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モッコクの森

モッコクは「木斛」と書くらしい。この標題は、勝手に頭に浮かんだもので、この文章を書くまでは「モッコク」も「木斛」も知らなかった。

頭の中にふと浮かんだ「モッコク」って、なんだろうと調べてみると、今日訪れた島根県松江市に関係があるらしいとわかって、びっくりした。よく見かける灌木の名前らしい。

松江のどこかで、そういった文字を見かけたんだろうか。まったく記憶には、ない。

今日松江には島根県立美術館で開催されていた柳宗理デザイン展を観に行った。

日常の生活に溶け込むデザインを、庶民の暮らしの中から考えていた、その軌跡がうかがえる展示だった。こんな風に顔のドアップの写真が展示されるとは、本人は夢にも思っていなかったかもしれない。

帰り道にはふと思い立って八重垣神社に立ち寄った。平日だったので、あまり人気(ひとけ)はなく、稲田姫に呼ばれた気がした。

この写真は、お賽銭を入れて、お参りを済ませ、一歩下がって、カメラを構えたときのものだけれど、写真を撮る直前に、コンタクトレンズを装着した目の右目に非常に刺激的な痛みを感じて、正視することができなかった。

あとで、こんなに鮮明に写っていたと知って驚いた。

ちなみに、中央に写っている4柱(はしら)の御幣(ごへい)のうち、中央最前線の御幣の柱が赤いのがわかるだろうか。この中央の御柱が稲田姫です。毅然と座しているのが見えます。

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お風呂で沸かして、ストーブで温めて、おやすみ。

だは!

温かい!!

これでぐっすり眠れる。

Goodnight!!

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ピンボケ、ありだぜぇ。

ぼくはさっき、ふと気が付いた。何日もメガネをかけていないし、ケースから出してもいない。

12歳中学生の頃、夜空を見上げた時に、月がくっきりと二重にだぶって見えた。一瞬めまいなのかな、と思ってあたりを見渡したけど、くっきり見える月の輪郭だけが二重に見えただけだった。まず最初に乱視が始まったらしい。

そのうち学校の黒板がぼやけて見えるようになって、乱視に加えて近視が進み、メガネをかけるようになった。初めてかけたメガネは、セルロイドの半黒ぶちメガネだった。


3、4年ほど前に、家で、こたつにもぐりこんで、うたた寝をしていた。メガネは寝ている頭の近くに置いてた。

しばらく寝ていたら、息子がメガネを踏んづけて壊してしまった。息子のせいではないと思う。こたつの上に置いておくべきだった。自分で寝返りをうっても「ぐしゃっ」とやったかも知れないのだから。

メガネ屋に持って行ったら「もう部品がありません。」と言われた。メガネを新調するとなると面倒だなと思ったときに、コンタクトレンズにしようと思った。

で、それからはコンタクトレンズだ。

左:PC用の古いメガネ 右:その後新調したメガネ(長男がフレームを買ってくれた)

裸眼でくっきりと見えるのは、50センチくらいまで。近視っていうのは、全部がボケて見えるわけじゃないんだよね。ピントの合う範囲がめちゃ近くて、狭いってことなんだな。その距離が、ぼくの場合は、たったの50センチってこと。

で、50センチより向こうの世界は、さっぱり焦点が合わない。ピンボケの写真と同じような風景が見えるだけ。ピンボケ具合は、50センチ先と100メートル先も、あまり変わらない感じ。

ぼやけた景色 こんな風に見える。

クルマを運転することがなければ、ピンぼけっていうのは、それほど不都合でもない。なにしろ、余計なものを見る必要がないわけだ。ふだん、メガネをかけて見えているもののほとんどは、見えていたとしても、はっきりととらえて見ているわけじゃなかった。

いつもはっきり見えていたら、「見ているようで見ていない。」という現実に気づけなかったと思う。「しっかり見ようとして見る。」意識を確かにするために、視力が落ちたんだろう。

見るだけじゃない。自分の感覚はすべてそうだ。聞こえること、触れること、味わうこと、匂うこと。それが、本当に自分が感じているのか、何を感じているのかを見たいと思う。

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ふりをする、らしく生きるって、・・・・何。

なんかさ、自分自身、そうだったと思うんだよね。

らしく、振る舞う。ふりをする、演じていたって。

そりゃまぁ、誰しも、常に自分の人生を演じてはいるんだけどさ。

たとえば、ぼくはあと半年ほどで60歳になるわけだけど、からだはたしかにいずれ老人になるわね。衰えるだろうし、ボケるだろうし(既に片鱗はある)。これまで以上に病気もするだろう。

けどさ。中身がどれだけ変わったかっていうと、ものごころついてから、変わっただろうかって思うんだね。

そしたらさ、無理に体に合わせる必要なくない?って思うわけ。

体はしょうがないのよ。いつでも、そのまま肉の塊として、あるんだから。常に変化するのよ。

男らしく?いや、男だけどさ。その前に人間だし。

社会的に地位のある者として、威厳を持って?いやいや、それ、要らないし。

ぼくは、ぼくだ。

やっと、最近そう言えるようになった。

体は変わる。それに合わせて自分を変えるんじゃない。60歳の平均的社会人間に合わせる必要はないよ。何歳だってそうだ。二十歳になったから、いきなり大人になるわけじゃない。みんなふりをしてるだけ。

もう、ふりをしなくていいんだわ。

自分の穴ぼこを探して、埋めようとするのはもうやらないでいいんだ。

ぼくは、ぼくだ。

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120歳まで生きる。

どこからか「何言ってんの?」そういう声が聞こえそうです。

これは、予言でも、希望でもありません。

実際明日死ぬかも知れないし( ´艸`)。

ぼくは、1960年(昭和35年)生まれですので、今年10月に、満60歳になります。いわゆる「還暦」ってやつですね。赤いちゃんちゃんこを、・・・着ません(笑)。

60歳は、事実上の折り返し地点なんだと思っています。

現在も過去も、120歳まで生きた日本人はいません。

世界には、いるようです。記録上はフランスのジャンヌ・カルマンという女性が122歳まで生きたそうです。インドとかチベットなんかだと、もっと高齢な方が今も、いそうな気もします。

いや、別に記録に挑戦しようということでもありません。

多くの方は、統計を信じています。

「あなたはガンですよ。」と医者に言われて、「統計上」5年後の生存率は40%ですと言われると、その時点で「もう5年しか生きられないんだ。」と思ってしまい、あきらめなくていいことまで、あきらめてしまいます。

子どもが産めないとか、スポーツができないとか、旅行に行けないとか、いろいろです。

ぼくは、身近に統計に関係なく、今も元気な人がたくさんいることを知っています。外国旅行に行って、外国で手術を受けられた方もいます。統計は統計でしかない、ということです。その知り合いの中には90歳代半ばの方もおられます。

どう生きるかは、自分で決めればいい。結果は結果でしかない。

120歳まで生きると決めたら、そのように生きればいいだけの話です。

こんな風に言う人もいるでしょう。「あなたが何事もなく、健康だったから、そんな夢のようなことが言えるのです。」

幼いころのぼくは、ずっと病弱でした。

20代で腰痛は持病になりましたし、耳が聞こえなくなったこともあります。視力はもともと弱い方です。

もちろん、どれも命に関わる病気ではありません。

それでも、いつもただそのままの自分を認めてきた。統計は信じなかった。2019年は、その最悪な腰の状態で、1000キロ以上離れた石巻までクルマを運転して行った。鳥取に帰ってからも2週間寝込んでしまったけど、足がしびれるようになって、動かないといけないと思い、ランニングを始めた。

120歳まで、生きます。決めました。ただ、それだけです。

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温暖化なのか、何か別の変化なのか。

ふとぼくは、雪の多かった過去の山陰の冬の情景を思い出していた。

思い出すまでもなく、まったく雪のない冬はなかったと思う。

「かまくら」ができるほど、というのもまた珍しかったが、こどもが雪だるまを作ったり、雪合戦ができるくらいには、いつも雪が降っていた。

既に節分を迎えるようになって、短いつららや、水たまりに氷が張るのも見ていない。

日常の景色を見ていると、夏はとても暑いし、地球温暖化というのは、否めない事実だと思うのだが、むしろ地球は氷河期に向かっているという学者、識者もいる。

正直なところ、何が真実か、わからない。

ぼくも環境問題には興味があるが、社会全体を見ると、視点や思想の振れ幅が大きいことに違和感を感じる。

グレタさんが何か言うと、わーっと流れ、トランプさんが何か言うと、また流れる。

日本の政治情勢や、最近の新型コロナウイルス報道を見ても、反応は浅く、極端に振れる。

風邪やインフルエンザでも死亡するケースはある。

WHOは「中国はよくやっている。必要以上に騒がないでくれ。それよりも一致団結して対処しよう。」と言った。

WHOが望む方向に向かっていることを願いたい。

それよりも、これを機会に、国の枠組みそのものが変わりつつあるような気がする。はっきりとそれが何かはわからないけど。

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部屋を片付けて、シンプルな心になる。

部屋が散らかっていると、どこに何があるのか、わからなくて、探しものをして、かき回しているうちにさらに散らかってしまう。

整理整頓をして、片付けたところで、モノが多過ぎると、やっぱり、探しものをするときに「モノが移動するだけ」の状態になる。

心も、部屋もおんなじだ。

必要なものだけが、手の届くところにいつもある。

そういう状態が理想だな。

モノは、もとは命だった存在だ。紙だって、もとは植物だろう。プラスチックなどの石油製品も古代の化石がもとだ。必要がないモノなら、命に返そうと思う。

要らないモノは捨てる。ただ捨てるんじゃなくて、命に返っておいでと念を送る。

人間だって、溜め込むと便秘になる。循環は常に必要だ。

モノを循環させよう。シンプルになろう。部屋も心も。

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タイヤ交換どうする?

昨年、12月に入ってすぐに、冬用タイヤに交換してもらいました。

その後、鳥取地方では晴れ間は少ないんだけど、雪はまったく降っていない状況です。

今、1月中旬を過ぎて、まだ2月、3月と冬の時期が続きますので、今すぐタイヤ交換をする気にはなれないものの、夏用タイヤに比べて、摩耗しやすいタイヤ(実際は、どうなの?)だと思うので、こんなに雪が降らないと「もったいないかな。」とも思ったりします。

地球温暖化に対して「そんなことはないんだ。」と、否定的な方もおられます。科学が専門の方がそう言われるとそうなのかなとも思いますが、現実として、どうなんでしょうか。

かまくらを作った記憶、学校が登校したあとで、臨時休校になって、バスを待って、乗り継いで、帰った記憶、つららを見た記憶、歩道の水たまりが凍っていた記憶、クルマのチェーンを吹雪の中でジャッキアップして取り付けた記憶。

夜中、トイレに起きて、暖房がなく、冷え切っているはずのトイレで息が白くならない。今たぶん外に出ても同じ。

ストーブやエアコンがあれば、普段着でいられる。

こんな年が毎年続くようなら、交換の必要のない、オールシーズンタイヤを誰もがはくことになるような気がする。

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音楽の「響き」って「心の周波数」なんでしょうね。

音楽の響きを、単なる音の高さや音色の違いだと思ってる人がいるんだけど、どうもそうじゃないみたいだね。

だって、世界的に成功しているプロの演奏家のコンサートが時には、ぼくにはつまんなかったりするんだよね。

ただ音が大きいだけのロック歌手とかね。

コンクールで優勝しました的な演奏家とか。

ぼくの先生、ジャズピアノ奏者なんだけど、誰が弾いても同じ音を出すはずのオルガンを弾いても、確かな「響き」があるわけ。

「何当たり前のことを言ってるんだ、お前は。あほか。」

って、先生言うよね。きっと。

最近ね。音楽はあくまで媒体であって、伝わるのは、心の周波数なんじゃないかって気がしてる。

心の周波数って、なんかこの言葉って、ちょっとキレイにまとめすぎちゃってる感じがするけど、ほんとなんだよね。その人そのものが伝わってくる。

そのことに気づいたなぁ。

今までどうしてわからなかったんだろうって考えた。

ふと思ったのは、ぼくもこれまで、技術とか、高度なこととか、そういう理屈を求めてたんだってことだね。

で、そういう高度な意味ですごい人を理想像、偶像みたいにして作って、その一方で、いくらやってもたどりつけない自分像を作ってたんだわ。

もう、その偶像とか、いらないわ。

伝えたいものは、自分の中に既にある。特別でもなんでもなくて。それを伝えればいいし、なんなら伝えようとしなくても、伝わる。そういうことだった。

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うまくいかないときに、がんばっちゃう、という問題。

なにかしら、予定通り進まないときとか、人に催促されたときとか、予想外のハプニングが起きた時にどうするかってありますね。

はい。これまでは、ぼくは、がんばっちゃってました。

できないって言うのがイケナイことって意識もあったように思います。

有言実行とか、そんなことばを座右の銘にしていたり。

男は黙って、なんたらとか。

チャンスかもしれない。

できないとか、うまくいかないっていうのは、ある意味変化ですよね。

見えていなかった自分のこと、発見するかも、です。

なんだ、今まで出来ていたのは、ふりをしてただけなんやーっとか、ワンパターンでこなしてただけだったーっとか。

あの人にたのもーって、なんか広がるきっかけができたりもする。

そういう経験をすると、逆にわくわくすることがありますね。

そうやって意識すると、ごまかせなくなりますよね。

わかったふりとか、適当に合わせるとかが、できなくなる。

どんどんいろんなことが明らかになっていきます。