カテゴリー
essay

ここにある、既にできている

 以下の文章は、ひとりごと、つぶやきです。

 人生において、何が100%なのかというと、ここにある「すべて」が100%なのであって、そこを知ること、見つめることが、まず自分の「軸」になる。

 ところが「出来ていない」「足りない」自分を見ようとする。それでは、ここにある100%を見ていないことになる。

◆スポンサードリンク


 自分のダメな部分を知ること、見つめることを、避けようとする。見たくない。そして、関係ない他人に対しては、簡単に「ダメ」って言う。

 自分でも、人でも、ダメなものはダメでいい。それは、出来ていない、足りないのではなく、ただダメなだけ。

 ダメでいい・・・っていうか、ダメを見ないで、ごまかすんじゃなくて、ダメなところはダメとして見ることが大事なんだろうな。

 うん、そうだな・・・。

 ダメを見ないで、ごまかすことを「努力する」「ガンバル」って言ってた場面があったような気がする。

 今も、それがないだろうかと時々、思い出したように自問する。

 100%ここにすべてある。やろうとしなくていい。見つめればいい。既に100%できている。あとは、自然に出来るようになる。

 パソコン教室のエフセブンのページもよろしくお願いします。

自分を休ませる練習 しなやかに生きるためのマインドフルネス

新品価格
¥1,080から
(2017/12/16 19:54時点)

カテゴリー
essay

忙しいを肯定しない

 手際よく立ちふり舞い「できること」を増やそうとすると、どんどん忙しくなる。そして、「あれが出来ていない。」「まだまだ」と思い始める。

 そんな状況になりそうになったときに、まず自分の意識に向かい、今既に自分がいろいろなことが出来ていることを認める。ゆっくりと呼吸を整えて、時間があれば、ストレッチをし、瞑想する。そうすると、放っておいていいことがどんどん意識から離れていく。

 実際、一人の人間が同時にできることは、いつもひとつかふたつぐらいしかないのだ。

◆スポンサードリンク


 能力以上のことをやる必要はまったくないし、今感じることに集中することで、結果的に能力が高まるのであって、能力を高めようとしてできることは、そんなに多くはない。

 「忙しい」と言うことばは、その字の通り「心」が「亡」くなるのであって、心を亡くさなければいいだけの話だ。手際が多少まずくても、出来ていないことがあっても、それは、自分がそう思うだけであって、人は気にしない。

 まあ、そうは言っても時間は過ぎていくんだけどね。それでも、たった1分自分を見つめ直すだけでも何かが変わると思う。

パソコン教室のエフセブンのホームページはこちらです。

幸せになるための心身めざめ内観

新品価格
¥1,728から
(2017/12/9 11:28時点)

カテゴリー
essay

私という現象を生きる

 いつ頃というと、2年くらい前は確実にそうだった。ぼくは、それまでずっと長い間、自分には何が出来るのだろうかとか、もっといろいろなことがちゃんと出来るようにとか。というようなことを、常にぐるぐると考えていたように思う。

 人と比べると、割とすぐになんでも出来た方だと思う。それなりに評価もされた。器用貧乏だったかも知れないが、それはそれで、自信にもなった。

 しかし、そうそういつもうまくはいかない。失敗もするし、批判もされ、叩かれる。出来るはずなのにと思うし、どうしたらわかってもらえるのだろうと更にぐるぐると考えを重ね、がんばってきた。

 きっかけについては、長くなるのでここでは書かないが、こうしたそれまでの考えを捨てた。ある日から、ここにある、そのままの自分を見つめてみようと思うようになったのだ。

◆スポンサードリンク


 最初は「自分を見つめる。」ということがどういうことかもわからない。「どうすればいいか。」方法を考えているうちはうまくいかなかった。ただ「自分を見つめる。」とだけ念ずるだけの毎日だったと思う。

 今思うことは、ここにあるのはすべて現象に過ぎないということ。

 このぼく自身も現象なのだし、反応なのだと。

 ぼくが何かしようと思うのではなく、今どんな現象や反応が起きているのか、その現象をどう捉えるのか、その意味を考えるようになった。

 ぼくが自分で感じられるこのカラダは、単にぼくのものではなく、ぼくと世界をつなぐ媒体だ。成熟したり、病気になったり、老いたりすることは、単に状態の変化に過ぎない。57歳の肉体は57年間生存しないと得られない。このカラダが持っている価値や意味は、今ここに、既にある。

 思い起こせば、これまでも、何かしようとしてがんばって出来たのではなかったのだ。このカラダにその時々に価値や意味があったから、結果として、出来ることがあったのだ。

 ぼくは、ぼくというカラダを持って、この現象を、価値を意味を見つめて生きようと思う。

Kindle Oasis (Newモデル) 32GB、Wi-Fi、電子書籍リーダー

新品価格
¥38,980から
(2017/11/7 15:25時点)

カテゴリー
essay

目覚めよと呼ぶ声が聞こえ

 つい最近、人類はかつてスーパーマンだったという記事を書いた。上空からしか形がわからないような巨大な構造物を作ったり、巨石を積み上げて、ひとつふたつならいざしらず、まるで日常の仕事のように年間400個もの古墳を作ったりした人類。

◆スポンサードリンク


 どう考えても、この地球には、ある時期、それも1万年くらいのスケールの時間の長さで、スーパーマンが存在していたのだ。これだけさまざまな証拠が見つかっているにもかかわらず、科学者が認めようとしないのは、当時の人類は現代の人々より劣っていたと考えているからだ。

NEVERまとめ-人類の歴史よりも古い『1万年前』に作られた遺跡まとめ

 現代人は進化しているのではない。自らが作り上げた文明によって、どんどん退化している。そしておそらく、数万年前にも経験した人類の滅亡を近い将来、経験することになるだろう。

 なぜ、人類は退化していると考えるのか。どこがどう退化しているのか。その退化は何がきっかけで始まったのか。

 まず、上空からしか形がわからないような巨大な構造物がどうして作られたのか。ナスカの地上絵もそうだし、日本の古墳の多くもそうだ。

 「当時の人類は、空を飛ぶことができたのだ。」と言いたいところだが、空を飛んだ証拠がまるでない。ただはっきり言えることは、当時の人類は、その広大な空間を認識する能力が非常に高かったのだろうし、もしかしたら、ある種の鳥類と交信ができる能力者がいたのではないだろうか。そう考えると、無理はないだろう。

 古墳は、祭祀を行う集会所であり、生活の場のひとつだったと考える。石棺があるために現代の人々はあれを墓だと考えているが、あれは、石を運ぶの中でも書いたが、最終的に施設が役目を終えるときに、取り壊すのではなく、「復活」を願い、最も影響を与えた人物の遺体を安置して扉を閉ざしたのではないだろうか。

 現代人が忘れ去った、その結果退化してしまった空間認識能力、ことばによらない、動物とも交わすことができた交信能力、生死の概念を超えた生活様式など。それらの多くは、人類が言語、文字を操るようになると、急速に消えてしまったのではないだろうか。つまり、文字の発明、その後の文明こそが人類の退化を加速した原因なのではないだろうか。

 さらに言えば、人と人とのコミュニケーション能力も変質したのだと思う。現代の人々の特徴の多くは、コミュニケーションに「感情」が多く作用する。年齢、肩書、性別、見た目の印象などが意識下、無意識下にイメージを作り上げ、そのイメージに対する感情をもとにコミュニケーションが始まる。その結果、いとも簡単に現代人はイメージによって感情が左右され、だまされてしまう。

 人類が退化するにしたがい、争いごとが増えた。同じ頃、文字や言語が発達すると宗教が生まれる。そうした宗教家が共通して人類に伝えようとしているのは「目覚めよ!(Awake!)」ということではないだろうか。完全に失われているのではない、眠っている能力が人類にはあるのだと思う。

◆スポンサードリンク


カテゴリー
essay

がたぴし

 ひゃっはー! 連日暑いですね。

 いかがお過ごしでしょうか。

 暑中お見舞い申し上げます。

 この暑いときに、九州はえらいことです・・・。

 鳥取県も昨年は中部で大きな地震がありましたが、災害はいつどこに起きるのか、全世界的な、地球的なと言いますか、気候の変動もあって、年々規模も回数も増えてきたように思います。

 明日は我が身かも知れません。

 被災された皆様の一日も早い復興を祈ります。

◆スポンサードリンク

 話は変わります。

 数年前にあるお坊さんに教えてもらったことがあります。

「その窓、戸が『がたぴし』言うでしょう。木枠で古いけん。この『がたぴし』言うのは、実は仏教用語なんよ。自分と他人とが、勝手にあっちだこっちだって言い合うと、噛み合わんでしょう。そんなときに『がたぴし』いう音がするだがなぁ。『我他彼此』と書いて、ものごとは自分のことだけじゃなしに、自分以外のもんも見んさいよ、いうことなんよ。」

 どうしてこの言葉を思い出したかというと、ふと『神の声を聞く』とはどういうことなのかと、歩きながら考えたことに始まります。

 神が今の自分を見たときに何を言うのだろう。何を教えてくれるのだろう。神社で手を合わせるときに耳を澄ませることがあります。

 神の声が聞こえたのか?

 いいえ。ぼくにはなーんも聞こえません。もし聞こえたとしたら、そんな気がするということだろうと思います。それは自分の心の声に過ぎません。

 結局のところ、自他ともにみつめることが必要なんだろうと思います。

 その感覚が開いていれば、自分の心の声も、他の声も聞こえるのかな。そのうち神の声も聞こえるのかな。

 修行や鍛錬、技術の積み重ねは、自他を見つめることで初めて意味を持つものだろうと思います。

 暑いけん、まぁ、ほどほどに(心の声)。

◆スポンサードリンク

カテゴリー
essay

ただそのままを活かして、生きること

 人間って、日常なんでもかんでも、「良い」「悪い」で多くのものごとを判断している。そうするもんだって思ってる。ぼくもそうだった。

 そもそも良いか悪いかっていう、この「善悪」ってなんだろう。

 小さな子どもの頃から、叱られたり、諭されたりしてきた。たまにほめられたりもして。そうやって繰り返し、叩き込まれてきた精神論だったりする。

 これって、時代の違いもあるだろうし、集団や地域、大まかなところは法律として国が作っているものなんだなって、薄々わかってきた。

 つまり社会や習慣が違うと、善悪も違ってくる。

◆スポンサードリンク


 ふと考えた。自然に善悪はあるのだろうかと。

 食べるために殺す。オス同士でケンカする。ただ生きるためであって、そこに善悪はない。

 人間の場合は、殺したらイケナイ。ケンカもダメよ〜。ダメダメ。肉や魚は食べるけどね。

 そこへ優劣なんかも加わって、出来のいい方がいい。一方で出来が悪いからダメとか。ラベルを貼って、結局社会が人を殺してる。

 もともと善悪って、社会の中でより多くの人を活かすための生きる智慧だったんだと思う。そして、社会の中でも殺し合いをしないため、生かし合うために宗教や思想が生まれたんだと思う。

 本当は殺そうが、ケンカしようが、その行為そのものは、善でも悪でもない。

 それぞれが相手のことを尊重する目を持った、それぞれのセンスを活かして生きる。あとで、結果として良かったな悪かったなって思えばいい。結果が出る前にイイダワルイダって考えなくてもいいんじゃないの。

 そうだな。最初にイイダワルイダを決めちゃった方が、相手のことも自分のことも深く考えなくて済むんだな。

 「こうしなさい。」「ハイ!」

 お兄ちゃんなんだから。男だから。見た目が怖いから。こんなことをする人だから。そうやってキメツケル。

 人を見た目で判断してはイケマセンよ。(←これも常套句)

 ただそれぞれが、そのままで生きればいい。

 それでいいのだー。(←慣用句)

 写真は現在の鳥取砂丘、休憩舎付近。時折雨がぽつりぽつり。でも保育園らしい集団が歩いてどっか行ったよー。

シンプル&タコ(ブログ記事)
情報処理技術者であり、音楽家・オカリーナ奏者岸本みゆうの「出張のできる」パソコン&音楽教室、パソコン教室のエフセブン

カテゴリー
essay

眼は愚痴ほどにモノを言う

 中学校に入学するまでは視力は良かった。遠くまでよく見えていたし、前もってこっそり「右、右、左、下」と暗記しなくても、視力表の下まで見えた。

 12歳のある日突然症状に気付いたのは、夜空の月を見たとき。

「ああ、なんだか、今日は月が二つあるなあ。こんな日もあるんだなあ。」

◆スポンサードリンク


 視力はまだ良かった。最初に乱視が始まった。もしかしたら、天体の奇跡かなんかのように、くっきり月が二重に見えたのだった。

 星は、というと、みんな二つずつだ。急に2倍に増えた。なかなかお得である。

 その後、順調に視力も低下していった。学校の視力検査で「要眼鏡」と書かれた。ゲームがない時代。たぶんプラモデルに化けていたはずのお金がセルロイドのメガネに化けた。

 上の方が黒で、下が透明という、セルロイドのインテリメガネだった。昭和47年(1972年)当時は、あまり種類を選べなかったと思う。

 メガネを付けた最初のうちは、世界が歪んで見えて、頭がぐらんぐらんしていたが、視力を取り戻した嬉しさは何ものにも代えがたい。見えることがシアワセってこのことだわーっと誰にも共感されない一人だけの喜びに浸っていた。

 このメガネを高校1年くらいまで付けていたと思う。文化祭でギターを弾いていた写真のぼくがそのメガネだったから、確かだ。今では化石のようなチューリップハットを被っているその写真は永遠にお蔵入りだ。

 その後数年で、フレームが全部真っ黒のメガネ、銀色の薄いフレームのメガネ、ラピードという、少し色のついたメガネと記憶にあるだけでも、3つくらい替えているから、どんどん視力は落ちていたんだろう。

 高校を卒業してから数年はハードコンタクトレンズとメガネを併用した。昭和59年(1984年)にバイクに乗り始めると、意外とゴーグルやヘルメットの中で風が起こるのに恐れをなして、メガネ生活に戻ってしまった。

 その時期をはっきりとは覚えていないので、完全にメガネに戻ったのを仮に1987年だとすると30年が経過したことになる。

 今は、バリバリの三重奏だ。乱視、近視、老眼。ずらして見たり、パソコン専用のメガネがあったり、本を読むときはメガネを外して、10センチくらいの距離で読む。世の中に新聞の活字より小さい文字があることが非常事態である。最近、困っているのが、五線紙が読めないのだ。いや、困っていないふりはできる。楽譜を覚えればいい。それでだいたい乗り切ってきた。あとは神田川。いや、燗だ。違う、勘だ。返還が出てこなかった。

 町を歩いていても、すれ違う人の顔が実は見えない。凝視して、目を細めれば見える。でもそんなことをしたら、一発で不審者になる。

 メガネを外して夜景を見ると、この上なく、美しい。あらゆる光がにじんで見える。

 とりあえず、眼をいたわりましょうと言いながら、夜中にパソコンに向かって文章を書いている。

 とりあえず2、ここまで書いて、寝る。

◆スポンサードリンク


カテゴリー
essay

猿の神社

 布勢運動公園、ええと、コカ・コーラウエストスポーツパーク? ここの駐車場にクルマを停めて、散歩しました。 

 Googleマップのナビにウォーキングで、「布勢 古墳」と入れて検索して、その名も「布勢古墳」というのを近くに見つけ、15分程度の距離でしたので、そこまで歩きました。少し高台になった住宅街の中、丘の上でした。

◆スポンサードリンク


 古墳のある広場の隅の方に「日吉神社こっち」みたいな看板が出ていたので、「この近くに神社があるんだな。」と、やっぱり興味をそそられます。古墳から竹やぶの中を降りていくと、ほぼ同じ敷地内、同じ丘の湖山側が古墳で、反対側が神社みたいな感じでした。「ひえじんじゃ」と読むそうです。ここは、「布勢の山王さん」と昔から親しまれている神社だそうです。

 神社なのに、狛犬らしきものは見当たりません。その代わり、猿の像がいっぱあります。子どもの守り神、安産、忌避けなどのご利益があるそうだ。しっかりお賽銭を投げ入れて、手を合わせました。

手を洗うところにも、お猿さん
本殿の左には子どもを抱えた猿が
本殿の右には、金の弊を担いだ猿が
古墳なのか、ただの丘なのかは素人目には区別がつかない。おそらく内部に石室があるのだろうし、上空から見ればもう少し古墳とわかる形をしているのだろう。

◆スポンサードリンク


カテゴリー
essay music

こうげの白兎神社

 夕方、郡家(こうげ)に仕事に行きました。途中にかわいらしい看板が見えたので、近くの道路にクルマを停めて歩いて行ってみました。周辺に駐車場らしきものはありませんでした。地名は、八頭町福本とあります。

 田んぼの中にある小さな神社です。お社は、小さいので、遠くから見えるような大きな屋根はありません。鳥居も木立の影に埋もれているので、ふだんはそこに神社があるとは気づかないでしょう。看板がないと、そこに神社があることがわかりません。あぜ道の途中に休憩するための木陰がある、そんな風情です。夏には農作業の合間にここで休む人もいるのでしょう。

◆スポンサードリンク



「狛犬」ならぬ「狛兎」です。石のうさぎさんは新しくて、かわいらしい。

由緒正しき神社だと書いてあると思います。白兎神社の本家ではないかという説もあるようです。
お堂は閉まっていたので、お賽銭を入れることができませんでした。

 白兎神社というと、一般に知られているのは、大国主の命が白兎を助けた伝説のある海岸、白兎海岸の近くにある神社です。ただ、この物語に欠かせないのは、大国主の妻である八上姫という人物です。八上姫は、八頭の出身であり、白兎は、八上姫の飼いウサギだという説もあります。先日の御湯神社での「朗読と音楽 奏で」でも、宮司からさまざまな興味深い話を聞きました。

佐彌乃兵主(さみのひょうす)神社
稲田姫邂逅記(前編)〜八重垣神社〜
猿の神社
こうげの賀茂神社
酉年(とりどし)にぴったりの神社
御湯神社での縁。「朗読と音楽 奏で」
稲田姫邂逅期(後編)〜たたらの灯オープニングコンサート《番外編》〜
あらきまたえもん
箱に入っていた姫

◆スポンサードリンク


カテゴリー
essay iwami music

人が変わるとき

 ぼくを知っている人は「え?」と思うかもしれない。ぼくは小さい頃は、犬が大の苦手でした。遠く100メートル先で姿を見ただけで、家に駆け込んでいました。姿が見えなくても、「ワン」と吠えた声を聞いたら、それがテレビドラマだったとしても、ビクッとしていたと思います。

 今は、犬に限らず、動物はみんな好きです。東京にいた頃は、ヒマなときはバイクに乗って山を走るか、温泉に行くか、美術館巡りをするか、何もないときは、牧場や動物園によく行きました。

◆スポンサードリンク


 自分自身が犬が苦手だったことを忘れていました。しかし、なぜか唐突に、ふと、思い出しました。

 犬が苦手だった頃は、人も苦手だったように思います。その頃のぼくは吃音(どもり)があり、学校での国語の本読みが一番苦手でした。

 変えてくれたのは、中学校で始めた音楽だったのかなと思います。人前で演奏するときの、少し緊張する、あの感覚がイヤではなくなっていました。逆に少しずつ、心地いいと感じるようになっていました。吃音もあまり出なくなり、1年生の時に前期、後期とあって、後期の生徒会長に立候補したので、まわりは相当驚いたと思います。結果は、落選でしたが、生徒会に入って、全校集会の司会を進んでやりました。

 人が変わるということを、「心を入れ替える」「別人のよう」と表現することがあります。あながち大げさではないのかも知れません。心が本当に入れ替わる、というようなことは現実に有るかもしれないと思うからです。

 今、また何か変わった自分を見ているような気がしています。

◆スポンサードリンク