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あか音ぐも

ネーミングって不思議だ。

「きれいな茜雲(あかねぐも)だなぁ。」と、そう言った人は、メンバーの中にはいなくて、その一言を聞いた人が、そのイメージを受けて、名前がつけられました。

それまで、このオカリーナ・グループの名前は「あるわいな」でした。もうずいぶん前になります。月日がたって、グループのメンバーも相当入れ変わりました。

けったいな(変わった)名前が流行した時期がありました。

「勝手リーナ」「オカシーナ」というようなネーミングもかつてはありました。「あるわいな。」というのは、「まあ、そんなことも、あるんだろうな。」というようなニュアンスの言葉で、当時そんな話題がグループの中でポンポンと出てきていた時期で、つけられた名前でした。

当初「あか音ぐも」は、消極的で「おとなしい」静かなグループでした。

そのため、一人ひとりにソロを演奏するように課題を作った時期があります。グループ内でのミニ発表会というスタイルです。半年以上続いたように思います。おとなしい感じはありますが、その後は、リラックスしたゆるやかな雰囲気に変わりました。

そのグループが今度は岩美の道の駅「きなんせ岩美」で演奏してくれるかも???

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みやびな鶏。

ある日のオカリーナ教室シリーズ。(そんなシリーズあるのかな・・・)

オカリーナ教室、グループの名前は、それぞれに任せているので、自由な名前がついてる。

今日は、雅(みやび)な鳥と書いて、「雅鳥(がちょう)クラブ」。ダチョウ倶楽部と間違えそうだ。

オカリーナがイタリア語でガチョウだから、というネーミングらしい。

みやび、というより、にぎやかい。笑いが絶えない。

タグは「miyabi」にしよう。

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あるオカリーナ教室の様子

白壁天女琴リーナ(しらかべてんにょことりーな)という、長い名前のオカリーナグループに月2回レッスンのため、お邪魔しています。

名前が長いので、略称はないですか?と尋ねると「しらかべ」か、「ことりーな」だと言います。他のグループから「しらかべさん、ことりーなさん」と、そう呼ばれることが多いらしい。

「天女が抜けとるがな。」と大笑いしました。

現在男女9名のグループです。練習場所にちなんで、このページでのタグを「取調室」としました。以下のリンクからでもアクセス可能です。

https://tajiri90.com/tag/sirakabe

練習(レッスン)会場となっているのは、倉吉市文化活動センターの2階にある、通称「取調室」です。建物が元倉吉警察署で、その部屋の入口が鉄製の2重扉なので、グループの中で、そう呼んでいます。実際に、この部屋が取調室だったかどうかは、わかりません。

2019年12月20日(金)は、今年最後の練習(レッスン)でした。

高い音の練習曲

この夏ぐらいから、Amazonで販売している電子書籍「オカリーナ入門」に掲載されている「高い音の練習曲」を、やっています。今日は、高いドから上の音がよく響きました。順調に成果が出ているようです。

太鼓に囲まれた部屋

倉吉打吹(うつぶき)太鼓の保管部屋にもなっていて、太鼓のイベントがない時期には、部屋は大小様々な太鼓が並びます。太鼓がたくさん部屋に並んでいるときは、オカリーナの合奏の音色が柔らかくなります。不思議です。

打吹太鼓は、今年最後の大きなイベントが終了したようで、今日は、たくさんの太鼓が並んでいました。狭い部屋なので、太鼓がないときは、響きが大きくなります。今日はとてもオカリーナの合奏が、聞きやすい音で響いていました。

練習(レッスン)を行う部屋の響きはとても重要です。場所によってずいぶん響きが変わります。響きの乏しい場所では、ふだんの会話も控えめになったりします。

ここは、楽しいメンバーが集っていることもあり、実ににぎやかで和やかです。

ひとまず、続きは気が向けば、明日書きます。

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この世の中で、手の届かない誰かが悪いということは、まったくない。

ぼくは、これまで、なにかあったときに、よく言い訳をしていたほうだと思う。

こうするはずだった。

もうちょっと時間があれば。

ぼくの力不足で。

責任を持つということは、今ここにあるすべてが、自分のことだと言えるということだ。

手の届かない、誰かに対して責任があるということは、一切ない。ぼくには、ぼくの手の届く、声の伝わる世界に対して、責任がある。変えたいとか、変わってほしいとか、ではなく、今、伝えたいし、感じたい。

変わるかどうかは、結果として見えるだけだ。

こうして文章を書いているのも、自分の声を聞いて、文字にして見て、自分で確かめている。そういう作業だと思っている。ぼくの中で確かになったものだけが伝わる。そして世界から伝わるものを、ぼくは感じることができる。

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時間は、距離でも、壁でもなく。

今日、ある友人と20数年ぶりに会った。「久しぶりだね。」とは言ったけど、数秒後には昨日会ったのと変わりなく、ただ心地良い。お互いが歳をとったことも自然だった。たまについ口癖で敬語が出てしまうけれど、それもおかしいくらいで、まったくいやではない。

彼女とは、パソコン通信をやっている全国の35歳がネット上で出会い、会話をするという実験的な番組で知り合った。

熱くなったり、ダラダラと長くなったりする画面上の会話に彼女は、すっと、さらっと入ってきて、いつの間にか、うまくまとめてるみたいなところがあった。いつも自然体で、柔らかさがあった。

20数年前に、ぼくが鳥取で忘年会をしようと呼びかけて、全国から10数人が集まってくれた。その中に当時海外で暮らしていた彼女もいた。まったく印象どおりだったことを覚えている。

「(宴会場の外に見える)この道路は、ぼくがこどもの頃にはなくてね。ずっと砂浜だったんだ。」

彼女は、富山の海に似ていると言った。実家だったのか、おばあちゃんの家がそうだったのかは覚えていない。

今日は彼女のダンナさんも一緒だったが、なんだか二人が二人でいることがしっくりくる、そんな感じがした。

今日わかったのは、時間が距離に感じられたり、壁になったりするのは、みんな幻想なんだということ。

伝わる相手とは、いつどこにいても同じ空間にいるのだということ。

そして、その幻想を現実のものだと勘違いしているのは、執着という強い思いなのだということ。

同じ空間にいるのだとしたら、執着はいらない。お互いが事実だけを見て、認め合うだけだ。そして、心から尊重しあえる。

また会えると思う。それがいつになってもかまわない。会えたらうれしいと思う。

音楽ライブユニット ぽんかん。(音源へのリンク)

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誰にとっても、同じ1日。

ある70歳代の男性が「なんぼ生きても、あと10年ですわ。近ごろ、そんなことをよう考えますで。」と言うんです。

こんなふうに話をふられたとき、59歳のぼくは「そう言わんと長生きしてつかいな。」と鳥取弁で言う。

こんな話をするとき、いつも違和感を感じてた。本当に明日生きているのか、死ぬのかって、誰にもわからない。そりゃ、70歳より80歳のほうが死ぬ確率は高いんだろうけど、今生きているのに、8ヶ月だろうが、70歳だろうが変わりはしない。今、健康な人が、病氣をしている人より、早く亡くなったりもする。

どうせなら「今日も生きてた。」と言って、1日の終わりを喜びたいし、「今日も目覚めた。」と言って、わくわくして1日を始めたい。

あまり「何年か後にこうなりたい。」とかって、思わない。目標がないわけじゃない。それよりも、今生きていることに意識を持ち続けたい。刹那主義とも違う。人からは「恵まれているからだ。」「健康だからだ。」と言われたりもする。

いやいや、どんなときでも生きている以上の恵みはないです。それは、断言できる。どんなにつらく苦しいことがあっても、そのことに感謝は忘れない。なーんて書くと、崇高な精神のように思われて、持ち上げられたりもするから、それはいらないって思う。

そういうことをさらっと言っているOSHOのような人もいる。そう、ありたいなとは思っている。

Osho Japan

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メガネはどこだ?

いつも、ではない(ここは強調しておこう)。

たまに。本当にたまに、だけど。朝、メガネをどこに置いたかわからなくなることがある。

こたつの上に置いて、そのあと、うっかり下に落としてしまっていたら、踏んで壊してしまうかもしれない。

そうなると一大事だ。

四つん這いになって、こたつの周りをうろうろすることになる。

なにしろ、物体から50センチ離れたら、もうすべてが、ぼんやりとした形しか見えない。すべてがソフトフォーカスの中にある。それくらいの視力だ。メガネのように輪郭しかないようなものは、にじんだ景色に溶けてしまう。

いつもは、そう長く探すことはない。5分もあれば見つけられる。朝起きて、両目にレンズをはめるまでの、ほんのちょっとした時間の出来事だ。

部屋中をさんざん探した挙句、着替えた上着のポケットから見つかることもある。だいたい、その程度のことだ。

今日は、やはり床に落ちていた。最初から床に置くことはない。何かの拍子に落ちたのだと思う。しかも、こたつの近くだったから、うっかりするとお尻に敷きそうな場所だった。あるいは、手をついて、ぐにゃり、とか。

とにかく無事でなによりだ。

さて、目玉を洗ってこよう。レンズを入れて、今日の世界を見てやろう。

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ぼくにとっての第28章。

この文章は、音楽家・岸本みゆうに書いた文章を、加筆訂正したものです。


1980年12月9日火曜日、ぼくは20歳になったばかりで、鳥取県西部にある米子市に住んでいた。

10月28日の誕生日には、下宿のきれいなお姉さんにカードをもらったんだ。「まっすぐに生きようと思うな 曲折多き人生も また美しいではないか」って書いてあった。好きだったな、そのお姉さん。ロマンスも何もなかったけど。

「きみ、作家になれる。文章を書くといいよ。」そんなことを言われたこともあった。ぼくが音楽をやっているって言うと意外な顔をされたんだった。

前の年に、高校を卒業したあと、東京の専門学校に行ったんだけど、続けるのがめんどうになって、退学届けを出して、鳥取に帰ってきた。

ちょうど親戚の建築会社で募集していたんで、大工の見習いをすることになった。その会社の下宿だった。

当時、その下宿に住んでいたのは、高齢の女性が二人と、近くのデパートに勤める20代の女性とぼくの4人。一軒家で、作り置きの料理の余りものを分け合うような、当時は、たぶんよくあった家族的な昭和な下宿だった。

自由に使えるキッチンが部屋の近くにあって、そのころ下宿にいるときはヒマだったので、ほぼ毎日自炊をしていた。その日の夜は日曜日に作ったカレーを温めて食べた。大きな深い鍋を買ってきて、3日続けてカレーを食べることも珍しくなかったんだ。

仕事はきついこともあったが、みんな優しい人ばかりで、楽しんでやってた。昭和56年(1981年)が酉年(とりどし)ということで、雪の多い冬だったが、境港に近いところで、人が住めるくらいの大きな鳥小屋の建築を手伝っていた。

当時は、インターネットも携帯電話もない。目覚まし時計代わりに使っていたラジオから、そのニュースが流れてきた。ぼくの中に世界が止まったような感覚があった。

「12月8日、ニューヨークの自宅前で、ジョン・レノンが銃で撃たれて亡くなりました。」

記憶は今でははっきりしていないけれど、泣きはしなかったと思う。ただ、体じゅうのいろんなところに穴ぼこが開いたような感じがした。

ぼくが会社を辞めて下宿を出たのは、翌年の2月だった。

マーク・チャップマンが開いたのが、「ライ麦畑でつかまえて」の第27章だったのだとしたら、もうその章は終わったと思う。今から始まるのは、第28章だ。

これから新しい世界が始まる。始まらないといけないと思ってる。

(ジョン・レノンの写真はジョン・レノン – Wikipediaから拝借しました。)

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コンタクトを外した後に。

最近は、この黄色い目薬を使っています。

まじ、よく効く。

でも、この目薬を使ったあと、しばらく涙が黄色(笑)

乾燥とか、紫外線とか、角膜がやられたことがあって、そうなると、めっちゃ目が痛いんだよね。

それで探して、この目薬に出会った。

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コンタクトレンズを外した後も目が楽です。次の日の朝、コンタクトレンズを装着するときも、前に感じていたような違和感がないですね。
(個人差がありますってやつでしょうけど)

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Tori-iwa/しあわせを はこぶ鶏

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パソコンで年賀状。

鳥取市の湖山地区公民館で、パソコンで年賀状を作る講座4時間が終了しました。

今回作成した講座の資料です。

「筆ぐるめ」で「連名」が入力されているのに、プレビューに表示されないという現象がありました。カードを作り直すことで回避できますが、これは今もって謎です。

「筆ぐるめ」Ver.19では、「宛て名専用」の入力画面があって、「自宅」か「会社」を選ばないと「一覧表示」ができない仕様となっています。

いろいろハプニングもありましたが、にぎやかで、和やかな楽しいパソコン講座になりました。

パソコン教室のエフセブンのホームページ「レッスン♪出前します!!」

年賀状は書かない、出さない。

私自身は、20年近く1枚も年賀状を書いたことがありません。来ても、返信しません。年々音信不通になる方が増えますが、しょうがないことかなと思っています。

きっかけは、ある年の年賀状が500枚を超えたことでした。次の年は枚数を制限して、出す人、出さない人を振り分けようとしましたが、無駄に時間を費やしただけでした。

SNSが普及し始めた頃だったので、交流のある人とは、常につながっているという感覚があって、年賀状は費用も時間もかかるし、無駄だと思うようになりました。

年賀状がなければ、切れてしまう関係がある。

ふだんは交流がないけれど、ほぼ「生存確認」のような細い糸としての旧友とのやり取りというのも、歳を重ねるごとに意味があるのかなと思います。

そんな風に旧知の方とだけ年賀状のやり取りをしている方もおられます。出張でパソコンサポートやレッスンをしているので、この時期だけ、呼ばれることも多いです。

そういう方は、パソコンに触るのも、年賀状の時期だけで、プリンタの電源も久しぶりに入れるみたいな感じです。