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自分とコミュニケーションする

ぼくは、ずっと、自分で恥ずかしがり屋の口下手で、コミュニケーションが苦手だと思い込んでいた。

このところ、自分自身を振り返る、見つめるということを考えていて、それって、人に対してじゃなくて、自分自身に対して、コミュニケートしていなかったんじゃないかって思った。

人に合わせて、何かしようとすると、ほら、例えば、下心満載の20代だった頃、好きな女性と話すことがうまくできなかったりする。

それって、その人に一所懸命合わせようとしていて、相手はおろか、自分自身をも見ていないからだったんだなとやっと気付く。

20代の女性に合わせられるアイテムって、男の自分がそんなに持ってるはずないもの。

せいぜい、映画とか、本とか、動物とか、遊園地とか、美味しいものとか、そういうもので合わせようとしてしまって、堅苦しくなって、別れてしまってた。何度も何度も。

「ぼくは、こう思う。」「こんなふうに感じたんだけど、どうかな。」

そんなふうに話をしないわけじゃないけど、合わせようと必死で焦ってると、それが見えない。

そうだったんだ。ぼくは、自分とコミュニケートをすることができていなかったし、その視点が抜け落ちてしまうことが、今の今までよくあったんだ。

それが相手を退屈にさせていたし、傷つけて、傷つけあったりもしていたんだ。

なんてこった。

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自分自身とコミュニケートできれば、何も怖がらなくていい。

そして、世界はそこにある。世界ともコミュニケートできる。

そう考えれば楽しい。

ぜひ、そうありたい。

自分をアウトプットする

吐き出さにゃ。。。

この文章を、あとで読み返したら、自分で何かわかるかな。

今、自分を見ようとして、なんだか、深みにいるような気がして。

常に、おまえはどんなニンゲンなんだって誰かに尋ねられてる気がする。

自分を、吐く。

自分て、なんだ。

気がついたら、1時間でも2時間でも考えてる。

そんなに時間かけても、ぼんやりしてる。

それって、ぼんやりしてる自分があるんだろう。

ぼんやり。カオス。

それが、今の自分。

知識を得て、何かをインプットして、何かをこつこつやるのは、やってきた。そこに意味は?

感性は。

感じることに意識を向ける。

何を感じるか。

漠然と不安だ。

何だ、その不安は。

見えない不安か。

そうだ。何かをこなすことで、その不安から目をそらしてきた。

何を感じるか。

そこを見ていたはずなんだけど、どっか、目をそらしてたように思う。

何かこなせたらいい、何かできたらいい、ただ流れたらいい。

どっか、そんなふうに過ごしてきた。

こなさんでいい。できんでいい。流れんでいい。

見る。

逃げてるから、見えないから、それで不安なら、見続ける。

正体のない不安は消さねば。目をそらさずに。

見続ければ、本当の正体は見えるはずだ。

見る。見えたものを、断片でもいい。こうやって吐く。

今、見えるのは、ぼんやり、カオス。

今、こなしてること、できてること、それは、本当にやりたいことなのか。

ぜんぶ捨てるつもりで、自分を裸にして、見る。

何が見える?

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そこにあるハズの意味

人生の99.9999%が意味のないことだとしたら、そう考えたら、ぼくは生きてはいけないだろう。

そこを考えることができなかった。そこが怖かった。

だから、意味の代わりに結果を追い求めていたんだろうと思う。

こうすれば、こうなる。

こうすれば、こうなる。

つなげた結果を評価された。

意味ではなく、できた、結果がそこにあった。

意味を置いていった。

意味とは?

心。

心を置いて、何ができたところで、カンペキにできたところで、意味はない。

必要なのは、方法論ではないと思う。

方法論だけをさぐっていくと、堂々巡りが始まる。

比べると、できた方が、優れているように見えるだけ。

たかだか50年だか、60年だかを捨てられずに、死ぬまで生きられない。

今、ここからだと思う。

そう、考えます。

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浮き立つ胸のボタン

朝、時間に余裕があるときなど、ほんとうに気が向いたときだけですが、今日一日着る服のアイロンがけをします。

シャツ1枚くらいなら、15分くらいでできますから、心を落ち着けるのに、とてもいい時間になります。

毎朝準備する1枚のハンカチにもアイロンをかけます。洗濯したてのハンカチには、端のほうに、折れたようなしわができます。そのしわをくるくる回しながら伸ばして、あとは全体に中心から外に向かってアイロンをかけます。5分もかかりません。アイロンのかかったハンカチは、手触りがとても気持ちいい。どこかでトイレに行って、手を洗ったらそれまでだけれど、朝アイロンがけをしたハンカチは、それを持っているだけで、心が落ち着くような気がします。

ハンカチは、昨日のハンカチ、その前の日のハンカチくらいまでだいたい3枚くらいは持ち歩きます。少し汚れたものを拭くときは、昨日のハンカチを使って、1日の途中でも、洗面所で洗います。車の中で乾かせば、また使えます。

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さて、すっかりしわの伸びたシャツに袖を通すのは、気持ちのいいことです。

ふと鏡を見ると、胸のあたりに小さな突起が見えます。

シャツのしわが伸びているので、鏡の前で胸を張ると、右の乳首がボタンのように浮き立って見えるのです。左にはポケットがあるので、わかりません。

立ったり座ったりしているうちに、裾の方からしわが伸びてくるので、だんだん目立たなくなりますが、アイロンがけをしてすぐは、ほかにしわがないので、よくわかります。

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思い込み、というだまし絵

ぼくはこれまで、自分で「抱えている。」「たくさんある。」と思っていた仕事を、少しでも手際よくこなすために、まず頭の中で段取りを組み立てて、その段取りに従って様々なことをやってきた。

その「要領の良い、優秀な頭脳」(そう思い込んでいるだけ)らしきもので、実績も残してきたし、自分でも、これでいいんだ、このままでいいんだと考えていた。結果がすべてだと。

けれど、思い出してみると、段取りそのものが、他の人から見ると、かなりの確率で的外(まとはず)れだったことが多かったと思う。それでも修正をしながら進めていき、「結果を残してきた。」と、そこでもまったく省みることはなかった。

周りを見回してみて、世間的に優秀だと思われている人ほど、「こうあるべき。こうした方がいい。」という「思い込み」に縛られ、自分がその『だまし絵』にとらわれているということに、なかなか気づいていないんじゃないかと、ふと思うようになった。自分はどうなんだろうかと。

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ぼくは、感じている心を後回しにしていたんだと思う。

すぐに対処しようとした。拙速に行動に移していた。そこに心はなかったのかも知れない。その証拠に、心はいつも不安を抱えなければいけなかった。「これでいいんだろうか。」「どうなるんだろうか。」じゃあ、今度はこうしようか。いや、こう考えよう。そうやって、思いを空回りさせていた。

「迷いながらもがんばって生きていく。」それがニンゲンだ。そう思えれば、それでいいだろう。

しかし、そうやって知らず知らず、人を傷つけていたとしたらどうだろうか。「だって、こうだったから。」「こう言われたから。」言い訳は、本来、必要がないし、するべきことではないと思う。

ぼくは、気づけば当たり前のことなんだけど、とても大事なことに気づき始めたように思う。

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置く、捨てる、移動する

モノを手に入れる、持つ。モノを使う。

本来は、そのひとつひとつに意味がある。・・・はず。

で、

「欲しいから。」という。

「どうして?」と尋ねてみる。

「なんとなく・・・。」

なんとなく、それが感性なら、それもアリ。

感性の、その「なんとなく。」に意味があるのだろう。

きっと。

で、なんとなく、で。モノが増える。

どんどん、どんどーん、・・・増える。

いらんじゃろう。そんなに。

なんで? どうして? なんで?・・・。

今までずっと、「なんで?」を繰り返していたと思う。

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そうこうしているうちに

「モノを移動する」が「モノを片付ける」

と同義語にすり替わった。

自分ですり替えた。

自分ですり替えたことに気づいていなかった。

モノを移動させて、いらないものを隠して、それで、

片付けた、整理した。

そう思い込んでいた。

モノは増えるばかり。

いらんじゃん。こんなに。

60歳手前で、こんなことに気づく。

これは、正真正銘、バカです。

いや、60歳手前とか、年齢は関係ない。

死ぬのに年齢はない。成長するのにも、年齢はない。

老いていくのは、この次元の物質であるカラダの都合でしかない。

モノは自分のモノではなく、この世界の所有物でしかない。

置いておくなら、放っておく。

いらないのなら、捨てる。捨てる、とはこの世に返すこと。

せめて、意味があるものだけ、いつくしもう。

少し、考えました。

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ボクがブログを書くワケ

ある日わかったこと。

ボクはこれまで、ただ「思い」がぐるぐる回るだけで、それって実際には考えているようで、考えていなかったのと同じなんだなということ。

そういうのって、あまり見たくない自分の姿だったりする。

その自分の姿にフタをして、見ないふりをしようともした。きっと、今まではそれも自分では気付いていなかったこと。

やっぱりただ「思う」だけでなく、もっとありのままの自分を見て、考えたいということがあった。当たり前なんだけど、自分が見れないと、人のことがわからないわけだから。

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ずっと人の評価を自分の姿だと勘違いして生きてきたと思う。

「何々ができる」とかっていうのは、あくまで「結果」でしかない。その「結果」を人に「評価」されていると思うわけだ。そして、その結果と評価に合わせて「できる自分」を演じようとしていた。

今、世の中には、そうやって「やるんだ。」「できるんだ。」って、「頑張っちゃてる」人があふれているような気がする。

人の期待ってけっこういい加減なものなんだけど、そう思えなくて、期待に応えようと頑張っちゃうのね。

がんばるのもいいんだけど、まず自分を見て、人を知りたい。本当に何が起こっているのかをわかりたい。そういう意味で、ここに文章を書いてみようと思った。

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モノのバーチャルな時代

人がモノを所有するのは、そのモノを自分だけが自由に使いたいということのほかに、所有することが安心であったり、自尊心を満足させるモノだったりする。

だから、モノそのものに質感や価値のないモノは、さまざまなことが、こうしてバーチャルな時代には、消えてゆく運命なのかもしれない。

たまに懐古趣味というような、ぼくが思うには、あまり意味があると思われないモノが一度消えかけて、再び脚光を浴びるみたいなことがある。

カセットテープやレコードなどがそうだ。

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レコードはわからないでもない。CDに比べて大きなジャケット・デザインが飾ってもいいと思えるものがあるからだ。

それに、高級なオーディオを既に所有している人がいて、レコードで音楽を鳴らしたいと思う人がいるからだ。

そういう人は、レコードに記録された音を余すところなく再現することで、特定の周波数でカットされるCDでは得られない臨場感が得られるのだと主張する。ぼくは、何も無理やりチープなラジカセと比べる必要はないだろうとは思うのだが、その人がこれまでかけた情熱とお金を否定することになりかねないので、うかつにそんなことはないんじゃないなんて言えない気がしてる。もちろんレコードの良さを否定するつもりはまったくない。

カセットテープやVHS、フロッピーディスク、MDなどについては、よくわからない。

ぼくも、そう言いながらも、捨てられずにいる古いメディアが押し入れのケースの中に入っていたりする。

もういいんじゃないかな、美的な価値のあるモノ、存在することに意味があるモノ以外は、バーチャルなモノに置き換えちゃえば。

ひょっとしたら、世の中には、食べ物と、自然と文化、芸術しか残らなくなるんじゃないかな。まず、働くためのオフィスとかいらなくなるでしょうし。

そう思いながら、どんどん身の回りのモノを捨てつつあります。連休は掃除しましょうかね。
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選ぶ、ということ

今日は、時間が空いたので、ふだん物置きになっている部屋の片付けを始めた。

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居間や仕事部屋は掃除をするくせに、いるんだか、いらないんだかよくわからないモノをとりあえず突っ込んで隠しておく、そんな場所が誰の家にもあるだろうか。

いわゆるモノオキ部屋だ。

いるんだか、いらないんだか、よくわからないモノって、その時の判断に過ぎなくて、今となってはほとんどいらないモノなんだろうと思う。

実際、片付けをしているというより、ゴミの分別をしているという状況に近い。

紙類は相変わらず多い。会議資料だとか、パンフレットだとか、そういうものは、今は割と読んだらすぐ捨てちゃうんだけど、以前の私は、すぐには捨てられなかった。

紙類は、意外とかさばるし、あとで分別しようとすると名簿のようなものも出てきて、仕分けなければならず、めんどくさい。

電化製品の付属品のようなものも出てくる。パッケージや説明書、アダプターなどだ。使わなくなった時点で処分すればいいんだけど、置いたまま忘れてしまってる。

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そんなことをやりながら、何をどう選ぶのか、ということが、これまでの自分を作ってきたんだという思いにつながった。

今ラジオ代わりに、Spotifyで音楽を流しているタブレットも自分で買ったものだ。タイピングをしているパソコンもそうだ。身の回りにあるモノ、ほとんどが自分で選んだものだ。

モノだけじゃない。何をどうするか、自分で選んできたと思う。そのときに、自分が見えていたんだろうか。周りが見えていたんだろうか。何が正しいとかじゃなくて、見ることが大切だったんだって、今はわかる気がする。

「あとで見る。」「とりあえず置いておく。」モノが、これだけ捨てられなかったんだもの。これまでも片付けはしてたはずなんだけど、ただ「移動」させてただけなんだね。で、それを集めたモノオキ部屋が誕生したんだ。

今はモノオキ部屋だけど、片付いたら、ここに録音機材を置こうと思う。今はクルマの中で録音してるから。モノオキ部屋、そのものがいらないと思うから。

さて、午後は新しい靴を買いに行こう。もうすぐ、靴がぱくぱくと口を開いてしゃべり始めそうだから。

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デジタル脳、イメージ脳

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パソコンやオカリーナのレッスンを通して、最近とくに感じることがあります。

「こうしたら、こうする。」
「A=B」
「あれをして、これをして。」

こんな風に、論理的にひとつひとつ考える働きをするのは、脳の働きで言えば「左脳」だと思うのですが、こういう思考から外れない人が増えているように感じます。

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よく「左脳派」か「右脳派」かみたいなことが書かれていることがありますが、圧倒的に「左脳派」の方のほうが多いように思います。

論理的思考というのは、ひとつひとつのことをその都度判断することが得意なので、左脳を「デジタル脳」と呼ぶことがあるようです。

日本じゅうの学校の学習では、どこでも論理的思考から答えを出すというようなことを繰り返しやるわけです。優秀なデジタル脳の人の方が学校の成績がいいわけです。

そして、そういう方は社会に出てからも、デジタル脳を働かせて、どんな仕事でもそつなくこなして、信頼されて多くの人から認められるんだろうと思います。

また、そのような人になりなさいと、親からも先生や先輩からも教えられて、成長していくのだと思います。

デジタル脳は論理的思考が優れているわけですから、人間らしいと言えるでしょう。これに記憶力が加われば「天才」「秀才」と言われ、実行力と運があれば、「実力者」として社会に貢献することもあるでしょう。

いっぽうの右脳の働きは、感覚的で、イメージをとらえる働きをします。もちろん、人はそんなふうに論理的思考、感覚的思考をスイッチのように切り替えて考えているのではなく、両方のバランスでものごとを見ているわけです。

ただ、優秀なデジタル脳を持っている人は、本来イメージ的に瞬間的にとらえられることでも、論理的思考で時間をかけて考える癖がついています。「イメージ脳」である右脳のはたらきを無意識に抑えているわけです。

パソコンでも音楽でも、同じようにデジタル脳で考えるわけです。ひとつひとつ、時間をかけて習得していきます。何冊もあるマニュアルや、分厚いテキストをものともしません。

白状すると、私もそういうことが得意でした。気がついたら、たくさんの本を処分したにもかかわらず、書棚が3つも4つも本で埋まっています。

私にも、最近になってようやく、デジタル脳にも欠点があることがわかってきました。

論理的思考というのは、ひとつのことに集中して、答えを出す思考です。いろんなことを同時にやっているように見える場合でも、一時的にいくつかを記憶にとどめておいて、他のことをやっているに過ぎません。

「記憶」というのは、変わりやすいものです。勘違いや思い込みもします。記憶が起こす間違いを防ぐはたらきをするのがストックされた「知識」です。

デジタル脳は、さまざまな場面で、豊富な知識で乗り切ろうとします。知識が足りないと思えば、学ぼうとします。その結果「何か違う」という右脳が伝えるサインを受け取れなくなります。デジタル脳はそっくりに作られたニセモノを見抜くことができません。

デジタル脳は知識がなければ、細かなディテールを見ることができません。未知のものは無意識に見ないふりができます。ディテールを作るのは、あくまで本質ではなく、知識だからです。

本来イメージ脳が同じように働けば、本質を見抜き、細かなディテールを見て、核心をついた判断ができるはずです。

今日はここまでにしておきます。ここに書いたことは、私にとっての備忘録のようなものです。これがまた新しいひらめきにつながったときに、続きを書きます。

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