モノを手に入れる、持つ。モノを使う。
本来は、そのひとつひとつに意味がある。・・・はず。
で、
「欲しいから。」という。
「どうして?」と尋ねてみる。
「なんとなく・・・。」
なんとなく、それが感性なら、それもアリ。
感性の、その「なんとなく。」に意味があるのだろう。
きっと。
で、なんとなく、で。モノが増える。
どんどん、どんどーん、・・・増える。
いらんじゃろう。そんなに。
なんで? どうして? なんで?・・・。
今までずっと、「なんで?」を繰り返していたと思う。
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そうこうしているうちに
「モノを移動する」が「モノを片付ける」
と同義語にすり替わった。
自分ですり替えた。
自分ですり替えたことに気づいていなかった。
モノを移動させて、いらないものを隠して、それで、
片付けた、整理した。
そう思い込んでいた。
モノは増えるばかり。
いらんじゃん。こんなに。
60歳手前で、こんなことに気づく。
これは、正真正銘、バカです。
いや、60歳手前とか、年齢は関係ない。
死ぬのに年齢はない。成長するのにも、年齢はない。
老いていくのは、この次元の物質であるカラダの都合でしかない。
モノは自分のモノではなく、この世界の所有物でしかない。
置いておくなら、放っておく。
いらないのなら、捨てる。捨てる、とはこの世に返すこと。
せめて、意味があるものだけ、いつくしもう。
少し、考えました。
モノに執着する人としての、煩悩のたったひとつを、今、数えたところです。