私が「氣」が気になるワケ

食べて、呼吸して、人は、生きています。

食べるのは栄養、呼吸するのは酸素、どちらもエネルギーになるんですね。

どちらがなくても、生きられない。

人だけじゃなくて、生き物はみんなそう。

そして、生きるのに必要なのは栄養と酸素の二つって人は思っているんだけど、私は、もう一つのエネルギーである「氣」も必要不可欠なんじゃないかって思ってる。

「栄養」と「酸素」と「氣」がバランスして、人は生きてるのだと思う。

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私は「氣」は食べるものにも、空気中にもあると思っています。そして、さらに体全体で肌で受け止めることもできるのではないだろうか。

「氣」は、空気や水のようにいつも身近にあるけれど、形のないものだから、見ることができない。

「氣」は、量子力学で言う物質化する前の量子のようなものかも知れない。人が認識するまで存在を認められないもの。

それでも私は、たしかに「氣」は存在すると思います。

こういう説を聞いたことがあります。

・・・もともと日本人は古くから「氣」を知っていて、生活に取り入れていた。それがエネルギーだとわかっていたから、「米」の字が使われていた。そのことを忘れさせるために「米」を「〆」に変えさせられたのだと。

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参考:これまでのブログ記事

呼吸が大事(2018-03-29)
呼吸と「氣」を考える(2018-02-07)
忙しいを肯定しない(2017-12-09)
意識、無意識の世界(2017-10-09)
呼吸について(2017-10-03)

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