
馬が駆けていた古(いにしえ)の地
岩美町の風景を彩る山々には、知る人ぞ知る深い歴史と物語が刻まれています。午年の正月にちなんで名馬「池月」にまつわる話を書いてみました。
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岩美町には「駟馳山(しちやま)」をはじめ、「二上山(ふたがみやま)」「立岩山(たていわやま)」「桐山(きりやま)」といった山があります。これらは「やま」と呼ばれます。浦富にある「金峰山(きんぷさん)」などの例外はありますが、山陰の山の多くが「せん」と呼称されるのに対し、あえて「やま」と呼ぶ文化が残っていることは、この地が古くから独自の文化が栄えていた地域であることを物語っています。
名馬「池月」の伝説が息づく駟馳山
特に、鳥取市福部町との境に位置する駟馳山は、歴史ファンにとっても興味深い場所です。この山は、源頼朝の愛馬であり、宇治川の戦いで佐々木高綱が駆り、先陣を争ったことで知られる名馬「池月(いけづき)」が生まれた場所という伝説が残っています。
全国各地に同様の伝説は存在しますが、かつての駟馳山は、野生の馬が駆け巡る場所として広く知られていたようです。時の権力者の愛馬が「うちの地元の馬だ」と語り継がれるほど、この地が優れた馬を育む豊かな環境であったことが伺えます。
悠久の時を物語る「骨」の発見
現在の駟馳山に馬の姿はありませんが、代わりに多くの鹿が棲んでいます。山には適度な起伏と隠れ場所があり、あまり人影もなく、動物たちにとって非常に住みやすい環境なのです。
実際に山を歩くと、馬や鹿の白骨化した骨が見つかることがあります。これは最近の熊の被害によるものではなく、古くからこの地に動物たちが生息していた証です。最近クマ騒動が全国で聞かれるようになって、ここでも「熊が食べた跡ではないか」という噂も一部では流れていますが、実際にははるか昔からこの山で命が循環してきた歴史の証なのです。
岩美町の山々を眺めるとき、単なる自然の造形物としてだけでなく、古の文化や名馬の伝説、そして命の連鎖を感じてみてはいかがでしょうか。
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