そう思ったと同時に走っていた。空と海とぼくへ。くれなずむ時、とてつもない大きな宇宙に包まれて。
タグ: 人生
この記事を読んだ。https://mainichi.jp/articles/20210316/k00/00m/040/295000c
素晴らしいなと思った。本当にこの通りだ。
いつもは、このカバンさえ持っていけばというひと揃いを持って出るんだけど、そうなると、ギターのレッスンにはギターを、パソコンサポートには、パソコンをプラス持って出ることになる。ひと揃いプラスA、さらにBという状況で、荷物がいつもいっぱい。
今日からひと揃いかばんをやめて、ギターレッスンのときには、ギターケースだけ、パソコンサポートのときには、パソコンバッグだけを持って出ればいいようにしよう。
物質世界の周波数を量れるようにしたもの。一人ひとりの時間は、それぞれの周波数で決まる。
どっちがどっちという話ではないけど。
人から見て技術的に優れているように見える人って、テクニックを突き詰めようとする人と、テクニックの向こう側を常に見ている人に分かれる気がする。
レモンを取り出しました。
何ヶ月か前にキゥイ酒を作って、そろそろ時期が来たので、ぶつ切りにして入れていたレモンを取り出した。あと1ヶ月くらいで出来上がりの予定だ。キゥイ酒を作るのは2回目だが、今回も、うまいぞ、きっと。
その時の写真を撮って見ると、お皿の上にのってるのは、レモンじゃなくて、バナナを切ったのみたいに見える。取り出したレモンは、絞って、グラスに入れた。そして、お酒を注いで飲み干した。たった一杯のレモン酒。これも、うまい。
そういいつつも、昨年2018年の暮れから、家ではあまりお酒を飲んでいない。いや、まったく飲んでないことはない。時期的に暮れ正月だし、忘年会とかもあったし。でも、これまでが飲みすぎて、飲んだくれていたとすれば、微々たるもんだった。
まあ、酒を飲むんなら、家だろうが、外だろうが、うまい酒を飲みたい。うまけりゃ家でも飲みたいときに味わって飲む。習慣で、なんとなく飲むというのは、ちがうかな、と思ったから、飲んでいないだけ。
2019年は、何を感じるのか、を大事にしたい。いい年にしたい。
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できる意識<できない意識
意識が現実を作る。
そう思える人も、そう思えない人も、それが真実です。
その中でも、できる意識より、できない意識の方が強力です。
「できる。」と、なかなか思えなくても、「できない。」というのは簡単に思えてしまう。
その結果、できるはずのこともできない。
で、意識が働くわけです。下記は、これまでの、ぼくの場合ですよ。
「やれなくはない。」
「できるはず。」
「なんで、できないんだろう。」
「こうしたら、ああしたら、どーたらこーたら。」
で、その意識が、ますます確実にできない現実を作ってきたわけです。
できない意識の方が強力なんですから、意識すればするほど、できないわけです。
呼吸できない人がいますか。
空を飛べる人がいますか。
もともと、放っていても、できることはできるし、できないことはできない。
それなら、意識を捨てるのが一番効果的です。
そのまま、呼吸できる自分、空を飛べない自分を認めます。
できることはできて、できないことはできない自分を認めます。
できた。できなかった。は、結果です。
結果にとらわれず、自分を認めるのです。
というようなことを、今、ぼくは自分に問いかけているところです。
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時を刻み、時を旅する人
分刻み、いや秒刻みでスケジュールをこなしている人っていると思う。
すごいなぁ。
忙しいんだろうな、と思う。
ぼくなんかも、人からそう思われていたりするのかな。
いろいろ、やってるし。音楽も、パソコンも。
いつ休んでいるんだろうとか、思われてそうだ。
でも、ぼくは眠れる日は8時間寝てます。
クルマの中で、エアコンかけて、昼寝もします。たまに。
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本当に秒単位、分単位で動いている人にとって、1日はあっという間だろうし、極端だけど、人生そのものも一瞬のように思えるかも知れない。
それでも人は時間を切り分けて、いろんなことをやろうとするんだな。いろんなことができた方が充実していると感じるんだろうな。いや、そう思い込んでいるんだろうな。
できているかどうか、自分ではわからなかったりするから、評価や実績、できた記憶や知識にたよるんだろうな。
本当に満たされるのは、何かを感じている自分に気づくとき。
美しいとか、嬉しいとか、悲しとか、悔しいとか。腹立つっ、とか。
それを、自分の中からそのまま感じきるとき。
それって、時間ではないし、評価や実績、記憶や知識でもない。年齢も環境も関係ない。
ただ感じるのではなく、それを自分のものとして認識して、感じきること。
今まで、時間を切り分けて、ずっと歳を重ねて、記憶や知識に頼って生きてきた人にとって、かえって自分を感じ「きる」ってむずかしいことなんだろうなぁ、と、ぼく自身に重ねて、感じているところです。
ビビビ、って来るって言うじゃないですか。
第六感とか、シビレルとか。予感だったり、ひらめきのようなものだったり。
あれって「周波数」ですよね。
アナログの時代の、まぁ、デジタルでもいいんですけども、ラジオのチューナーがピタッと合う、その瞬間の感じ。
人間が色を感じるのも周波数です。光の周波数、波長。
音楽の音色や、音の高さを感じるのも、周波数です。音の周波数、ヘルツ。
生命や、天体にも、ゆったりとした周期があります。地球の自転とか、月の満ち欠けとか、これも周波数。
逆に光よりも速い周波数は、電波、レーダーなど。
◆
人は、時間という、一定のリズムの中で生きているって錯覚しているんだけど、それは、単に一つの周波数を基準にしているだけのこと。実際はさまざまな「ゆらぎ」の中で、意識を向けた方向でビビビを感じているわけ。
ビビビッってこうやって、ちゃんと周波数で理解できるはずなんだけど、ふだん目にしている理屈って、周波数を無視してるから。
たとえば「理論的に、まったく、ぴったりで正しいモノ。」にビビビッてくると思う?
美女と野獣が出会うのも、ビビビッなんだよね。理想的な出会いがいつも正解なんてことは、ないよね。
感性がビビビッときた出会いは、意味があるんだと思う。
そこを見逃さないことは一度きりの人生で大きな出来事だろうと思う。
親友との出会い、人生の岐路との出会い、いいことばかりじゃない、葛藤との出会い、傷つけられた思い出なども、思いとしてはいろいろあるんだけど、感じること、意味を知ることは大事なんだろうと思う。
ぼくは理屈ばかり追いかけていたから、ビビビは抑えようとしてきただろうと思う。これからのビビビは見逃したくは、ないな。
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今、この瞬間にも宇宙は存在しています。
ただ、今のぼくには、目の前に見える風景しか見えません。
目の前に星や月が見えていても、ぼくの手には届きません。
それでも人は、それが存在するって信じられれば、届かない、見えないモノを崇拝します。
その最も崇高な存在が、神であり、宇宙なのだと思う。
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ぼくの意識の中では、目の前に見える風景が現実であり、この現実は、神や宇宙から最も遠い存在でした。
現実は、ホコリにまみれていたり、不完全で、足りないモノだとぼくは思っていました。
だから、ホコリにまみれていて、不完全で、足りない世界をぼく自身が作ってきたように思います。
それは、ずっとずっと、いつまでも果てしなく続くように思っていました。
ぼく自身が、そうやって「いつかは何か成し遂げられる。」と漠然と思うために、自分の意識の中で必要な世界を作ってきたように思います。
これまでぼく自身が意識の中で作ってきた世界は、そもそも、神のいる、宇宙の存在する世界とは、違う次元なんじゃないかと、思うようになりました。
神のいる、宇宙の存在する世界は「常にすべてがそこにある」世界なんじゃないだろうか。
「常にすべてがそこにある」のなら、何があるのか、何が見えるのか、何ができるのか、自動的に決まるでしょう。
ムリに何かをするとか、成し遂げるなどと大げさなことではないでしょう。
年を取ることでも、名声を得ることでもないでしょう。
ホコリにまみれていても、不完全でも、足りなくても、届くもの、見えるものは、いつでもここにあります。
ただただ、何を感じるのか、をこれからは、大事にしようと思う。