次の「アクション」が「死」でなければ、それまでの時間、いろんなことができる。それこそが「可能性」だ。「死」以外の出来事が「可能性」のすべてだ。
お金があるとか、ないとか。あれができて、これができていないだとか。現象にとらわれて、それを理由に「可能性」から、逃げていないだろうか。
死んでいなければ、生きている。それだけ。
あと数時間で死ぬとわかっていたら、ぼくは何をするのだろう。
まず、優先順位を必死で考えるだろう。
優先順位も何もなければ、俯瞰するしかないだろうし。そういう状態でいるかどうか。
ただ見て、感じる。そうやって、生きている。