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還暦の集いやら、同窓会やら

レッスンに来られる生徒さんの話で、細かいことは言えませんが、その方、今年還暦だそうで、遠い故郷での還暦の集いに出るのが楽しみだそうだ。

あとで、同級生にいろいろ言われるのだが、ぼくはそういった同窓会のようなものが苦手なので、これまでほとんど出席したことがない。

昔の話とか、誰それがくっついたとか、病気の話、孫の話、で、話の花が咲くんだそうだ。久しぶりに会った同級生が変わりすぎていて、誰が誰かわからないとか。

まあ、還暦というのもそれまで生きていれば一生に一度のことなので、多分あと2年あるが、行ってもいいのかなとは思う。新しい出会いだと思えば、それはそれでいいのかも知れない。

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まだ1月のサクラの木の下

午前中は富桑地区公民館でのオカリーナ教室です。少し早い時間に到着したので、入り口から少し離れた桜の木の下に車を停めました。

もう、芽は出ています。サクラの花が咲く時期まで、あと 2ヶ月ぐらいはあると思うんですけど、こうして少しずつ芽を膨らませていくんだなぁと思います。

外の気温は3度くらいです。まだまだ寒いし、これから雪が降ることもあるだろうな。

さて、時間です。行きますか。

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レモンを取り出しました。

何ヶ月か前にキゥイ酒を作って、そろそろ時期が来たので、ぶつ切りにして入れていたレモンを取り出した。あと1ヶ月くらいで出来上がりの予定だ。キゥイ酒を作るのは2回目だが、今回も、うまいぞ、きっと。

その時の写真を撮って見ると、お皿の上にのってるのは、レモンじゃなくて、バナナを切ったのみたいに見える。取り出したレモンは、絞って、グラスに入れた。そして、お酒を注いで飲み干した。たった一杯のレモン酒。これも、うまい。

そういいつつも、昨年2018年の暮れから、家ではあまりお酒を飲んでいない。いや、まったく飲んでないことはない。時期的に暮れ正月だし、忘年会とかもあったし。でも、これまでが飲みすぎて、飲んだくれていたとすれば、微々たるもんだった。

まあ、酒を飲むんなら、家だろうが、外だろうが、うまい酒を飲みたい。うまけりゃ家でも飲みたいときに味わって飲む。習慣で、なんとなく飲むというのは、ちがうかな、と思ったから、飲んでいないだけ。

2019年は、何を感じるのか、を大事にしたい。いい年にしたい。

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思い立ったが吉日

おもいたったがきちじつ。

やろうと思ったときが、グッドタイミング、チャンスだよってことですね。

ひょっとしたら、そのチャンス、もう来ないかも知れない。

そうしたいと思わないかも知れないし、思うことも変わるでしょう。

今、感じていることを、サッと、アウトプットしてくことが、大事かなと思います。

自分にとってですね。

そうしたいと思います。

やります。思い立ったが吉日宣言です。

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随所に主となる

誰でもあると思うが、何かに集中しているときや、無心でいるとき、ふっとイメージが浮かぶことがある。

頭の中に活字が浮かぶこともあれば、誰かの声だったり、抽象的な概念だったりする。

今日は、就寝前に一人で湯船につかっていたときに、ふと「主(ぬし)」という言葉と同時に「すべき」とか「すべし」というような響きが頭の中に浮かんだ。

文字をつなげると「ぬすべし」となって、なんとなく「ぬすむ」にも聞こえて語呂が悪い。

風呂から上がって、インターネットを検索して、イメージに合う言葉を探してみた。

臨済宗の開祖である臨済義玄禅師の言葉で「随処作主 立処皆真」(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり)というのが、イメージに近いようだ。

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「常に主体性を持てば、間違いのない行動ができる。」

この言葉を読んで、はっとした。

今、ぼくは、自分を見ようとしていて、内向きに思考をしようとしていたらしい。

自分を見るというのは、今見えるもの、感じるものを自分のものとして見て、感じるということなんだということに気付かされた。

「まず、波動がある。」

そう言った友人がいる。すべてのものをまず自分のこととして捉えること。

自分を見て、感じることができれば、思考するのではなく、思考が生まれる。

今、まさに、ぼんやりとしていたイメージが思考として生まれたようだ。

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目薬を味わう、しあわせ。

目が健康な人が「目薬を味わう。」なんてことは、ないわけですよ。

味わう。目薬をさすと、本当に目が「うまい!」って言っているように感じるくらい気持ちいいわけです。

これは、しあわせだと思うんです。

ふだんは、コンタクトレンズを目にはめているんですが、裸眼だったり、メガネをかけているときには感じないクリアな視界がどーっんと、広がるわけです。

これも、感じなければそれまでなんですが、しあわせなんです。

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どっかのコーヒーのコマーシャル(ダバダー♪)じゃないけど、「違いがわかる。」ってことがしあわせなんだと思うんですね。

じゃあ、その「違い」ってなんだってことですよね。

ぼくは、違いがあるって、なんだか特別なことのように思っていたわけなんですけど、それは幻想だったですね。

違いは、いつも、どこにでも、当たり前にあるわけです。

あったりまぅえ〜に、あるわけどぅえ〜っす!!

・・・はい。ふつうに言いますね。

違いはあります。

むしろ、「同じ」と思っていることが錯覚だったのです。

ふかーい話に突入しそうなんで、ふかーい話はそれが得意な人に任せるとして、違いが感じられるというのは、割と自分で「足りない」とか、「できない」「劣っている」とか思っているところに意味があったような気がします。

社会が決めている基準って、単にひとつのものさしでしかなくて、そのものさしだけで物事を見ると「しあわせ」そのものを見逃すことがあるかも!ってことです。

目薬はおいしい、そういう話でした!

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ただそのままを活かして、生きること

幽霊とか、オバケとか。

ぼく、割と、見えます。

自分では、意味はわかりません。

どうってことはないんです。

小さい頃から見慣れているので。

でも、それを言うと、怖がりますね。

とくに子どもは。

なので、なるべく黙っています。

要は、波動なんだと思います。

波動、波長があったときに、見える。

人は、ふっと寒くなったり、急にどーんと気分が落ち込んだりするときってあると思います。

幽霊やオバケは普通にいます。

みんな波動を残して死ぬんですから。

いるのが、当たり前です。

あとは、自分自身なんです。

そこに合う波動、波長があるっていうのは、実はあんまり良くない。

でもたまたま敏感な人が、幽霊やオバケを実際に見てしまう。

幽霊やオバケが見えるっていうのは、自分自身の波動の状態が見えるということ。

なんだかんだいって、怖いのは、生きてる人間なんで、自分自身の波動を見せてくれる存在には、ぼくは感謝しかありません。

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物欲が剥がれ落ちていき、、、

ぼくは以前は、便利なモノ、高級そうなモノ、先端を感じさせるモノ、そういうモノたちに割とホイホイと飛びつく方でした。

その結果、使わない、必要のないものもたくさん身の回りに残ることになりました。

電気屋さんに行くと、以前は宝の山のように思えたのに、今日久しぶりに行くと、まるで異空間のように感じます。

何を見ても、まったく興味がわきません。

それはまるで、行くつもりのなかった遊園地を散歩しているような気分でした。

まったくつまらないわけではないんだけど、とにかく異空間、そんな感じなんです。

家に帰ると、最近は、不用品だと思うものは割とさっと捨てています。

どんどん身の回りからモノが減っていきます。

そうすると、必要なモノだけが残る。そんな感じになります。

濁っていた池の水が減っていって、だんだんと透明になっていって、泳いでいた魚が見えてきた、そんなイメージです。

なんといらないモノに囲まれていたんでしょう。

どんどん快適になっていきます。

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できる意識<できない意識

意識が現実を作る。

そう思える人も、そう思えない人も、それが真実です。

その中でも、できる意識より、できない意識の方が強力です。

「できる。」と、なかなか思えなくても、「できない。」というのは簡単に思えてしまう。

その結果、できるはずのこともできない。

で、意識が働くわけです。下記は、これまでの、ぼくの場合ですよ。

「やれなくはない。」
「できるはず。」
「なんで、できないんだろう。」
「こうしたら、ああしたら、どーたらこーたら。」

で、その意識が、ますます確実にできない現実を作ってきたわけです。

できない意識の方が強力なんですから、意識すればするほど、できないわけです。

呼吸できない人がいますか。
空を飛べる人がいますか。

もともと、放っていても、できることはできるし、できないことはできない。

それなら、意識を捨てるのが一番効果的です。

そのまま、呼吸できる自分、空を飛べない自分を認めます。
できることはできて、できないことはできない自分を認めます。

できた。できなかった。は、結果です。

結果にとらわれず、自分を認めるのです。

というようなことを、今、ぼくは自分に問いかけているところです。

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自信って、どこにあるの?

自信がない。
不安だ。

漠然と。なんとなく・・・。

自信がない。何が?・・・答えられない。
不安。何が?・・・答えられない。

だって出来てないから。
ダッテ。デモ。ダカラ。

自信って、成功体験を積み重ねることだと思っていた。
知識を得て、できることを増やすことだと思っていた。

自信て、自分を信じること。

何かをして得られることじゃなかった。
今すぐできること、だった。

自分で信じられる自分を持てばいい。
時間も他人の評価もいらなかった。

自信がないということは、人の評価を待つことだった。
人に委ねることであり、自分をおとしめることだった。

自信はできるのでも、作るのでもない。

ここにあることを信じること。

それだけ。

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