カテゴリー
essay

ぶらり、墓参り

 毎朝だいたい行く場所がちがうので、朝の散歩はいろんな場所に行くことになる。

 今朝は、久しぶりに伊福部昭さんの墓に行ってみようとクルマを走らせた。線香もロウソクも持たないで、ぶらっと墓参り。

◆スポンサードリンク


 その途中にちらっと「池田墓所」という立て看板が見えたものだから、ピーンと来て、ここに寄ってから行こうと決めた。

 名前だけは聞いたことはあるが、行ったことがなかった。観光案内の写真で見たことはあったから、亀の台座に載っているお墓というイメージはあった。奥谷という地名も聞いたことはあった。鳥取の昔のお殿様のお墓、それ以上のイメージはなかった。たぶん、それぐらいの知識があれば、それでじゅうぶんのような気がしていたからだと思う。

池田墓所入口
 住宅街の中の細い路地を進む。どうにかすれ違いできるかできないかくらいの道だ。その奥に、駐車場とトイレがあって、ちょっとした森の中の公園のような景色が見えてきた。

 駐車場から既に見えるのだが、巨大な墓石がその「森の公園」の中に、いくつも建っている。墓参の道は石畳になっているけれど、コモで養生してある。この冬の大雪で、灯ろうもたくさん崩れてしまったらしい。

 ここに、第十一代までの墓があって、そのほとんどに亀の台座がついている。それぞれの墓所の中に、また墓があり、墓参の道には灯ろうがいくつも建っている。

初代光仲公のお墓には、大きな蛇の抜け殻が台座の周囲に沿ってありました。

 初代光仲公の墓所から振り向くと、墓参の道が見える。この道が人で埋め尽くされた様子を想像してみる。初代のときは、もちろん二代目以降の墓所はなく、近くに住居もなく、深い森だったと想像できる。また、かつては、木造の回廊や廟所(びょうしょ)も建っていたらしい。入口の門だけが再現されていて、遠い昔に思いを馳せる。

池田家墓所、初代光仲公の墓碑の立つ場所から振り向くと、長い廊下のような墓参の道が広がる

 その後、宇倍神社、伊福部家墓所にも足を伸ばす。その先に七宝(しっぽう)神社という標記が見えたが、行ってみると、七宝水という湧き水が出るところがあった。この水が宇倍神社の手洗水まで引かれているらしい。この日は、水は出ていなかった。七宝神社の社殿は残っていないのかも知れない。

 宇倍神社の鳥居のそばに蓮池がある。ここを深い緑色のとんぼが、3羽ほど、ゆらゆらと飛んでいた。

◆スポンサードリンク