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手ぶらプラス

いつもは、このカバンさえ持っていけばというひと揃いを持って出るんだけど、そうなると、ギターのレッスンにはギターを、パソコンサポートには、パソコンをプラス持って出ることになる。ひと揃いプラスA、さらにBという状況で、荷物がいつもいっぱい。

今日からひと揃いかばんをやめて、ギターレッスンのときには、ギターケースだけ、パソコンサポートのときには、パソコンバッグだけを持って出ればいいようにしよう。

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朝飲む一杯のコーヒーは、

はちみつのたっぷり入った甘めのホットコーヒー。

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時を刻み、時を旅する人

分刻み、いや秒刻みでスケジュールをこなしている人っていると思う。

すごいなぁ。

忙しいんだろうな、と思う。

ぼくなんかも、人からそう思われていたりするのかな。

いろいろ、やってるし。音楽も、パソコンも。

いつ休んでいるんだろうとか、思われてそうだ。

でも、ぼくは眠れる日は8時間寝てます。

クルマの中で、エアコンかけて、昼寝もします。たまに。

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本当に秒単位、分単位で動いている人にとって、1日はあっという間だろうし、極端だけど、人生そのものも一瞬のように思えるかも知れない。

それでも人は時間を切り分けて、いろんなことをやろうとするんだな。いろんなことができた方が充実していると感じるんだろうな。いや、そう思い込んでいるんだろうな。

できているかどうか、自分ではわからなかったりするから、評価や実績、できた記憶や知識にたよるんだろうな。

本当に満たされるのは、何かを感じている自分に気づくとき。

美しいとか、嬉しいとか、悲しとか、悔しいとか。腹立つっ、とか。

それを、自分の中からそのまま感じきるとき。

それって、時間ではないし、評価や実績、記憶や知識でもない。年齢も環境も関係ない。

ただ感じるのではなく、それを自分のものとして認識して、感じきること。

今まで、時間を切り分けて、ずっと歳を重ねて、記憶や知識に頼って生きてきた人にとって、かえって自分を感じ「きる」ってむずかしいことなんだろうなぁ、と、ぼく自身に重ねて、感じているところです。

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ビビビの正体

ビビビ、って来るって言うじゃないですか。

第六感とか、シビレルとか。予感だったり、ひらめきのようなものだったり。

あれって「周波数」ですよね。

アナログの時代の、まぁ、デジタルでもいいんですけども、ラジオのチューナーがピタッと合う、その瞬間の感じ。

人間が色を感じるのも周波数です。光の周波数、波長。

音楽の音色や、音の高さを感じるのも、周波数です。音の周波数、ヘルツ。

生命や、天体にも、ゆったりとした周期があります。地球の自転とか、月の満ち欠けとか、これも周波数。

逆に光よりも速い周波数は、電波、レーダーなど。




人は、時間という、一定のリズムの中で生きているって錯覚しているんだけど、それは、単に一つの周波数を基準にしているだけのこと。実際はさまざまな「ゆらぎ」の中で、意識を向けた方向でビビビを感じているわけ。

ビビビッってこうやって、ちゃんと周波数で理解できるはずなんだけど、ふだん目にしている理屈って、周波数を無視してるから。

たとえば「理論的に、まったく、ぴったりで正しいモノ。」にビビビッてくると思う?

美女と野獣が出会うのも、ビビビッなんだよね。理想的な出会いがいつも正解なんてことは、ないよね。

感性がビビビッときた出会いは、意味があるんだと思う。

そこを見逃さないことは一度きりの人生で大きな出来事だろうと思う。

親友との出会い、人生の岐路との出会い、いいことばかりじゃない、葛藤との出会い、傷つけられた思い出なども、思いとしてはいろいろあるんだけど、感じること、意味を知ることは大事なんだろうと思う。

ぼくは理屈ばかり追いかけていたから、ビビビは抑えようとしてきただろうと思う。これからのビビビは見逃したくは、ないな。

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2018年。暑い、夏。

今年の夏が特にそうなんだろうか。これから、来年から先もずっとそうなんだろうか。

あの各地で被害のあった豪雨のあと、一転して雨も降らず、酷暑が続いている。

この暑さは、まだ2週間続く予報だと出ている。40度ってなんだよ。体温以上じゃねぇか。

こまめに水分の補給をすること。極力、炎天下、外で体力を使わないこと。じゅうぶんに休息をとること。

それくらいかなぁ。気をつけるのは。

かといって、何もしないわけにもいかないし、もともと外仕事の人は、本当たいへんだと思う。

思考能力も、まぁ、もともとじゅうぶんではないところへもって、低下します。いろんなことがおっくうになります。

休みましょう、休みましょう。これはもうどうしようもないことです。がんばってはイケマセン。

飲める人は、昼間からでもビールを飲みましょう。眠れる人は、8時間でも9時間でも寝ていましょう。

さぁ、そう言いつつも、もうひと仕事、出かけてきます。ガンバルな。でも、もうひと仕事。ふうふう。

かんばらないで、できることを、やってきます。(2018年7月23日(月)18時に記す。)

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自分が、自分らしく、ということ

ぼくは、子どものころから、ずっとちゃんとできない子だった気がする。

それは、年齢的には大人になっても、基本変わっていない。

ずっと、そう言われてきても自分ではわからなくて、なんでそう言われるんだろうと思ってた。

男でしょう。年上なんだから。肩書のある人の言うことじゃない。何しているの。立場を考えて。

やっと57歳になって、人って、年齢や外見に沿った人間像に合わせて生きているんじゃないかと考えるようになった。

みんな、人が自分を見た時に「こんな風に見られている。」と思う自分を演じているだけなんじゃないのか。

だから、会社で部下を持つと、急に偉い人を演じようとするんだろう。

外見や役割が人そのものだと錯覚をするのだろう。

腰が曲がり、髪の毛が白くなって、薄くなったって、ただの変化でしかない。みんな同じ一人ひとりのたった一つの心を持ち、命を持っている。知識を得て、技術を磨き、社会に影響力を持ち、発言に重みができる。それは、その人自身が、そうあるべきだという偶像の影に隠れているに過ぎない。本当の自分は何を感じて、何を伝えたいのだろう。

ぼくは、ずっと、死ぬまで考えていくのだと思う。

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手のひらの中のデザイン、目薬の容器

ぼくがコンタクトレンズ(ハード)を使い始めたのは、昨年(2017年)の9月終わり頃だから、約9か月になる。この間、これまで4つか5つくらいの目薬を使った。1つの目薬が、2か月くらいはもつみたいだ。

レンズ用の洗浄液、保存液は、ある程度決まった銘柄に落ち着いているけど、目薬は、いろいろ試してみたくて、なんとなく、買う度に違ったのをカゴに入れる。

コンタクトレンズでやっかいなのは、ちり・ほこり。少しでも何かあると、目を開けても閉じても、痛い。そんなときは、目薬をさして、涙で洗い流すしかない。ハンカチを取り出して、人前で盛大に泣く。

乾燥もつらい。レンズが眼球に張り付いたような感覚はなんとなく落ち着かない。まばたきも引っかかる感じがする。

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これまで目薬をいろいろ使ったとは言っても、4つか5つくらいしか使ってないから、たいしてわかってはいないんだけど、どれも同じではないということはわかった。スッキリ度とか、保湿度とか、リラックス度とか、いろいろと成分によって、感じ方が変わるようだ。

今、使っているのは、ロートCキューブ、クール。丸い愛嬌のある容器だ。

実は、容器のカタチや大きさって、店頭ではわからない。目薬のパッケージって、みんな四角い箱なんだ。丸いパッケージの目薬はないのに、開けてびっくり玉手箱だ。涙型の容器みたいなのもあったし、宝石か香水の瓶かってくらいオシャレなものもある。デザインにすごく気を使っているのがわかる。それなのに、どれもこれもパッケージは中身の見えない四角い箱って・・・。

この容器も、手のひらにすっぽりと収まるし、キャップもカチッと楽に手探りではめられる。そう、目薬のキャップをはめるときは「手探り」になる。なるべく口の部分に手を触れずに、キャップを確実にはめられるというのは必要だ。

本当にこの目薬の容器デザインというのは、よく考えられているなぁといつも感心する。

このロートCキューブも残りが半分くらいだから、来月はまた新しい目薬を買うと思う。どんな容器が登場するか、楽しみだ。

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今感じていることを、声に出す。

直接感覚で感じることは、わかります。声に出ます。

「痛い!」

「ハラヘッタ。」

「トイレ行きたい〜。」

理屈で考えると、感覚を忘れていることがあります。

何かに夢中になると、おなかすいてたのを忘れるみたいに。

どうしようかな〜っと、迷っていると、今度は忘れるのではなく、感覚を抑えていることがあります。

「おなかが痛いけど、気のせいにしておこう。」

「おなか空いたけど、我慢しようかなぁ。」

「おしっこ漏れそうだけど、ハズカシイなぁ。」

それも度が過ぎると、自制が始まります。そうなると、感覚を否定することになります。

「こんなことでお腹が痛くなるハズがない!」

「朝トースト1枚食べたし、食べなくてもダイジョウブ。」

「トイレに行きたくなるなんて。今日はもう水を飲んじゃだめ。」

この例は、極端かも知れないけど、感覚って、だんだん見えなくなることがある。

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見えてるハズなんだけど、ごまかしてるってやつ。

自分の感覚を否定していたのが、他の人のせいになると、これはヤバイ。

そうなる前に、

自分に言う。声に出して言う。今感じたことを言う。

誰かに言う。声に出して言う。こんなふうに感じたんだけど。

言える。言おう。そうしようと思う。

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浮き立つ胸のボタン

朝、時間に余裕があるときなど、ほんとうに気が向いたときだけですが、今日一日着る服のアイロンがけをします。

シャツ1枚くらいなら、15分くらいでできますから、心を落ち着けるのに、とてもいい時間になります。

毎朝準備する1枚のハンカチにもアイロンをかけます。洗濯したてのハンカチには、端のほうに、折れたようなしわができます。そのしわをくるくる回しながら伸ばして、あとは全体に中心から外に向かってアイロンをかけます。5分もかかりません。アイロンのかかったハンカチは、手触りがとても気持ちいい。どこかでトイレに行って、手を洗ったらそれまでだけれど、朝アイロンがけをしたハンカチは、それを持っているだけで、心が落ち着くような気がします。

ハンカチは、昨日のハンカチ、その前の日のハンカチくらいまでだいたい3枚くらいは持ち歩きます。少し汚れたものを拭くときは、昨日のハンカチを使って、1日の途中でも、洗面所で洗います。車の中で乾かせば、また使えます。

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さて、すっかりしわの伸びたシャツに袖を通すのは、気持ちのいいことです。

ふと鏡を見ると、胸のあたりに小さな突起が見えます。

シャツのしわが伸びているので、鏡の前で胸を張ると、右の乳首がボタンのように浮き立って見えるのです。左にはポケットがあるので、わかりません。

立ったり座ったりしているうちに、裾の方からしわが伸びてくるので、だんだん目立たなくなりますが、アイロンがけをしてすぐは、ほかにしわがないので、よくわかります。

使うたび髪・肌が潤う。まるで魔法のドライヤー

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思い込み、というだまし絵

ぼくはこれまで、自分で「抱えている。」「たくさんある。」と思っていた仕事を、少しでも手際よくこなすために、まず頭の中で段取りを組み立てて、その段取りに従って様々なことをやってきた。

その「要領の良い、優秀な頭脳」(そう思い込んでいるだけ)らしきもので、実績も残してきたし、自分でも、これでいいんだ、このままでいいんだと考えていた。結果がすべてだと。

けれど、思い出してみると、段取りそのものが、他の人から見ると、かなりの確率で的外(まとはず)れだったことが多かったと思う。それでも修正をしながら進めていき、「結果を残してきた。」と、そこでもまったく省みることはなかった。

周りを見回してみて、世間的に優秀だと思われている人ほど、「こうあるべき。こうした方がいい。」という「思い込み」に縛られ、自分がその『だまし絵』にとらわれているということに、なかなか気づいていないんじゃないかと、ふと思うようになった。自分はどうなんだろうかと。

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ぼくは、感じている心を後回しにしていたんだと思う。

すぐに対処しようとした。拙速に行動に移していた。そこに心はなかったのかも知れない。その証拠に、心はいつも不安を抱えなければいけなかった。「これでいいんだろうか。」「どうなるんだろうか。」じゃあ、今度はこうしようか。いや、こう考えよう。そうやって、思いを空回りさせていた。

「迷いながらもがんばって生きていく。」それがニンゲンだ。そう思えれば、それでいいだろう。

しかし、そうやって知らず知らず、人を傷つけていたとしたらどうだろうか。「だって、こうだったから。」「こう言われたから。」言い訳は、本来、必要がないし、するべきことではないと思う。

ぼくは、気づけば当たり前のことなんだけど、とても大事なことに気づき始めたように思う。

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