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おじぞうさん

この地域では、毎年8月23日に地蔵盆というお祭りがある。

かつては魚市場に屋台が並び、ほんとうのお祭りのように賑わっていた記憶がある。子どもたちには、お菓子やお団子がふるまわれたこともあったと思うが、今はどうだろう。

踊りや花火も、おぼろげな記憶の向こうで、お盆の風習と重なっているのかもしれない。

いずれにしても、ここに並べられているのは、ふだんは、道祖神として祀られている地蔵尊だ。この地域では、それとは別に薬師如来が祀られている薬師寺にもお参りをする。

砂が敷き詰められたパレットのようなものがいくつか並べられて、そこにすき間をぬってロウソクを立て、盛大に束にした線香に火をつけて立てる。当然もうもうとした煙の中で、人々はお祈りをする。

むかしはひっきりなしに念仏を唱える老人がいたと思うが、今は念仏を唱える時間が決められているのかもしれない。

今年は特に帰郷する親戚も少なく、子どもの姿が少なくて、おじぞうさんもさびしく思ったことだろう。

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のんびりお盆

今日から次の日曜日16日まで、4日間仕事はお休み。お墓参りの他のさしたる用事があるわけでもなく、盆踊りとか、花火、夏祭りなどの、この時期お決まりの行事は何もありません。16日に毎年やっている岩井温泉の灯ろう流しでの河原でのオカリーナ演奏も今年は、早々に中止となりました。

浦富海水浴場は、今年は閉鎖しています。10年、20年経って、この事実を知ったとき「へぇ~、そんなことがあったのか!」と思うかどうか。

それでも、先日の土日はお盆前の連休ということで、ごった返していて、遊泳禁止(看板が各所に立っています)を無視して泳いでいる人もたくさんいました。その中で、海難事故も何件か起きてしまい、波に流された娘さんを助けようとして、亡くなられたお父さんがいました。なんとも痛ましいことです。

今日は、波は穏やかですが、皆さんお盆の準備に入ったためか、浦富海水浴場の方は人出はあまりなく、田後港の釣り人も、まばらです。その代わり、京阪神方面の方には、単なるお盆休みでしかないようで、網代や城原海岸には、路上駐車の県外ナンバーがずらりと並んでいます。例年に比べると、少ないですが。

今年のお盆はのんびりなので、今日は、洗濯、掃除、片付けが進みました。っていっても、家の中は蒸し風呂状態なので、少し動いては、風にあたって、休憩しながらでしたけど。

エアコンはかけていないんですね。扇風機の風だけ。エアコン欠けちゃうと、そこから動けなくなりますから。

Webページの整理もこの休みの間に少しやっておこうと思います。

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オカリナ奏者myu

「myu」を「みゅー」と呼んでください。

岸本みゆうあらため『オカリナ奏者myu』です。

2020年7月20日の午後7時20分に生まれました。(おぎゃぁ!)

アゾースキーさんと岩美町中央公民館第2研修室というところ(ローカルな話やな)で、9月にあるイベントの練習をアゾースキーさんのフルートとぼくのギターとでやってました。で、その練習のあとで、アゾースキーさんに「どうせ今、転機なら、名前をすっきりmyuにしたらどう?」と言われたのがきっかけです。アゾースキーさん、バリバリ名付け親です。

これからは仕掛けます

今までは、ふだんはオカリナ教室の講師をしたり、パソコン教室の講師をしたり、ギターで伴奏をしたり、クラリネットを吹いていたわけです。そして、呼ばれたら演奏するという感じでしたが、まだ事務所もなんもないですが、オカリナ奏者myuを名乗ることにしました。

で、この日は、めっちゃ蒸し暑い日で、梅雨明けしないまま夏が来たというカンジです。

それでいて、海水浴場の開かない前代未聞の夏です。こんな未知との遭遇2020年なんですが、新型コロナのことも含めて、いつかは、そんなこともあったのけー、へーぇぇぇ、ってなる日も来るんでしょうか。

そういうときにこれから、オカリナ奏者としてやってくぞという気概を見せようとしているところです。

「気概」なんぞという、およそ吾輩の辞書にはない言葉を使っちゃいました。いろいろ転機はカンジてたので、たまたま白いギターケースやら、新しい電子ピアノやらが手に入ったりもしてたりしてたり。今、だなと思いました。

やりましょう。いろいろ。

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essay iwami music オカリーナ

なんとなく、なんとなく

今日は、道の駅「きなんせ岩美」でのアポン・サロンコンサートでした。

こういったオープンな場所での演奏は、常に新しい出会い、予期せぬ出会いが待っています。

目の前にいるのは、たいてい、いつも「たまたま」そこに来られた方です。

今日も楽しいライブでした。あーたのしかった!!

そんだけーーっ!!

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日課のマッチョ運動

5月末に持病ともいえる腰痛を発症して、それでも6月中旬に石巻に行くことになっていたので、必死に治療した。3回整形外科にも通った。石巻には無事行くことができたが、7月に入るまで、ずっと、腰痛ベルトと痛み止めの薬が必要だった。

動こうにも動けなくて、ほとんどの時間を寝て、必要最小限、起きてまた寝るという日々を1か月半くらい過ごした。

ようやく腰痛が収まったかと思えたころ、右足の痛みが続いた。ずきずきした痛みに夜目が覚める日もあったが、歩くのにはまったく支障はなく、これは、腰痛の痛みを脳が忘れない影のようなものだと思った。

これは動かないと治らない。

そう思い、7月中旬からランニングとウォーキングを始めた。

忙しくて、動けない日はあるが、週5日歩ければそれでよしとした。

7月下旬からは、寝る前に腹筋、腕立てを50回することにして、もう10日ほど過ぎた。たぶん続けられるだろう。回数を無理に増やす必要はない。続けることを目標にする。

5月から比べると3キロぐらいやせたようだ。体重も気にはしていないが。

一番は、気持ちが軽くなったのが大きい。ランニングもウォーキングも、いろいろなことも楽しい。

海外のマラソンに行ってみたい。65歳くらいまでに実現できるといいかな。

10月27日の鳥取砂丘らっきょう花マラソンの一般3キロに申し込んだ。

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瞑想の代わりに自画像を描く。

瞑想しようと思うと、ただの居眠りになっちゃうとか、何かしら、いろいろ雑念から抜けられなかったりします。

それなら、何か集中できることをやればいいじゃん。って、ことで、自画像っぽい絵を描いてみました。

瞑想すると、自分の意識を見ることになります。自画像を描くということは、瞑想の代わりに集中します。そして、自分に意識を向けることにもなります。

何をしちゃだめとか、そういうことを一切なしに、いろいろ意識に映し出されて、出てくるものを認めて、一心に絵を描きました。

ほっとしたら、夜中ですし、眠くなりました。

ただの居眠りじゃなく、本格的に、寝ます。ぐんない。

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地獄の釜1月16日

我が家には「地獄の釜」という風習がある。この日は風呂の火を焚くことができない。風呂も今どき薪で焚く家はほとんどないだろう。うちも以前はかまどがあったが、今は石油ボイラーだ。それでも、昭和一桁の母が嫌がるので、毎日でも風呂に入りたい方だが、この日は、シャワーも我慢する。

代々伝わっている風習だと母は言っているが、本当だろうか。地獄の釜というのは、地獄で罪人を釜茹での刑にした釜というイメージがあって、その釜が開く日なんだそうだ。

地獄の釜に風呂。何となく気味悪がって、先祖か親戚の誰かが言いだしたんだろう。他の誰に聞いても、こういう風習があるというのは、知らないという。

まあ、年に1日そういう日があってもいいか。毎年、母に言われるまで忘れてるんだけど、こうやって、ブログに書いたら、当分は忘れないかも知れない。

かまどの写真はWikipediaから拝借しました。

釜 – Wikipedia

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佐彌乃兵主(さみのひょうす)神社

なんかわかんないけど突然「あ。行かなきゃっ。」って思って、ぼくはどこかの神社に行くことがある。

今日は、クルマをコンビニの駐車場にとめていたときに、ふと「あ。今なら行ける。」と思いついた。

そういうインスピレーションって、もしかしたら何か意味があるのかなぁと思う。

実際にこれまで行こうと思いながら、そこに行けなかったわけだし、何か呼ばれたのかも知れないと思うと、行けるなら行こうと思う。

鳥居
鳥取県岩美町河崎にある、佐彌乃兵主神社、その鳥居。

今日、行ったのは、岩美町の河崎というところにある佐彌乃兵主神社、これで(さみのひょうすじんじゃ)と読む。

ここに神社があるというのは、前から知ってた。

近くまでクルマで入れないことはないが、やっと軽トラが通れるくらいの幅のガードレールのないコンクリート道だ。

無理をせず、近くにある道の駅「きなんせ岩美」にクルマを停めて、歩いていった。

神社の川向うには、美取神社があるし、1.2kmくらい離れたところに、同じ兵主神社である許野乃兵主神社(こののひょうすじんじゃ)っていうのがある。

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ここからは、ぼくの空想の世界・・・。

ここは佐彌屋敷(さみやしき)って地名らしいけど、こんな近くに別の神社がいくつもあるのは不自然。

神社が建立されたのは1109年(天仁2年)という年らしい。

ぼくが「佐」の字で思い浮かぶのは、佐用町というのが、兵庫県にある。最近も大きな水害があったけど、当時も大きな水害があったのかも知れない。それで、佐用町かその周辺から地形の似ていた蒲生川河川に神社が移されたとは考えられないだろうか。

それは、もちろん、度重なる水害を鎮めるため・・・。祀られたのは、天照大神だった。こんな空想、想像はどうだろう。

本当のところは、わからないけど、空想するのも、ありかな。

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境内社
拝殿の右手にある境内社。実のところ、この境内社にお参りするのが今回の目的だったような気がする。

稲田姫邂逅記(前編)〜八重垣神社〜
稲田姫邂逅期(後編)〜たたらの灯オープニングコンサート《番外編》〜
猿の神社
こうげの賀茂神社
こうげの白兎神社
酉年(とりどし)にぴったりの神社
御湯神社での縁。「朗読と音楽 奏で」
あらきまたえもん
箱に入っていた姫

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シンプル&タコ

自分を見つめようとするときに、今まで、できそうでできなかったことが、「何もしないこと」でした。

なにもしないことが、できない。

禅問答みたいですね。

でも実際、常に何かをやろうと、できることをひとつでも、こなそうとしていたと思うんですね。

そういう意味ではがんばっていた。

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まず「これをやろう。」とアドバルーンを上げるんです。

そのアドバルーンに向かって走り出す感覚です。

たいてい、途中でアドバルーンを見失ったり、他にすることができてしまうんです。

そうこうしているうちに、いろんなことができるようになってきた。人生って、そういうもんだと思い込んでいたと思います。

やればできる。がんばれ。

そんなことばを、これまでも何度も聞いたことがあります。

可能性、未来。まさにアドバルーンですね。

今は、手の届くところを、少しずつ整理をしているような感じです。

人生をあきらめたのかって?

いやいや、とんでもない。

時間も空間も物質も人とのつながりも、自分の意識からつながっているものだと気がついたからです。

まず、ここ。

そう感じたからです。

まず、自分をもう少し知ろうと思います。

で、ときどき、腰を痛めるのも、からだの硬さと血流の悪さがあるからなので、ストレッチをやります。タコになります。

心も、体も、ストレッチ。

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ただそのままを活かして、生きること(ブログ)
鳥取の出張のできるパソコン&音楽教室、レッスンの「パソコン教室のエフセブン」へのリンクはこちらです。

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夏の終わりのミステリー

 通りの向こうで青い服を着た人が走ってくるのが見えた。その姿が非常にスローモーションだ。それに30度くらい傾いて見える。よく見れば道路から浮いている。ああ、これは霊だなと思う。

 霊が見えるというのは、五感の他の感覚があるということで、不思議でもなんでもない。小さい頃から、顔が半分しかない人や、壁から突き出た首が見えたりもした。

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 霊に見えるものは、脳内の映像であり、イメージだ。もともと複雑な音波・電波・光波の周波数だったり、空間の歪みだったり、時空のぶれだったりするものが、仮に第六感だとすると、その第六感を通じて脳内に映像を作り出す。

 霊に見えるものに、霊障はないと思うし、もとより恨みなどない。なにより一番怖いのは、生きている人間だ。もし、死んで恨みや怨念が残るのなら、世の中には、人間に殺されて、非業の死をとげた動物の霊であふれかえるはずだ。

 小さい頃は、それは怖かった。霊が見えることが怖いのではない。信じてもらえないのが怖かった。

 いろいろ調べていくうちに、脳の働きの解明されていない部分に、そういう働きがあるのではないかというふうに思うようになった。脳の中では、視覚であったり、想像であったり、記憶であったりと、さまざまなイメージが映像として常に流れている。そこに、潜在意識の映像が流れ込む。映画『マトリックス』で描かれていたのも、そういう世界観だった。そして、それも現実世界である。

 こういうことがわかってくると、生命というのは、奇跡的な現象だということがよくわかるようになる。人と人とは、見えないつながりが確かにあるし、偶然の多くは必然である。

 ここまでの話、あなたは信じるだろうか。たまにはこういうオカルトっぽい、ミステリーはどうだろうか。

 アイキャッチのかわいらしい舌を出すお化けはここからダウンロードさせていただきました。

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