目が健康な人が「目薬を味わう。」なんてことは、ないわけですよ。
味わう。目薬をさすと、本当に目が「うまい!」って言っているように感じるくらい気持ちいいわけです。
これは、しあわせだと思うんです。
ふだんは、コンタクトレンズを目にはめているんですが、裸眼だったり、メガネをかけているときには感じないクリアな視界がどーっんと、広がるわけです。
これも、感じなければそれまでなんですが、しあわせなんです。
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どっかのコーヒーのコマーシャル(ダバダー♪)じゃないけど、「違いがわかる。」ってことがしあわせなんだと思うんですね。
じゃあ、その「違い」ってなんだってことですよね。
ぼくは、違いがあるって、なんだか特別なことのように思っていたわけなんですけど、それは幻想だったですね。
違いは、いつも、どこにでも、当たり前にあるわけです。
あったりまぅえ〜に、あるわけどぅえ〜っす!!
・・・はい。ふつうに言いますね。
違いはあります。
むしろ、「同じ」と思っていることが錯覚だったのです。
ふかーい話に突入しそうなんで、ふかーい話はそれが得意な人に任せるとして、違いが感じられるというのは、割と自分で「足りない」とか、「できない」「劣っている」とか思っているところに意味があったような気がします。
社会が決めている基準って、単にひとつのものさしでしかなくて、そのものさしだけで物事を見ると「しあわせ」そのものを見逃すことがあるかも!ってことです。
目薬はおいしい、そういう話でした!
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