやいやいや。

IQ高いし、計算できるし、言葉や文字、思考・哲学・科学を持ってるしって。

そう言うよね。

だから、知能ありますって。

で、それで?

なんで、理解し合えない?

戦争するし、殺し合うよね。

無駄なもの生み出すし。

意味ないじゃん。

バカ・・・だよね。

感覚はどうなの?

どんな生き物に比べても、見えるの?

どんな生き物に比べても、聴けるの?

どんな生き物に比べても、敏感なの?

どんな生き物に比べても、味わかるの?

どんな生き物に比べても、匂い、わかるの?

能力はどうなの?走るの速い?飛べる?潜れる?

ニンゲンって、バカを通り越して、愚かだよ。低能だよ。作り出している社会がそれを証明してるよ。

ただニンゲンだけがわかる知識でカバーしてるだけだって。それって本当はまったく意味がないんだってことを理解しないと、いけないね。

自戒の意味を込めて、そう思うんだ。そのことを認めないと、ぼく自身、次の世界が見えないと思うから。

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なんで「9」なのに「1」なのさ

要は、めんどくさいのね。

2019年が「元年」って。

1989年が「平成元年」だったんだから、31引く30で計算できるじゃんって、あったまいい人もいるんだろうけどさ。

昭和は西暦の下2桁から25を引いたらいい、とかって。

そういう、計算、好き??

やだ。

今だって、考えるのね。えっと、平成31年だっけ、どうだった?って。

ばかだから。

もちろん!!

ニンゲンって、実は数字の計算が苦手なのよ。そこを逆手にとってさ、経済って、数字じゃない?暗示をかけるの。ふだん、桁数の少ない数字を扱うから、どーんとでかい数字がとんでもない数字に見えたりする。

あ。そういう話は、また今度ね(笑)。年号の話でしたデシタ。

2019年令和元年。慣れるかなァ。

もう元号を使わないって宣言してもいいんだけど、それもそのうち、挫折するよね。まわりが元号を必要とするだろうし。書類に記入欄できるだろうし。西暦の根拠はっていうと、キリストの生誕だし、それもなんだかな。

あー。めんどくさい。それだけ!

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氣を失って生きられるか

ぼくはふだん、自分や家族、友人・知人のことを思いながら、地域や社会に合わせて生きています。それは、もちろん悪いことではありません。人は誰もがそうしているのだと思います。

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しかし、もしそこに自分の「氣」が伴っていなかったとしたら、どうでしょうか。それは、ただこの世界に合わせて生きているだけです。極論かもしれませんが、何事もなく生きていければそれでいいという生き方を選択していることになります。

2018年の年末から数ヶ月くらいの間に、ぼくが氣づかなかったことで、ぼくが大切に思っている人の心を深く傷つけた出来事が続いたことがありました。なぜ氣づけなかったのか、考え、悩みました。大切にしていないじゃないかと自分を責めました。

ぼくはこれまで自分の意志を持って、自分の人生を生きているのだと思っていました。それなら、どうして大事な場面で、氣づけなかったり、氣が抜けてしまったりするのでしょう。

あるとき、勧められてカウンセリング(ヒーリング)を受け、「呼吸が浅い。特に吸うのが足りていない。」と言われました。ぼくは、オカリーナやクラリネットを演奏するプレイヤーであり、呼吸には自信をもっていたので、意外に思いました。

あとで、ぼくは、氣が足りていないのだと氣づきました。それが呼吸にあらわれていたのです。ぼくは自分自身を生きていませんでした。ぼくは長い間、氣を失って生きてきたんだと思います。

もう氣を失っては生きられません。これからは選択そのものが変わってくるんだと思います。

ようやく、ひとつ、長いトンネルを抜けたような氣がします。

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吃音(きつおん)

幼いころぼくは、吃音でした。「どもり」と言うと、差別語と捉える人もいるようです。なので「きつおん」と今は言います。

未だにその名残があるのか、人に会うと、話す前にあれやこれや考える癖があります。ともすれば考えることに没頭してしまって、相手のことばを聞き逃すことが多かったように思います。

吃音そのものの症状は、中学校に入ってからは出なくなりました。40年以上前のことです。

この頃に吃音の症状が出なくなったのは、吹奏楽部でクラリネットを吹き始め、音楽に親しむようになったことが大きいように思います。

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症状は出なくとも、後遺症とまでは言えませんが、思考グセが残っていたことに最近気が付きました。思考グセですから、知識として知っていることを話すのは苦になりません。比較的スムースに話せます。

ところが、感性が問われる場面では、とたんに「怖がり」になります。緊張してしゃべれなくなるのです。どうやら、ぼくは、感じたことを言葉にするのが怖いのだということがわかりました。

人の話を聞くときに、自分が話す内容を考えるのではなく(思考グセ)、聞いている話をイメージすることに集中すると、緊張しないことがわかりました。感覚で聞いているので、「文字」や「文章」として考えなくても、言葉が出てきます。

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感想(23件)

実際には、このヘンな「思考グセ」と吃音との因果関係はわかりません。たぶん、性格や習慣、環境など、様々な要素がからみあっているのでしょう。

60歳前になって、やっとちゃんと自分と向き合おうとしています。遅すぎることはないのだと、自分に言い聞かせています。

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朝起きて、ルーティン。

今朝は、5時半に起きました。いつもより、少し早い目覚めです。

起きるとすぐ、iPhoneのアプリ「AutoSleep」で睡眠の状態を確認します(右図)。これは、AppleWatchをつけたまま寝ると、自動的に睡眠の深さや質、心拍数などのデータが記録されるもの。自分では気づかない体の変調や、その日の体調がわかるし、今日は早く寝ようとか、改善に役立ちます。

今日は5時間の睡眠で時間は、まあまあ。途中目覚めてないし、心拍数も正常で、一定の周期で深い睡眠もあって、調子は良さそうです。昨日はどうだったかなと振り返ることもできます。

その後、整形外科の先生に教えていただいた腰痛体操をたっぷり時間をかけてやります。これを毎日続けていて、持病の腰痛がずいぶん軽くなりました。

腰痛体操に加えて、ふだんあまり伸ばすことがない、膝、股関節、肩甲骨を伸ばすストレッチを入念にやります。これをやると、階段の上り下りが、軽やかです。以前は朝起きてすぐに階段を上り下りすると、つらかったのが、今はなんともありません。

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それから布団あげ、洗顔、歯磨き、着替え、ひげ剃りといった、誰でもやるようなことをするのは言うまでもありません。

朝の良い習慣で、健康な一日を!!

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成長なんて、ラララ

人が成長するっていうのは、ストーリーなんだって、思う。

58歳になったから、こうなったというのは、ないわけ。

成長する人もいれば、しない人もいて、それは年齢に関係なく。

変化があるだけ。

成長にこだわるとさ。衰えるのって怖いよね。

変化があるだけなんだよ。

ストーリーなんだから、どっかで死んだところで、いいわけさ。

たとえばさ、ドラマでさ。月9とか、見るじゃん?

自分の人生も、そういうストーリーだと思えば、いいわけ。

そのときに、現実にさ。真実があるかどうか。心がそこにあるかどうか。人と向き合っているのか、どうかってとこ。今、身近にいる人のことを思い出して、どうなのかって、自分に考えるより前にまずどう感じているのかを見つめるわけ。

身内企業でさ。社長が父親だからとか、考えなくていい。

好きな人が、どこか遠い存在だとか、考えなくていい。

病気がひどくて、もう死にそうだから、とか。

現実と、真実と、自分の心。そこに意識を持てたら、それだけで、人はしあわせになれる。

ストーリーは、自分で作れるよ。

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謙遜って自分を落とすこと?

謙遜とは「へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと。」とある(Google検索より)。

別の解説には「卑下することではない。」ともある。

そうか! ぼくは、これまで謙遜するつもりで、卑下していたんだな。相手を尊重したつもりで、それで何となく丸く収まるんじゃないかと勘違いしてた。ずっと、そんなカンジだったかも。

それがぼくの永年の癖で、ぼくは、自分自身に対しても低く見るようになっていたんだと思う。でも、それって結局ウソだね。相手に対してもウソをついてるってことになるね。

あっちゃあ・・・、と思ったハナシでした。

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その都度やる。たらればは捨てる。

よく言われていること。ぼく自身のために、確認のために、書いておく。

しようと思ったことは、その都度やる。

重要でない、必要ない、忘れていい。

そう思ったこと「だけ」を、捨てる。

その都度やることが難しければ、最低限「声を出す」

声を出すのは、誰もいなければ、ひとりごとでも構わない。

それを、習慣にする。常にそうする。

これまでは、「こうしたら・・・。」「こうなれば・・・。」って考えて、重要なことでも、後回しにしていた。

あとからでも、できれば、それでいい、できると思っていた。

甘かった。

生きるって、そんな甘いもんじゃない。

それでもこれまで過ごせたのは、関わる人がガマンしていただけだった。

・・・ってことに58歳のおっさん(ぼく)が気がつくわけです。

まあ、年齢ではないとは言いますけどね。

恥ずかしいよね。

って、恥をさらすんですけど、それもこれも自分のため。

で、まあ、これを読んだ人が、今からでも遅くないって思ってもらえれば、・・・。そこは、オマケとして。

さて、仕事に行きます。

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もちろん、ここで言っているのは、人と関わることに関して。

このブログを書くとか、本を読むとか、買い物をしたり、洗濯や掃除をしたりするような日常のことを後回しにしてはイケマセンみたいなことでは、ありません。

そういうことは後回しにしてでも、意味のあること、押さえるべきところは押さえましょうという話です。

目標を持つこと

目標をもち、計画を立てることは、重要なことです。

今、ぼくは、自分が何をどう感じているのかということに意識を集中しています。「いまここ」の精神です。

「いまここ」を考えた場合、目標を持つことは必要がないのでしょうか。たしかに、これまでは進捗状況をずいぶん気にしていたと思います。しかし、今は、目標を持ち、計画を立てることで、どう感じているかという指標になっていると思います。

たとえば「富士山に登りたい。」という目標があったとします。これは、あくまでたとえ話です。そのときに、進捗状況を気にしていては、目の前にある景色が楽しめません。ぼくは、目の前の景色も楽しみつつ、富士山に登りたいという思いも大事にしたいのです。そんな感じです。

2019年、きっといい年になると思います。

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