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季節は変わる

午前中は、個人の家での音楽レッスン。内容はコード理論だったり、ギター演奏だったり、いろいろだ。午後は、オカリーナの教室が2コマ。夕方から、パソコンのサポートだった。

「こうして、皆さんがお元気で仕事をさせていただいています。感謝しています。」ここのところ、毎回言う言葉だ。

個人事業主であり、音楽家としては自由業(フリーランス)なので、ひとつひとつの場所がなければ、収入が途絶えてしまう。この1ヶ月、イベントはすべて中止となったし、イベントに関しては今後の予定も入っていない。収入は減りはしたけれど、事務所は自宅なので、家賃の心配はない。

鳥取県に関しては、コロナの感染は見られていない。ふつうに生活していてもいいくらいの状況だけれど、世界の状況や、日本国内に関しては、マスコミの煽り方がハンパない。鳥取県内でも医療従事者の苦労は相当きついと聞く。

鳥取県・三朝町「かじか橋」のかえる。雨に濡れて生き生きとして見えた。

先日「ツバメを見た。」という方がおられたが、ぼくも今日確かにツバメを見かけた。季節は確実に変わる。今日一日は雨模様だったが、暖かだった。

かじか橋のたもとの桜は、二分咲きだった。
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春、桜を待つ。

今日の鳥取は、薄曇りで時々晴れでした。数日前の桜の開花宣言のあと、まだ鳥取市内袋川(ふくろがわ)土手の桜並木などは、1分咲きほどでした。

午前中は、鳥取市富桑地区公民館でのオカリーナ教室でした。ここも活動的で熱心な教室です。ぼくは、常にこうしたところに集まる皆さんに支えられています。

今後の状況では、実施されるかどうか、わかりませんが、6月の童謡・唱歌100曲マラソンに向けて、候補曲を選ぶことになりました。

音楽は、心に直接響きます。音楽は今こそ大切だと思います。無事開催できるといいなと思います。

午後も音楽のレッスンです。皆さん、本当に熱心です。

夜は岩美町公民館での練習でした。今日もいい一日でした。

コロナ、今日の動き。

昨日の東京都に続いて、今日は、東京都近郊の県、都市でも移動自粛を呼びかける事態になっているようです。

まわりの声を聞くと、既に2月くらいから、在宅で仕事をされている方もいるようです。会議や事務などは、ある程度基盤ができているところは、在宅ワークが可能だということです。そういった業務に従事している方は、社会の中でごく一部だということも、事実です。

日本では今のところ、医療の崩壊は見られないようです。それも、病院に人々が殺到すれば、わかりません。そうならないように、表には出てきませんが、尽力されている方がたくさんおられるのだと思います。感謝しかありません。

地域でも

「回覧板」で、行事の縮小や中止が伝えられた。

地区の行事では、4月20日の祭り(田後神社春季例大祭)の規模を縮小して開催する旨のお知らせが回ってきました。それ以外の行事の多くが中止となっています。

これは、まわりのたくさんの地域でも、生活の中に当たり前にあった行事が同じように中止を余儀なくされているところもあるのだろうと思います。

ここが踏ん張りどころなのかな、と思う。未来は、必ず、今よりも良くなります。そう信じます。

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変わる時代

今日は、午前中から、夕方まで、オカリーナ教室でした。夜も、仲間との音楽練習で、音楽三昧です。明日も同じような感じです。

いつ中止に追い込まれてもおかしくない社会情勢ですが、幸い、これまでのところ、影響は最小限に抑えられています。

オカリーナ教室に人が来てくれるから、会場が使えるからでもあります。感謝です。

オリンピックは1年以内の延期が決まりました。東京のロックダウンが始まります。まず最初はゆるやかに。

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桜咲く。

3月23日に、開花宣言が出たらしいです。風はまだ冷たかった。夜には、東京オリンピックの1年以内の延期が発表されました。安倍総理の方から、IOCに提案したということのようです。

今日一日の流れなど

午前中は、オカリーナのレッスンでした。午後、鳥取市末恒(すえつね)地区公民館でのオカリーナ教室。

今日は5のナンバーをたくさん見かけました。555とか、5555とか、10台くらいは見たんじゃないかな。日によってナンバーは変わりますが、ここのところ、連番をよく見かけます。

もさ海老。

今日のお昼は、末恒地区公民館から2キロほど西に行った先にある、白兎道の駅の2階で「幻の味・もさ海老天丼」を食べました。3月末までの限定です。海老は、カリッと揚がっているので、まるごと食べられます。

もさ海老の「もさ」というのは、「猛者」と書きます。武士が兜をかぶったような風貌をした見た目がごつい海老です。身がプリッとしてて、歯ごたえがあります。鳥取県東部では、ふつうにこの時期に食べていた海老ですが、それほどたくさん穫れるわけでもなく、あまり日持ちしないので、ほとんどが地元で消費されていたそうです。おいしいです。

この写真には写っていませんが、サーフィンを楽しむ人も少しいたようでした。

そのあと、個人の方の音楽レッスンがあって、夜は県外にギターコンサートを聞きに行く予定でしたが、コロナの関係でキャンセルとなりました。

インフォデミックなのか。

今回、オイルショックのときのように、人々は混乱して、さまざまな情報に流されることになりました。

トイレットペーパーの買い占めに見られるように、誤った情報に動かされました。

現代は、正しいか正しくないかに関わらず、あらゆる情報が瞬時にインターネットを通じて拡散します。それに加えて、メディアも繰り返し、ある特定の情報だけを流し続けます。武漢が封鎖となれば、どれだけひどい封鎖だったかをクローズアップしようとします。

東北の震災のときには、津波のショッキングな映像がテレビでも、ネットでも繰り返し流され、他の正確な情報が見えにくい状況がありました。

あらゆる専門家が懸命に救済に取り組み、分析をし、対応策を練っていたと思います。

今回のことで、私たちは、これまで以上に、正しい情報を見極める必要があることを学んだんだと思います。

もう不確かな情報を見る必要はないと思います。

「オーバーシュート」というような用語も出てきました。予測と異なる過度の増加というような意味ですが、どういう予測をするかによって、判断が分かれる可能性があります。

怖いのは、オーバーシュートではなく、前にも書いたように、社会の変化であり、今現在収入が途絶えてしまう、事業が成り立たなくなる人々がいることです。

過度に恐れないこと、安心すること。

過度の恐れは、人々の免疫力を低下させることがわかっています。まずは、おいしいものを食べて、栄養を摂って、よく眠ることです。

夜11時を過ぎました。いろんな人に支えられて、今日もいい一日を過ごしました。ありがとうございます。おやすみなさい。

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春分を迎えて

音楽三昧

3月20日は、春分の日・祝日だったけど、倉吉市内でのオカリーナ教室が3つあった。午前の教室は予定通り、午後は、コロナの影響で先週からの振替だった。

空は春霞。晴れてはいたが、前の日に続いて、風の強い日だった。

夕方、クルマの中で録音した「ニュー・シネマ・パラダイス」をSoundCloudにアップロードした。これは、数年前に宍粟市のオカリーナグループで演奏するために、ぼくがオカリーナ五重奏用に編曲したものだ。

こうして一日音楽をして過ごせるというのは、幸せなことだ。

朝日のあたる街

21日は朝早く目が覚めて、ちょっと近所をドライブした。見慣れた街の景色が朝日を浴びていた。午後からは影になる風景がきらきら輝いていて、光の当たり具合によっては、違う印象に見えたりもする。

クルマを運転しながら、バイクに乗っていた20代~30代の頃を思い出す。排気音のリズムや、朝日に輝く街の記憶がよみがえってくる。

帰ってから、家族がまだ寝静まっている家で、ヘッドフォンでボブ・ディランの「朝日のあたる家」を聞いた。

現代は、YouTubeという便利なものがある。自転車を走らせて30分ほどかかるレコード・ショップが開くのを待って、お目当てのレコードを探して、徒労に終わる経験をもう誰もしなくていい。気が向けば、ジョーン・バエズの歌もすぐに聞けるのだ。なんて素敵な時代なんだろう。

午後は家族でお墓参り。墓場は、港の近くの山の上の見晴らしのいいところにある。ありがたいことに、今日は風が穏やかだった。風が強い日は、ろうそくも線香も火を点けるのに苦労する。

夕方、クラリネットのレッスン。レッスンのあと、「刀剣乱舞」のライブがコロナで中止になったり、内容が変わったということで、その話題で盛り上がったが、ぼくはよくわからない。「へぇ、そうなんだー。」って、驚くばかり。

その後、明日の鳥取市文化センター、ヤマシタ楽器の音楽発表会のリハーサル。たった一人でリハーサル。ステージを占領する快感。リハーサルはお世話になる会館の方と挨拶できる貴重なチャンスです。どうぞ、よろしくです!!

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春の強い風

自宅にいて、1、2時間空きがあるときは、掃除、洗濯、片付けですね。多くの方の日常だと思いますが。

今日の午前中はそうでした。

いきなり春の陽気で、暖かくて、晴れました。ただ、風がめちゃめちゃ強かった。

鳥取、というか、山陰側は、コロナ騒動とは少し距離感があります。マスクしないで通りを歩いている姿も珍しくありません。このまま平常でいてほしいと思います。

これって、人口密度、そのままやなぁ。そんな感じですね。砂丘とか、観光地に行けば、京阪神ナンバーのクルマは並んでいるし、交流人口は決して少なくない。ただ、中国からの団体さんは見かけませんね。

あんまり、意に介さない風土もありますね。基本、他人事(ひとごと)です。「煮えたら食わぁ。」とは、よく言われます。

政治にしても、時事にしても、ニュースやテレビのワイドショーはぼくは見ないけど、鳥取の人は、よく見ると思います。スタンスは「見物」です。我が身に感じていない。コロナもこういう風土からは逃げちゃいますね。実際、それでいいのです。

午後からは、パソコン講座をやりました。エクセルです。

なんでいきなりパソコンの講座を始めたのか、この辺の経緯やどんなことを始めたのか、などは、パソコン教室のエフセブンの方に、あとで書いておこうと思います。

夜はオカリーナ教室でした。今日もよく働きました。楽しい一日でした。

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シェアする時代

録音してみました。

昨日楽譜に仕上げたバッハの「主よ人の望みの喜びを」を録音しようと、なるべく静かで人の迷惑にならないような場所を選んで車を停めて、録音のときにはエンジンもエアコンも止めて録音しました。

オカリーナの七重奏ですから、まず基準となるオルガンの動きのあるパートに当たるメロディを録音して、それに合わせて、1パートずつ、重ねていくという感じです。音程が気になるところはあるけど、まずまず短時間の録音でここまで録れたら上出来でしょう。

こころに主イェスを(オカリーナ七重奏)

午後もオカリナの仕事

午後はちょっと仕事をしました。中古のオカリナを売る仕事のお手伝いです。

話はガラっと変わります。

日本は最近もちょくちょく地震があって、大きな災害も経験もして、それでも戦後の一時期の高度成長の幻想を夢見ていたわけでしょう。で、この度のコロナ騒ぎで、もうそういう幻想は切り離してもいいんじゃないかと、たくさんの人が気がついたんじゃないかと思う。

シェアする時代

「これシェアしましょう。」って、話、ふつうに会話の中で出てくるようになったと思います。今までは、なんでもかんでも利益になるようなことは、権利と結びついていて、場合によっては、お金になり、独占することもあったと思う。

もちろん、なんでもかんでも水や空気と同じようにシェアしてたら、一人ひとりの権利があやふやになってしまいます。

利益も権利も、一人ひとりに当然あって、守られるものです。

インターネット以前の時代は、それがモノだったし、お金だった。だから、みんなお金を欲しがったし、消費し、浪費し続けていた。

それが、情報という、目に見えない形のないモノになって、瞬時に広がり、簡単にシェアすることが可能になった。

お金だって、現代は、ただの数字になりつつある。いや、もともとただの数字だったんだけど、お札や硬貨が葉っぱに見えなかっただけだわ。

これから、なんか違う世界が見えてきそうな気がしています。なんとなくですけど、最近、そう思います。

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選択する今と未来

寒い一日。

今日は寒かった。珍しく一日家にいたし、ずっとストーブをつけてて、それでも寒かった。天気予報では明日雪がちらつくらしい。

県外でイベントがある予定だったのが、今回のコロナ騒ぎで中止になって、その分時間ができた。

いつものように朝は起きたし、掃除もした。着替えていつでも出かけられる準備は整えていた。

でも結局、片付けものをいろいろとやって終わった。

「主よ人の望みの喜びを」

前から要望のあった「主よ人の望みの喜びを」をオカリーナ七重奏で吹けるようにアレンジもした。コラールの四声とオルガンのパートを三重奏に分けた。本当にやってくれるかな、と内心思いつつ。

あとは、本を読んだり、動画を見たり、音楽を聞いたりした。

言語化、アウトプット。

ぼくもそうだけど、人間は予測して行動する。予測というのは、記憶であり、過去の経験だ。それがあいまいだったり、自分の感じたものと違っていても、予測を優先してきたと思う。すべて行動は自分の選択だ。「無難なもの」「社会が求めるもの」を選択する習慣をもっていたということだった。

その習慣を一気には変えられないにしても、自分が何を感じているかは、こうして、言葉にすることで自分自身で見ることができる。アウトプットが大事というのは、そういうことだ。

人の目にもさらされるし、読み直すことで考えることになる。見過ごすことは、これからはできない。

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音楽の「響き」って「心の周波数」なんでしょうね。

音楽の響きを、単なる音の高さや音色の違いだと思ってる人がいるんだけど、どうもそうじゃないみたいだね。

だって、世界的に成功しているプロの演奏家のコンサートが時には、ぼくにはつまんなかったりするんだよね。

ただ音が大きいだけのロック歌手とかね。

コンクールで優勝しました的な演奏家とか。

ぼくの先生、ジャズピアノ奏者なんだけど、誰が弾いても同じ音を出すはずのオルガンを弾いても、確かな「響き」があるわけ。

「何当たり前のことを言ってるんだ、お前は。あほか。」

って、先生言うよね。きっと。

最近ね。音楽はあくまで媒体であって、伝わるのは、心の周波数なんじゃないかって気がしてる。

心の周波数って、なんかこの言葉って、ちょっとキレイにまとめすぎちゃってる感じがするけど、ほんとなんだよね。その人そのものが伝わってくる。

そのことに気づいたなぁ。

今までどうしてわからなかったんだろうって考えた。

ふと思ったのは、ぼくもこれまで、技術とか、高度なこととか、そういう理屈を求めてたんだってことだね。

で、そういう高度な意味ですごい人を理想像、偶像みたいにして作って、その一方で、いくらやってもたどりつけない自分像を作ってたんだわ。

もう、その偶像とか、いらないわ。

伝えたいものは、自分の中に既にある。特別でもなんでもなくて。それを伝えればいいし、なんなら伝えようとしなくても、伝わる。そういうことだった。

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あか音ぐも

ネーミングって不思議だ。

「きれいな茜雲(あかねぐも)だなぁ。」と、そう言った人は、メンバーの中にはいなくて、その一言を聞いた人が、そのイメージを受けて、名前がつけられました。

それまで、このオカリーナ・グループの名前は「あるわいな」でした。もうずいぶん前になります。月日がたって、グループのメンバーも相当入れ変わりました。

けったいな(変わった)名前が流行した時期がありました。

「勝手リーナ」「オカシーナ」というようなネーミングもかつてはありました。「あるわいな。」というのは、「まあ、そんなことも、あるんだろうな。」というようなニュアンスの言葉で、当時そんな話題がグループの中でポンポンと出てきていた時期で、つけられた名前でした。

当初「あか音ぐも」は、消極的で「おとなしい」静かなグループでした。

そのため、一人ひとりにソロを演奏するように課題を作った時期があります。グループ内でのミニ発表会というスタイルです。半年以上続いたように思います。おとなしい感じはありますが、その後は、リラックスしたゆるやかな雰囲気に変わりました。

そのグループが今度は岩美の道の駅「きなんせ岩美」で演奏してくれるかも???