カテゴリー
essay

人類はかつてスーパーマンだった

 ダーウィンの進化論って、ぼくは疑問なんだよね。そりゃ、進化もするだろうし、退化もするんじゃね?って。動物の生態って、環境が変わると、適応する、変わる、常に変化するし、常に多様性があるってのが正解なんじゃないかと思う。現代のニンゲンだってさ。背の低い人もいれば、高い人もいる。知能だってさまざまだよね。

 だからさ。たとえば、原始人とかって言って、発掘された人骨らしきものから、学者さんが想像するんだけど、あれってどうなのかなって思う。「あれ」って、あれよ。なんか毛むくじゃらで、腰みのみたいな最低限の服着て、ちょっと猫背で、猿みたいな顔しててっていう想像図。いやま、そういう人もいたんでしょうよ、きっと。それすら、マユツバだけどさ。

 スラっと背の高い、頭のいい人もいたんじゃないかな。それも、紀元前何万年というような世界にもさ。

 もちろん風習とか、思想、概念みたいなのは、今とはまったくかけ離れていたんだと思うよ。

◆スポンサードリンク


 その頃の文明だって、地底、海底なんかから遺跡が見つかっていたりするじゃない。それも、1万年くらい前の遺跡が実際に出てきているわけさ。それだけ高度な文明があってさ。文献が残っていないっていうのはもしかしたら、人々が意思を伝えあうのに、言葉や文字に頼る必要がなかったんじゃないかな。

 死生観とかも今とは違うんだろうな。だいたいは、そんなに長生きじゃなかっただろうとは想像するんだけど、でもその中でも随分長生きをして、100歳とかでも、普通に元気な人もいたかも知れなくて。

 そうしたときに、ふと気付くのはさ。お墓って、そんなに古いものは見つかっていないんだよね。エジプトのミイラとかあるんじゃねって思うかもしれないけど、あれはさ、古いって言っても、3000年くらいなのよ。しかも、死者ではなくて、蘇る者として作られてる。そういう思想なわけ。

 先日世界遺産登録の候補地になった大阪の百舌鳥古墳群(堺市)、古市古墳群(羽曳野市・藤井寺市)なんかも、1500年前というから、めっちゃ近代です(正確な用語では「近世」ということかな。ここでは学術論は省きますが)。

 そしたらさ。文字も言葉も、今のような宗教が生まれる前のニンゲンってさ。お墓も必要なかったって考えられないかな。「死」をそのまま「死」として受け止めていたんじゃないかな。「悲しい」「寂しい」はもちろんあっただろうけど、「肉体がなくなった」「一人の人として動かなくなった」という悲しさ、寂しさであって、日常の変化のひとつに過ぎなかったんじゃないだろうか。

 さて、次くらいに、その古墳のはなし、おもしろそうなので、ちょっと考えてみます。

◆スポンサードリンク


 アイキャッチ画像はGATAGフリーイラスト素材集から、進化論のイメージは、植山周一郎さんのブログから、ダウンロードさせていただきました。