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置く、捨てる、移動する

モノを手に入れる、持つ。モノを使う。

本来は、そのひとつひとつに意味がある。・・・はず。

で、

「欲しいから。」という。

「どうして?」と尋ねてみる。

「なんとなく・・・。」

なんとなく、それが感性なら、それもアリ。

感性の、その「なんとなく。」に意味があるのだろう。

きっと。

で、なんとなく、で。モノが増える。

どんどん、どんどーん、・・・増える。

いらんじゃろう。そんなに。

なんで? どうして? なんで?・・・。

今までずっと、「なんで?」を繰り返していたと思う。

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そうこうしているうちに

「モノを移動する」が「モノを片付ける」

と同義語にすり替わった。

自分ですり替えた。

自分ですり替えたことに気づいていなかった。

モノを移動させて、いらないものを隠して、それで、

片付けた、整理した。

そう思い込んでいた。

モノは増えるばかり。

いらんじゃん。こんなに。

60歳手前で、こんなことに気づく。

これは、正真正銘、バカです。

いや、60歳手前とか、年齢は関係ない。

死ぬのに年齢はない。成長するのにも、年齢はない。

老いていくのは、この次元の物質であるカラダの都合でしかない。

モノは自分のモノではなく、この世界の所有物でしかない。

置いておくなら、放っておく。

いらないのなら、捨てる。捨てる、とはこの世に返すこと。

せめて、意味があるものだけ、いつくしもう。

少し、考えました。

モノに執着する人としての、煩悩のたったひとつを、今、数えたところです。

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モノのバーチャルな時代

人がモノを所有するのは、そのモノを自分だけが自由に使いたいということのほかに、所有することが安心であったり、自尊心を満足させるモノだったりする。

だから、モノそのものに質感や価値のないモノは、さまざまなことが、こうしてバーチャルな時代には、消えてゆく運命なのかもしれない。

たまに懐古趣味というような、ぼくが思うには、あまり意味があると思われないモノが一度消えかけて、再び脚光を浴びるみたいなことがある。

カセットテープやレコードなどがそうだ。

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レコードはわからないでもない。CDに比べて大きなジャケット・デザインが飾ってもいいと思えるものがあるからだ。

それに、高級なオーディオを既に所有している人がいて、レコードで音楽を鳴らしたいと思う人がいるからだ。

そういう人は、レコードに記録された音を余すところなく再現することで、特定の周波数でカットされるCDでは得られない臨場感が得られるのだと主張する。ぼくは、何も無理やりチープなラジカセと比べる必要はないだろうとは思うのだが、その人がこれまでかけた情熱とお金を否定することになりかねないので、うかつにそんなことはないんじゃないなんて言えない気がしてる。もちろんレコードの良さを否定するつもりはまったくない。

カセットテープやVHS、フロッピーディスク、MDなどについては、よくわからない。

ぼくも、そう言いながらも、捨てられずにいる古いメディアが押し入れのケースの中に入っていたりする。

もういいんじゃないかな、美的な価値のあるモノ、存在することに意味があるモノ以外は、バーチャルなモノに置き換えちゃえば。

ひょっとしたら、世の中には、食べ物と、自然と文化、芸術しか残らなくなるんじゃないかな。まず、働くためのオフィスとかいらなくなるでしょうし。

そう思いながら、どんどん身の回りのモノを捨てつつあります。連休は掃除しましょうかね。
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ソウジセンタク、本を読む(ブログ記事)
ただそのままを活かして、生きること
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春の風、春の雨

この季節では、遠くの山々を見ると、緑がみずみずしく見えます。それはまさに今芽吹いたばかりの若葉の色に見えて、「萌えている」ということばがぴったりくるようです。

今日は朝から雨ですが、この雨もぽつりぽつりとした雨で、風景ごと水滴に包まれそうな感じがします。

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仕事の合間にコンビニの駐車場に少しの時間、クルマを停めました。そうすると、急に風が吹いて、クルマが揺れて地震かと錯覚しました。

急なニュースがあると、パソコンでもスマホでも、なんでもすぐヤフーを見るくせがついています。「ヤフートップ」ということばは「新聞の1面」に取って代わりそうですね。地震のときも、他のニュースでも、何かあると、すぐにトップページに表示されますから。

私の場合、検索はもっぱらグーグルですけどね。もちろん、ヤフーも、ビングも使いますけども。

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世の中には、さまざまな出来事が起きています。政治の世界は、なかでも日本は特にヒドイように思いますが、人間ってこんなものかと思えば、どこもそうなのかもしれません。私には、国や権力や財力などの枠組みがもう長いこと、機能不全を起こしているように思えます。

人々の間で、必要な情報は、インターネットを通じてどんどん共有されていますし、言語の壁や、国境を超えて人々は簡単につながっていきます。もしかしたら、既存の枠組みそのものが既に意味をなさなくなっているのかもしれません。今、政治の世界に見られるような泥仕合のようなものは、その枠組みにしがみつこうとする、さまざまな動きなのかもしれません。

みんな春の雨に流されて、春の風に吹かれてしまえ。

春のたわごとで締めくくります。

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鳥取発・新緑の季節

今日は2018年4月23日月曜日です。

先週末は、遠方に出かけたり、いろいろと動いていました。その疲れがどっと出たのか、昨日持病の腰痛が再発し、今朝月曜日の朝イチで医者に寄り、ひと仕事終えたところです。なんとか、2、3日で完全復帰できそうです。

見渡すと風景はすっかり新緑の季節。この時季の山の緑が美しい。

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ツツジも咲いているし、連休が来るなぁ。

しばらく、遠方にクルマで走るのは控えたいけどなぁ(笑)

腰痛が悪化しなかったのは、日頃のウォーキングの効果は出てるかな。ただ、その分どうしても体が固くなるので、今後はストレッチもじゅうぶんにやるようにしないとなーって思ってるところです。

腰痛の出ているうちに、いろいろこれをチャンスとして、自分を見つめ直したいと思う。これが連休の最中でなくて本当に良かった。ちょっとしばらくゆっくり、休めるなぁ。

そうしなさいというサインなんだろうなぁ。体が教えてくれる。

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住んでいるから、逆によくわからないとこもあるんだけど、鳥取は、旅行で訪れるにはいいところです。砂丘以外は、どこもあまり観光地化されてなくて、地元の人が大丈夫か?って思うほど。連休にいらっしゃいませ。わたしゃ、ひと休み〜♪

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忘れるという善でも悪でもないこと

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年配の方から「最近物忘れがひどくって。」ということばを聞くことが多い。

そんなときぼくは、

「前からですよ。」

そんなことは言わない。そんなミもフタもない。

「忘れるから、新しいことが覚えられるんですよ。どんどん忘れましょう。」

これは、たまに言うかな。

忘れる、ということは善悪で言うと、悪であるという意識が人にはある。ぼくの中にもまったくないわけではない。

ちゃんと覚えていないと、学校で点が取れなかった。そういうことは、しっかり覚えているんですね。

さっき書いた「忘れるから覚えられる」ということは、本当だと思う。忘れるということは、頭の中で、情報をいったんどこかに置いておくということ。必要なときに、どこに置いたかがわかれば情報はすぐに取り出せる。その状態に過ぎない。

だから、忘れるということは、頭の中を整理するためには、必要なことだと思う。

なんでもよく知っている頭のいい人というのは、こうした情報の整理ができていて、スピーディにできる人なんだと思う。

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情報の整理をするときに、関連付けをして覚えることがある。

昨日あるクラスに新しく入った男性の名前を「体操のお兄さん」で覚えた。名前が体操のお兄さんと同じだったからだ。でも、今ふと、その名前、ファーストネームでは呼ばないだろうなと気がついた。たいがい姓にさんをつけて呼ぶだろう。

肝心な、その姓の方は忘れてしまった。まあ、いいや。また別の方法で覚えよう。

人の名前って、こんな風に関連付けで覚えていることが多い。

あの有名人と1字だけ違う人みたいな。

人の名前を思い出せないときに罪悪感を感じるのは、その関連付けを忘れているときだ。

「どっかで会ったはず。」とか、「なんか知ってる。」とか。

とくに「たしか小学校のときの保健の先生だったはず。」とか、お世話になったというイメージがあると、名前を思い出せないのはもどかしく思う。

まあ、いいと思います。

忘れることは、あります。

また、新しく覚えましょう。
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コンタクトレンズと目薬

以前、コンタクトレンズ、見える世界という記事を書いた。

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メガネからコンタクトレンズに変えると、想像以上に世界が広がる。メガネを通して見える世界がこんなに狭く限られた世界だとは、知らなかった。見える日常がとても楽しい。

この半年での変化のひとつに目薬の存在がある。

これまでも目薬はまったく使わなかったわけではないけれど、使い切るというような感覚はなかった。数年前の目薬の残りが机の引き出しの奥から出てきて、もったいないけど捨てるという経験が、これまでも何度かあった。

今は、目薬をよく使う。半年で2つ使い切った。この写真にあるのは、千寿製薬の「NewマイティアCLクール-a」と、ロート製薬の「ロートCキューブクール」の2つで、使い切った2つとは別の製品だ。ここにあるのはたまたまクール系だけれど、マイルド系やうるおい系なども快適だ。

あまり高額な栄養系は今のところ使っていない。それから、ここで書いた「クール系」「マイルド系」「うるおい系」「栄養系」というのは、正式な呼び方ではなくて、ぼくが勝手にそう呼んでいるだけなのであしからず。1種類だけでなく、気分によって使い分けるので、いつも2つ以上の目薬を持ち歩いている。

パッケージもいろいろあって楽しい。

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コンタクトレンズをつけるようになる前は「視力の低下が進行するのでは」「目の健康によくないのでは」「目を傷つけることがあるのでは」という不安もあった。

今は、その不安は杞憂だったと言える。目だけでなく、レンズを扱うため、手をよく洗うし、歯磨きやフロス、うがいなどのオーラルケアも欠かせない。

以前より、ケアをしっかりやって、目だけでなく健康全般に留意するようになったと思う。

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人間の本質は、区別?

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人間の本質は、区別をつけるということではないだろうかと考えます。動物にもありますが、動物の場合は、ニオイだったり、仕草だったり、生きる本能から生まれる区別です。

人間は、あらゆるものに対して、意識的に区別をします。

善か悪か、得か損か、ひとつひとつの価値判断をするということだと思います。

そうやって判断をしても、判断が分かれることがあります。環境や習慣によって違いが出てくるからです。ですから、法律や決まりを作って、区別しようとします。

法律の及ばない個人的な事柄になると、見た目に影響を受けて、価値判断が左右されます。めっちゃぶれまくります。人間の価値判断って結構アバウトです。

自然にはもともと善も悪もありません。自然は常に循環です。人間はこの自然の循環から逃れて、人間を確立させようとする、そんな存在です。

ですから、人間は「自然を利用する。」という言い方を平気でしちゃいます。「自然の恵み」とも言うけれども、それは上辺だけ。「自然を利用しているんだ。」というのが人間の考え方の基本です。

しかし、誰もが死を迎え、自然に還ります。大きな循環の中に戻るということです。

ああ、ええと。なんだか、ここに書いたことは、宗教的な哲学的な内容になっているのかもしれませんが、ぼくが考えるのは、区別するということは、自然との対極の考え方なんだなと思ったということです。

人間も他の生命と同じように、自然の大きな循環の中にいる存在です。善も悪もない、特も損もない。ぼくの体の中を流れる循環を感じながら、ふと考えたことです。

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わたしバージョン2018

パソコンには、更新があります。

なんでそんなに頻繁に更新して、バージョンアップするんだろうと思います。機械だからでしょうか。インターネットにつなぐからでしょうか。バグ(小さなミス)があるからでしょうか。

パソコンには「バックグラウンドプロセス」といって、何もしていなくても電源が入っていれば、バックグラウンドで動いているプロセス(プログラムの動作)があります。

ニンゲンの体が新陳代謝を繰り返しているように、目に見える更新だけではなくて、目に見えない更新をしているのです。

ニンゲンも更新をして、常にバージョンアップしているわけです。そして、パソコンもニンゲンも、実はバックグラウンドプロセス(新陳代謝)の方がとても大切だったりします。

ただ電源を入れておけばいいんです。

パソコンは使わないときでも、時々電源を入れると調子いいのはそういうことなんです。

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ニンゲンには電源はありませんね。心も新陳代謝しています。無理やり詰め込む必要はないのです。バランスが大切です。ニンゲンは年齢とともにただ衰えると考えがちですが、それぞれの年齢のバランスで生きているのです。

バランスを整えて、生きるのです。

なんとなく、4月1日なので、新しいバージョンのわたしです。

オホーツクの海の幸を全国の食卓へ

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カラフルな【ボタン付き】オカリーナ、Zinオカリナ

田後90楽器博物館#19
(Zin)お子さんが吹ける【ボタン付き】オカリナ

小さいけど、C管のオカリーナ。指の当たるところには、カラフルなボタンが付いています。

指の穴だとちゃんとふさげなかったりするけど、ボタンなら押さえられます。

Zin(ジン)オカリナは、手の小さなお子さんでも吹くことができる初めてのオカリーナにぴったりの楽器です。

見た目はかわいいし、プラスティック製だけど、そこは定評のあるZinオカリナ。ちゃんとした音が出ます。

そうだ。今、ちょっとしたアイデアを思いついた。

実際に演奏して、動画で楽器を紹介しよう。

それも、鳥取砂丘だったり、浦富海岸だったり、この鳥取のきれいな景色をバックにして、その風景に合う曲を演奏してみよう。

どうだろうか。

やってみようと思います。

楽しそう。。。

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鈴木楽器製作所「アンデス25F」

私は、どちらかと言うと「モノ持ち」ではない方だ。収集癖のようなものは何もなくて、壊して捨てるばかりである。

それでも「モノ」はどんどん増えていて、何とかこれを減らせないかと毎日苦慮している。

「モノ」を減らすと見えてくるのは「紙ゴミ」だ。

物置にしている部屋を見渡すと紙質の「モノ」であふれていることに気づく。

郵便物は一読したら即捨てる。文書の類もそうだ。どうしてもあとで見たいものがあればスマホでパシャッとやって捨てる。今頃便利になったものだ。

それでも、資料だの、専門書だの、どうしても残しておかないといけない文書などが残る。

いらない。

残った紙ゴミでやっかいなのは、個人情報がたんまり入っていることが多いからだ。いちいち破いたり、シュレッダーにかけたりして、手間がかかる。

現代の人々は個人で持つモノが多すぎる。

私にとって楽器は必需品だから、持たないわけにはいかない。それでも人目に触れないでふだんは眠っている楽器もある。

そういう楽器たちにスポットを当てる場所を作ってやろうと思う。一番は演奏で使うことだろうから、機会あるごとに音を人に聞いてもらおうと思う。

一部の楽器については、既に他のサイトで16点を紹介しているが、ここで17点目として先に紹介しておこうと思う。

ということで田後90楽器博物館#17
「鈴木楽器製作所・アンデス25F」
を紹介する。

一見すると「鍵盤ハーモニカ」に似ているが、鍵盤ハーモニカと違って鍵盤以外の部分が大きい。この部分には、たくさんの笛が並んでいるという楽器だ。

なかなかおもしろい。

楽しい。

簡単に吹ける。

が、音程は安定しない。

笛なので、強く吹けば素っ頓狂な高い音が出る。

弱く吹くと幽霊が出そうな低い音が出る。

おもしろい。

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