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ぶらり、墓参り

 毎朝だいたい行く場所がちがうので、朝の散歩はいろんな場所に行くことになる。

 今朝は、久しぶりに伊福部昭さんの墓に行ってみようとクルマを走らせた。線香もロウソクも持たないで、ぶらっと墓参り。

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 その途中にちらっと「池田墓所」という立て看板が見えたものだから、ピーンと来て、ここに寄ってから行こうと決めた。

 名前だけは聞いたことはあるが、行ったことがなかった。観光案内の写真で見たことはあったから、亀の台座に載っているお墓というイメージはあった。奥谷という地名も聞いたことはあった。鳥取の昔のお殿様のお墓、それ以上のイメージはなかった。たぶん、それぐらいの知識があれば、それでじゅうぶんのような気がしていたからだと思う。

池田墓所入口
 住宅街の中の細い路地を進む。どうにかすれ違いできるかできないかくらいの道だ。その奥に、駐車場とトイレがあって、ちょっとした森の中の公園のような景色が見えてきた。

 駐車場から既に見えるのだが、巨大な墓石がその「森の公園」の中に、いくつも建っている。墓参の道は石畳になっているけれど、コモで養生してある。この冬の大雪で、灯ろうもたくさん崩れてしまったらしい。

 ここに、第十一代までの墓があって、そのほとんどに亀の台座がついている。それぞれの墓所の中に、また墓があり、墓参の道には灯ろうがいくつも建っている。

初代光仲公のお墓には、大きな蛇の抜け殻が台座の周囲に沿ってありました。

 初代光仲公の墓所から振り向くと、墓参の道が見える。この道が人で埋め尽くされた様子を想像してみる。初代のときは、もちろん二代目以降の墓所はなく、近くに住居もなく、深い森だったと想像できる。また、かつては、木造の回廊や廟所(びょうしょ)も建っていたらしい。入口の門だけが再現されていて、遠い昔に思いを馳せる。

池田家墓所、初代光仲公の墓碑の立つ場所から振り向くと、長い廊下のような墓参の道が広がる

 その後、宇倍神社、伊福部家墓所にも足を伸ばす。その先に七宝(しっぽう)神社という標記が見えたが、行ってみると、七宝水という湧き水が出るところがあった。この水が宇倍神社の手洗水まで引かれているらしい。この日は、水は出ていなかった。七宝神社の社殿は残っていないのかも知れない。

 宇倍神社の鳥居のそばに蓮池がある。ここを深い緑色のとんぼが、3羽ほど、ゆらゆらと飛んでいた。

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酉年(とりどし)にぴったりの神社

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 鳥取市から西向きに走り、吉岡から福井あたりに抜ける道の途中に、田んぼに浮かぶ島のような、こんもりした丘がある。そこを通るたびに鳥居があるのが目について、気になっていた。2017年6月9日、昨日の朝、多少の時間の余裕があったので、参拝してみることにした。

 参道の入口には、「式内 天日名鳥命神社」の碑が立っている。しきない、はわかるんだけど、神社の名前が読めない。「てんぴなとりのみこと」?いや、天はアマだな。帰って調べてみたら、「あめのひなどりのみこと」でした。ひなどり!そういえば、今年は酉年だったな。そう思うと、なんだか嬉しい。

 この日は昨日までの雨が晴れて、田植えの終わったばかりの水田が一面に広がっている。白鷺だろうか、田んぼで羽を休めている白い鳥が見える。

 参道は山裾からジグザグの階段になっていて、階段を登ると、昔からの森がそのまま残っているように感じられる。鳥居をくぐったあたりにも灯ろうと、一対の狛犬があったが、すぐ近く、階段の入口にもあった。

 開運八社巡りという赤い幟旗がところどころに立っている。

 おもしろいのは、境内の中央、社殿の真ん前にどーんと扇形の石が置かれていたことだ。ネットで調べてみたけど、なんの石かわからない。

 なんとなく、そこに農作物を置いて、しゃがんで拝むのにちょうどいいのかな。そんなことを思った。お米をまいたらそのまま鳥が集まってきそうだし。本当のところはよくわからないのだけれど。

亀甲に大の紋章
 丘の上、木漏れ日を受けて建つ赤い瓦の社殿。昔、ここに大きな岩があって、その岩に腰掛けて釣りを楽しんでいた神様がおられたそうな。昨年あたりから、どうしたわけか、神仏にご縁がある。こうした場所を訪れるたびに、空間がまたひとつ広がっていくような気がします。

 参拝した後、鳥居を出る時に、自然に振り向いてゆっくりとお辞儀をするようになりました。

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2017オカリナフェスティバルin神戸へ

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 宍粟市にあるテレマン楽器は、オカリーナの品揃えが豊富なことで有名な楽器屋さんです。以前から楽器の仕入れには、ちょくちょく寄っていました。昨年、今年と2年続けて、ぽんかん。で市民センター波賀で演奏させていただいたり、先日は姫路でも演奏しました。いろいろなご縁があって、今年は2017オカリナフェスティバルin神戸に出場することになりました。

 この度の出演は、宍粟市のオカリーナ演奏グループpollo(ポーロ)のメンバーとしての出場です。polloというのは、イタリア語でチキン、鳥、という意味だそうです。オカリーナがガチョウだし、2017年は酉年だし、ということで、昨年末につけた名前です。

 演奏する曲目は、「いつか王子様が(Frank E. Churchill作曲・小山京子編曲)」「ねこバス(久石譲作曲・茨木智博編曲)」の2曲。昨日はメンバーのうち、5人が集まって、テレマン楽器の秘密の部屋「フクハラ亭」でみっちり練習しました。気がつけば3時間があっと言うまでした。大判焼き、うまかった!

 当日は、これまでお会いしていない他のメンバーも混じえて、大人数でのアンサンブルになる予定。夜遅く集まって、練習しているそうです。頼もしい存在です。

 今回初めてオカリーナ用のスタンド(テレマン楽器オリジナルのオカリーナテーブル)を購入して使ってみました。ケースに収納すると、想像以上に大きい。電子ピアノが入りそうな大きさです。それほど重くはないんだけど。ああ、でも持ち替えが楽だ!当たり前だけど。見た目もこの方がいいですね。そういや、今日からわたし、ヒゲ生えます。秋には剃るけど。

 画像は、岩美に帰ってから見た夕日。もう日没は過ぎていたのですが、いつまでも明るくて、きれいなグラデーションのまま暮れてゆきました。う~んビューティフル! いい一日でした。

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昔むかしのおっさんの話

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 「おっさん」というときに、「おっ」を低く、「さん」を高く言うと、「おじさん」「オヤジ」になります。逆に「おっ」を高く、「さん」を低く言うと、「おしょうさん」つまり、お寺の住持(じゅうじ)、いわゆる住職(じゅうしょく)になります。いや、この辺だけの呼び方かも知れません。あまり「おしょうさん」「住職さん」とは言わないで、「おっさん」と言います。もちろん、その言葉には敬意が込められていて、「おっさんはいつきなるだ。(住職さんはいつ来られるのですか。)」とか言います。

 岩美町には昔むかしのえらいおっさんというと、よく名前が出るのが、通幻禅師と、仙英禅師の二人がおられて、どちらも碑が建っています。上の写真は、通幻禅師のほうで、岩美町の浦富の住宅街の中にあります。座禅をしたおっさんの像の傍らに「母子愛碑」と彫られた碑も建っています。これは、この地方に伝わる「飴買い幽霊」のお話があって、墓の中で生まれたと伝えられているからです。もっとも、このおっさん、出家したのが大分のお寺だそうで、大分で生まれたという説もあるそうです。なにしろ約700年も前のこと、今となってはよくわかりません。

 一方、この写真は仙英禅師の碑が建っているところから日本海を写したものです。国道178号線からも登れるし、岩美駅からも近く、岩美中学校の裏手の丘の上になります。このおっさんも、通幻おっさんより、ずっと後の江戸幕末の人で、井伊直弼が安政の仮条約を結ぶきっかけを作った人らしく、この仙英おっさんがいなかったら、日本の歴史は今とずいぶん変わっていたかも知れないぐらいの人物のようでした。

 鳥取市の景福寺を開山したのが、通幻おっさんで、仙英おっさんも、この景福寺の住持をしているときに、井伊直弼にスカウトされるているらしい。二人のおっさんの共通点がここにもありました。

 現代も、いろいろと不安な情勢がありますが、こんな立派なおっさんがいたら心強いですね。

 でも、もし二人が現代に生きてたら、「こがいな碑ぃ建てんでもええけ、あんたらぁが一人ひとり、しっかりしないや。」って言うかも知れません。

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第31回いわみ音楽祭出演者募集中です

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 おーきっなふっくろっを、かったにっかけ〜♪「大黒様」「金太郎」「花咲爺」「青葉の笛」など、今にも唄い継がれている唱歌の作曲家、田村虎蔵は、ここ、岩美町出身です。その田村虎蔵を顕彰する音楽祭です。と言っても、虎蔵様オンリーではなく、手作り感満載のアットホームな音楽祭です。今年は、公民館建替のため中学校体育館での開催です。

岩美町のホームページ – 企画財政課 第31回いわみ音楽祭の出演団体を募集中です。

 募集期間は、2017年5月9日(火)〜6月5日(月)までとなっています。気楽にご参加いかがでしょうか。

ちっちゃいゲジくん

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 トイレにちっちゃいゲジくんがいたそうだ。今日はお風呂場にはその倍くらいの大きなゲジくんもいたそうで、さすがにその大きいのは外に逃がしたらしい。トイレのゲジくんは今もいる。10センチから12、3センチといったところだ。ちっちゃいと書いたけど、まあまあ大きい。写真も撮ったけど、苦手な人もいるだろうから、少しスケッチしてアイキャッチ画像にした。

 この時季、山陰では、こうした虫が動き出す。彼もいきなり13センチになったわけじゃない。今までは天井裏とか、軒下とか、そういうところに住んでいたわけだ。外の木や、石や落ち葉の間にもいるのだろう。

 ムカデやゴキブリはちょっと同居はできないので、申し訳ないけど、仕留めます。それ以外のゲジくんや、家グモなんかは、ほっときます。彼らと人とは今のところ、問題なく住み分けできていると思う。クモに関しては、そんなに多くはないんだけど、巣を張るクモも、もちろんいます。通り道なんかだと、少し移動してもらったりしますが、基本「住人」のいるクモの巣はそのままにしています。ほっといてもちゃんと巣ごと移動していたりします。たまに住人がいなくて残っている巣は片付けます。

 人間の傲慢さは「弱肉強食」みたいな言葉にも現れています。強いものが勝つ。それが自然の掟? いいえ、単に違いがあるだけです。動物の捕食の関係は必ずしもリングのようにつながっているわけではありません。人が百獣の王と呼ぶライオンも、死ねば、その死骸は鳥や虫や他の動物が食べるのです。

 数の論理も強弱とは関係ありません。数が多いほうが強いのではないのです。それは、強い者が残った結果、現象のひとつであって、勝利ではありません。傲慢になるのではなく、いつくしむ心を失いたくないと思います。

鳥取は今日も晴れ

 よく晴れて、いい天気。

 青翔開智(せいしょうかいち)中学校・高等学校(鳥取県鳥取市国府町新通り3丁目301-2)と鳥取市立岩倉小学校(鳥取県鳥取市立川町7丁目110)と、周囲の田んぼに挟まれた土地は長い間空き地でした。ここは、以前、国立の病院があったところです。そこにスーパーなどの商業施設ができるようです。たくさんの方が暑い中、建設に向けて働いておられました。ご苦労様です。

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 空にはヒバリの声がして、夜になると各地の田んぼで蛙の大合唱が始まります。鳥取のこの自然風土は何物にも代えがたい気がします。スーバーができたり、道路ができたり、市街地にマンションが建ったりするのもいいことです。自然は何もしゃべりません。苦情を言いません。いつまでもバランスが保たれるように、しっかり見守っていけたらいいなと思います。

 この記事は5月に書いた記事です。その後、ここにはスーパーと書店、100円ショップなどが開店しました。とても賑わっています。

浦富海岸健康マラソン大会

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 「浦富海岸健康マラソン大会」は、海岸近くにある岩美北小学校をスタートして、美しい海岸沿いを走る最長コース10キロの市民健康マラソン大会。10キロのコースでは、途中にある田後港、城原海岸、鴨ヶ磯、網代と海岸沿いの曲がりくねった道を走る。地元の中学生や高校生も混じえて走る3キロ、5キロのコースもある。2017年5月14日(日)の大会は、第32回となり、参加人数も定員が2,500人と賑やかだ。

 浦富海岸(うらどめかいがん)は、美しい海岸の風景で有名だ。夏には海水浴場になる砂浜も、地球の歴史を刻んだ点在する磯の島々。青い海、青い空、白い雲、松の林、質素で落ち着いた町並み。鳥たちは舞い、人々は穏やかだ。

 ここは昔からこんな風景で変わらなかった。しばしば映画やアニメの舞台となり、人々の記憶と映像の中に幾度となく刻まれてきた。京都府から連なる山陰海岸の一部であり、近年は世界ジオパークネットワーク、アニメfreeの聖地としても知られている。国内はもとより、海外からも訪れる人が多く、観光名所として知られている。

城原海岸ドットコム(山陰海岸ジオパーク城原海岸)

 それにしても、今日は青空だった。前日まで雨模様だったが、この大会では不思議と雨が降らない。雨の記憶があまりない。走っているランナーは苦しいはずだが、楽しそうだ。みんな今日はいい一日だったと思う。

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sirawara.com《しらわら・ドットコム》発信

 ここ田後にある城原海岸は、世界ジオパークネットワークに加盟している山陰海岸の中でも、美しい海岸です。この城原海岸は、春に菜の花が咲く菜種島、幽玄な趣のある鴨ヶ磯、遊覧船など、船から眺める絶景である千貫松島など、象徴的な風景がたくさん見られます。季節ごとに表情を変え、毎日見ていても飽きることがありません。

 さまざまな記事の中にこの景色を埋もれさせてはもったいないと思い、城原海岸だけをテーマにサイトを作りました。その名もしらわら・ドットコムです。皆さん、見てください。「城原」の読みは「しろわら」「しろはら」とも言いますが、地元では「しらわら」と呼ばれています。

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歩きだす名前

 人は、生まれてすぐに最初の名前がつく。そして、死ぬまでにいくつもの名前を身につけていく。男、女、誰かの子、兄弟、生誕地、学校、あだ名、会社、役職、資格、団体、勲章、戒名・・・。

 岩美の人は、見知らぬ人を見かけると「どっから来なっただ。」「あんねのもんか。」と聞く。お礼を言うときも「どこの誰かは知りませんが、親切にしてくれてありがとう。」とは言わない。まず、どこの人か。知っている人の身内かどうか。それが気になる。本当に気になるから聞くだけで、まったく悪気はない。

 三十歳頃に東京から練馬ナンバーの軽自動車で帰ってきた。近所の小学生に「おっちゃん、また来ただか。」と毎日言われた(笑)。何ヶ月後かには「おっちゃん、いつ去(い)ぬるだ。」と言われた(泣笑)。自宅で仕事を始めてもう18年目になるが、未だ親戚や近所の人には「今日は休みか。」と言われる(脱力)。出張専門にやっているため、看板を出していない。だから、本当にそう思うから言うだけで、まったく悪気はない。

 人は、どうして名前を欲しがるのか。どうして名前ではなく、そのままの人の心を見ようとしないのだろう。歩きだす名前に自分を預けたくはないと思う。