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目覚めよと呼ぶ声が聞こえ

 つい最近、人類はかつてスーパーマンだったという記事を書いた。上空からしか形がわからないような巨大な構造物を作ったり、巨石を積み上げて、ひとつふたつならいざしらず、まるで日常の仕事のように年間400個もの古墳を作ったりした人類。

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 どう考えても、この地球には、ある時期、それも1万年くらいのスケールの時間の長さで、スーパーマンが存在していたのだ。これだけさまざまな証拠が見つかっているにもかかわらず、科学者が認めようとしないのは、当時の人類は現代の人々より劣っていたと考えているからだ。

NEVERまとめ-人類の歴史よりも古い『1万年前』に作られた遺跡まとめ

 現代人は進化しているのではない。自らが作り上げた文明によって、どんどん退化している。そしておそらく、数万年前にも経験した人類の滅亡を近い将来、経験することになるだろう。

 なぜ、人類は退化していると考えるのか。どこがどう退化しているのか。その退化は何がきっかけで始まったのか。

 まず、上空からしか形がわからないような巨大な構造物がどうして作られたのか。ナスカの地上絵もそうだし、日本の古墳の多くもそうだ。

 「当時の人類は、空を飛ぶことができたのだ。」と言いたいところだが、空を飛んだ証拠がまるでない。ただはっきり言えることは、当時の人類は、その広大な空間を認識する能力が非常に高かったのだろうし、もしかしたら、ある種の鳥類と交信ができる能力者がいたのではないだろうか。そう考えると、無理はないだろう。

 古墳は、祭祀を行う集会所であり、生活の場のひとつだったと考える。石棺があるために現代の人々はあれを墓だと考えているが、あれは、石を運ぶの中でも書いたが、最終的に施設が役目を終えるときに、取り壊すのではなく、「復活」を願い、最も影響を与えた人物の遺体を安置して扉を閉ざしたのではないだろうか。

 現代人が忘れ去った、その結果退化してしまった空間認識能力、ことばによらない、動物とも交わすことができた交信能力、生死の概念を超えた生活様式など。それらの多くは、人類が言語、文字を操るようになると、急速に消えてしまったのではないだろうか。つまり、文字の発明、その後の文明こそが人類の退化を加速した原因なのではないだろうか。

 さらに言えば、人と人とのコミュニケーション能力も変質したのだと思う。現代の人々の特徴の多くは、コミュニケーションに「感情」が多く作用する。年齢、肩書、性別、見た目の印象などが意識下、無意識下にイメージを作り上げ、そのイメージに対する感情をもとにコミュニケーションが始まる。その結果、いとも簡単に現代人はイメージによって感情が左右され、だまされてしまう。

 人類が退化するにしたがい、争いごとが増えた。同じ頃、文字や言語が発達すると宗教が生まれる。そうした宗教家が共通して人類に伝えようとしているのは「目覚めよ!(Awake!)」ということではないだろうか。完全に失われているのではない、眠っている能力が人類にはあるのだと思う。

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石を運ぶ

 今ではクレーンやリフトトラックなど、多種多様な重機械があるから、重いものを運ぶのはそう困難ではないかもしれないが、古墳時代に人々は石をどうやって運んだんだろうか。

 石の比重は2.5~3.0くらいあります。たとえば一般的な冷蔵庫の大きさが100リットルだとすると、水なら100キロだけれど、石だと250〜300キロくらいある計算になります。これって、まず人力では、持ち上がらないでしょう。墓石や石棺になると、もっと重いものもあるわけです。重機械がない時代に1個の石を運ぶだけでも、現代人なら相当苦労します。お神輿をかつぐ要領で、たくさんの人数がいれば重いものも持ち上げられると思うのですが、そんなにたくさんの人が石を運ぶためだけに毎日働いたのでしょうか。

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 前回、古代人はスーパーマンという話をしたので、もう一度スーパーマンに登場してもらいましょう。

 言葉や文字に頼る必要のなかった時代の人類は、特別な能力を持っていたとは考えられないでしょうか。

 当時接点すらなかった遠距離の人々が同じ形の装飾品を身につけていたり、同じような家を建てたりしていたことをどう説明できるのでしょうか。そもそも、あの勾玉(まがたま)と言われる奇妙な形の装飾品はなんなんでしょう。石や骨や金属をあの形に、しかもさまざまな大きさに加工する意味はなんでしょうか。勾玉は、当時の人々が持っていた何か特別な能力の存在を象徴しているような気がします。

 彼らは、その能力を使って、いとも石を簡単に動かすことができたのだと思う。現代人にはわからないし、証明できない方法があったと考える方が自然です。

 何しろ、日本全国で、わかっているだけで、年間400個もの古墳を作っているのです。それに古墳というのは、もともとは墓ではないでしょう。現代の寺のような、何かしら儀式をやるための施設だったのでしょう。さまざまな儀式に使われ、最終的に、当時の有力者が葬られたと考えられないでしょうか。誰かが葬られたのちには、入口を閉ざす習慣があったので、また新たに作られたのだと思います。

 現代人にはすっかり退化してしまったけれど、人間には隠れた能力が今でも存在するかもしれません。計算やデータの蓄積に頼らない、感性を軸とした「知性」こそがその鍵を握るのかもしれません。

 ダンプの画像は、123RFのUSのサイトからダウンロードしました(リンク先はJP)。

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人類はかつてスーパーマンだった

 ダーウィンの進化論って、ぼくは疑問なんだよね。そりゃ、進化もするだろうし、退化もするんじゃね?って。動物の生態って、環境が変わると、適応する、変わる、常に変化するし、常に多様性があるってのが正解なんじゃないかと思う。現代のニンゲンだってさ。背の低い人もいれば、高い人もいる。知能だってさまざまだよね。

 だからさ。たとえば、原始人とかって言って、発掘された人骨らしきものから、学者さんが想像するんだけど、あれってどうなのかなって思う。「あれ」って、あれよ。なんか毛むくじゃらで、腰みのみたいな最低限の服着て、ちょっと猫背で、猿みたいな顔しててっていう想像図。いやま、そういう人もいたんでしょうよ、きっと。それすら、マユツバだけどさ。

 スラっと背の高い、頭のいい人もいたんじゃないかな。それも、紀元前何万年というような世界にもさ。

 もちろん風習とか、思想、概念みたいなのは、今とはまったくかけ離れていたんだと思うよ。

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 その頃の文明だって、地底、海底なんかから遺跡が見つかっていたりするじゃない。それも、1万年くらい前の遺跡が実際に出てきているわけさ。それだけ高度な文明があってさ。文献が残っていないっていうのはもしかしたら、人々が意思を伝えあうのに、言葉や文字に頼る必要がなかったんじゃないかな。

 死生観とかも今とは違うんだろうな。だいたいは、そんなに長生きじゃなかっただろうとは想像するんだけど、でもその中でも随分長生きをして、100歳とかでも、普通に元気な人もいたかも知れなくて。

 そうしたときに、ふと気付くのはさ。お墓って、そんなに古いものは見つかっていないんだよね。エジプトのミイラとかあるんじゃねって思うかもしれないけど、あれはさ、古いって言っても、3000年くらいなのよ。しかも、死者ではなくて、蘇る者として作られてる。そういう思想なわけ。

 先日世界遺産登録の候補地になった大阪の百舌鳥古墳群(堺市)、古市古墳群(羽曳野市・藤井寺市)なんかも、1500年前というから、めっちゃ近代です(正確な用語では「近世」ということかな。ここでは学術論は省きますが)。

 そしたらさ。文字も言葉も、今のような宗教が生まれる前のニンゲンってさ。お墓も必要なかったって考えられないかな。「死」をそのまま「死」として受け止めていたんじゃないかな。「悲しい」「寂しい」はもちろんあっただろうけど、「肉体がなくなった」「一人の人として動かなくなった」という悲しさ、寂しさであって、日常の変化のひとつに過ぎなかったんじゃないだろうか。

 さて、次くらいに、その古墳のはなし、おもしろそうなので、ちょっと考えてみます。

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 アイキャッチ画像はGATAGフリーイラスト素材集から、進化論のイメージは、植山周一郎さんのブログから、ダウンロードさせていただきました。