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石を運ぶ

 今ではクレーンやリフトトラックなど、多種多様な重機械があるから、重いものを運ぶのはそう困難ではないかもしれないが、古墳時代に人々は石をどうやって運んだんだろうか。

 石の比重は2.5~3.0くらいあります。たとえば一般的な冷蔵庫の大きさが100リットルだとすると、水なら100キロだけれど、石だと250〜300キロくらいある計算になります。これって、まず人力では、持ち上がらないでしょう。墓石や石棺になると、もっと重いものもあるわけです。重機械がない時代に1個の石を運ぶだけでも、現代人なら相当苦労します。お神輿をかつぐ要領で、たくさんの人数がいれば重いものも持ち上げられると思うのですが、そんなにたくさんの人が石を運ぶためだけに毎日働いたのでしょうか。

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 前回、古代人はスーパーマンという話をしたので、もう一度スーパーマンに登場してもらいましょう。

 言葉や文字に頼る必要のなかった時代の人類は、特別な能力を持っていたとは考えられないでしょうか。

 当時接点すらなかった遠距離の人々が同じ形の装飾品を身につけていたり、同じような家を建てたりしていたことをどう説明できるのでしょうか。そもそも、あの勾玉(まがたま)と言われる奇妙な形の装飾品はなんなんでしょう。石や骨や金属をあの形に、しかもさまざまな大きさに加工する意味はなんでしょうか。勾玉は、当時の人々が持っていた何か特別な能力の存在を象徴しているような気がします。

 彼らは、その能力を使って、いとも石を簡単に動かすことができたのだと思う。現代人にはわからないし、証明できない方法があったと考える方が自然です。

 何しろ、日本全国で、わかっているだけで、年間400個もの古墳を作っているのです。それに古墳というのは、もともとは墓ではないでしょう。現代の寺のような、何かしら儀式をやるための施設だったのでしょう。さまざまな儀式に使われ、最終的に、当時の有力者が葬られたと考えられないでしょうか。誰かが葬られたのちには、入口を閉ざす習慣があったので、また新たに作られたのだと思います。

 現代人にはすっかり退化してしまったけれど、人間には隠れた能力が今でも存在するかもしれません。計算やデータの蓄積に頼らない、感性を軸とした「知性」こそがその鍵を握るのかもしれません。

 ダンプの画像は、123RFのUSのサイトからダウンロードしました(リンク先はJP)。

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