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essay

誰にとっても、同じ1日。

ある70歳代の男性が「なんぼ生きても、あと10年ですわ。近ごろ、そんなことをよう考えますで。」と言うんです。

こんなふうに話をふられたとき、59歳のぼくは「そう言わんと長生きしてつかいな。」と鳥取弁で言う。

こんな話をするとき、いつも違和感を感じてた。本当に明日生きているのか、死ぬのかって、誰にもわからない。そりゃ、70歳より80歳のほうが死ぬ確率は高いんだろうけど、今生きているのに、8ヶ月だろうが、70歳だろうが変わりはしない。今、健康な人が、病氣をしている人より、早く亡くなったりもする。

どうせなら「今日も生きてた。」と言って、1日の終わりを喜びたいし、「今日も目覚めた。」と言って、わくわくして1日を始めたい。

あまり「何年か後にこうなりたい。」とかって、思わない。目標がないわけじゃない。それよりも、今生きていることに意識を持ち続けたい。刹那主義とも違う。人からは「恵まれているからだ。」「健康だからだ。」と言われたりもする。

いやいや、どんなときでも生きている以上の恵みはないです。それは、断言できる。どんなにつらく苦しいことがあっても、そのことに感謝は忘れない。なーんて書くと、崇高な精神のように思われて、持ち上げられたりもするから、それはいらないって思う。

そういうことをさらっと言っているOSHOのような人もいる。そう、ありたいなとは思っている。

Osho Japan

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