随所に主となる

誰でもあると思うが、何かに集中しているときや、無心でいるとき、ふっとイメージが浮かぶことがある。

頭の中に活字が浮かぶこともあれば、誰かの声だったり、抽象的な概念だったりする。

今日は、就寝前に一人で湯船につかっていたときに、ふと「主(ぬし)」という言葉と同時に「すべき」とか「すべし」というような響きが頭の中に浮かんだ。

文字をつなげると「ぬすべし」となって、なんとなく「ぬすむ」にも聞こえて語呂が悪い。

風呂から上がって、インターネットを検索して、イメージに合う言葉を探してみた。

臨済宗の開祖である臨済義玄禅師の言葉で「随処作主 立処皆真」(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり)というのが、イメージに近いようだ。

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「常に主体性を持てば、間違いのない行動ができる。」

この言葉を読んで、はっとした。

今、ぼくは、自分を見ようとしていて、内向きに思考をしようとしていたらしい。

自分を見るというのは、今見えるもの、感じるものを自分のものとして見て、感じるということなんだということに気付かされた。

「まず、波動がある。」

そう言った友人がいる。すべてのものをまず自分のこととして捉えること。

自分を見て、感じることができれば、思考するのではなく、思考が生まれる。

今、まさに、ぼんやりとしていたイメージが思考として生まれたようだ。

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