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源頼朝名馬「池月」伝説

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 ※下記の文は、池月伝説を記した石碑の文面を書き写したものです。

 かつて、駟馳山には牧があり、多くの馬を産出し、山頂近くには、駒ケ池という池があったという。

 ここで生まれた「池月」は、幼い頃母を亡くした。日中は母を探して山野を駈けまわったため健脚となった。また、月夜には池に映る自分の姿を母と思い池に飛び込んだりしていたため、泳ぎもうまくなり、やさしくたくましい馬に成長した。やがて、名馬「池月」として土地の豪族から源頼朝に献上された。

 源頼朝は、家臣の梶原景季の「池月」を賜りたいとの申し出に対して、別の名馬「磨墨」(するすみ)を与えた。その後、源頼朝は、石橋山の戦いで奮戦して頼朝の危急を救った家臣の佐々木高綱に「池月」を与えた。

 平安時代末期(1184年)に源義経と木曽義仲(源義仲)が宇治川をはさんで戦った「宇治川の戦い」があったが、この時、義経軍として参戦した佐々木高綱と梶原景季は、宇治川の戦いで一番乗りの功名を立てんと川に乗りいれ、先陣を争った。

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 「平家物語」には、「池月」に乗った佐々木高綱が「磨墨」(するすみ)に乗った梶原景季よりも早く宇治川の激流を渡り、一番乗りを果たした様子が描かれている。

 その後、因幡に恩賞地を拝領した佐々木高綱は、駟馳山に立ち寄って、今は亡き名馬の面影を偲んだといわれている。

 今でも、駟馳山峠の石畳道には、「池月」の蹄(ひづめ)の跡がついた石がある。

(※池月伝説は、全国に諸説存在し、漢字表記も「生食」、「生唼」、「生喰」、「生月」など多数ある。)

 令和元年十月建立 設置管理 大谷自治会 施工 株式会社 雪松

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