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呼吸と「氣」を考える

昨年、2017年の秋ごろから「呼吸」ということをよく考えるようになった。

私が受け持つ県内15グループくらいあるオカリーナのグループを見ていて、それぞれに特徴があって響きが違う。個々の響きとともにグループ特有の響きもある。これはなんだろうかと考えたのがきっかけだった。

そうして見ていると、響きがあまり感じられないグループでは、一人ひとりの「呼吸が浅い」ということに気がついた。

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「呼吸が浅い」グループは、ぼくが話をしていると、穏やかな表情でじいっと聞いている。そういう意味ではおしゃべりが少ない上に熱心なのだが、最初のひと声、一音がなかなか出ない。だんだん調子は良くなるが、時間とともにまた呼吸が浅くなる。

そして、この呼吸というのは、グループ内で無意識に同調する。そのグループの「平均的な呼吸」に一人ひとりが近づいてくる。その結果、そのグループ特有の「雰囲気」が出来上がる。

呼吸というのは、心臓や脳とともに生命活動の中心にある。呼吸は、自発呼吸とともに、ある程度は自分でコントロールもできる。心臓の速さを変えることはできないが、呼吸の深さや回数は変えられる。

人は睡眠時、全身をゆるめてからだを横にした状態では、血液中の酸素濃度に応じて横隔膜が伸縮することで自発呼吸をしている。無意識に浅い腹式呼吸をしている状態になる。寝ている人を横から見ると誰もがおなかがふくらんだり、しぼんだりする様子を見ることができる。

呼吸は姿勢によっても変わる。目が覚めて、起き上がると、からだが運動を始めるとともに、胸膜をふくらませたりしぼめたりして、肋骨を動かして呼吸する。運動量に応じてじゅうぶんな呼吸を必要とするためで、この状態を胸式呼吸と呼んでいるが、極端に肩が上がり下がりするほどではない。

呼吸が浅い人は、このとき、あまり横隔膜が動かない。

オカリーナは椅子に座って演奏することも多いが、姿勢と呼吸についてはまた別の機会に書こうと思う。

私はこの半年、ふだんは鼻で呼吸をすること、ゆっくり深い呼吸を意識すること、息を吸う時はおへそのしたあたりを意識して、全身に「氣」が行き渡ることをイメージすること、などを考えるようになった。

オカリーナのグループの中でも、こんな指導をしている。

「家でお風呂に入るとき、体をお湯につかって、両手で胸とおへその下あたりに手のひらを当てて、鼻から湯気を吸うように5つくらい数えてゆっくり息を吸って、10から20くらい数えながらゆっくり息を吐く。息を吐くときは鼻でも口でもどちらでもかまわない。これを5〜6回繰り返すと、体がより温まります。自然な深い腹式呼吸が身につくと思います。」

もちろん、自分でも実践をしていることだ。お風呂は全身の力がゆるんでいるし、水圧があるので、深い腹式呼吸がやりやすい。

そして、最近は、オカリーナ教室だけじゃなくて、多くの日本人の呼吸がだんだん浅くなっているんじゃないかと思い始めている。もともと日本人は「氣」を生活に取り入れて暮らしていたんじゃないか。そのため、体格が小さく、質素な食生活でも生きてきたんじゃないだろうか。

飛躍しすぎだろうと言われるかもしれない。呼吸と「氣」のことについては、もう少し考えてみたいと思っているところです。

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呼吸について
忙しいを肯定しない
意識、無意識の世界

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オカリーナ教室のご案内

それぞれの、オカリーナ教室の紹介記事をじっくり時間をかけて書きます。まだまだ、書きかけです。

既に一覧にして、まとめたものが、パソコン教室のエフセブンの方にあります。なぜ?パソコン教室に?と思われるかも知れませんが、エフセブンは、音楽教室もやっています。以下のリンクは、そのパソコン教室のエフセブンのオカリーナ教室のご案内として掲載しているページです。
オカリーナ教室のご案内・・・パソコン教室のエフセブン

岩美町

スマイルフラワー | ママリーナ

ママリーナは2018年4月より活動休止です。

鳥取市

あか音ぐも | NHK文化センター | オカリーナふくふく | 雅鳥クラブ | カプチーノ | グリーンパラソル | たんぽぽ | 畢竟院 | メリーグース

八頭町

井上グループ | やずオカリナの会・オカシーナ

倉吉市

白壁天女琴リーナ | 天女クラリーナ | にじいろ

三朝町

森の響き

以上、鳥取県東部13、鳥取県中部4、合計17グループです。

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稲田姫邂逅記(後編)〜たたらの灯オープニングコンサート《番外編》〜

 会場に着くと、小雨が降っていた。15時のリハーサル前には雨は止んでいたので会場周辺を歩いてみた。実行委員の皆さんが、数千もの竹灯篭を準備しているところだった。棚田の畦道のほとんどに竹灯籠が置かれていた。高台から見渡すと、そのままでもじゅうぶん美しい風景が広がっていた。夕暮れから夜にかけて描かれる灯りの風景を想像して、とてもわくわくした。すれ違う人々は誰もが皆あいさつをしてくれる。

会場近くのいろりのある喫茶Cafe Tataranoieで、たくさんのもてなしを受けた。休憩をし、お茶を飲んだ。担当の方がお見えになって、おいしいおにぎりとお餅を食べた。

鉄師卜蔵家(ぼくらけ)というのは、楠木正成の弟正氏(まさうじ?)の子孫が、後に改姓して卜蔵(ぼくら)姓を名乗るようになったのだそうだ。先日2週間続けて神戸の湊川神社をお参りしたばかりだったから、この縁に驚いた。湊川神社は楠木正成、なんこうさんを祀った神社。その直後にこのイベントの依頼をいただいていたことになるのだ。それに、6年前の島根県立美術館での演奏を聞き、実行委員の方に声をかけた方というのが、卜蔵家と縁のある女性だったというのは、偶然とは思えない。

雨は止みそうもなく、残念だが、神聖な桂の木の前のステージにテントが張られることになった。ステージ上には多くの機材があり、濡らすわけにはいかない。

リハーサルを終えて再びCafe Tataranoieでくつろいでいると、関係者が続々集まり、人があふれるようになった。しかし雨はやまず。18時から式典。伝統の鉄師の方の挨拶を聞いた。「鉄師は、たいへん危険な技であり、尊い多くの人命が失われたこともあった。このイベントが慰霊となることを祈願する。」という言葉が耳に残った。ヤマタノオロチに生贄になる8人目になるかも知れなかった稲田姫のことが頭をよぎった。ヤマタノオロチとは、製鉄の火柱だったのではないか。

雨の中、寒い中、多くの人が演奏を聞いてくれた。途中ギター内蔵アンプの電池が切れるというハプニングがあったが、電池交換の間、ボーカルの谷口さんに話をしていただくことになった。これも何か神の采配のような気がする。電池はまだ新しかったのだ。

想定していたのが夜空、星空、月夜だったので、そういった選曲が多かった。しかし雨は、いっこうにやまず。

曲目はこんな感じ。浜辺の歌/海(松原遠く)/ガブリエルのオーボエ/ホフマンの舟歌/スターダスト/ムーン・リヴァー/月夜の森/天空のオリオン/星めぐりの歌/糸/Jupiter/もののけ姫/(アンコール)蘇州夜曲。という構成。「もののけ姫」は急遽谷口さんのひらめきで差し替えられた曲で、楽譜なしで、アドリブ。カッチーニのアヴェ・マリアとタイム・トゥ・セイ・グッバイは準備していたが演奏しなかった。これで、どんぴしゃりの1時間だった。雨の中、じっと聞いてくださった方たちが会場をあとにするときの笑顔と声援がありがたく、嬉しかった。

Cafe Tataranoieでは締めくくりにつゆだくのふかふか卵の親子丼。めっちゃうまかった!

宿泊にご用意していただいたのが、斐乃上温泉・斐乃上荘「ヴィラ船通山」というところ。美人の湯で有名らしく、いい温泉だった。そして、ここ船通山(せんつうざん)は、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治し、天照大神(アマテラスオオミカミ)に天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)を献上した所。ここにもご縁が。

チェックアウトの際に、フロントの若旦那が、「昨夜、聞きに行ってました。良かったです。」と言ってくれた。さらに嬉しくて、びっくり。

さらなるご縁は、帰り道。ついでだから行ってみようと、軽い気持ちで比婆山(ひばやま)に寄ったところが、ちょうど、宮司がおられて、御札を授けてくださったことだ。ふだんは宮司はいないが、たまたま安産祈願があって、ちょうどその祈願が終わったところに出会うことができた。10分早ければ、祈祷の最中だったろうし、10分遅ければ、宮司は次の用があったそうで、扉は閉まっていただろう。これもまた、神の采配としか思えない出来事だった。

比婆山は天照大神、素盞鳴尊の母神、イザナミが葬られているところである。

奥出雲たたらの灯は、11月18日にエンディングを迎える。美しいところだ。ぜひ行ってみてほしい。

稲田姫邂逅記(前篇)〜八重垣神社〜

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稲田姫邂逅記(前編)〜八重垣神社〜

 今回のイベントについて出発前に抱いていたのは、漠然としたイメージだった。

「奥出雲たたらの里に、たたらの象徴となる大きな桂(かつら)の木があって、ライトアップされたその木の下で演奏をする。」というものだ。

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 ひと月ほど前、最初の電話で「予算があまりないんです。しかも遠方です。無理ですよね。」こう尋ねられた。こういう場合、以前なら「あらためてこちらからお電話します。」と言って電話を切っていたかもしれない。でも、そうしなかった。6年前に島根県立美術館でのぽんかん。の演奏を聞いた方から、「あの時のオカリナと歌が忘れられない。」と言われて、あちこち情報を探して、電話をくださったというのだ。「縁があり、思いがある。」ということが伝われば十分だった。「行かせてください。」とこちらからお願いをした。

 温かな人たちに出会える期待と、ライトアップされた桂の木。そんな神様でないと立てないような場所で演奏できる喜びを感じていた。

 そうした漠然としたイメージだけを持って、2017年10月14日午前9時半くらいに岩美町を出発した。

 事前にルートを調べなかったわけではないけれど、「何となく国道9号をまっすぐ松江のあたりまで行く。そこからルートを考える。」と決めたのは、出発して15分ほど、鳥取道に向かう道の手前だった。鳥取道を通れば、高速中国道に合流する。その時そのルートを選ばなかったのは、9号をまっすぐの方が走り慣れていたからに過ぎない。

 松江中央という出口で降りた。これも「松江駅」という案内標識が見えたからで、でもなぜか駅の方とは反対に向かうことになった。その先に「八重垣神社」という標識が見えた。それでとりあえずそこまで行ってから考えようということになった。

 神社は、連休だからか、人が多かった。何かご祈祷が始まるのか、社殿の中にも人がたくさんいた。社殿の中央奥には御幣を垂れた50センチくらいの高さの柱が3つあった。その真ん中の柱が赤く光を放っているように見えた。順番を待って、お賽銭を投げ入れ、手を合わせると、社殿の中央に宮司と思われる方が、その柱の前に座った。ちょうど式典が始まるところだった。

 私たちぽんかん。の二人は、一歩も二歩も下がり、次の人のために場所をあけたが、その柱を見つめ続けた。そこから目が離せなくなっていたのだ。

 宮司が祝詞(のりと)を上げ始める。良縁成就のお祝いのことばと思われたが、二人はちがう神の言葉を聞いていたように思う。

 そこでようやく「ここは何?何を祀っているところなんだろう。」と思い、まわりを見渡すと、境内の中に質素な建物を見つけた。そこには、700年以上前に描かれた稲田姫の板壁画があるらしいことがわかった。谷口さんはその存在を既に感じていたようだったが、ぼくは、稲田姫とその建物の中で初めて対面する。

 絵の具が剥がれ落ち、すっかり地肌の見えるようになった大きな板に、残像のように6つの人物画が描かれているのが見えた。中央の稲田姫の姿だけは全体がくっきり見える。平安時代の衣装をまとい、頬を赤く染めた眉毛のない長い髪の女性として描かれている。

 稲田姫は、現代ではもちろん、平安時代ですら、古い日本神話の中の登場人物、いや登場神である。高天原(タカマガハラ)から追放され、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した素盞鳴尊(スサノオノミコト)の妻であり、その後大国主命(オオクニヌシノミコト)など多くの神々の母となる神様だ。素盞鳴尊が大蛇と闘っている間、髪をとかす櫛になっていたので、奇稲田姫命(クシナダヒメ)とも呼ばれている。

 その時、はっと思ったことがある。いつもなら出発してすぐにナビに沿ってクルマを走らせるところ、結果的に遠回りをして松江まで行き、八重垣神社に立ち寄ることになったのは「ここに来る必要があったのだ。」と。稲田姫のことを知らないでこのイベントに参加していたら、演奏そのものも、伝わるものも違っていただろう。

 松江から奥出雲までの道中は農道や山道だった。あとで聞いた話では、地元の人は米子や横田から行く道の方が整備されていて早いそうだ。しかし、その道中でまたしても「稲田姫」に関わるイベントを開催している会場の前を通ることになった。

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あらきまたえもん

 荒木又右衛門をひらかなで書いてみた。

 なんか、かわいらしい。

 ぽんかん。に丸が付いているのと同じような感じだ。

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 もちろん、荒木又右衛門と言えば、伊賀の鍵屋の辻の決闘で有名な剣豪であり、終焉の地である鳥取市玄忠寺にお墓がある。

 鳥取市内には、荒木又右衛門を祀った神社もあり、若桜橋の近くに黒住教鳥取大教会所の境内に小さな鳥居と祠がある。2017年8月26日土曜日、毎年この時期にやっているという奉納と夏祭りに招かれてぽんかん。で演奏した。

 夕方5時半、神聖な儀式から始まる。在りし日の剣豪を忍ぶとともに、平和への祈りの時間だ。その後、剣道場で使いこまれた、竹刀、木刀を燃やす供養の儀式に移る。近くの道場の子どもたちの剣道の型、なぎなた、金属の刀身を持つ本物の刀を使った有段者の大人の演武、詩吟に合わせた演武など、剣豪を祀る神社にふさわしい出しものばかりだ。

 予定より少し遅れて6時25分くらいから演奏を開始した。

 荒木又右衛門は、池田公に招かれて鳥取に来た。妻子を呼び寄せるが、妻子が到着する前にこの地で死んでしまう。この史実に合わせ、音楽の奉納という意味で、伊福部昭作曲の大伴坂上郎女「わがせこが」を1曲目に歌とオカリーナで演奏した。

 続く曲目はいろいろだったが、珍しく乱れたり、ミスをしたりした曲もあった。それでも、その乱れやミスを含めても、いい演奏だったと思う。会場一体となった充実感があった。実際に声をかけていただいたが、多くの方に喜んでいただいたと思う。

 ちょうど7時くらいに演奏が終わり、司会進行の女性が「見てください。きれいな夕日です。」と言っていた。赤いピンクの空だった。宮司の弟だという男性に「シルクロード」のテーマをリクエストいただいて、演奏できなかったことを記憶にとどめておこうと思う。

 リハーサルのときに不思議なうなり声を空の上に聞いたことも忘れない。

 神は信じようが信じまいが、確かに姿を見せることがある。今年は特に神社に縁があると感じている。

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こうげの白兎神社

 夕方、郡家(こうげ)に仕事に行きました。途中にかわいらしい看板が見えたので、近くの道路にクルマを停めて歩いて行ってみました。周辺に駐車場らしきものはありませんでした。地名は、八頭町福本とあります。

 田んぼの中にある小さな神社です。お社は、小さいので、遠くから見えるような大きな屋根はありません。鳥居も木立の影に埋もれているので、ふだんはそこに神社があるとは気づかないでしょう。看板がないと、そこに神社があることがわかりません。あぜ道の途中に休憩するための木陰がある、そんな風情です。夏には農作業の合間にここで休む人もいるのでしょう。

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「狛犬」ならぬ「狛兎」です。石のうさぎさんは新しくて、かわいらしい。

由緒正しき神社だと書いてあると思います。白兎神社の本家ではないかという説もあるようです。
お堂は閉まっていたので、お賽銭を入れることができませんでした。

 白兎神社というと、一般に知られているのは、大国主の命が白兎を助けた伝説のある海岸、白兎海岸の近くにある神社です。ただ、この物語に欠かせないのは、大国主の妻である八上姫という人物です。八上姫は、八頭の出身であり、白兎は、八上姫の飼いウサギだという説もあります。先日の御湯神社での「朗読と音楽 奏で」でも、宮司からさまざまな興味深い話を聞きました。

佐彌乃兵主(さみのひょうす)神社
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猿の神社
こうげの賀茂神社
酉年(とりどし)にぴったりの神社
御湯神社での縁。「朗読と音楽 奏で」
稲田姫邂逅期(後編)〜たたらの灯オープニングコンサート《番外編》〜
あらきまたえもん
箱に入っていた姫

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人が変わるとき

 ぼくを知っている人は「え?」と思うかもしれない。ぼくは小さい頃は、犬が大の苦手でした。遠く100メートル先で姿を見ただけで、家に駆け込んでいました。姿が見えなくても、「ワン」と吠えた声を聞いたら、それがテレビドラマだったとしても、ビクッとしていたと思います。

 今は、犬に限らず、動物はみんな好きです。東京にいた頃は、ヒマなときはバイクに乗って山を走るか、温泉に行くか、美術館巡りをするか、何もないときは、牧場や動物園によく行きました。

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 自分自身が犬が苦手だったことを忘れていました。しかし、なぜか唐突に、ふと、思い出しました。

 犬が苦手だった頃は、人も苦手だったように思います。その頃のぼくは吃音(どもり)があり、学校での国語の本読みが一番苦手でした。

 変えてくれたのは、中学校で始めた音楽だったのかなと思います。人前で演奏するときの、少し緊張する、あの感覚がイヤではなくなっていました。逆に少しずつ、心地いいと感じるようになっていました。吃音もあまり出なくなり、1年生の時に前期、後期とあって、後期の生徒会長に立候補したので、まわりは相当驚いたと思います。結果は、落選でしたが、生徒会に入って、全校集会の司会を進んでやりました。

 人が変わるということを、「心を入れ替える」「別人のよう」と表現することがあります。あながち大げさではないのかも知れません。心が本当に入れ替わる、というようなことは現実に有るかもしれないと思うからです。

 今、また何か変わった自分を見ているような気がしています。

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変わらない風景〜G線上のアリア

 鳥取には、変わらないものが溢れています。都会の生活に疲れて、働くことに厭きて、静止した時間を味わいたい人は、ここに来るといいでしょう。

 そして、鳥取県東部には、「岩が美しい」「岩美」と書いて「いわみ」と読む地方があります。かつては岩井郡(いわいこおり)だったそうですが、どっちにしろ「岩」です。

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 その名のとおりに、岩山が多いし、海岸も岩と岩の間に、砂浜が広がっている、そんな感じです。岩石で作られた遺跡、石碑、古墳、墳丘墓なども、たくさんあるようです。

 なぜなんだろうと、思い、ふと今日インスピレーションを感じたことを書きます。

 ここは、岩の持つ周波数と調和している空間なのではないか。

 だから、もちろん、建物や、土地や風景は変わるんだけど、基本、その空間は、変わらない。ここに来て、その空間で暮らしていると、岩の持つ周波数と同化してしまうのではないだろうか。実際、何十年かぶりにここで誰かに会ったとしても、どんなに風貌が変わって、一見わからなかったとしても、実際は印象が変わったように思えない。時空の質がどうも他の場所と違う気がする。

 私のように、Uターンして帰ってきた(当時は仕方なく)のではなく、近年は、とても豊かな岩美の自然風土に魅力を感じて、移住してこられる方が多い。その人たちには、この岩美の人々はどう映るのだろうか。

 画像は、鳥取市円護寺にあるビルマ方面戦没者慰霊碑です。レッスンの合間に散歩していて、円護寺トンネルを抜けたところで見かけました。

 しばらく周辺を散策していると、時折ぽつりぽつりと訪れる人がいます。年配のご夫婦がクルマを止めて参る姿もありました。この周辺には未帰還者の慰霊碑や、平和の塔などがあります。この時、「G線上のアリア」のメロディが浮かび、先日入ってきたテナーGのオカリーナで吹きたいと思いました。

 「G線上のアリア」は、これから音楽ライブユニットぽんかん。で、練習します。

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女の子たちの部屋、初訪問

 今日からしばらくは、あちらこちらのオカリーナ教室の皆さんとの訪問演奏が続くことになる。今日皮切りは、鳥取医療センター内に設けられている白兎養護学校卒業生の重度の方の訪問学級だ。ここには、2014年10月19日、2015年2月15日、10月18日、2016年10月16日、そして本日2017年6月18日で、5回目になるようだ。ここは、ホールでのオカリーナ教室の皆さんとご一緒での演奏のあと、今回初めて、ご要望をいただいて、一人で女の子たちの部屋を訪問することになった。

 ホールでの演奏でのお客様はベッドと車椅子の5名。それぞれに様々な表情や声の変化で、反応し、ときに何か伝えようとしているのがわかる。ずっと赤ん坊のように泣いていた女の子が、ぼくが一人でオカリーナを吹き始めると泣き止むのが不思議だった。終わったあと、一緒にいたオカリーナ教室の生徒さんたちが、泣いていたのは歌声で、ぼくの演奏のときは、聞いていたんだって解説してくれた。なるほど、そうだったんだー。

 聞いたことがない曲を聞くと、痙攣のようにガタガタ震えだす方もいた。介護のボランティアの方のほうが驚いていたように見えた。ふだんはこんなに反応はしないのかも知れない。その方は、終わる頃には痙攣が止まり、すっきりしたおだやかな表情に見えた。

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 10年以上前、障害を持っている方を対象にしたパソコン教室をやっていたことがある。そのときにたくさんの重度の方と接して、表情や動作など、外観だけでは、知性や感受性などの内面は計り知れないことを知った。当時、補助講師には、正直に「どう接していいかわからない。」「怖い。」「気持ち悪い。」「いやだ。」と表現してくれる人を選んでお願いした。同じような気持は、ぼくの中にもある。取り繕って、なんでもないという素振りを見せようとする人ほど、実際には彼らを見下していることがわかっているからだ。ぼくにとっては、そのように取り繕って自分を隠して生きている「一般の」人の方が、よほど、本当に怖いし、気持ち悪い。

 さて、ドキドキの初訪問だ。なんてったって、十代から二十代の女の子たちだ。彼女たちにとっても、ナマの演奏が聞ける、めったにない機会だという。開け放しの入り口から一歩入ると、廊下からは見えなかった、野球場のスコアボードのような巨大な電光掲示板が見えた。数字が色付きで表示されていて、ピコピコ電子音が常にいくつも聞こえる。演奏しながらベッドの間を歩いてくださいという無茶振りに応えて2曲を演奏した。付き添いの方の他に医師や看護師が何人もいて、時折電光掲示板を見ながら何やら仕事をしている。大変そうなのに、笑顔だ。

 数字のひとつが赤い文字になって、点滅すると、ベッドのひとつに数人が駆け寄る。音楽に反応しているらしい。喜んでいると言われても、ぼくにはまったくわからない。はあー、なんか緊張したなあ。まあ、初体験ってこんなものかも。ここは、誰もが入れるわけではない。また機会があればぜひもう少し反応がわかるといいなと思う。付き添いのご家族らしい方の笑顔に救われた時間だった。

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パソコンとオカリーナ〜音楽って素晴らしい。みゆうのライブ情報はここにあります。
音楽ライブユニット ぽんかん。

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眠りは創造のために

 「寝る間も惜しんで」という時、どこかに「眠ること=無駄な時間」という意識があるようだ。ぼくも以前は「宵っ張りの朝寝坊」で、とにかく時間が惜しい。4時間も眠ればそれでいい。そう考えていた。眠ってしまうと、その分人生の時間が削られてしまうぐらいに考えていたと思う。

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 でも最近は、睡眠が足りていないと昼間眠くなる。睡眠が4時間では足りないと思うようになってきた。他の人は歳とともに眠りが浅く短くなると言うが、ぼくの場合はどうもそうではないようだ。

 ぼくはJawbone UP3を風呂に行く時以外、常に手首につけている。歩数や心拍数(非活動時)を常時チェックすることができるし、何より、睡眠の質を知ることができるのが特にいい。

 左の図は、iPhoneのUPアプリの一画面で、今日の睡眠の状態を表している。たっぷり眠れたので、とても目覚めがいい。夜中に1度目が覚めたが、トータル6時間51分も眠ることができた。28分の深い眠りと、47分のレム睡眠があった。レム睡眠の時間は日によっては、60分くらいあるときがある。今日は意外と短い。このデータは明日でも1週間後でも見ることができる。

 最近、眠りの時間は無意識下の創造の時間ではないかと思うようになってきた。実際、夢の中の世界はいつも独創的でバラエティに飛んでいる。どの風景も記憶にはない風景だし、色彩感があるときもある。感触があって、リアルさに驚くことも少なくない。夢の中で作曲をしたこともある。名曲だった・・・という、その印象だけを覚えている。決して人生の時間を無駄に削っているのではない。

 時間というのは、生きている上でのさまざまなサイクルの波の上の1点だ。時間の長さを絶対視する必要はないと思う。どういう状態であるのか、どういう意味を持っているのかは、眠っている時も起きている時も同じなのだと思う。

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