カテゴリー
essay pc

わたしバージョン2018

パソコンには、更新があります。

なんでそんなに頻繁に更新して、バージョンアップするんだろうと思います。機械だからでしょうか。インターネットにつなぐからでしょうか。バグ(小さなミス)があるからでしょうか。

パソコンには「バックグラウンドプロセス」といって、何もしていなくても電源が入っていれば、バックグラウンドで動いているプロセス(プログラムの動作)があります。

ニンゲンの体が新陳代謝を繰り返しているように、目に見える更新だけではなくて、目に見えない更新をしているのです。

ニンゲンも更新をして、常にバージョンアップしているわけです。そして、パソコンもニンゲンも、実はバックグラウンドプロセス(新陳代謝)の方がとても大切だったりします。

ただ電源を入れておけばいいんです。

パソコンは使わないときでも、時々電源を入れると調子いいのはそういうことなんです。

◆スポンサードリンク



ニンゲンには電源はありませんね。心も新陳代謝しています。無理やり詰め込む必要はないのです。バランスが大切です。ニンゲンは年齢とともにただ衰えると考えがちですが、それぞれの年齢のバランスで生きているのです。

バランスを整えて、生きるのです。

なんとなく、4月1日なので、新しいバージョンのわたしです。

オホーツクの海の幸を全国の食卓へ

カテゴリー
essay

呼吸が大事

心臓の役割は、体じゅうに必要な血液を隅々まで届け、生命体を維持するための「循環ポンプ」です。

脳の役割は、集中制御盤、いわゆる「司令塔」です。これも同じく生命維持に関わる機能です。

人は、呼吸することによって生きています。このことを否定する人はいないでしょう。

でも、人は、呼吸は二の次だろうと考えています。

こういう順番です。心臓が止まる。脳の機能が停止する。結果、呼吸が止まる。これが人の死だと受け止められています。

おおよそこれが、重要な順番だと決めつけているのです。

私は、考え方の根本が違います。

◆スポンサードリンク



私は「人は、無意識下の深層で、存在するすべての生命とつながっている。」と考えます。もちろん、このことを今の科学で証明する方法はないでしょう。

私は、そこに「氣」があると考えます。すべての生命が「氣」でつながり、宇宙の中で「氣」が循環しているのだと考えています。

ユングは「集合的無意識」と言っていたそうです。私の考えがユングと同じかどうかはわかりません。ただ、一般的に人々の考えでは、人は一人ひとりでまったく独立した生命体だと考えていると思います。遺伝子や設計書となるDNAによって、生命のカタチが作られるのだと考えています。でも、本当にそうでしょうか。

私は「氣」を通じて、私自身が宇宙を感じているように思います。そして、呼吸を通じて「氣」が循環しているように感じています。

腰痛でお悩みの方へ。姿勢の良くなるチェアー アーユルチェアー

カテゴリー
essay

12次元の宇宙

2018年3月25日(日)、春になって、あちこちでいろんなイベントが行われた日、ハワイアロハホールであった、珍しいクリスタルボウル2セットとハングドラム+シンセサイザーによる演奏会を聞いてきました。

ハワイアロハホールのある湯梨浜町のホームページ

クリスタルボウルというのは、ガラス製の大きな鉢のような楽器です。すりこ木みたいなバチで叩くと、お寺の鐘のような音がします。そして、そのフチをそのバチで撫でるようにすると、透明感のある、ふわ~っとした心地いい高い音が響きます。

ハングドラムというのは、見た目はUFOみたいな円盤形をしていて、手で叩いて音を出す楽器です。

シンセサイザーの他に、音叉によるヒーリング、オカモトさんの講演もありました。

◆スポンサードリンク



講演の終盤で、クリスタルボウルと谷口尚美さんの声のコラボが聞けたのはラッキーでした。どちらもが即興でしたが、響きが美しく、見事なハーモニーが生まれていました。

世界は理論上は12次元まであるそうです。そして、今4次元と言われている世界が複数存在し、5次元が証明されつつあるらしい。「ユニバース(単一の宇宙)」から「マルチバース(複数の宇宙)」へ。アニメや小説と次元の関わりなど、興味深い話でした。

宇宙が複数存在するというのは、なんとなく、意識では感じています。現代の科学で解明されているのは、すべての出来事のごく一部だということはわかります。要は、そのままを見ることが大切だと理解しています。

人は記憶に頼って生きています。記憶があいまいになると、とたんに理解力が低下することが知られています。感性を磨くことで、記憶だけに頼らないで、右脳を活かして判断をすることが可能になるのではないかと、おぼろげに感じています。

A8.net

カテゴリー
essay

呼吸について

 高僧が修行をすると、見えてくるものは超人的な悟りの世界だと言います。

 より位(くらい)が高くなり、一切の欲が消え、仏の言葉を授かるのだそうです。食を切り詰め、滝行などの苦行を経て、死の淵をさまようこともあるそうです。

◆スポンサードリンク


 私はそうした仏門の身ではありませんし、そういう修行とは無縁に思えます。

 そんな私も、それでも自分自身を内面から見つめたいと思うことはあります。

 自分自身というものは、人からどう見えるかという外面だけではありません。

 内面は、見たり聞いたり触れたりできる、知覚できる世界ではないので、自分自身の感性と思考を通じて、魂そのものを見つめることになるのだと思います。

 さてさて、その魂というものも、見ようと思えば思うほど、もともと見えるものでもないので見えなくなります。こうした五感で感じることができないものをどうやって、自分自身の感性と思考とが捉えられるのでしょうか。やはり苦しい修行をする必要があるのでしょうか。それとも哲学のように自分に問いかけるのでしょうか。

 ふと、生命の根源は呼吸なのではないかと考えました。空気を吸い、酸素を取り入れて、残りの空気を吐き出すあの呼吸です。

 ある時雨宿りで、緑の木立の中でただ佇んでいました。そのときにまったくその木立の呼吸と同期しているような感じがしたのです。動物の呼吸と植物の呼吸はまったく異なるものですが、どちらも生命の根源なのだと教えられたように感じました。そこにあるのは「氣(き)」です。

 「氣」がすべての細胞に行き渡り、歯車が動力を伝えるように、動き始めます。心臓が休むことなく鼓動し、肺が収縮と拡張を繰り返します。

 たとえば、ただ「歩く」という動作も、そうした一つ一つの歯車が伝わって初めて実現します。すべてがバランスする必要があるのです。

 こうして自分自身を見ようとしたときに、「氣」が作り出すエネルギーが循環することによって、人は行動し、思考が生まれ、そこに意識、無意識が形作られるというイメージが浮かびました。

 その意識、無意識については、また書いてみたいと思います。

アイキャッチ画像はphoto-AC

41歳からの哲学

新品価格
¥1,296から
(2017/10/3 23:42時点)