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春分を迎えて

音楽三昧

3月20日は、春分の日・祝日だったけど、倉吉市内でのオカリーナ教室が3つあった。午前の教室は予定通り、午後は、コロナの影響で先週からの振替だった。

空は春霞。晴れてはいたが、前の日に続いて、風の強い日だった。

夕方、クルマの中で録音した「ニュー・シネマ・パラダイス」をSoundCloudにアップロードした。これは、数年前に宍粟市のオカリーナグループで演奏するために、ぼくがオカリーナ五重奏用に編曲したものだ。

こうして一日音楽をして過ごせるというのは、幸せなことだ。

朝日のあたる街

21日は朝早く目が覚めて、ちょっと近所をドライブした。見慣れた街の景色が朝日を浴びていた。午後からは影になる風景がきらきら輝いていて、光の当たり具合によっては、違う印象に見えたりもする。

クルマを運転しながら、バイクに乗っていた20代~30代の頃を思い出す。排気音のリズムや、朝日に輝く街の記憶がよみがえってくる。

帰ってから、家族がまだ寝静まっている家で、ヘッドフォンでボブ・ディランの「朝日のあたる家」を聞いた。

現代は、YouTubeという便利なものがある。自転車を走らせて30分ほどかかるレコード・ショップが開くのを待って、お目当てのレコードを探して、徒労に終わる経験をもう誰もしなくていい。気が向けば、ジョーン・バエズの歌もすぐに聞けるのだ。なんて素敵な時代なんだろう。

午後は家族でお墓参り。墓場は、港の近くの山の上の見晴らしのいいところにある。ありがたいことに、今日は風が穏やかだった。風が強い日は、ろうそくも線香も火を点けるのに苦労する。

夕方、クラリネットのレッスン。レッスンのあと、「刀剣乱舞」のライブがコロナで中止になったり、内容が変わったということで、その話題で盛り上がったが、ぼくはよくわからない。「へぇ、そうなんだー。」って、驚くばかり。

その後、明日の鳥取市文化センター、ヤマシタ楽器の音楽発表会のリハーサル。たった一人でリハーサル。ステージを占領する快感。リハーサルはお世話になる会館の方と挨拶できる貴重なチャンスです。どうぞ、よろしくです!!

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春の強い風

自宅にいて、1、2時間空きがあるときは、掃除、洗濯、片付けですね。多くの方の日常だと思いますが。

今日の午前中はそうでした。

いきなり春の陽気で、暖かくて、晴れました。ただ、風がめちゃめちゃ強かった。

鳥取、というか、山陰側は、コロナ騒動とは少し距離感があります。マスクしないで通りを歩いている姿も珍しくありません。このまま平常でいてほしいと思います。

これって、人口密度、そのままやなぁ。そんな感じですね。砂丘とか、観光地に行けば、京阪神ナンバーのクルマは並んでいるし、交流人口は決して少なくない。ただ、中国からの団体さんは見かけませんね。

あんまり、意に介さない風土もありますね。基本、他人事(ひとごと)です。「煮えたら食わぁ。」とは、よく言われます。

政治にしても、時事にしても、ニュースやテレビのワイドショーはぼくは見ないけど、鳥取の人は、よく見ると思います。スタンスは「見物」です。我が身に感じていない。コロナもこういう風土からは逃げちゃいますね。実際、それでいいのです。

午後からは、パソコン講座をやりました。エクセルです。

なんでいきなりパソコンの講座を始めたのか、この辺の経緯やどんなことを始めたのか、などは、パソコン教室のエフセブンの方に、あとで書いておこうと思います。

夜はオカリーナ教室でした。今日もよく働きました。楽しい一日でした。

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腹痛なれど

ややハラコワシ状態で、しかも深夜、すでに日付は変わっているので、5分くらいでだーっと書いて、布団に潜り込もうと思う。

書ききれなかった分は明日推敲するので、明日見ると、この文章が変わっています。多分。そうなります。

コロナ騒ぎは、佳境かな、なんていうと、なんか見物してるみたいだな。今ある世界の試練は、人生の試練と同じように見えている感じがします。きっと、大したことないと思えば大したことないよ。日本は、これからだけどね。経済的にも、社会的にも。田舎ほど、静観できるだろうけどね。

昔、ぼくが東京にいた時分のことを思うと、まだ東京にいて当時と同じように一人暮らしをしているのなら、とにかく生鮮野菜を買ってきて、ネギをかじりながらジッとして過ごしていたんだろうなと思う。

たまーにテレビを見て、バカみたいだなって笑って。

ぼくがいた頃は黒電話があって、スマホも携帯もなかったんだ。そんな時代だった。公衆電話に十円玉を積み上げて、チャリンチャリンって音を聞きながら、電話をしていたんだ。

今、会社に行かないで済んで仕事ができているところは、そのままになると思う。都会の大きな会社ってそうだよね。それがコロナ以降も当たり前になるってこと。

それが浸透するのって早いよ。パソコンがインターネットにつながるらしいよって言われたの、1995年だよ。Windows95って古いOSが発売されたとき。25年ほど前のこと。

年末にさ。秋葉原に行列ができたって、ニュースになったけど、マニアが馬鹿な行列作っているくらいのとらえ方だった。社会がインターネットに注目しはじめたのは、2000年頃だった。5年もタイムラグがあったよ。

PHSはあったんだけどさ、なんかね、家電の子機くらいの感じの端末でさ。実際に家電の子機を外に持ち出して、電話がかからないという苦情を言っている人が当時いたのを、ぼくは実際に目撃しています。

そのうち、iPhoneが出てきて、スマホがじわじわ普及しはじて、iPadが出たのは何年でしょうか。ちょっとクエスチョン、正解者には、iPadプレゼント、しない。

はて、さて、ねましょう。またあした。

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神々の微笑み

晴れの一日

今日はいい天気。ドライブ日和でした。

わざと時間のかかる道を選んだり、寄り道をしたりして。

今日は、時間があったので、午前中から出かけて、どこかでお昼をゆっくりと食べようと思っていたら、ぜんぜん時間が足りなくなって、コンビニのおにぎりになりました。

「うまい!」の一言

コンビニのおにぎり、パリッパリの海苔がうまい。

感じたことは、声に出そうと思い「うまい!」と叫んでいました。一人で運転するクルマの中なので、誰も聞いていません。でも、声に出すと、少し口元が緩みますね。

コンビニのおにぎりがギッチギチの固いおにぎりで、ぺったんこの海苔が直接巻かれていた時代を知っています。現代のコンビニおにぎりは、世紀の大発明だなと思います。

午後はちょっと荷物の受け渡し。少しの時間話をしましたが、皆さん、マスクをしておられました。ぼくはマスクをしてなかったけど。

「きっと、だいじょうぶだと思うよ。」そうやって、声に出すと、お互い笑顔になります。

もう一箇所寄り道をして、今日は300キロくらい走ったかも知れない。

不思議なナンバー

クルマのナンバーが行きは、7、77、777、7777と続けて見えて、ちょっと驚きました。しばらく走ると、8、88、888、8888と続けて見えました。あとはランダムでしたが、ゾロ目がよく目に入る日でした。

やはり日一日と変化を感じています。

神々の微笑み

数日前からKindleで『古事記物語』(鈴木三重吉・著)を読んでいます。神様の名前がどんどん出てくるのでスピードが追いつきませんが、おもしろいです。

先日米子市美術館で見た境港市出身の洋画家、小灘一紀(こなだ・いっき)さんの展示(終了)も、テーマが「神々の微笑み」で、古事記に登場する神々を題材に描かれた作品が多くありました。

『古事記物語』には挿絵がないのですが、読み進めるごとに、頭の中には、小灘さんの絵が浮かびます。

神々も「きっとだいじょうぶだ。」と微笑んでいるでしょうか。

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シェアする時代

録音してみました。

昨日楽譜に仕上げたバッハの「主よ人の望みの喜びを」を録音しようと、なるべく静かで人の迷惑にならないような場所を選んで車を停めて、録音のときにはエンジンもエアコンも止めて録音しました。

オカリーナの七重奏ですから、まず基準となるオルガンの動きのあるパートに当たるメロディを録音して、それに合わせて、1パートずつ、重ねていくという感じです。音程が気になるところはあるけど、まずまず短時間の録音でここまで録れたら上出来でしょう。

こころに主イェスを(オカリーナ七重奏)

午後もオカリナの仕事

午後はちょっと仕事をしました。中古のオカリナを売る仕事のお手伝いです。

話はガラっと変わります。

日本は最近もちょくちょく地震があって、大きな災害も経験もして、それでも戦後の一時期の高度成長の幻想を夢見ていたわけでしょう。で、この度のコロナ騒ぎで、もうそういう幻想は切り離してもいいんじゃないかと、たくさんの人が気がついたんじゃないかと思う。

シェアする時代

「これシェアしましょう。」って、話、ふつうに会話の中で出てくるようになったと思います。今までは、なんでもかんでも利益になるようなことは、権利と結びついていて、場合によっては、お金になり、独占することもあったと思う。

もちろん、なんでもかんでも水や空気と同じようにシェアしてたら、一人ひとりの権利があやふやになってしまいます。

利益も権利も、一人ひとりに当然あって、守られるものです。

インターネット以前の時代は、それがモノだったし、お金だった。だから、みんなお金を欲しがったし、消費し、浪費し続けていた。

それが、情報という、目に見えない形のないモノになって、瞬時に広がり、簡単にシェアすることが可能になった。

お金だって、現代は、ただの数字になりつつある。いや、もともとただの数字だったんだけど、お札や硬貨が葉っぱに見えなかっただけだわ。

これから、なんか違う世界が見えてきそうな気がしています。なんとなくですけど、最近、そう思います。

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選択する今と未来

寒い一日。

今日は寒かった。珍しく一日家にいたし、ずっとストーブをつけてて、それでも寒かった。天気予報では明日雪がちらつくらしい。

県外でイベントがある予定だったのが、今回のコロナ騒ぎで中止になって、その分時間ができた。

いつものように朝は起きたし、掃除もした。着替えていつでも出かけられる準備は整えていた。

でも結局、片付けものをいろいろとやって終わった。

「主よ人の望みの喜びを」

前から要望のあった「主よ人の望みの喜びを」をオカリーナ七重奏で吹けるようにアレンジもした。コラールの四声とオルガンのパートを三重奏に分けた。本当にやってくれるかな、と内心思いつつ。

あとは、本を読んだり、動画を見たり、音楽を聞いたりした。

言語化、アウトプット。

ぼくもそうだけど、人間は予測して行動する。予測というのは、記憶であり、過去の経験だ。それがあいまいだったり、自分の感じたものと違っていても、予測を優先してきたと思う。すべて行動は自分の選択だ。「無難なもの」「社会が求めるもの」を選択する習慣をもっていたということだった。

その習慣を一気には変えられないにしても、自分が何を感じているかは、こうして、言葉にすることで自分自身で見ることができる。アウトプットが大事というのは、そういうことだ。

人の目にもさらされるし、読み直すことで考えることになる。見過ごすことは、これからはできない。

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緊急事態のその後

風邪をひいていました。

ぼくは、2月14日金曜日の午後あたりから、声がかすれる、体が重いなどの症状が出てきました。それから10日間ほどは、ちょっと風邪気味でした。その頃、中国の武漢でなんかとんでもないことが起きているらしいくらいのニュースは入ってきてはいたんですが、ちょうどひと月経って、日本国内でも広まってきて、かなり状況は変わってきたと思います。頭の隅で「風邪をひいたのが、今でなくて良かったな。」なんて思っています。今は、元気になりました。

どうなるんだろう。

先日、国会で緊急事態基本法みたいなのが通っちゃったし、今はやらないって言ってるけど、急に患者の数が増えちゃったり、オリンピックがどうかなっちゃったりしたときとか、どっかの時点で実行に移されるんだろうって思う。外出制限もあるだろうし、ぼくのような自営業だと、収入はめっちゃ落ちますね。

でもあまり不安に思ってなくて。

それが過ぎたところで、社会の仕組みが元に戻るかどうか、どうでしょう。その後も、ぼくはたぶんインターネットを通じて、自宅でできることに集中して取り組むことになるのかなと思います。

その準備を今からしておこうと思います。

じゃあ、アフィリエイトやアドセンスで稼ぐのかというと、それはあまり考えていません。そもそも欲しい欲しいと思うと手に入らないモノです。お金には念がありますから、特にそうですね。

役立つ情報をつなげる仕事をしたいなと思います。自分自身で持っているものをとりあえず、ぜんぶ出してみる。持っているだけだと、人にいじられていないですから、いっぱいいじってもらう。その中で育つものあるだろうし、消えちゃうものもあるかも知れない。

とにかく、アウトプットをやるってことですね。自分で言語化していなかった部分を言語化していく。

そして、どんどん発信する。

今回のキャッチ画像は。

近所にあるお地蔵さんの「家」?なんて言うのかな。何体かのお地蔵さんが並んでいて、お年寄りが毎日掃除して、祀ってます。各地でお地蔵さんや小さなお稲荷さんとかよく見かけるんですが、時々あまり手入れされていないものも見かけます。

あるお地蔵さん。一見するとよくわからない。黄色い布がかけられていて、見えない。

こういった写真は一例なんだけど、自然や文化、大切にしたいものを自分自身が見直すきっかけになったものを発信して、何か伝わればいいかな、とか。

これから、毎日、なんか書きます。

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ぞろ目の日

今日は令和2年2月22日ですね。もともと2020年ですし。

午前2時22分は寝てました。午後2時22分はオカリーナのレッスンをしていました。22時22分はお風呂に入っていたようですね。

クルマのナンバーで言えば、今日は9と6、あと2もだったかな。3桁、4桁のぞろ目のナンバーをよく見かけました。

これは、何かしら「変化」「始まり」を暗示しているらしいです。

ぼくはね。その意味はあるだろうなと、信じています。

なぜなら、数字そのものも周波数だからです。言葉もそうです。波動を持っています。単にその数字と出会っただけでなく、ぼく自身の波動と合ったから、印象に残る形で見ることになったのです。波動が合わなければ、ただ通り過ぎて、見ることはなかったわけです。

すべての人々に神のご加護があることを祈ります。

ふと、目の前に古ぼけた御守りがあって、總本山信貴山(しぎさん)朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)ってある。

奈良のお寺らしい。行ってみたい。

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モッコクの森

モッコクは「木斛」と書くらしい。この標題は、勝手に頭に浮かんだもので、この文章を書くまでは「モッコク」も「木斛」も知らなかった。

頭の中にふと浮かんだ「モッコク」って、なんだろうと調べてみると、今日訪れた島根県松江市に関係があるらしいとわかって、びっくりした。よく見かける灌木の名前らしい。

松江のどこかで、そういった文字を見かけたんだろうか。まったく記憶には、ない。

今日松江には島根県立美術館で開催されていた柳宗理デザイン展を観に行った。

日常の生活に溶け込むデザインを、庶民の暮らしの中から考えていた、その軌跡がうかがえる展示だった。こんな風に顔のドアップの写真が展示されるとは、本人は夢にも思っていなかったかもしれない。

帰り道にはふと思い立って八重垣神社に立ち寄った。平日だったので、あまり人気(ひとけ)はなく、稲田姫に呼ばれた気がした。

この写真は、お賽銭を入れて、お参りを済ませ、一歩下がって、カメラを構えたときのものだけれど、写真を撮る直前に、コンタクトレンズを装着した目の右目に非常に刺激的な痛みを感じて、正視することができなかった。

あとで、こんなに鮮明に写っていたと知って驚いた。

ちなみに、中央に写っている4柱(はしら)の御幣(ごへい)のうち、中央最前線の御幣の柱が赤いのがわかるだろうか。この中央の御柱が稲田姫です。毅然と座しているのが見えます。

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お風呂で沸かして、ストーブで温めて、おやすみ。

だは!

温かい!!

これでぐっすり眠れる。

Goodnight!!