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pc

パソコンって必要なのかな

 ぼくはパソコンを必需品だと思っている。仕事でWindowsを使う、マックも使う。パソコンがなければ暮らせないだろう。

 しかし、ほんの30数年前には、携帯電話も持っていなかった。新聞の折り込み広告の中で裏面に印刷されていない紙を探して、折りたたんで、また適当な大きさに切ったりして、メモ代わりに使っていた。今でもそれで事足りる暮らしをすることは可能だ。パソコンがなければ暮らせないというのは、単なる思い込みだし、本当は幻想だ。

 こうやってホームページに文章を記しているとき、本当は原稿用紙でもなんでも構わないのだ。人に伝えることが目的ではない。誰かに読まれる確証はまったくない。もともと自分の考えを整理することが目的だから、読まれなくてもいいし、メモに走り書きをしたってかまわないのだ。ある日突然消えてしまってもうろたえない自信はある。

 生活に必要なものは、個人商店があまり流行らなくなったこの時代でも、ごく身近に手に入れられる。コンビニだって本当は行かなくてもいい。このコンビニにも行かなくてもいいという考えをもっと広げると、この世の中で「便利なモノ」として挙げられるモノのほとんどが実は必要のないモノばかりなのに気付く。その「便利だけど必要のないモノ」の代表がぼくにとってのパソコンなのだ。出来るなら家だって、クルマだって手放したい。あまりこういうことを考える人はいないかも知れないが、ぼくは20代の頃は浮浪者になりたかった。彼らのほとんどは、浮浪者になりたくてなっているわけではないし、なろうとしてなるものでもない。だが、それくらいモノを持たない生活に憧れていたのだ。

 50代半ばを過ぎて、またふつふつとモノを持たないことへの憧れが浮かんでくる。それはある意味死への憧れなのかもしれない。墓や位牌も持たず、存在が消えるような死に方がいい。だいたい死人にモノを持たせようというのは人間はどこまで傲慢なのか。少しずつ、そのような瞬間に近づけたらいいなと思っている。

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essay

上質な心を持つことの意味

 誰もが、木綿のシャツよりもシルクのシャツの方が上質だと思うだろう。軽自動車よりもベンツの方が上質だと思うだろう。田舎のアパートの一室よりも都会のマンションの方が上質だと思うだろう。中卒より東大卒の方が上質だと思うだろう。

 人々の思考の中には、優劣をつけて考える思考がある。それが自然な思考なのだと思う。いつも清潔なブランドのシャツを着たい。ピカピカの高級車に乗りたい。洗練されたマンションで暮らしたい。我が子だけはいい学校に進学してほしい。

 そこにある心はどうだろうか。シャツやクルマや家や学歴で心が変わるだろうか。

 そこには、経済的格差があるだけで、決して心に格差があるわけじゃない。シルクのシャツを着ていても、心が温まらない人もいる。ベンツに乗っていても、ロールスロイスじゃないと満足できない人もいる。マンションに暮らしていても田舎に暮らしたい人もいる。東大を卒業してもその意味を見つけられない人もいる。

 心を見つめた時、その心の穏やかさ、豊かさ、確かさを感じられるなら、それこそが上質な心なのだろうと思う。

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music

確かにある「気配」という存在

 それがもし、映像として見えたなら「オバケ」とか「幽霊」とかになるんだろうか。今日もそんな「気配」を感じる瞬間があった。

 今日の晴れた午後。ある建物の2階。入口の扉には表面が凸凹したガラスがはめ込まれていて、向こうの光が透けて見える。ふとした瞬間にその向こうの光の中に人影が動いたような「気配」がした。そこはすぐ階段があって、さらに下には鉄の扉がある。もちろん、そのあと確認はしたが、誰もいない。いるはずがない。しばらくするとその「気配」は部屋の中に入ってきて、ゆっくり移動していった。その部屋の中には私以外に4人の人がいたが、誰もその「気配」を感じてはいない。

 見えない幽霊を「見た」とは言わない。それは確かに感じたけれど「気配」でしかなかった。きっと、ほんとちょっとした光のゆらぎだったのだろう。それがたまたまぼくが座った場所だけに感じられたのだ。

 以前、ある会でたまたま全盲の方と同席することがあって、その人が言った。「今日は15、6人くらいだな。」って。100人くらいはゆうに入れる会場だった。足音を数えていたのだろうか。見渡すと確かにそこには10数人の人がいた。「わかるんですか。」と僕は尋ねた。「うん。割と正確に。」足音や話し声、ドアの開け閉めの回数を数えているわけではない、とも言った。もっと人が多くてもあまり外すことはないそうだ。百人、千人規模だと分らないかもしれないが、もしかしたらそれでもわかるのかもしれない。その人はいつも、まるでぼくが見えているかのように、ぼくとまっすぐ向き合って話す。

 盲目の人がすべてそうだとは限らない。でも、思い出すと「気配」のする方をまっすぐ見る人は多い。

 人は見えるものに頼ろうとする。データがあれば、データを信用する。ことがらを理性的に判断しようとする。それもある種の知恵だと思う。その方が間違えにくいし、知識があれば、判断も早い。しかし、そのデータが間違っていたら、その知識が間違っていたら、そう考えたらどうなるだろう。

 「気配」というのはなんだろうか。ほんのちょっとした変化。光だったり、音だったり、においだったり、温度だったりする。きっと、数値では計れないような変化、データに残らないような変化、なのではないだろうか。

 自然界の生物はみな「気配」をただ感じて、見逃さないだけでなく、それを感じている自分自身を信じて、人間がデータに頼るよりも確実に判断をするのではないだろうか。

 現代の人間にも、ぼくにも今すぐできることがある。確かにある「気配」という存在、それを見逃さないこと。それを感じている自分を見ることだ。データや知識はそれから参考にしても遅くはないのだろう。



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iwami

ズワイガニ漁が解禁です

 富山県から島根県の日本海で、2016.11.6、ズワイガニ漁が解禁になりました。ズワイガニの雄を山陰では「松葉ガニ」と呼んでいます。その中でも(1)甲羅の大きさが13.5センチ以上、(2)重さが1.2キロ以上、(3)脚が全部そろっていること、(4)色が鮮やかなこと、(5)身が詰まっていることの5つの基準に当てはまるカニを10人の目利き人がトップブランド「五輝星(いつきぼし)」として認定しています。

 昨年も最高値を付けた鳥取市賀露の中村商店が今年は130万円の高値を付けたらしい。初セリで高値をつけるというのは、ご祝儀的な意味もあるが、今年はそれに加えて鳥取県中部地震の復興を祈ってという意味もあるそうだ。それにしても高い!

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music

日本のキュビスム展

 鳥取はいいところだ。晴れた休みの日に美術館(実際は鳥取県立博物館だが)に行っても、人が少なく、ゆったりと鑑賞できる。人口が少ないというのはメリットも多いものだ。キュビスムといっても、作品はいろいろだ。これぞキュビスムという作品からキュビスム的な作品やら、シュールな作品やら。おもしろいのは、見ていて、自分の感覚をぐりぐりと動かされるような感じがすることだ。楽しかった。館内に入って、外に出ると1時間が過ぎていた。

 鳥取市内に出たのは、他にも用事があって、こっちのほうが本来の目的なのだが、とりぎん文化会館というところでイベントがあって、岩美高等学校ブルーマーティン・ジャズ・オーケストラの演奏を聞きに行った。

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music

摩尼寺、善光寺如来堂のご開帳

 2016年10月30日(日曜日)、秋の日の柔らかな日差しと青空のもと、今日は、摩尼寺境内にある善光寺如来堂のご本尊のご開帳に立ち会うことができた。来る11月3日には中国霊場の各寺の住職たちが一堂に会し、法要が行われるらしい。今日のご開帳は、実に80数年ぶりというから、当の住職ですら初めてという貴重な機会であり、緊張感ただようものであった。

 如来堂の中は、中国三十三観音霊場のご本尊の掛け軸とお砂踏みが用意され、ご開帳に先立って、10時から摩尼寺の僧侶3師によりお砂踏みと読経が行われた。立ち会ったのは、20名ほどだったが、県外からの熱心な信奉者の方もいて、遠くは山口の方からはるばる訪ねてきた方もいたほどだ。

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ドレミはパターンの名前

「ファはファなのに、ファから始まるドレミがあるって、意味がわからない。」

 その方には、そう言われました。

 私はこう言いました。「『ドレミファソラシド』というのは、『1番目、2番目、3番目・・・』くらいの意味で、パターンの名前なんですよ。だから、まず音の名前は、ドレミではなく、ABCで覚えてください。その「ABCDEFG」を日本では「イロハニホヘト」でいう場合があります。ハ長調の「ハ」というのがそれです。

A B C D E F G

皆さんがドレミと言っているのは、ハ長調のドレミ

 これは正確に言うと、「C」の音(ハの音)から始まるドレミなんです。また、この場合の「ドレミ」のことを「音階」または「スケール(Schale)」と言います。あなたが以前聞いたことがある「ファから始まるドレミ」というのは、「F」の音(ヘの音)から始まる「ヘ長調のドレミ」であって、Fのメジャー・スケールとも言ったりします。

 ドレミというのは、音階であるパターンの名前ですから、そのパターンの約束事があります。それは、ミとファ、シとドの間は半音1つ分、という約束事です。他のドとレ、レとミ、ファとソ、ソとラ、ラとシの間はすべて半音2つ分です。ギターで弾くと、半音1つ分はフレット1つ分になります。Fのメジャー・スケールをこの約束事に当てはめてみると、単純にFGABCDEFと並べるだけでは、半音の位置がずれるので、Bの音を半音下げてB♭にする必要があるのです。



    ファ      
C   D   E F   G   A   B C
D♭   E♭   F G♭   A♭   B♭   C D♭
D   E   F♯ G   A   B   C♯ D
E♭   F   G A♭   B♭   C   D E♭
E   F♯   G♯ A   B   C♯   D♯ E
F   G   A B♭   C   D   E F
G♭   A♭   B♭ C♭   D♭   E♭   F G♭
G   A   B C   D   E   F♯ G
A♭   B♭   C D♭   E♭   F   G A♭
A   B   C♯ D   E   F♯   G♯ A
B♭   C   D E♭   F   G   A B♭
B   C♯   D♯ E   F♯   G♯   A♯ B

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music

今日は丹比保育所

いやー、楽しかった。子どもたちが元気で明るいのはいいなぁ。
ここは、郡家(こうげ)を抜けて、もう若桜(わかさ)の手前になります。
オカリーナふくふくさんと一緒にお誕生会に招かれての訪問演奏です。

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ここは、花御所柿の産地でもあります。他にもおいしいフルーツがいっぱい。
今朝、鳥取砂丘の近くでは、らっきょうの花が咲き始めていました。秋ですね。紅葉ももうすぐです。

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7.8インチの大きなkobo aura oneなら、るるぶも大きく見えます。koboのいいところは、お風呂でも本が読めるところです。

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こんな日々を過ごしたい

今日の保育所での演奏は、楽しかった!新しくて広い郡家東保育所での訪問演奏でした。
体育館のような広い遊戯室。長方形の長い方にステージがある。音響マイクなど持っていって、美味しいお昼ごはんをいただいて、午後地域の指導員の方の講演を聞いて、おやつタイムがあって。
いつもそうだけど、最初は割と静か。歌っていいんだよって言ったもんだからあとは弾けた。でも、保育所はこれでいい。とても元気な子どもたちだった。

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今使っているkoboが壊れた。これって修理には対応していないので、買い替えるしかないそうだ。電子書籍リーダーとしてはかなり大きな約8インチのkobo aura one、しかも、防水。お風呂でも読書ができる。

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地震お見舞い

 10月21日の先日の地震には驚きました。岩美町田後の自宅の2階にいて、プリンターで印刷をしていました。最初、プリンターが壊れてガタガタ揺れているのかと思いました。そのすぐあとに揺れが大きく感じられたのと、防災の放送とスマートフォンがけたたましい警告音を流し始めたので、「地震だ!どこが震源だ?この近くか?」と思い、階下に降りていくと、息子と母が怯えて何か言いながら右往左往していました。

 しばらくして、揺れが収まったので、テレビを付けると丸印だらけの日本地図が目に入りました。その範囲の広さでかなりの地震だったのだとわかりました。震度を示す「6」という数字もまたかなり衝撃的でした。その赤い丸は鳥取県中部にありました。「火は使っていないな。」「落ちているものはないな。」とようやくいろんなことを考え始めます。倉吉市周辺にいる何人かの知り合いにメールを送りました。一言「無事ですか。」と。返事が返ってきた方、電話をくれた方といろいろでした。「無事です。ありがとう。でも怖いので、車の中にいます。」「そうですね。収まるでしょうから。ともかく無事でよかった。」そのような話をしたりしました。