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思いの囚われ人にならないために

ぼくが理解している人間の脳の働きというのは、こんな感じです。

もちろん、脳の専門家ではありません。あくまで、個人的にこう考えている、ということです。

それは、感覚で感じ取られるすべての「情報」を瞬間的に認識する右脳と、それを記憶に結びつけて整理しようとする左脳とがバランスしつつ、時間によって切り取られた空間を現実のものとして、捉えようとする働きがある。

というものです。

もしそうだとしたら「自分を見て、自分を知る」ということは、右脳が感じているものが何かを理解することであり、左脳がどんな風に考えているのかを理解することなんじゃないかと、ふと、考えました。

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どうやら、これまでは、右脳と左脳の働きを分けて考えていなかったいうことに気づいたのだと思います。

何を感じているのか、何を考えているのかは、同時に行われていて、気が付かないくらい精密にバランスがとれているので、分ける必要がないとすら、思っていたようです。

しかし、人は「思い」に囚われて、その「思い」から離れなくなることがあります。自分自身にもありましたし、そういう状態になっている「思い込みから外れない。その思いと一致しないことを否定する」人の姿を何度も目にしてきました。

そこでは、何を感じているのかが、感情によってブロックされたまま、置き去りにされていたように思います。

「怖い」「イヤだ」「そんなはずはない」「これが正しい」

自分の中でこれを感情とは理解できずに、左脳がエラーを起こしたまま、情報を組み立てます。ときには記憶すら捏造してしまいます。

これは、ぼく自身の中でも起こってきたことです。ずっと、そのことも「そんなはずはない。」と否定してきたと思います。

「善悪」や「正しさ」という指標は、自分自身にとっては意味のあるものだろうと思います。

しかし、それが自分以外の誰かに向けられたとき、その人を「ジャッジ」することにつながります。

何を感じているのか、そこに感情はないのか。何をどう考えたのか。

今まで、もやっとしていたことが、ようやく、少し、整理できたように思います。

自分が、自分らしく、ということ(2018年7月1日のブログ記事)
思い込み、というだまし絵(2018年5月26日のブログ記事)
デジタル脳、イメージ脳(2018年4月14日のブログ記事)



写真は、鳥取東照宮を正面から見たものです。

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