カテゴリー
essay

ムダな努力は報われない

ぼくは、ものごころついた頃から、「できる」「できない」の価値判断で生きてきたように思います。

「できる」ほうが「優れている」。

だから、人より、もっと、いろんなことを、高度に「できる」ことを目指していたわけです。

それが、当たり前だと思っていました。

もっと、できるようになりたい。優れていると、人に認められたい、評価されたいという「認められたい病」だったわけです。

◆スポンサードリンク


この考え方には、はっきりした落とし穴があります。

「できない」ほうが「劣っている」という思考が同時にあるわけです。その思考が自分の中にあるとは思っていません。無意識が、その思考を隠しています。

ものごとにはすべて裏表があるわけですから、隠しているつもりでも、人には見えています。

そういう意味では、ぼくは、サイッテーなやつでした。今は、それが、わかります。

自分自身、できないことがあると、自分を恥ずかしく思っていたし、そう思われたくない不安をずっと抱えていました。

当たり前のことですが、できる、できないというのは、「状態」に過ぎません。ニンゲンは空を飛べません。劣っているわけではなく、ただ飛べないという状態があるだけです。

「努力はいつか必ず報われる」と信じている人もいると思いますが、そんなことはないと思います。どんなに努力してもニンゲンは空を飛べません。ぼくはぼくである限り、ぼく以外の人になることはできませんでした。

いやいや頑張ること。
妄信的に行うこと。
人のためだけにやること。
流れにさからうこと。

これは、ぜんぶ、ムダな努力です。これに「あなたのために」というアピールが加わると、偽善です。もっと言えば、それはストーカー的な犯罪であり、暴力です。

それでも、こんなに頑張ってるのに、努力してるのにって思っていたわけです。何を見ていたんだろうか。

いやいや頑張ろうとしない。
盲信しない。
自分をまず見ること。
人と、流れを見ること。

できる、できないではなくて、何を感じるか。楽しいか、つまんないか。それをまず自分自身で感じられるか、人に伝えられるか、人がどう感じているかに意識を向けられるか。その上で、人にどう伝えるか。

言葉にすれば、なんだか、アタリマエのこと。

看護師、准看護師、保健師、助産師の求人・転職は【看護のお仕事】

カテゴリー
essay

自分とコミュニケーションする

ぼくは、ずっと、自分で恥ずかしがり屋の口下手で、コミュニケーションが苦手だと思い込んでいた。

このところ、自分自身を振り返る、見つめるということを考えていて、それって、人に対してじゃなくて、自分自身に対して、コミュニケートしていなかったんじゃないかって思った。

人に合わせて、何かしようとすると、ほら、例えば、下心満載の20代だった頃、好きな女性と話すことがうまくできなかったりする。

それって、その人に一所懸命合わせようとしていて、相手はおろか、自分自身をも見ていないからだったんだなとやっと気付く。

20代の女性に合わせられるアイテムって、男の自分がそんなに持ってるはずないもの。

せいぜい、映画とか、本とか、動物とか、遊園地とか、美味しいものとか、そういうもので合わせようとしてしまって、堅苦しくなって、別れてしまってた。何度も何度も。

「ぼくは、こう思う。」「こんなふうに感じたんだけど、どうかな。」

そんなふうに話をしないわけじゃないけど、合わせようと必死で焦ってると、それが見えない。

そうだったんだ。ぼくは、自分とコミュニケートをすることができていなかったし、その視点が抜け落ちてしまうことが、今の今までよくあったんだ。

それが相手を退屈にさせていたし、傷つけて、傷つけあったりもしていたんだ。

なんてこった。

◆スポンサードリンク



自分自身とコミュニケートできれば、何も怖がらなくていい。

そして、世界はそこにある。世界ともコミュニケートできる。

そう考えれば楽しい。

ぜひ、そうありたい。

カテゴリー
essay

自分をアウトプットする

吐き出さにゃ。。。

この文章を、あとで読み返したら、自分で何かわかるかな。

今、自分を見ようとして、なんだか、深みにいるような気がして。

常に、おまえはどんなニンゲンなんだって誰かに尋ねられてる気がする。

自分を、吐く。

自分て、なんだ。

気がついたら、1時間でも2時間でも考えてる。

そんなに時間かけても、ぼんやりしてる。

それって、ぼんやりしてる自分があるんだろう。

ぼんやり。カオス。

それが、今の自分。

知識を得て、何かをインプットして、何かをこつこつやるのは、やってきた。そこに意味は?

感性は。

感じることに意識を向ける。

何を感じるか。

漠然と不安だ。

何だ、その不安は。

見えない不安か。

そうだ。何かをこなすことで、その不安から目をそらしてきた。

何を感じるか。

そこを見ていたはずなんだけど、どっか、目をそらしてたように思う。

何かこなせたらいい、何かできたらいい、ただ流れたらいい。

どっか、そんなふうに過ごしてきた。

こなさんでいい。できんでいい。流れんでいい。

見る。

逃げてるから、見えないから、それで不安なら、見続ける。

正体のない不安は消さねば。目をそらさずに。

見続ければ、本当の正体は見えるはずだ。

見る。見えたものを、断片でもいい。こうやって吐く。

今、見えるのは、ぼんやり、カオス。

今、こなしてること、できてること、それは、本当にやりたいことなのか。

ぜんぶ捨てるつもりで、自分を裸にして、見る。

何が見える?

◆スポンサードリンク


カテゴリー
essay

思い込み、というだまし絵

ぼくはこれまで、自分で「抱えている。」「たくさんある。」と思っていた仕事を、少しでも手際よくこなすために、まず頭の中で段取りを組み立てて、その段取りに従って様々なことをやってきた。

その「要領の良い、優秀な頭脳」(そう思い込んでいるだけ)らしきもので、実績も残してきたし、自分でも、これでいいんだ、このままでいいんだと考えていた。結果がすべてだと。

けれど、思い出してみると、段取りそのものが、他の人から見ると、かなりの確率で的外(まとはず)れだったことが多かったと思う。それでも修正をしながら進めていき、「結果を残してきた。」と、そこでもまったく省みることはなかった。

周りを見回してみて、世間的に優秀だと思われている人ほど、「こうあるべき。こうした方がいい。」という「思い込み」に縛られ、自分がその『だまし絵』にとらわれているということに、なかなか気づいていないんじゃないかと、ふと思うようになった。自分はどうなんだろうかと。

◆スポンサードリンク



ぼくは、感じている心を後回しにしていたんだと思う。

すぐに対処しようとした。拙速に行動に移していた。そこに心はなかったのかも知れない。その証拠に、心はいつも不安を抱えなければいけなかった。「これでいいんだろうか。」「どうなるんだろうか。」じゃあ、今度はこうしようか。いや、こう考えよう。そうやって、思いを空回りさせていた。

「迷いながらもがんばって生きていく。」それがニンゲンだ。そう思えれば、それでいいだろう。

しかし、そうやって知らず知らず、人を傷つけていたとしたらどうだろうか。「だって、こうだったから。」「こう言われたから。」言い訳は、本来、必要がないし、するべきことではないと思う。

ぼくは、気づけば当たり前のことなんだけど、とても大事なことに気づき始めたように思う。

歯科医師共同開発の全額返金保証書付き口臭サプリ【ブレスマイル】

カテゴリー
essay

置く、捨てる、移動する

モノを手に入れる、持つ。モノを使う。

本来は、そのひとつひとつに意味がある。・・・はず。

で、

「欲しいから。」という。

「どうして?」と尋ねてみる。

「なんとなく・・・。」

なんとなく、それが感性なら、それもアリ。

感性の、その「なんとなく。」に意味があるのだろう。

きっと。

で、なんとなく、で。モノが増える。

どんどん、どんどーん、・・・増える。

いらんじゃろう。そんなに。

なんで? どうして? なんで?・・・。

今までずっと、「なんで?」を繰り返していたと思う。

◆スポンサードリンク



そうこうしているうちに

「モノを移動する」が「モノを片付ける」

と同義語にすり替わった。

自分ですり替えた。

自分ですり替えたことに気づいていなかった。

モノを移動させて、いらないものを隠して、それで、

片付けた、整理した。

そう思い込んでいた。

モノは増えるばかり。

いらんじゃん。こんなに。

60歳手前で、こんなことに気づく。

これは、正真正銘、バカです。

いや、60歳手前とか、年齢は関係ない。

死ぬのに年齢はない。成長するのにも、年齢はない。

老いていくのは、この次元の物質であるカラダの都合でしかない。

モノは自分のモノではなく、この世界の所有物でしかない。

置いておくなら、放っておく。

いらないのなら、捨てる。捨てる、とはこの世に返すこと。

せめて、意味があるものだけ、いつくしもう。

少し、考えました。

モノに執着する人としての、煩悩のたったひとつを、今、数えたところです。

リピート率93%!「にごり爪・変色爪」の根本対策には『クリアネイルショット』

カテゴリー
essay

ボクがブログを書くワケ

ある日わかったこと。

ボクはこれまで、ただ「思い」がぐるぐる回るだけで、それって実際には考えているようで、考えていなかったのと同じなんだなということ。

そういうのって、あまり見たくない自分の姿だったりする。

その自分の姿にフタをして、見ないふりをしようともした。きっと、今まではそれも自分では気付いていなかったこと。

やっぱりただ「思う」だけでなく、もっとありのままの自分を見て、考えたいということがあった。当たり前なんだけど、自分が見れないと、人のことがわからないわけだから。

◆スポンサードリンク



ずっと人の評価を自分の姿だと勘違いして生きてきたと思う。

「何々ができる」とかっていうのは、あくまで「結果」でしかない。その「結果」を人に「評価」されていると思うわけだ。そして、その結果と評価に合わせて「できる自分」を演じようとしていた。

今、世の中には、そうやって「やるんだ。」「できるんだ。」って、「頑張っちゃてる」人があふれているような気がする。

人の期待ってけっこういい加減なものなんだけど、そう思えなくて、期待に応えようと頑張っちゃうのね。

がんばるのもいいんだけど、まず自分を見て、人を知りたい。本当に何が起こっているのかをわかりたい。そういう意味で、ここに文章を書いてみようと思った。

WordPressを使うならロリポップ!
簡単インストール完備で楽々スタート!

カテゴリー
essay

モノのバーチャルな時代

人がモノを所有するのは、そのモノを自分だけが自由に使いたいということのほかに、所有することが安心であったり、自尊心を満足させるモノだったりする。

だから、モノそのものに質感や価値のないモノは、さまざまなことが、こうしてバーチャルな時代には、消えてゆく運命なのかもしれない。

たまに懐古趣味というような、ぼくが思うには、あまり意味があると思われないモノが一度消えかけて、再び脚光を浴びるみたいなことがある。

カセットテープやレコードなどがそうだ。

◆スポンサードリンク



レコードはわからないでもない。CDに比べて大きなジャケット・デザインが飾ってもいいと思えるものがあるからだ。

それに、高級なオーディオを既に所有している人がいて、レコードで音楽を鳴らしたいと思う人がいるからだ。

そういう人は、レコードに記録された音を余すところなく再現することで、特定の周波数でカットされるCDでは得られない臨場感が得られるのだと主張する。ぼくは、何も無理やりチープなラジカセと比べる必要はないだろうとは思うのだが、その人がこれまでかけた情熱とお金を否定することになりかねないので、うかつにそんなことはないんじゃないなんて言えない気がしてる。もちろんレコードの良さを否定するつもりはまったくない。

カセットテープやVHS、フロッピーディスク、MDなどについては、よくわからない。

ぼくも、そう言いながらも、捨てられずにいる古いメディアが押し入れのケースの中に入っていたりする。

もういいんじゃないかな、美的な価値のあるモノ、存在することに意味があるモノ以外は、バーチャルなモノに置き換えちゃえば。

ひょっとしたら、世の中には、食べ物と、自然と文化、芸術しか残らなくなるんじゃないかな。まず、働くためのオフィスとかいらなくなるでしょうし。

そう思いながら、どんどん身の回りのモノを捨てつつあります。連休は掃除しましょうかね。
◆スポンサードリンク



ソウジセンタク、本を読む(ブログ記事)
ただそのままを活かして、生きること
出張のできるパソコン・音楽教室レッスンの「パソコン教室のエフセブン」のリンクはこちらです。
【PR】高価買取情報(CD)

カテゴリー
essay music pc

鳥取発・新緑の季節

今日は2018年4月23日月曜日です。

先週末は、遠方に出かけたり、いろいろと動いていました。その疲れがどっと出たのか、昨日持病の腰痛が再発し、今朝月曜日の朝イチで医者に寄り、ひと仕事終えたところです。なんとか、2、3日で完全復帰できそうです。

見渡すと風景はすっかり新緑の季節。この時季の山の緑が美しい。

◆スポンサードリンク


ツツジも咲いているし、連休が来るなぁ。

しばらく、遠方にクルマで走るのは控えたいけどなぁ(笑)

腰痛が悪化しなかったのは、日頃のウォーキングの効果は出てるかな。ただ、その分どうしても体が固くなるので、今後はストレッチもじゅうぶんにやるようにしないとなーって思ってるところです。

腰痛の出ているうちに、いろいろこれをチャンスとして、自分を見つめ直したいと思う。これが連休の最中でなくて本当に良かった。ちょっとしばらくゆっくり、休めるなぁ。

そうしなさいというサインなんだろうなぁ。体が教えてくれる。

【PR】【じゃらん】愛犬と一緒に泊まれる宿(ネット予約OK!)特集

住んでいるから、逆によくわからないとこもあるんだけど、鳥取は、旅行で訪れるにはいいところです。砂丘以外は、どこもあまり観光地化されてなくて、地元の人が大丈夫か?って思うほど。連休にいらっしゃいませ。わたしゃ、ひと休み〜♪

カテゴリー
essay music pc

選ぶ、ということ

今日は、時間が空いたので、ふだん物置きになっている部屋の片付けを始めた。

【PR】【グーペ】デザインを4000パターン以上から選べるHP作成サービス

居間や仕事部屋は掃除をするくせに、いるんだか、いらないんだかよくわからないモノをとりあえず突っ込んで隠しておく、そんな場所が誰の家にもあるだろうか。

いわゆるモノオキ部屋だ。

いるんだか、いらないんだか、よくわからないモノって、その時の判断に過ぎなくて、今となってはほとんどいらないモノなんだろうと思う。

実際、片付けをしているというより、ゴミの分別をしているという状況に近い。

紙類は相変わらず多い。会議資料だとか、パンフレットだとか、そういうものは、今は割と読んだらすぐ捨てちゃうんだけど、以前の私は、すぐには捨てられなかった。

紙類は、意外とかさばるし、あとで分別しようとすると名簿のようなものも出てきて、仕分けなければならず、めんどくさい。

電化製品の付属品のようなものも出てくる。パッケージや説明書、アダプターなどだ。使わなくなった時点で処分すればいいんだけど、置いたまま忘れてしまってる。

◆スポンサードリンク


そんなことをやりながら、何をどう選ぶのか、ということが、これまでの自分を作ってきたんだという思いにつながった。

今ラジオ代わりに、Spotifyで音楽を流しているタブレットも自分で買ったものだ。タイピングをしているパソコンもそうだ。身の回りにあるモノ、ほとんどが自分で選んだものだ。

モノだけじゃない。何をどうするか、自分で選んできたと思う。そのときに、自分が見えていたんだろうか。周りが見えていたんだろうか。何が正しいとかじゃなくて、見ることが大切だったんだって、今はわかる気がする。

「あとで見る。」「とりあえず置いておく。」モノが、これだけ捨てられなかったんだもの。これまでも片付けはしてたはずなんだけど、ただ「移動」させてただけなんだね。で、それを集めたモノオキ部屋が誕生したんだ。

今はモノオキ部屋だけど、片付いたら、ここに録音機材を置こうと思う。今はクルマの中で録音してるから。モノオキ部屋、そのものがいらないと思うから。

さて、午後は新しい靴を買いに行こう。もうすぐ、靴がぱくぱくと口を開いてしゃべり始めそうだから。

【PR】ネットショップ開業は、30日間お試し無料の カラーミーショップ で!

パソコン教室のエフセブンはこちらです。

カテゴリー
essay

忘れるという善でも悪でもないこと

顔や首のツブツブ・ポツポツをケアして【なめらかつるつる肌】に! 南仏産杏仁オイル

年配の方から「最近物忘れがひどくって。」ということばを聞くことが多い。

そんなときぼくは、

「前からですよ。」

そんなことは言わない。そんなミもフタもない。

「忘れるから、新しいことが覚えられるんですよ。どんどん忘れましょう。」

これは、たまに言うかな。

忘れる、ということは善悪で言うと、悪であるという意識が人にはある。ぼくの中にもまったくないわけではない。

ちゃんと覚えていないと、学校で点が取れなかった。そういうことは、しっかり覚えているんですね。

さっき書いた「忘れるから覚えられる」ということは、本当だと思う。忘れるということは、頭の中で、情報をいったんどこかに置いておくということ。必要なときに、どこに置いたかがわかれば情報はすぐに取り出せる。その状態に過ぎない。

だから、忘れるということは、頭の中を整理するためには、必要なことだと思う。

なんでもよく知っている頭のいい人というのは、こうした情報の整理ができていて、スピーディにできる人なんだと思う。

◆スポンサードリンク


情報の整理をするときに、関連付けをして覚えることがある。

昨日あるクラスに新しく入った男性の名前を「体操のお兄さん」で覚えた。名前が体操のお兄さんと同じだったからだ。でも、今ふと、その名前、ファーストネームでは呼ばないだろうなと気がついた。たいがい姓にさんをつけて呼ぶだろう。

肝心な、その姓の方は忘れてしまった。まあ、いいや。また別の方法で覚えよう。

人の名前って、こんな風に関連付けで覚えていることが多い。

あの有名人と1字だけ違う人みたいな。

人の名前を思い出せないときに罪悪感を感じるのは、その関連付けを忘れているときだ。

「どっかで会ったはず。」とか、「なんか知ってる。」とか。

とくに「たしか小学校のときの保健の先生だったはず。」とか、お世話になったというイメージがあると、名前を思い出せないのはもどかしく思う。

まあ、いいと思います。

忘れることは、あります。

また、新しく覚えましょう。
音で起きるのとは異次元の快適な目覚めを促す光目覚まし時計inti(インティ)