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ピンボケ、ありだぜぇ。

ぼくはさっき、ふと気が付いた。何日もメガネをかけていないし、ケースから出してもいない。

12歳中学生の頃、夜空を見上げた時に、月がくっきりと二重にだぶって見えた。一瞬めまいなのかな、と思ってあたりを見渡したけど、くっきり見える月の輪郭だけが二重に見えただけだった。まず最初に乱視が始まったらしい。

そのうち学校の黒板がぼやけて見えるようになって、乱視に加えて近視が進み、メガネをかけるようになった。初めてかけたメガネは、セルロイドの半黒ぶちメガネだった。


3、4年ほど前に、家で、こたつにもぐりこんで、うたた寝をしていた。メガネは寝ている頭の近くに置いてた。

しばらく寝ていたら、息子がメガネを踏んづけて壊してしまった。息子のせいではないと思う。こたつの上に置いておくべきだった。自分で寝返りをうっても「ぐしゃっ」とやったかも知れないのだから。

メガネ屋に持って行ったら「もう部品がありません。」と言われた。メガネを新調するとなると面倒だなと思ったときに、コンタクトレンズにしようと思った。

で、それからはコンタクトレンズだ。

左:PC用の古いメガネ 右:その後新調したメガネ(長男がフレームを買ってくれた)

裸眼でくっきりと見えるのは、50センチくらいまで。近視っていうのは、全部がボケて見えるわけじゃないんだよね。ピントの合う範囲がめちゃ近くて、狭いってことなんだな。その距離が、ぼくの場合は、たったの50センチってこと。

で、50センチより向こうの世界は、さっぱり焦点が合わない。ピンボケの写真と同じような風景が見えるだけ。ピンボケ具合は、50センチ先と100メートル先も、あまり変わらない感じ。

ぼやけた景色 こんな風に見える。

クルマを運転することがなければ、ピンぼけっていうのは、それほど不都合でもない。なにしろ、余計なものを見る必要がないわけだ。ふだん、メガネをかけて見えているもののほとんどは、見えていたとしても、はっきりととらえて見ているわけじゃなかった。

いつもはっきり見えていたら、「見ているようで見ていない。」という現実に気づけなかったと思う。「しっかり見ようとして見る。」意識を確かにするために、視力が落ちたんだろう。

見るだけじゃない。自分の感覚はすべてそうだ。聞こえること、触れること、味わうこと、匂うこと。それが、本当に自分が感じているのか、何を感じているのかを見たいと思う。

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