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シューカツ

70歳を過ぎたあたりで、「就活」ならぬ「終活」とやらをやっている、という人がいる。「どんなことをしているんですか?」と聞くと、「身の回りの整理」だという。早い人では60歳台、いや、もっと早くからやっているのかも知れない。

ぼくは、それ以上に深いところまで聞かないので、それ以外のことはわからなくて、依然「身の回りの整理をやる。」ぐらいのことしか、わからない。

葬式や墓を生前に予約するという人も、もちろんいるんだと思う。遺言書を書いている人もいるのかな。

ぼくがこうして、ブログに書いていることも、ぼくが死ぬタイミングによっては、遺書のようなものと見られるかも知れない。既に死んでしまった者からすれば、いきなりプライベートが公開されるような気分で、有名人なんかは、どうにかして生き返りたくなる気分になるかも知れず、はたで見ていても、やり過ぎだろうと思う報道もある。

最近、芸能人の自死が続くと、一般にも「その傾向」が増えているのかなと、ちょっと不安な気持ちがよぎるけれど、できれば自ら命を断つということは、やらないでほしい。命というものは、思わぬ瞬間に「はい、終了。」となるもので、それ自体は単なる出来事に過ぎない。

ぼく自身は、身の回りの整理や、今をどう過ごしているか、何を考えているかをこうして発信してはいるけれど、シューカツにはまったく興味がない。

あわよくば、300年でも生きていようと思う。

そんなに生きていると、ただしんどいだけで、耐え難いという発想は、単なる想像でしかない。実際に生きてみないとわからないじゃないか。

今も、常に新しい発見がある。息苦しかったり、関節の節々が「あいたた・・・。」となったりすることもあるが、それも、それだけ生きた証だと思うと、経験として愛おしい。毎日、新しい実感を得るなんてことは、それだけ生きないと経験できないわけだから、これはこれで楽しい。

やっぱり。

シューカツより、シュークリームだよなぁ。

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