人は「達成感」のために生きているのだろうと思うことがある。
そして、そのために「夢」を持とうとする。
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だから、家の裏山に登ったことはなくても、富士山やチョモランマを目指す。
そこにたどり着くためには、苦労し、努力もするし、我慢もする。
それはいつしか、その夢を達成した人を師と仰ぎ、その師の方法論を学ぼうとする。
学ぶことは意味があることだ。そこに疑いはない。
しかし、師の教えが「絶対」となると厄介なことになる。その師の教え以外のものが見えなくなるからだ。それは、時として、今ある現実、自分自身をも否定することになる。
夢は、もともと心にあったものをイメージに変えたものに過ぎない。
そういう意味では、眠っている時に見る夢も、目標となる現実の夢も変わりはない。
夢は、今、ここにあるもの。いつも心を見ていたい。見つめなおしてみたいと思う。
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