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演劇を観た!

今日は、午後からオフでした。

世間的には、連休の最終日で、台風のあとの秋晴れってことで、うっかり鳥取砂丘周辺をクルマで走らせたら、クルマも人も混雑してました。

横断歩道で早めに停止して、渡る人を待つ、ゆとりドライバーです。←ちょっといい人ぶってる(^^;

午後もオフと言いつつ、1時間ほど仕事をして、夕方仮眠をとって、近所のコンビニで寄って、トイレに駆け込みます。

習慣的に、トイレではチェック程度にスマホを見ます。

Facebookに「はまべゆかりのとっとりワッショイ」を観たという友人の記事を見つけました。

今日も全力でワッショイします!!
13:00と17:00の2ステージです!
お席まだあります!!!!!
飛び込みも可!です!!

って書いてありました。

時計を見ると、16時20分。

パレットまで、クルマで、約30分の距離です。

飛び込めそうだ・・・。

コンビニで買い物をしないで、直行でした。

パレットとっとりに着くと、駐車場に1台もクルマが停まってません。

会場入口の看板には、本通りパーキングの方がおトクですって書いてあるじゃないですか。どうやら、そうらしい。

まあ、もうすぐ始まる時間だし、そのまま会場に入りました。

入り口に二人の女性がいて。

一人目の方が、ぼくの名前を聞こうとします。

見ると、名簿に名前がぎっしり。ほとんどが予約らしかった。

「すいません。予約じゃなくて。」

もうひとりの方が、「会場は、指定席で。」

って言われて、ドキッとして、チケットを見ました。

「すいません。指定席ではありません。空いている席にどうぞ。」

ホッとして振り返って見たせいか、いや、そのせいではなくて、その人、なんかいい笑顔でした。

50席あるかなぁ。ホールの前の方だけ、パーテーションで区切って、ほんとにこじんまりとした会場で。

30席くらいが埋まってただろうか。

出し物は3つ。おもしろかった。『サークルマート』、コンビニ店長やばい!

『ルームシェアの法則〜アナザー・ストーリー』、うん。こういうすれ違いってあるね。うんうん。わかるよ。

『ニックネーム刑事』、笑ったわ。おかしかったなぁ。ヴォシュレット! でもちょっと、ドラマもあって。

舞台転換のときのほっとした役者の表情も、いいなぁ。

時折(けっこう?)、アドリブってわかるやり取りもありました。そういうときに生の舞台ならでは「素(す)」も出るんだけど、ふだんからキャッチボールしてる感じも伝わってきて、そこにぐっときたりもします。

基本、コメディタッチなんだけど、テンポがあって、すとんと伝わるものがあって。

何より、大道具やセットにお金をかけてない(かけたいんだろうけど)、生身のお芝居がこんなに身近に観られるって、わぁ、うれしいなぁ。

鳥の劇場にもたまに行くことがあって、それは楽しいし、それぞれの良さはもちろんあります(何だか、上から目線だわ)。

とっとりワッショイ、すっかりファンになりました。「観る」というより、自分自身も含めて、そこに「いる」って感じるのがエネルギーだし、パワーなんだな。

まあ、とにかく、次も行きたいな。よかったわー。というハナシでした。

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物欲が、ない!

ざあっと、ふとまわりを見渡すと、ぼくは既に、モノにあふれ、モノに囲まれた生活をしています。

だから、満ち足りているから、ということになるんだろうけど、最近、物欲が、ない。ということに気が付いた。

逆に言うと、つい最近までは物欲のカタマリだったようだ。

これまでが、足りなかったわけでも、飢えていたわけでもない。実際、状況が変わっているわけじゃない。

けれども、そういうことに気が付いた、というハナシです。

で、これまで。

あ、これ欲しい。と思うと、いろいろと計画を立てるわけです。

いろいろ調べたり、見に行ったりする。手に入れたことを何度も想像します。妄想ですネ。

実際に手に入れるまでは、それが案外楽しかったりするから、自分が物欲のカタマリになっているとは思わない。

欲しいと思うのも、いろいろ理由を見つけてくるわけなんです。

必要だから、欲しい。という理由がいつも、いくつもあるわけです。

その必要だから、という部分も、自分で絞りだして作っているのにぜーんぜん気が付かない。

そうやって、ヒマをつぶして、忙しいと言っていたことにも、気が付かないのね。

その頃の自分(遠い目・・・)って、いつも常に足りない、出来ていない。って思っていたと思う。

足りないから、出来ていないから、モノを求めてた。

パソコンにデジカメ、タブレット、ヘッドセット、iPhoneに、Apple Watch、えとせとら。
クルマに、なんやかんや。
新しいメガネにスピーカー、いいなあと思うもの、すべて。

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東京にいたころは、グラスを集めてた。

白ワインはこれ、日本酒はこれ。
おちょこは、これ。
コーヒーはこれ。
水割りはこれ。
オンザロックはこれ。

それは、それで結構満足してた。

30年前、引っ越しの時に、ぜんぶ捨てちゃった。

今、手元にあるグラスは3つしかないよ。お客様用は、いろいろあるけどね。

今は、整理したいって思ってる。

足りない、出来ていないって思わなくなった。

出来ていようが、出来てなかろうが、そのままでいい。

そう思えるね。それがやっと、シアワセって思えるね。

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9月17日93歳の青年

今日がどんな日だったかを手短に書いておこうと思います。

午前中、パソコンのレッスンでした。いろいろやりました。「いろいろなことを、その都度やる。」ここでは、いつもそういうレッスンです。レッスンもいろいろです。徹底的に同じことを時間をかけてやることもあります。それは、パソコンの場合も、オカリーナやほかの音楽レッスンの場合も、同じです。ぼくに求められていることに対して、応えていると、自然そうなります。

午後、訪問演奏がありました。鳥取市国府町の「和みの郷(なごみのさと)」というところです。敬老の会みたいなのがあって、30人くらいのお年寄りの前で、オカリーナ教室の生徒さんたちと一緒に演奏してきました。とても93歳とは思えない、若々しい「青年」がおられました。人間、年齢ではないのだなということを改めて実感させられました。
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オカリーナ教室の生徒さんの一人は陶芸をされる方です。近くの公民館(コミュニティセンター)で陶芸の作品展があるということでしたので、訪問演奏に行った生徒さんたちと陶芸の鑑賞会に行きました。鳥取は自然も、人も、それぞれの文化も素晴らしいところです。見応えがありました。作品の作者ご本人もおられるので、許可を得て、椀やら、皿やらを手に取らせていただきました。見てもよし、手触りもよし。さまざまな趣向も感嘆しきり。

夕方はパソコンサポートに行きました。エクセルとCD作成でした。手順の説明と、質問に対する回答をします。スムースにいき、その後もうまく行ったよとLINEでメッセージをいただきました。ここは、しばらく安泰です。

岩美町に帰り、ジュンテンドーで大きめの滑り止めシートを購入しました。トランクスペースにひいて、ギターケースがコトコトクルマの荷室で動かないようにするためです。クルマの使い勝手がまたよくなりました。

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電気で走るクルマ-日産セレナe-power

知り合いがそばにいるところでクルマを発進させると、この大きな車体がほぼ無音で動き出すのに驚く。

セレナe-powerは、完全に電気で動く、モーターで走るクルマだ。

じゃあ、充電スタンドで充電するかというと、それはない。走りながら、発電用のガソリンエンジンで充電する。

セレナe-powerは、2018年3月に出たばかりだが、以前ノートe-powerが発売されたとき、「これはいいナ。」と思った。

ハイブリッドとは違う。外部から充電の必要な電気自動車でもない。

ノートの場合は、発売当初は、既存の同じデザインのモデルにe-powerのエンジンを積んだので、開発コストをかけられなかった苦肉の策で急ごしらえで作られた中途半端なクルマだと言われた。

電気モーターやバッテリーに関しては、リーフで培われた技術が使われている。

外部からの充電の必要がないので、極端に大きく重いバッテリーは積む必要がない。

それでもセレナの場合は、車体が大きいので、ノートより若干バッテリーは大きいらしい。エンジンが動いてなくて、電気のみで走ることのできる距離、時間がたっぷりある。エンジン音も速度に関係なく大きく変わらないので、動いたとしても、とても静かだ。

エンジン以外に、減速時の「回生エネルギー」も発電に使われる。今後は、こうした面がどんどん改良されると思う。外部バッテリーに頼っていれば、エネルギーの循環については考える必要がない。大きなバッテリーを積めばそれだけ航続距離が伸びる。

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時を刻み、時を旅する人

分刻み、いや秒刻みでスケジュールをこなしている人っていると思う。

すごいなぁ。

忙しいんだろうな、と思う。

ぼくなんかも、人からそう思われていたりするのかな。

いろいろ、やってるし。音楽も、パソコンも。

いつ休んでいるんだろうとか、思われてそうだ。

でも、ぼくは眠れる日は8時間寝てます。

クルマの中で、エアコンかけて、昼寝もします。たまに。

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本当に秒単位、分単位で動いている人にとって、1日はあっという間だろうし、極端だけど、人生そのものも一瞬のように思えるかも知れない。

それでも人は時間を切り分けて、いろんなことをやろうとするんだな。いろんなことができた方が充実していると感じるんだろうな。いや、そう思い込んでいるんだろうな。

できているかどうか、自分ではわからなかったりするから、評価や実績、できた記憶や知識にたよるんだろうな。

本当に満たされるのは、何かを感じている自分に気づくとき。

美しいとか、嬉しいとか、悲しとか、悔しいとか。腹立つっ、とか。

それを、自分の中からそのまま感じきるとき。

それって、時間ではないし、評価や実績、記憶や知識でもない。年齢も環境も関係ない。

ただ感じるのではなく、それを自分のものとして認識して、感じきること。

今まで、時間を切り分けて、ずっと歳を重ねて、記憶や知識に頼って生きてきた人にとって、かえって自分を感じ「きる」ってむずかしいことなんだろうなぁ、と、ぼく自身に重ねて、感じているところです。

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ビビビの正体

ビビビ、って来るって言うじゃないですか。

第六感とか、シビレルとか。予感だったり、ひらめきのようなものだったり。

あれって「周波数」ですよね。

アナログの時代の、まぁ、デジタルでもいいんですけども、ラジオのチューナーがピタッと合う、その瞬間の感じ。

人間が色を感じるのも周波数です。光の周波数、波長。

音楽の音色や、音の高さを感じるのも、周波数です。音の周波数、ヘルツ。

生命や、天体にも、ゆったりとした周期があります。地球の自転とか、月の満ち欠けとか、これも周波数。

逆に光よりも速い周波数は、電波、レーダーなど。




人は、時間という、一定のリズムの中で生きているって錯覚しているんだけど、それは、単に一つの周波数を基準にしているだけのこと。実際はさまざまな「ゆらぎ」の中で、意識を向けた方向でビビビを感じているわけ。

ビビビッってこうやって、ちゃんと周波数で理解できるはずなんだけど、ふだん目にしている理屈って、周波数を無視してるから。

たとえば「理論的に、まったく、ぴったりで正しいモノ。」にビビビッてくると思う?

美女と野獣が出会うのも、ビビビッなんだよね。理想的な出会いがいつも正解なんてことは、ないよね。

感性がビビビッときた出会いは、意味があるんだと思う。

そこを見逃さないことは一度きりの人生で大きな出来事だろうと思う。

親友との出会い、人生の岐路との出会い、いいことばかりじゃない、葛藤との出会い、傷つけられた思い出なども、思いとしてはいろいろあるんだけど、感じること、意味を知ることは大事なんだろうと思う。

ぼくは理屈ばかり追いかけていたから、ビビビは抑えようとしてきただろうと思う。これからのビビビは見逃したくは、ないな。

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2018年。暑い、夏。

今年の夏が特にそうなんだろうか。これから、来年から先もずっとそうなんだろうか。

あの各地で被害のあった豪雨のあと、一転して雨も降らず、酷暑が続いている。

この暑さは、まだ2週間続く予報だと出ている。40度ってなんだよ。体温以上じゃねぇか。

こまめに水分の補給をすること。極力、炎天下、外で体力を使わないこと。じゅうぶんに休息をとること。

それくらいかなぁ。気をつけるのは。

かといって、何もしないわけにもいかないし、もともと外仕事の人は、本当たいへんだと思う。

思考能力も、まぁ、もともとじゅうぶんではないところへもって、低下します。いろんなことがおっくうになります。

休みましょう、休みましょう。これはもうどうしようもないことです。がんばってはイケマセン。

飲める人は、昼間からでもビールを飲みましょう。眠れる人は、8時間でも9時間でも寝ていましょう。

さぁ、そう言いつつも、もうひと仕事、出かけてきます。ガンバルな。でも、もうひと仕事。ふうふう。

かんばらないで、できることを、やってきます。(2018年7月23日(月)18時に記す。)

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今、ここから見える世界

2018年7月21日夜、昭和20年7月28日に起きた米軍艦載機(戦闘爆撃機)による「大山口列車空襲」を題材にした『演劇集団あり』による演劇「昭和二十年、夏。」(作・演出:添谷泰一氏)を観ることができた。場所は、とりぎん文化会館リハーサル室だった。

まず、襲撃された時の列車の情景が劇によって描かれた。列車に乗り合わせた大山口駅の駅長の娘の友人が「案内人」として、劇の中から飛び出してきて、全体を通じて時おり解説をしてくれた。

襲撃の悲惨さがまず描かれる。それぞれのセリフから、血吹雪や、バラバラになった遺体や状況などが想像される。

学生や看護士、傷痍軍人、駅長の家族、友人、動員されていく人々などが登場する。

憎しみをあおるような過剰な、感情的な演出は感じられなかった。

場面が変わり、事件の24時間前のそれぞれの人間模様が描かれるシーンが続く。

笑いあり、恋愛あり、子どもの出産や、地域での様子や、当時の日常の風景が劇を通じて映し出される。

それぞれの思いを乗せ、列車に乗り込むところで、ナレーションとともに劇が終わる。

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「人間は、こんなに優れた存在なのに、友人に成り得たかも知れない人と戦い、殺し合う。戦争のない世界がないのは、なぜなんだろう。」

このセリフは劇中で出てきたものだ。

そうだなぁ、そう思う。なぜなんだろうか。

現代の日本も、自分の意志で考えて、自由に生きていると言えるだろうか。

利害関係で忖度したり、まわりに流されていたりするんじゃないだろうか。

縛られている意識があまりないというのは、実は今も当時と同じように危険なんじゃないだろうか。

一人ひとり、感じることは違う。それぞれの世界があっていい。

「お国のために」と傷を負ったために「戦友を残して、生きて帰ってきてしまった。」と悔やむ傷痍軍人を前に、「いったい国ってなんなの?」と叫んでしまう看護士。その軍人に恋をし、「生きてほしい」という切実な願いをぶつける。

人類はずっと戦争をしてきた、というのも、刷り込まれたイメージじゃないだろうか。

兵士が局地的に前線で戦うことはあっても、市民が犠牲になる大量殺戮を始めたのは、ごく近代なのではないか。

これは、ぼくが思うことで、劇中にそのようなイメージが描かれているという意味ではない。

戦争は、確実に止めることができるはずだ。

その強い意志がまずあって、意識を入れ替える必要があるのだと思う。

新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)

劇中に、中学生が恋するいつも本を読んでいる女の子とツルゲーネフの「初恋」や宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」について語るシーンがあった・・・。

この作品は、その後も何度か鳥取県内各地で公演されるようだ。8月5日(日)昼間、倉吉市(エキパル倉吉 多目的ホール)/8月19日(日)昼間、日野町(日野町山村開発センター)/8月19日(日)夜、伯耆町(鬼の館 多目的ホール)/8月26日(日)昼間、境港市(夢みなとタワー 多目的ホール)/8月26日(日)夜、米子市(米子市淀江文化センターさなめホール イベントホール)。

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届かないモノ、見えないモノ

今、この瞬間にも宇宙は存在しています。

ただ、今のぼくには、目の前に見える風景しか見えません。

目の前に星や月が見えていても、ぼくの手には届きません。

それでも人は、それが存在するって信じられれば、届かない、見えないモノを崇拝します。

その最も崇高な存在が、神であり、宇宙なのだと思う。

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ぼくの意識の中では、目の前に見える風景が現実であり、この現実は、神や宇宙から最も遠い存在でした。

現実は、ホコリにまみれていたり、不完全で、足りないモノだとぼくは思っていました。

だから、ホコリにまみれていて、不完全で、足りない世界をぼく自身が作ってきたように思います。

それは、ずっとずっと、いつまでも果てしなく続くように思っていました。

ぼく自身が、そうやって「いつかは何か成し遂げられる。」と漠然と思うために、自分の意識の中で必要な世界を作ってきたように思います。

これまでぼく自身が意識の中で作ってきた世界は、そもそも、神のいる、宇宙の存在する世界とは、違う次元なんじゃないかと、思うようになりました。

神のいる、宇宙の存在する世界は「常にすべてがそこにある」世界なんじゃないだろうか。

「常にすべてがそこにある」のなら、何があるのか、何が見えるのか、何ができるのか、自動的に決まるでしょう。

ムリに何かをするとか、成し遂げるなどと大げさなことではないでしょう。

年を取ることでも、名声を得ることでもないでしょう。

ホコリにまみれていても、不完全でも、足りなくても、届くもの、見えるものは、いつでもここにあります。

ただただ、何を感じるのか、をこれからは、大事にしようと思う。

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自分に嘘をつかない、ということ

ぼくは「人に嘘をつかない。」と言い切れるだろうか。

ぼくは、たくさん嘘をついてきたなぁと思いました。

自分の気持ちに嘘をついてきたからです。

ぼくは「大嘘つき」だった。

そこに今、気がついて、愕然としている、というところです。

ガマンする。
取り繕う。
ムリをする。
あきらめる。

これは、ぜんぶ自分の気持ちに嘘をついているときに起きたことです。

ガマンするときにも、取り繕うときにも、ムリをしているときにも、そして、あきらめたときにも、「言い訳」が、もれなくついてきます。

誰それが、こう言ったから。(大人だから、ガマンしなきゃ。)
人のためになると思って。(本当はやりたくない。)
みんながやっていることだから。(できないって言えないだけ。)
どうせできっこないし。(まあ、いいか。)

自分のまわりにあるのは、自分が何かをやることで、自分が作っている世界です。

もちろん、やりたいことを何でもかんでもやるってことではない。

自分の気持ちと向き合って、意志と意味を考える。

その上で、本当にやりたいことを、やる。

シンプルに。

やっと、やっと世界が変わるかなぁ。

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