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疑問形で考えているときは要注意だな。

ぼくは、もちろん自分のことを悪人だとは思ってはいないんだけど、それでも、心の中には結構黒い部分があるんだなと気が付いたのは、もう3年くらい前だと思う。

それは、欲望や妬み、怒り、蔑み、自己嫌悪の類だ。

それで、これまで、そうした自分を見つめることを繰り返してきたわけだけど、変われたかというと、そんなに変化はなかったと思う。

それが、なぜなんだろうと思って3年ほど経ったわけなんだけど、ふと最近になって気づいたことがある。ここまで、かなり時間がかかったもんだね。

「これはエゴだろうか。」とか「これは妬みだろうか。」などと、疑問形で考え始めたとき、実は潜在意識は、「うん。それはエゴだよ。」「妬みに決まってるじゃん。」って、言っていたってわけ。それを認められないから、哲学的に思考するふりをして「エゴじゃない」考え方、「妬みと思わない」考え方を探して、そのままの自分を認めていなかったということだった。

考えるべきは、どうしてエゴが出てきたのか。何を妬んでいるのかであって、そうじゃないと、エゴも妬みも昇華されないで、うやむやに残ってしまう。

潜在意識に善悪はない。感じたものがそのまま表れる。まず、そこを捉えることだ。そうしないで、別の考えに逃げることをしていたから、いつまでも変われなかっただけのことだった。

2020年は、そこから始めることになるようだ。

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あか音ぐも

ネーミングって不思議だ。

「きれいな茜雲(あかねぐも)だなぁ。」と、そう言った人は、メンバーの中にはいなくて、その一言を聞いた人が、そのイメージを受けて、名前がつけられました。

それまで、このオカリーナ・グループの名前は「あるわいな」でした。もうずいぶん前になります。月日がたって、グループのメンバーも相当入れ変わりました。

けったいな(変わった)名前が流行した時期がありました。

「勝手リーナ」「オカシーナ」というようなネーミングもかつてはありました。「あるわいな。」というのは、「まあ、そんなことも、あるんだろうな。」というようなニュアンスの言葉で、当時そんな話題がグループの中でポンポンと出てきていた時期で、つけられた名前でした。

当初「あか音ぐも」は、消極的で「おとなしい」静かなグループでした。

そのため、一人ひとりにソロを演奏するように課題を作った時期があります。グループ内でのミニ発表会というスタイルです。半年以上続いたように思います。おとなしい感じはありますが、その後は、リラックスしたゆるやかな雰囲気に変わりました。

そのグループが今度は岩美の道の駅「きなんせ岩美」で演奏してくれるかも???

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みやびな鶏。

ある日のオカリーナ教室シリーズ。(そんなシリーズあるのかな・・・)

オカリーナ教室、グループの名前は、それぞれに任せているので、自由な名前がついてる。

今日は、雅(みやび)な鳥と書いて、「雅鳥(がちょう)クラブ」。ダチョウ倶楽部と間違えそうだ。

オカリーナがイタリア語でガチョウだから、というネーミングらしい。

みやび、というより、にぎやかい。笑いが絶えない。

タグは「miyabi」にしよう。

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あるオカリーナ教室の様子

白壁天女琴リーナ(しらかべてんにょことりーな)という、長い名前のオカリーナグループに月2回レッスンのため、お邪魔しています。

名前が長いので、略称はないですか?と尋ねると「しらかべ」か、「ことりーな」だと言います。他のグループから「しらかべさん、ことりーなさん」と、そう呼ばれることが多いらしい。

「天女が抜けとるがな。」と大笑いしました。

現在男女9名のグループです。練習場所にちなんで、このページでのタグを「取調室」としました。以下のリンクからでもアクセス可能です。

https://tajiri90.com/tag/sirakabe

練習(レッスン)会場となっているのは、倉吉市文化活動センターの2階にある、通称「取調室」です。建物が元倉吉警察署で、その部屋の入口が鉄製の2重扉なので、グループの中で、そう呼んでいます。実際に、この部屋が取調室だったかどうかは、わかりません。

2019年12月20日(金)は、今年最後の練習(レッスン)でした。

高い音の練習曲

この夏ぐらいから、Amazonで販売している電子書籍「オカリーナ入門」に掲載されている「高い音の練習曲」を、やっています。今日は、高いドから上の音がよく響きました。順調に成果が出ているようです。

太鼓に囲まれた部屋

倉吉打吹(うつぶき)太鼓の保管部屋にもなっていて、太鼓のイベントがない時期には、部屋は大小様々な太鼓が並びます。太鼓がたくさん部屋に並んでいるときは、オカリーナの合奏の音色が柔らかくなります。不思議です。

打吹太鼓は、今年最後の大きなイベントが終了したようで、今日は、たくさんの太鼓が並んでいました。狭い部屋なので、太鼓がないときは、響きが大きくなります。今日はとてもオカリーナの合奏が、聞きやすい音で響いていました。

練習(レッスン)を行う部屋の響きはとても重要です。場所によってずいぶん響きが変わります。響きの乏しい場所では、ふだんの会話も控えめになったりします。

ここは、楽しいメンバーが集っていることもあり、実ににぎやかで和やかです。

ひとまず、続きは気が向けば、明日書きます。

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この世の中で、手の届かない誰かが悪いということは、まったくない。

ぼくは、これまで、なにかあったときに、よく言い訳をしていたほうだと思う。

こうするはずだった。

もうちょっと時間があれば。

ぼくの力不足で。

責任を持つということは、今ここにあるすべてが、自分のことだと言えるということだ。

手の届かない、誰かに対して責任があるということは、一切ない。ぼくには、ぼくの手の届く、声の伝わる世界に対して、責任がある。変えたいとか、変わってほしいとか、ではなく、今、伝えたいし、感じたい。

変わるかどうかは、結果として見えるだけだ。

こうして文章を書いているのも、自分の声を聞いて、文字にして見て、自分で確かめている。そういう作業だと思っている。ぼくの中で確かになったものだけが伝わる。そして世界から伝わるものを、ぼくは感じることができる。

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時間は、距離でも、壁でもなく。

今日、ある友人と20数年ぶりに会った。「久しぶりだね。」とは言ったけど、数秒後には昨日会ったのと変わりなく、ただ心地良い。お互いが歳をとったことも自然だった。たまについ口癖で敬語が出てしまうけれど、それもおかしいくらいで、まったくいやではない。

彼女とは、パソコン通信をやっている全国の35歳がネット上で出会い、会話をするという実験的な番組で知り合った。

熱くなったり、ダラダラと長くなったりする画面上の会話に彼女は、すっと、さらっと入ってきて、いつの間にか、うまくまとめてるみたいなところがあった。いつも自然体で、柔らかさがあった。

20数年前に、ぼくが鳥取で忘年会をしようと呼びかけて、全国から10数人が集まってくれた。その中に当時海外で暮らしていた彼女もいた。まったく印象どおりだったことを覚えている。

「(宴会場の外に見える)この道路は、ぼくがこどもの頃にはなくてね。ずっと砂浜だったんだ。」

彼女は、富山の海に似ていると言った。実家だったのか、おばあちゃんの家がそうだったのかは覚えていない。

今日は彼女のダンナさんも一緒だったが、なんだか二人が二人でいることがしっくりくる、そんな感じがした。

今日わかったのは、時間が距離に感じられたり、壁になったりするのは、みんな幻想なんだということ。

伝わる相手とは、いつどこにいても同じ空間にいるのだということ。

そして、その幻想を現実のものだと勘違いしているのは、執着という強い思いなのだということ。

同じ空間にいるのだとしたら、執着はいらない。お互いが事実だけを見て、認め合うだけだ。そして、心から尊重しあえる。

また会えると思う。それがいつになってもかまわない。会えたらうれしいと思う。

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誰にとっても、同じ1日。

ある70歳代の男性が「なんぼ生きても、あと10年ですわ。近ごろ、そんなことをよう考えますで。」と言うんです。

こんなふうに話をふられたとき、59歳のぼくは「そう言わんと長生きしてつかいな。」と鳥取弁で言う。

こんな話をするとき、いつも違和感を感じてた。本当に明日生きているのか、死ぬのかって、誰にもわからない。そりゃ、70歳より80歳のほうが死ぬ確率は高いんだろうけど、今生きているのに、8ヶ月だろうが、70歳だろうが変わりはしない。今、健康な人が、病氣をしている人より、早く亡くなったりもする。

どうせなら「今日も生きてた。」と言って、1日の終わりを喜びたいし、「今日も目覚めた。」と言って、わくわくして1日を始めたい。

あまり「何年か後にこうなりたい。」とかって、思わない。目標がないわけじゃない。それよりも、今生きていることに意識を持ち続けたい。刹那主義とも違う。人からは「恵まれているからだ。」「健康だからだ。」と言われたりもする。

いやいや、どんなときでも生きている以上の恵みはないです。それは、断言できる。どんなにつらく苦しいことがあっても、そのことに感謝は忘れない。なーんて書くと、崇高な精神のように思われて、持ち上げられたりもするから、それはいらないって思う。

そういうことをさらっと言っているOSHOのような人もいる。そう、ありたいなとは思っている。

Osho Japan

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メガネはどこだ?

いつも、ではない(ここは強調しておこう)。

たまに。本当にたまに、だけど。朝、メガネをどこに置いたかわからなくなることがある。

こたつの上に置いて、そのあと、うっかり下に落としてしまっていたら、踏んで壊してしまうかもしれない。

そうなると一大事だ。

四つん這いになって、こたつの周りをうろうろすることになる。

なにしろ、物体から50センチ離れたら、もうすべてが、ぼんやりとした形しか見えない。すべてがソフトフォーカスの中にある。それくらいの視力だ。メガネのように輪郭しかないようなものは、にじんだ景色に溶けてしまう。

いつもは、そう長く探すことはない。5分もあれば見つけられる。朝起きて、両目にレンズをはめるまでの、ほんのちょっとした時間の出来事だ。

部屋中をさんざん探した挙句、着替えた上着のポケットから見つかることもある。だいたい、その程度のことだ。

今日は、やはり床に落ちていた。最初から床に置くことはない。何かの拍子に落ちたのだと思う。しかも、こたつの近くだったから、うっかりするとお尻に敷きそうな場所だった。あるいは、手をついて、ぐにゃり、とか。

とにかく無事でなによりだ。

さて、目玉を洗ってこよう。レンズを入れて、今日の世界を見てやろう。

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ぼくにとっての第28章。

この文章は、音楽家・岸本みゆうに書いた文章を、加筆訂正したものです。


1980年12月9日火曜日、ぼくは20歳になったばかりで、鳥取県西部にある米子市に住んでいた。

10月28日の誕生日には、下宿のきれいなお姉さんにカードをもらったんだ。「まっすぐに生きようと思うな 曲折多き人生も また美しいではないか」って書いてあった。好きだったな、そのお姉さん。ロマンスも何もなかったけど。

「きみ、作家になれる。文章を書くといいよ。」そんなことを言われたこともあった。ぼくが音楽をやっているって言うと意外な顔をされたんだった。

前の年に、高校を卒業したあと、東京の専門学校に行ったんだけど、続けるのがめんどうになって、退学届けを出して、鳥取に帰ってきた。

ちょうど親戚の建築会社で募集していたんで、大工の見習いをすることになった。その会社の下宿だった。

当時、その下宿に住んでいたのは、高齢の女性が二人と、近くのデパートに勤める20代の女性とぼくの4人。一軒家で、作り置きの料理の余りものを分け合うような、当時は、たぶんよくあった家族的な昭和な下宿だった。

自由に使えるキッチンが部屋の近くにあって、そのころ下宿にいるときはヒマだったので、ほぼ毎日自炊をしていた。その日の夜は日曜日に作ったカレーを温めて食べた。大きな深い鍋を買ってきて、3日続けてカレーを食べることも珍しくなかったんだ。

仕事はきついこともあったが、みんな優しい人ばかりで、楽しんでやってた。昭和56年(1981年)が酉年(とりどし)ということで、雪の多い冬だったが、境港に近いところで、人が住めるくらいの大きな鳥小屋の建築を手伝っていた。

当時は、インターネットも携帯電話もない。目覚まし時計代わりに使っていたラジオから、そのニュースが流れてきた。ぼくの中に世界が止まったような感覚があった。

「12月8日、ニューヨークの自宅前で、ジョン・レノンが銃で撃たれて亡くなりました。」

記憶は今でははっきりしていないけれど、泣きはしなかったと思う。ただ、体じゅうのいろんなところに穴ぼこが開いたような感じがした。

ぼくが会社を辞めて下宿を出たのは、翌年の2月だった。

マーク・チャップマンが開いたのが、「ライ麦畑でつかまえて」の第27章だったのだとしたら、もうその章は終わったと思う。今から始まるのは、第28章だ。

これから新しい世界が始まる。始まらないといけないと思ってる。

(ジョン・レノンの写真はジョン・レノン – Wikipediaから拝借しました。)

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コンタクトを外した後に。

最近は、この黄色い目薬を使っています。

まじ、よく効く。

でも、この目薬を使ったあと、しばらく涙が黄色(笑)

乾燥とか、紫外線とか、角膜がやられたことがあって、そうなると、めっちゃ目が痛いんだよね。

それで探して、この目薬に出会った。

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コンタクトレンズを外した後も目が楽です。次の日の朝、コンタクトレンズを装着するときも、前に感じていたような違和感がないですね。
(個人差がありますってやつでしょうけど)

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Tori-iwa/しあわせを はこぶ鶏