そう思ったと同時に走っていた。空と海とぼくへ。くれなずむ時、とてつもない大きな宇宙に包まれて。
タグ: 思うこと
この記事を読んだ。https://mainichi.jp/articles/20210316/k00/00m/040/295000c
素晴らしいなと思った。本当にこの通りだ。
いつもは、このカバンさえ持っていけばというひと揃いを持って出るんだけど、そうなると、ギターのレッスンにはギターを、パソコンサポートには、パソコンをプラス持って出ることになる。ひと揃いプラスA、さらにBという状況で、荷物がいつもいっぱい。
今日からひと揃いかばんをやめて、ギターレッスンのときには、ギターケースだけ、パソコンサポートのときには、パソコンバッグだけを持って出ればいいようにしよう。
物質世界の周波数を量れるようにしたもの。一人ひとりの時間は、それぞれの周波数で決まる。
久しぶりに気になるバイクが登場した。クラシカルなデザインと、最新のハイテク、つま先を痛めないシーソー式クラッチ、センタースタンド、などなど一度見てみたい。
どっちがどっちという話ではないけど。
人から見て技術的に優れているように見える人って、テクニックを突き詰めようとする人と、テクニックの向こう側を常に見ている人に分かれる気がする。
時間は、距離でも、壁でもなく。
今日、ある友人と20数年ぶりに会った。「久しぶりだね。」とは言ったけど、数秒後には昨日会ったのと変わりなく、ただ心地良い。お互いが歳をとったことも自然だった。たまについ口癖で敬語が出てしまうけれど、それもおかしいくらいで、まったくいやではない。
彼女とは、パソコン通信をやっている全国の35歳がネット上で出会い、会話をするという実験的な番組で知り合った。
熱くなったり、ダラダラと長くなったりする画面上の会話に彼女は、すっと、さらっと入ってきて、いつの間にか、うまくまとめてるみたいなところがあった。いつも自然体で、柔らかさがあった。
20数年前に、ぼくが鳥取で忘年会をしようと呼びかけて、全国から10数人が集まってくれた。その中に当時海外で暮らしていた彼女もいた。まったく印象どおりだったことを覚えている。
「(宴会場の外に見える)この道路は、ぼくがこどもの頃にはなくてね。ずっと砂浜だったんだ。」
彼女は、富山の海に似ていると言った。実家だったのか、おばあちゃんの家がそうだったのかは覚えていない。
今日は彼女のダンナさんも一緒だったが、なんだか二人が二人でいることがしっくりくる、そんな感じがした。
今日わかったのは、時間が距離に感じられたり、壁になったりするのは、みんな幻想なんだということ。
伝わる相手とは、いつどこにいても同じ空間にいるのだということ。
そして、その幻想を現実のものだと勘違いしているのは、執着という強い思いなのだということ。
同じ空間にいるのだとしたら、執着はいらない。お互いが事実だけを見て、認め合うだけだ。そして、心から尊重しあえる。
また会えると思う。それがいつになってもかまわない。会えたらうれしいと思う。
レモンを取り出しました。
何ヶ月か前にキゥイ酒を作って、そろそろ時期が来たので、ぶつ切りにして入れていたレモンを取り出した。あと1ヶ月くらいで出来上がりの予定だ。キゥイ酒を作るのは2回目だが、今回も、うまいぞ、きっと。
その時の写真を撮って見ると、お皿の上にのってるのは、レモンじゃなくて、バナナを切ったのみたいに見える。取り出したレモンは、絞って、グラスに入れた。そして、お酒を注いで飲み干した。たった一杯のレモン酒。これも、うまい。
そういいつつも、昨年2018年の暮れから、家ではあまりお酒を飲んでいない。いや、まったく飲んでないことはない。時期的に暮れ正月だし、忘年会とかもあったし。でも、これまでが飲みすぎて、飲んだくれていたとすれば、微々たるもんだった。
まあ、酒を飲むんなら、家だろうが、外だろうが、うまい酒を飲みたい。うまけりゃ家でも飲みたいときに味わって飲む。習慣で、なんとなく飲むというのは、ちがうかな、と思ったから、飲んでいないだけ。
2019年は、何を感じるのか、を大事にしたい。いい年にしたい。
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できる意識<できない意識
意識が現実を作る。
そう思える人も、そう思えない人も、それが真実です。
その中でも、できる意識より、できない意識の方が強力です。
「できる。」と、なかなか思えなくても、「できない。」というのは簡単に思えてしまう。
その結果、できるはずのこともできない。
で、意識が働くわけです。下記は、これまでの、ぼくの場合ですよ。
「やれなくはない。」
「できるはず。」
「なんで、できないんだろう。」
「こうしたら、ああしたら、どーたらこーたら。」
で、その意識が、ますます確実にできない現実を作ってきたわけです。
できない意識の方が強力なんですから、意識すればするほど、できないわけです。
呼吸できない人がいますか。
空を飛べる人がいますか。
もともと、放っていても、できることはできるし、できないことはできない。
それなら、意識を捨てるのが一番効果的です。
そのまま、呼吸できる自分、空を飛べない自分を認めます。
できることはできて、できないことはできない自分を認めます。
できた。できなかった。は、結果です。
結果にとらわれず、自分を認めるのです。
というようなことを、今、ぼくは自分に問いかけているところです。
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