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ミニマムで豊かに

20代の頃は、布団と多少の荷物が収まるくらいの押入れと、簡単なキッチンがついたバス・トイレのない小さなアパートの一室で暮らしていました。

近くを流れる川が、神田川です。歩いて数分のところに銭湯があって、ラーメン屋も一杯飲み屋もありました。窓を開けると新宿のビル群がピカピカ光って見えます。最寄り駅が地下鉄丸の内線、中野坂上だったので、新宿からは歩いても30分くらいで、夜中に黒電話が鳴って、新宿の飲み会に誘われることもありました。終電が終わると、数人がたった一組の布団しかないぼくの部屋に転がり込むのでした。

末っ子で高校卒業と同時に上京した者としては、同じように一人暮らしをしている40代、50代の先輩ミュージシャンが近くに何人かいたので、故郷に帰ることはないものとして暮らしていました。

ジャズ喫茶でチーズのおつまみをいただきながら、ちびりちびり、オン・ザ・ロックを飲むのが一人の夜の楽しみでした。それから、中野サンプラザの近くには「クラシック」という鉄だか竹だかの針でSP版レコードをかけてくれる喫茶店があって、そこにもよく行きました。

休日の昼間は、よくレコード屋に行き、レコードジャケットを1枚1枚、素早く引き出しては、戻す。さっさっさっ、ジャケットを見るわけです。レコードは、そうポンポンと買えませんでした。気に入ったレコードを擦り切れるほど聞きました。

東京には、10年近くいました。10年もそんな状況で東京で暮らせていたわけだから、実は生活するのには、モノも、お金もそんなにいらなかったと思います。家電というと、テレビ、冷蔵庫、ラジカセくらいはありました。

電話は黒電話です。これが一番の贅沢品でした。当時は債権というものを買わないと電話が使えなかった。受話器と本体の間にセットするタイプの留守番電話もありました。

あれから30年以上経ちました。あの頃に戻る必要はないけれど、何もなくても生活はできる経験をした記憶は残っています。

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