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人生はグラフでは表せない

 人々は人生をグラフにたとえることがある。成長してゆく、衰えてゆく。成功する、失敗する。そのたびにグラフが上がったり下がったりする。人生は、山あり谷ありで、生まれてすぐに上りはじめ、老いとともにだんだんと下り坂になる。多くの人々がそんなイメージを抱いているようだ。

 それなら、小さな子どもが、よく泣き、よく笑うのはなぜだろう。一方で成功者の心が必ずしも晴れているように見えないのはなぜだろう。実は、その上がり下がりを感じているのは、人の思考であり、心なのではないのか。

 心は人とともにあって、たがいに見つめるだけで自然に成長するのだろう。私の場合は、無理に育てようとして、育っていなかったような気がする。

 最近、私の中にも「黒い心」が存在することを知った。「心の傷」と言い換えてもいいだろう。「傷」だとすれば、とっくに「癒えている」ものだと思っていたし、その「黒い心」は自分にとっては、「論理的で正しい心」のようにも見えていた。それは、ふだんの私を知っている人が見たら、まったく別の人格に見えるほどなのだが、私の中では切り離すことのできない私の心の一部だった。他の誰かに私の「黒い心」を指摘されることを避けてきて、ときには攻撃的になった。でも、それが自分では見えていなかったのだ。

 今でも、その「黒い心」は存在する。今までと違うのは、そこから目をそらしたり、守ったりしようとしないで、ただ見つめようとしていることだ。それがこれからの自分を変えることになると思っている。

 人生をグラフにたとえなくていいと思う。人は誰でもいつでも、そうしようと思えば、豊かな心を持つことができるのだと思う。

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