今、この瞬間にも宇宙は存在しています。
ただ、今のぼくには、目の前に見える風景しか見えません。
目の前に星や月が見えていても、ぼくの手には届きません。
それでも人は、それが存在するって信じられれば、届かない、見えないモノを崇拝します。
その最も崇高な存在が、神であり、宇宙なのだと思う。
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ぼくの意識の中では、目の前に見える風景が現実であり、この現実は、神や宇宙から最も遠い存在でした。
現実は、ホコリにまみれていたり、不完全で、足りないモノだとぼくは思っていました。
だから、ホコリにまみれていて、不完全で、足りない世界をぼく自身が作ってきたように思います。
それは、ずっとずっと、いつまでも果てしなく続くように思っていました。
ぼく自身が、そうやって「いつかは何か成し遂げられる。」と漠然と思うために、自分の意識の中で必要な世界を作ってきたように思います。
これまでぼく自身が意識の中で作ってきた世界は、そもそも、神のいる、宇宙の存在する世界とは、違う次元なんじゃないかと、思うようになりました。
神のいる、宇宙の存在する世界は「常にすべてがそこにある」世界なんじゃないだろうか。
「常にすべてがそこにある」のなら、何があるのか、何が見えるのか、何ができるのか、自動的に決まるでしょう。
ムリに何かをするとか、成し遂げるなどと大げさなことではないでしょう。
年を取ることでも、名声を得ることでもないでしょう。
ホコリにまみれていても、不完全でも、足りなくても、届くもの、見えるものは、いつでもここにあります。
ただただ、何を感じるのか、をこれからは、大事にしようと思う。