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時間は、距離でも、壁でもなく。

今日、ある友人と20数年ぶりに会った。「久しぶりだね。」とは言ったけど、数秒後には昨日会ったのと変わりなく、ただ心地良い。お互いが歳をとったことも自然だった。たまについ口癖で敬語が出てしまうけれど、それもおかしいくらいで、まったくいやではない。

彼女とは、パソコン通信をやっている全国の35歳がネット上で出会い、会話をするという実験的な番組で知り合った。

熱くなったり、ダラダラと長くなったりする画面上の会話に彼女は、すっと、さらっと入ってきて、いつの間にか、うまくまとめてるみたいなところがあった。いつも自然体で、柔らかさがあった。

20数年前に、ぼくが鳥取で忘年会をしようと呼びかけて、全国から10数人が集まってくれた。その中に当時海外で暮らしていた彼女もいた。まったく印象どおりだったことを覚えている。

「(宴会場の外に見える)この道路は、ぼくがこどもの頃にはなくてね。ずっと砂浜だったんだ。」

彼女は、富山の海に似ていると言った。実家だったのか、おばあちゃんの家がそうだったのかは覚えていない。

今日は彼女のダンナさんも一緒だったが、なんだか二人が二人でいることがしっくりくる、そんな感じがした。

今日わかったのは、時間が距離に感じられたり、壁になったりするのは、みんな幻想なんだということ。

伝わる相手とは、いつどこにいても同じ空間にいるのだということ。

そして、その幻想を現実のものだと勘違いしているのは、執着という強い思いなのだということ。

同じ空間にいるのだとしたら、執着はいらない。お互いが事実だけを見て、認め合うだけだ。そして、心から尊重しあえる。

また会えると思う。それがいつになってもかまわない。会えたらうれしいと思う。

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佐彌乃兵主(さみのひょうす)神社

なんかわかんないけど突然「あ。行かなきゃっ。」って思って、ぼくはどこかの神社に行くことがある。

今日は、クルマをコンビニの駐車場にとめていたときに、ふと「あ。今なら行ける。」と思いついた。

そういうインスピレーションって、もしかしたら何か意味があるのかなぁと思う。

実際にこれまで行こうと思いながら、そこに行けなかったわけだし、何か呼ばれたのかも知れないと思うと、行けるなら行こうと思う。

鳥居
鳥取県岩美町河崎にある、佐彌乃兵主神社、その鳥居。

今日、行ったのは、岩美町の河崎というところにある佐彌乃兵主神社、これで(さみのひょうすじんじゃ)と読む。

ここに神社があるというのは、前から知ってた。

近くまでクルマで入れないことはないが、やっと軽トラが通れるくらいの幅のガードレールのないコンクリート道だ。

無理をせず、近くにある道の駅「きなんせ岩美」にクルマを停めて、歩いていった。

神社の川向うには、美取神社があるし、1.2kmくらい離れたところに、同じ兵主神社である許野乃兵主神社(こののひょうすじんじゃ)っていうのがある。

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ここからは、ぼくの空想の世界・・・。

ここは佐彌屋敷(さみやしき)って地名らしいけど、こんな近くに別の神社がいくつもあるのは不自然。

神社が建立されたのは1109年(天仁2年)という年らしい。

ぼくが「佐」の字で思い浮かぶのは、佐用町というのが、兵庫県にある。最近も大きな水害があったけど、当時も大きな水害があったのかも知れない。それで、佐用町かその周辺から地形の似ていた蒲生川河川に神社が移されたとは考えられないだろうか。

それは、もちろん、度重なる水害を鎮めるため・・・。祀られたのは、天照大神だった。こんな空想、想像はどうだろう。

本当のところは、わからないけど、空想するのも、ありかな。

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境内社
拝殿の右手にある境内社。実のところ、この境内社にお参りするのが今回の目的だったような気がする。

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鳥取発・新緑の季節

今日は2018年4月23日月曜日です。

先週末は、遠方に出かけたり、いろいろと動いていました。その疲れがどっと出たのか、昨日持病の腰痛が再発し、今朝月曜日の朝イチで医者に寄り、ひと仕事終えたところです。なんとか、2、3日で完全復帰できそうです。

見渡すと風景はすっかり新緑の季節。この時季の山の緑が美しい。

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ツツジも咲いているし、連休が来るなぁ。

しばらく、遠方にクルマで走るのは控えたいけどなぁ(笑)

腰痛が悪化しなかったのは、日頃のウォーキングの効果は出てるかな。ただ、その分どうしても体が固くなるので、今後はストレッチもじゅうぶんにやるようにしないとなーって思ってるところです。

腰痛の出ているうちに、いろいろこれをチャンスとして、自分を見つめ直したいと思う。これが連休の最中でなくて本当に良かった。ちょっとしばらくゆっくり、休めるなぁ。

そうしなさいというサインなんだろうなぁ。体が教えてくれる。

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住んでいるから、逆によくわからないとこもあるんだけど、鳥取は、旅行で訪れるにはいいところです。砂丘以外は、どこもあまり観光地化されてなくて、地元の人が大丈夫か?って思うほど。連休にいらっしゃいませ。わたしゃ、ひと休み〜♪

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カラフルな【ボタン付き】オカリーナ、Zinオカリナ

田後90楽器博物館#19
(Zin)お子さんが吹ける【ボタン付き】オカリナ

小さいけど、C管のオカリーナ。指の当たるところには、カラフルなボタンが付いています。

指の穴だとちゃんとふさげなかったりするけど、ボタンなら押さえられます。

Zin(ジン)オカリナは、手の小さなお子さんでも吹くことができる初めてのオカリーナにぴったりの楽器です。

見た目はかわいいし、プラスティック製だけど、そこは定評のあるZinオカリナ。ちゃんとした音が出ます。

そうだ。今、ちょっとしたアイデアを思いついた。

実際に演奏して、動画で楽器を紹介しよう。

それも、鳥取砂丘だったり、浦富海岸だったり、この鳥取のきれいな景色をバックにして、その風景に合う曲を演奏してみよう。

どうだろうか。

やってみようと思います。

楽しそう。。。

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緑の液体石鹸

コンタクトレンズを装用するようになって、以前より石鹸で手を洗う回数が増えたような気がします。

今頃だいたいどこでも手を差し出せば水が出る自動水栓になっていて、公共のトイレを使ったあとも、水でちゃっと洗ってすぐハンカチで手を拭くぐらいでした。

今では必ず手を石鹸で洗います。それも割りとていねいに1回1回洗ってますね。ついでにうがいもしたりして。

ふとね。あの緑色の液体石鹸が気になったんです。これ、家でも使えないかなと。自宅の洗面所の状況はというと、押すと泡の出てくるポンプ式の石鹸が置いてあります。それから、近くには固形の石鹸も置いています。

固形の分は、もう小さくなったのとかももったいなくて捨てないで、2つ3つ大きいのと一緒に手に持って洗ったりしてます。この小さくなったのって、泡がなかなか出ないし、落ちにくいんですね。結果的に2度洗い3度洗いとかして水をたくさん使います。

あの緑の液体石鹸、サラヤの「シャボネット石鹸」というらしいんですが(他の製品もあるようですが、だいたいこれ。)、ネットでも買えるんですね。ホームセンターとかにもあるのかもしれない。

で、取付用の容器なども売られてました。ちょっといいかもって思っています。

いろいろ調べてみると、この液体石鹸、指定した量に希釈することで、殺菌もでき、泡立ちもいいそうです。経済的かどうかは今のところはちょっとわかりませんけど、洗面所で使う手洗い石鹸をこれだけにすれば、掃除も楽かもしれません。

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ユニクロ2枚重ね

別にユニクロの回し者でもなんでもないんです。身内や友人にユニクロ関係者がいるわけでもありません。

ジーンズはエドウィンです。ジージャンはLee。

本当は、なんだっていいんですが。

今年の冬は、雪も多かったんですが、それ以上にこたえたのは「寒さ」でした。

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統計上、鳥取で真冬日が何日あったかとかは知りませんが、マイナス7度とかって、今までもあったのかなぁ。連日ずっと、こんなにマイナスになるのはあまり記憶にありません。道路も水道も、あちこち凍ってました。とにかくこの冬は寒さがこたえました。

その中で、毎日着たのはユニクロの下着でした。

エアリズムと長袖のヒートテック「極暖」の重ね着です。もう、これを毎日着てなんとか乗り越えたって感じです。

もともと、重ね着が苦手で、これまでもよく薄着でブルブル震えているのを指摘されていました。重ね着をすると、動きづらくなるのがいやというか、気持ちが重くなるんですね。

まず、エアリズム。まさに素肌感覚ってこのことですね。脱帽です。重ね着アイテムの中心にエアリズムあり。もちろん、薄着になってもそのまま着られます。シルクじゃ落ち着かないけど、エアリズムなら、気楽に着られます。

それから、長袖のヒートテック「極暖」です。「超極暖」はぼくには重いんですね。だから重ね着なんですが、これがあると、本当に寒くありません。

いやー、いい時代ですね。昔なら、綿入れを着たり、ダウンジャケットなどの厚ぼったい服を着るしかできなかったじゃないですか。あれが本当に苦手だったわけです。

どうやらその寒い冬も過ぎ去ろうとしています。まだ2月、油断はできませんけどね。

楽しい、春が待ってます。

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稲田姫邂逅記(後編)〜たたらの灯オープニングコンサート《番外編》〜

 会場に着くと、小雨が降っていた。15時のリハーサル前には雨は止んでいたので会場周辺を歩いてみた。実行委員の皆さんが、数千もの竹灯篭を準備しているところだった。棚田の畦道のほとんどに竹灯籠が置かれていた。高台から見渡すと、そのままでもじゅうぶん美しい風景が広がっていた。夕暮れから夜にかけて描かれる灯りの風景を想像して、とてもわくわくした。すれ違う人々は誰もが皆あいさつをしてくれる。

会場近くのいろりのある喫茶Cafe Tataranoieで、たくさんのもてなしを受けた。休憩をし、お茶を飲んだ。担当の方がお見えになって、おいしいおにぎりとお餅を食べた。

鉄師卜蔵家(ぼくらけ)というのは、楠木正成の弟正氏(まさうじ?)の子孫が、後に改姓して卜蔵(ぼくら)姓を名乗るようになったのだそうだ。先日2週間続けて神戸の湊川神社をお参りしたばかりだったから、この縁に驚いた。湊川神社は楠木正成、なんこうさんを祀った神社。その直後にこのイベントの依頼をいただいていたことになるのだ。それに、6年前の島根県立美術館での演奏を聞き、実行委員の方に声をかけた方というのが、卜蔵家と縁のある女性だったというのは、偶然とは思えない。

雨は止みそうもなく、残念だが、神聖な桂の木の前のステージにテントが張られることになった。ステージ上には多くの機材があり、濡らすわけにはいかない。

リハーサルを終えて再びCafe Tataranoieでくつろいでいると、関係者が続々集まり、人があふれるようになった。しかし雨はやまず。18時から式典。伝統の鉄師の方の挨拶を聞いた。「鉄師は、たいへん危険な技であり、尊い多くの人命が失われたこともあった。このイベントが慰霊となることを祈願する。」という言葉が耳に残った。ヤマタノオロチに生贄になる8人目になるかも知れなかった稲田姫のことが頭をよぎった。ヤマタノオロチとは、製鉄の火柱だったのではないか。

雨の中、寒い中、多くの人が演奏を聞いてくれた。途中ギター内蔵アンプの電池が切れるというハプニングがあったが、電池交換の間、ボーカルの谷口さんに話をしていただくことになった。これも何か神の采配のような気がする。電池はまだ新しかったのだ。

想定していたのが夜空、星空、月夜だったので、そういった選曲が多かった。しかし雨は、いっこうにやまず。

曲目はこんな感じ。浜辺の歌/海(松原遠く)/ガブリエルのオーボエ/ホフマンの舟歌/スターダスト/ムーン・リヴァー/月夜の森/天空のオリオン/星めぐりの歌/糸/Jupiter/もののけ姫/(アンコール)蘇州夜曲。という構成。「もののけ姫」は急遽谷口さんのひらめきで差し替えられた曲で、楽譜なしで、アドリブ。カッチーニのアヴェ・マリアとタイム・トゥ・セイ・グッバイは準備していたが演奏しなかった。これで、どんぴしゃりの1時間だった。雨の中、じっと聞いてくださった方たちが会場をあとにするときの笑顔と声援がありがたく、嬉しかった。

Cafe Tataranoieでは締めくくりにつゆだくのふかふか卵の親子丼。めっちゃうまかった!

宿泊にご用意していただいたのが、斐乃上温泉・斐乃上荘「ヴィラ船通山」というところ。美人の湯で有名らしく、いい温泉だった。そして、ここ船通山(せんつうざん)は、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治し、天照大神(アマテラスオオミカミ)に天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)を献上した所。ここにもご縁が。

チェックアウトの際に、フロントの若旦那が、「昨夜、聞きに行ってました。良かったです。」と言ってくれた。さらに嬉しくて、びっくり。

さらなるご縁は、帰り道。ついでだから行ってみようと、軽い気持ちで比婆山(ひばやま)に寄ったところが、ちょうど、宮司がおられて、御札を授けてくださったことだ。ふだんは宮司はいないが、たまたま安産祈願があって、ちょうどその祈願が終わったところに出会うことができた。10分早ければ、祈祷の最中だったろうし、10分遅ければ、宮司は次の用があったそうで、扉は閉まっていただろう。これもまた、神の采配としか思えない出来事だった。

比婆山は天照大神、素盞鳴尊の母神、イザナミが葬られているところである。

奥出雲たたらの灯は、11月18日にエンディングを迎える。美しいところだ。ぜひ行ってみてほしい。

稲田姫邂逅記(前篇)〜八重垣神社〜

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稲田姫邂逅記(前編)〜八重垣神社〜

 今回のイベントについて出発前に抱いていたのは、漠然としたイメージだった。

「奥出雲たたらの里に、たたらの象徴となる大きな桂(かつら)の木があって、ライトアップされたその木の下で演奏をする。」というものだ。

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 ひと月ほど前、最初の電話で「予算があまりないんです。しかも遠方です。無理ですよね。」こう尋ねられた。こういう場合、以前なら「あらためてこちらからお電話します。」と言って電話を切っていたかもしれない。でも、そうしなかった。6年前に島根県立美術館でのぽんかん。の演奏を聞いた方から、「あの時のオカリナと歌が忘れられない。」と言われて、あちこち情報を探して、電話をくださったというのだ。「縁があり、思いがある。」ということが伝われば十分だった。「行かせてください。」とこちらからお願いをした。

 温かな人たちに出会える期待と、ライトアップされた桂の木。そんな神様でないと立てないような場所で演奏できる喜びを感じていた。

 そうした漠然としたイメージだけを持って、2017年10月14日午前9時半くらいに岩美町を出発した。

 事前にルートを調べなかったわけではないけれど、「何となく国道9号をまっすぐ松江のあたりまで行く。そこからルートを考える。」と決めたのは、出発して15分ほど、鳥取道に向かう道の手前だった。鳥取道を通れば、高速中国道に合流する。その時そのルートを選ばなかったのは、9号をまっすぐの方が走り慣れていたからに過ぎない。

 松江中央という出口で降りた。これも「松江駅」という案内標識が見えたからで、でもなぜか駅の方とは反対に向かうことになった。その先に「八重垣神社」という標識が見えた。それでとりあえずそこまで行ってから考えようということになった。

 神社は、連休だからか、人が多かった。何かご祈祷が始まるのか、社殿の中にも人がたくさんいた。社殿の中央奥には御幣を垂れた50センチくらいの高さの柱が3つあった。その真ん中の柱が赤く光を放っているように見えた。順番を待って、お賽銭を投げ入れ、手を合わせると、社殿の中央に宮司と思われる方が、その柱の前に座った。ちょうど式典が始まるところだった。

 私たちぽんかん。の二人は、一歩も二歩も下がり、次の人のために場所をあけたが、その柱を見つめ続けた。そこから目が離せなくなっていたのだ。

 宮司が祝詞(のりと)を上げ始める。良縁成就のお祝いのことばと思われたが、二人はちがう神の言葉を聞いていたように思う。

 そこでようやく「ここは何?何を祀っているところなんだろう。」と思い、まわりを見渡すと、境内の中に質素な建物を見つけた。そこには、700年以上前に描かれた稲田姫の板壁画があるらしいことがわかった。谷口さんはその存在を既に感じていたようだったが、ぼくは、稲田姫とその建物の中で初めて対面する。

 絵の具が剥がれ落ち、すっかり地肌の見えるようになった大きな板に、残像のように6つの人物画が描かれているのが見えた。中央の稲田姫の姿だけは全体がくっきり見える。平安時代の衣装をまとい、頬を赤く染めた眉毛のない長い髪の女性として描かれている。

 稲田姫は、現代ではもちろん、平安時代ですら、古い日本神話の中の登場人物、いや登場神である。高天原(タカマガハラ)から追放され、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した素盞鳴尊(スサノオノミコト)の妻であり、その後大国主命(オオクニヌシノミコト)など多くの神々の母となる神様だ。素盞鳴尊が大蛇と闘っている間、髪をとかす櫛になっていたので、奇稲田姫命(クシナダヒメ)とも呼ばれている。

 その時、はっと思ったことがある。いつもなら出発してすぐにナビに沿ってクルマを走らせるところ、結果的に遠回りをして松江まで行き、八重垣神社に立ち寄ることになったのは「ここに来る必要があったのだ。」と。稲田姫のことを知らないでこのイベントに参加していたら、演奏そのものも、伝わるものも違っていただろう。

 松江から奥出雲までの道中は農道や山道だった。あとで聞いた話では、地元の人は米子や横田から行く道の方が整備されていて早いそうだ。しかし、その道中でまたしても「稲田姫」に関わるイベントを開催している会場の前を通ることになった。

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目覚めよと呼ぶ声が聞こえ

 つい最近、人類はかつてスーパーマンだったという記事を書いた。上空からしか形がわからないような巨大な構造物を作ったり、巨石を積み上げて、ひとつふたつならいざしらず、まるで日常の仕事のように年間400個もの古墳を作ったりした人類。

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 どう考えても、この地球には、ある時期、それも1万年くらいのスケールの時間の長さで、スーパーマンが存在していたのだ。これだけさまざまな証拠が見つかっているにもかかわらず、科学者が認めようとしないのは、当時の人類は現代の人々より劣っていたと考えているからだ。

NEVERまとめ-人類の歴史よりも古い『1万年前』に作られた遺跡まとめ

 現代人は進化しているのではない。自らが作り上げた文明によって、どんどん退化している。そしておそらく、数万年前にも経験した人類の滅亡を近い将来、経験することになるだろう。

 なぜ、人類は退化していると考えるのか。どこがどう退化しているのか。その退化は何がきっかけで始まったのか。

 まず、上空からしか形がわからないような巨大な構造物がどうして作られたのか。ナスカの地上絵もそうだし、日本の古墳の多くもそうだ。

 「当時の人類は、空を飛ぶことができたのだ。」と言いたいところだが、空を飛んだ証拠がまるでない。ただはっきり言えることは、当時の人類は、その広大な空間を認識する能力が非常に高かったのだろうし、もしかしたら、ある種の鳥類と交信ができる能力者がいたのではないだろうか。そう考えると、無理はないだろう。

 古墳は、祭祀を行う集会所であり、生活の場のひとつだったと考える。石棺があるために現代の人々はあれを墓だと考えているが、あれは、石を運ぶの中でも書いたが、最終的に施設が役目を終えるときに、取り壊すのではなく、「復活」を願い、最も影響を与えた人物の遺体を安置して扉を閉ざしたのではないだろうか。

 現代人が忘れ去った、その結果退化してしまった空間認識能力、ことばによらない、動物とも交わすことができた交信能力、生死の概念を超えた生活様式など。それらの多くは、人類が言語、文字を操るようになると、急速に消えてしまったのではないだろうか。つまり、文字の発明、その後の文明こそが人類の退化を加速した原因なのではないだろうか。

 さらに言えば、人と人とのコミュニケーション能力も変質したのだと思う。現代の人々の特徴の多くは、コミュニケーションに「感情」が多く作用する。年齢、肩書、性別、見た目の印象などが意識下、無意識下にイメージを作り上げ、そのイメージに対する感情をもとにコミュニケーションが始まる。その結果、いとも簡単に現代人はイメージによって感情が左右され、だまされてしまう。

 人類が退化するにしたがい、争いごとが増えた。同じ頃、文字や言語が発達すると宗教が生まれる。そうした宗教家が共通して人類に伝えようとしているのは「目覚めよ!(Awake!)」ということではないだろうか。完全に失われているのではない、眠っている能力が人類にはあるのだと思う。

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第10回岩美現代美術展8月5日シンポジウム

 岩美現代美術展は、2017年8月5日〜21日まで旧岩美病院の「Studio652」で開催される、今年10年目を迎える現代美術のアート展です。詳しくは、岩美町HPお知らせ「第10回岩美現代美術展を開催します!」をごらんください。

 8月5日(土)には、シンポジウム「地域における現代美術の可能性」が開催され、実行委員会代表の小山勝之進氏の開会あいさつのあと、團紀彦氏の基調講演が行われた。

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 團氏の講演はたいへん興味深いものだった。開口一番「建築家というのは、アーティストに比べると、中途半端な存在だ。」と言われた。「建築物にはどうしても、イメージに制約が加わる。材質がどうか、強度がどうか、さまざまな条件をクリアしないと建築物は生まれない。」

 氏は、まず岩美町を訪れて「鎮守の森がありますか。」と町の担当者に尋ねたそうだ。そして、浦富の熊野神社を案内していただいたそうだ。

 なぜ「鎮守の森」か。スダジイなどの広葉樹の森、それも一種類の木ではなく、さまざまな種類の木が作る森があることが条件なのだそうだ。それは、人の手で育てる里山とは違う。その違いはなんだろうか。話が核心に触れる。

 氏が青山学院大学で、都市学の講義で学生に話されたのは、「たとえば、明治神宮の場合、神社の植生は100年設計で考えられているということだ。神社の周辺に木を植えるときは、『実のなる木はご遠慮下さい。花の咲く木もご遠慮下さい。』と言われるそうだ。花が咲き、実が実ると、道ができ、下草が育たない。ただし、木が一種類だと、病気になって枯れる。公園とは逆の発想で、人が入れないように森を作る。いわゆる里山は人の手が入った方が育つ。鎮守の森は、容易に人が入れない。」

 スライドでユーラシア大陸を上空から見た地形図が映し出され、中国とか、朝鮮半島、日本を上空から見ると、緑が多い。西に行くほど、茶色くなる。

 「アジアの都市の特徴は、都市と自然の境界がはっきりしないで、溶け込んでいる。逆にヨーロッパでは、都市と自然とは、はっきり区別がある。自然=無法地帯といっていいくらい、はっきりしている。こうして、ユーラシア地図を見ると、日本や中国には緑が多い。仏教も元は(色が茶色い=緑が少ない)インドから発祥しているし、哲学、宗教は、茶色い所から多く出ている。」

 氏の話は、共生とは何かにつながっていく。その上で「Symbiosis with Land 大地との共生」「Symbiosis with Others 他者との共生」「Symbiosis with Time 時間との共生」という3つの面を実例を挙げながら解説された。

 その中で特に興味深かったのは、「大地との共生」で話された、京都にあるスイミングプール(冬はスケートリンクになる)「京都アクリーナ」の設計例だった。元は平坦な土地に建築物を建てると、巨大なものになる。氏がその設計をシチューでたとえていたのも面白かったし、とてもわかりやすかった。その土地の土を運び出して、一つ一つの機能をシチューの具にたとえて配置する。そして、土を戻して、地下になる部分に機械室を作った。地形ごと設計したというものだった。

 もっと興味深い話は続くが、話は尽きない。書ききれないほどだ。

 氏が講演の最後に岩美町にヒントとして残してくれたのは、スペインのサン・セバスチャンにあるチリーダの自然と共生する作品群を紹介してくれたことだ。今回岩美町で大谷海岸に麒麟獅子のオブジェを作ったのも、そういうメッセージが込められているのだろうと思う。かつて以前岩美町でランドアート作品を作ったことがある大久保英治氏がこの岩美現代美術展に残してくれたメッセージにも通じるものだ。自然との共生、その可能性のある自然がここ岩美町には確かにある。

 講演のあとには、團紀彦氏、栩山孝氏、山本修司氏をパネラーに迎え、三浦努氏の進行でパネルディスカッションが行われた。

 パネルディスカッションの話の底流にも、冒頭の「鎮守の森」が流れているように感じた。自然にかなうものはないと。建築は自然を生かしたものだけが長く残る。長く残るからと言って、神社の狛犬をステンレスで作るわけにはいかない。美術館というものも、美術品が流出したり、売り買いできるようになってから作られたもので、最初の美術館が出来てからでもせいぜい200年くらいの歴史しかない。

 最後に今年町長を退くことが決まった榎本武利岩美町長のあいさつがあり、1時間延長という充実したシンポジウムが幕を閉じた。

 18時からは、会場を大谷海岸に移し、野外作品の紹介と、地元の麒麟獅子舞が演じられた。この日の司会は谷口尚美氏、暑い一日だったにもかかわらず、落ち着いた進行で時間の長さを忘れることができた。

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