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私という現象を生きる

 いつ頃というと、2年くらい前は確実にそうだった。ぼくは、それまでずっと長い間、自分には何が出来るのだろうかとか、もっといろいろなことがちゃんと出来るようにとか。というようなことを、常にぐるぐると考えていたように思う。

 人と比べると、割とすぐになんでも出来た方だと思う。それなりに評価もされた。器用貧乏だったかも知れないが、それはそれで、自信にもなった。

 しかし、そうそういつもうまくはいかない。失敗もするし、批判もされ、叩かれる。出来るはずなのにと思うし、どうしたらわかってもらえるのだろうと更にぐるぐると考えを重ね、がんばってきた。

 きっかけについては、長くなるのでここでは書かないが、こうしたそれまでの考えを捨てた。ある日から、ここにある、そのままの自分を見つめてみようと思うようになったのだ。

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 最初は「自分を見つめる。」ということがどういうことかもわからない。「どうすればいいか。」方法を考えているうちはうまくいかなかった。ただ「自分を見つめる。」とだけ念ずるだけの毎日だったと思う。

 今思うことは、ここにあるのはすべて現象に過ぎないということ。

 このぼく自身も現象なのだし、反応なのだと。

 ぼくが何かしようと思うのではなく、今どんな現象や反応が起きているのか、その現象をどう捉えるのか、その意味を考えるようになった。

 ぼくが自分で感じられるこのカラダは、単にぼくのものではなく、ぼくと世界をつなぐ媒体だ。成熟したり、病気になったり、老いたりすることは、単に状態の変化に過ぎない。57歳の肉体は57年間生存しないと得られない。このカラダが持っている価値や意味は、今ここに、既にある。

 思い起こせば、これまでも、何かしようとしてがんばって出来たのではなかったのだ。このカラダにその時々に価値や意味があったから、結果として、出来ることがあったのだ。

 ぼくは、ぼくというカラダを持って、この現象を、価値を意味を見つめて生きようと思う。

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稲田姫邂逅記(後編)〜たたらの灯オープニングコンサート《番外編》〜

 会場に着くと、小雨が降っていた。15時のリハーサル前には雨は止んでいたので会場周辺を歩いてみた。実行委員の皆さんが、数千もの竹灯篭を準備しているところだった。棚田の畦道のほとんどに竹灯籠が置かれていた。高台から見渡すと、そのままでもじゅうぶん美しい風景が広がっていた。夕暮れから夜にかけて描かれる灯りの風景を想像して、とてもわくわくした。すれ違う人々は誰もが皆あいさつをしてくれる。

会場近くのいろりのある喫茶Cafe Tataranoieで、たくさんのもてなしを受けた。休憩をし、お茶を飲んだ。担当の方がお見えになって、おいしいおにぎりとお餅を食べた。

鉄師卜蔵家(ぼくらけ)というのは、楠木正成の弟正氏(まさうじ?)の子孫が、後に改姓して卜蔵(ぼくら)姓を名乗るようになったのだそうだ。先日2週間続けて神戸の湊川神社をお参りしたばかりだったから、この縁に驚いた。湊川神社は楠木正成、なんこうさんを祀った神社。その直後にこのイベントの依頼をいただいていたことになるのだ。それに、6年前の島根県立美術館での演奏を聞き、実行委員の方に声をかけた方というのが、卜蔵家と縁のある女性だったというのは、偶然とは思えない。

雨は止みそうもなく、残念だが、神聖な桂の木の前のステージにテントが張られることになった。ステージ上には多くの機材があり、濡らすわけにはいかない。

リハーサルを終えて再びCafe Tataranoieでくつろいでいると、関係者が続々集まり、人があふれるようになった。しかし雨はやまず。18時から式典。伝統の鉄師の方の挨拶を聞いた。「鉄師は、たいへん危険な技であり、尊い多くの人命が失われたこともあった。このイベントが慰霊となることを祈願する。」という言葉が耳に残った。ヤマタノオロチに生贄になる8人目になるかも知れなかった稲田姫のことが頭をよぎった。ヤマタノオロチとは、製鉄の火柱だったのではないか。

雨の中、寒い中、多くの人が演奏を聞いてくれた。途中ギター内蔵アンプの電池が切れるというハプニングがあったが、電池交換の間、ボーカルの谷口さんに話をしていただくことになった。これも何か神の采配のような気がする。電池はまだ新しかったのだ。

想定していたのが夜空、星空、月夜だったので、そういった選曲が多かった。しかし雨は、いっこうにやまず。

曲目はこんな感じ。浜辺の歌/海(松原遠く)/ガブリエルのオーボエ/ホフマンの舟歌/スターダスト/ムーン・リヴァー/月夜の森/天空のオリオン/星めぐりの歌/糸/Jupiter/もののけ姫/(アンコール)蘇州夜曲。という構成。「もののけ姫」は急遽谷口さんのひらめきで差し替えられた曲で、楽譜なしで、アドリブ。カッチーニのアヴェ・マリアとタイム・トゥ・セイ・グッバイは準備していたが演奏しなかった。これで、どんぴしゃりの1時間だった。雨の中、じっと聞いてくださった方たちが会場をあとにするときの笑顔と声援がありがたく、嬉しかった。

Cafe Tataranoieでは締めくくりにつゆだくのふかふか卵の親子丼。めっちゃうまかった!

宿泊にご用意していただいたのが、斐乃上温泉・斐乃上荘「ヴィラ船通山」というところ。美人の湯で有名らしく、いい温泉だった。そして、ここ船通山(せんつうざん)は、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治し、天照大神(アマテラスオオミカミ)に天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)を献上した所。ここにもご縁が。

チェックアウトの際に、フロントの若旦那が、「昨夜、聞きに行ってました。良かったです。」と言ってくれた。さらに嬉しくて、びっくり。

さらなるご縁は、帰り道。ついでだから行ってみようと、軽い気持ちで比婆山(ひばやま)に寄ったところが、ちょうど、宮司がおられて、御札を授けてくださったことだ。ふだんは宮司はいないが、たまたま安産祈願があって、ちょうどその祈願が終わったところに出会うことができた。10分早ければ、祈祷の最中だったろうし、10分遅ければ、宮司は次の用があったそうで、扉は閉まっていただろう。これもまた、神の采配としか思えない出来事だった。

比婆山は天照大神、素盞鳴尊の母神、イザナミが葬られているところである。

奥出雲たたらの灯は、11月18日にエンディングを迎える。美しいところだ。ぜひ行ってみてほしい。

稲田姫邂逅記(前篇)〜八重垣神社〜

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稲田姫邂逅記(前編)〜八重垣神社〜

 今回のイベントについて出発前に抱いていたのは、漠然としたイメージだった。

「奥出雲たたらの里に、たたらの象徴となる大きな桂(かつら)の木があって、ライトアップされたその木の下で演奏をする。」というものだ。

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 ひと月ほど前、最初の電話で「予算があまりないんです。しかも遠方です。無理ですよね。」こう尋ねられた。こういう場合、以前なら「あらためてこちらからお電話します。」と言って電話を切っていたかもしれない。でも、そうしなかった。6年前に島根県立美術館でのぽんかん。の演奏を聞いた方から、「あの時のオカリナと歌が忘れられない。」と言われて、あちこち情報を探して、電話をくださったというのだ。「縁があり、思いがある。」ということが伝われば十分だった。「行かせてください。」とこちらからお願いをした。

 温かな人たちに出会える期待と、ライトアップされた桂の木。そんな神様でないと立てないような場所で演奏できる喜びを感じていた。

 そうした漠然としたイメージだけを持って、2017年10月14日午前9時半くらいに岩美町を出発した。

 事前にルートを調べなかったわけではないけれど、「何となく国道9号をまっすぐ松江のあたりまで行く。そこからルートを考える。」と決めたのは、出発して15分ほど、鳥取道に向かう道の手前だった。鳥取道を通れば、高速中国道に合流する。その時そのルートを選ばなかったのは、9号をまっすぐの方が走り慣れていたからに過ぎない。

 松江中央という出口で降りた。これも「松江駅」という案内標識が見えたからで、でもなぜか駅の方とは反対に向かうことになった。その先に「八重垣神社」という標識が見えた。それでとりあえずそこまで行ってから考えようということになった。

 神社は、連休だからか、人が多かった。何かご祈祷が始まるのか、社殿の中にも人がたくさんいた。社殿の中央奥には御幣を垂れた50センチくらいの高さの柱が3つあった。その真ん中の柱が赤く光を放っているように見えた。順番を待って、お賽銭を投げ入れ、手を合わせると、社殿の中央に宮司と思われる方が、その柱の前に座った。ちょうど式典が始まるところだった。

 私たちぽんかん。の二人は、一歩も二歩も下がり、次の人のために場所をあけたが、その柱を見つめ続けた。そこから目が離せなくなっていたのだ。

 宮司が祝詞(のりと)を上げ始める。良縁成就のお祝いのことばと思われたが、二人はちがう神の言葉を聞いていたように思う。

 そこでようやく「ここは何?何を祀っているところなんだろう。」と思い、まわりを見渡すと、境内の中に質素な建物を見つけた。そこには、700年以上前に描かれた稲田姫の板壁画があるらしいことがわかった。谷口さんはその存在を既に感じていたようだったが、ぼくは、稲田姫とその建物の中で初めて対面する。

 絵の具が剥がれ落ち、すっかり地肌の見えるようになった大きな板に、残像のように6つの人物画が描かれているのが見えた。中央の稲田姫の姿だけは全体がくっきり見える。平安時代の衣装をまとい、頬を赤く染めた眉毛のない長い髪の女性として描かれている。

 稲田姫は、現代ではもちろん、平安時代ですら、古い日本神話の中の登場人物、いや登場神である。高天原(タカマガハラ)から追放され、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した素盞鳴尊(スサノオノミコト)の妻であり、その後大国主命(オオクニヌシノミコト)など多くの神々の母となる神様だ。素盞鳴尊が大蛇と闘っている間、髪をとかす櫛になっていたので、奇稲田姫命(クシナダヒメ)とも呼ばれている。

 その時、はっと思ったことがある。いつもなら出発してすぐにナビに沿ってクルマを走らせるところ、結果的に遠回りをして松江まで行き、八重垣神社に立ち寄ることになったのは「ここに来る必要があったのだ。」と。稲田姫のことを知らないでこのイベントに参加していたら、演奏そのものも、伝わるものも違っていただろう。

 松江から奥出雲までの道中は農道や山道だった。あとで聞いた話では、地元の人は米子や横田から行く道の方が整備されていて早いそうだ。しかし、その道中でまたしても「稲田姫」に関わるイベントを開催している会場の前を通ることになった。

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目覚めよと呼ぶ声が聞こえ

 つい最近、人類はかつてスーパーマンだったという記事を書いた。上空からしか形がわからないような巨大な構造物を作ったり、巨石を積み上げて、ひとつふたつならいざしらず、まるで日常の仕事のように年間400個もの古墳を作ったりした人類。

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 どう考えても、この地球には、ある時期、それも1万年くらいのスケールの時間の長さで、スーパーマンが存在していたのだ。これだけさまざまな証拠が見つかっているにもかかわらず、科学者が認めようとしないのは、当時の人類は現代の人々より劣っていたと考えているからだ。

NEVERまとめ-人類の歴史よりも古い『1万年前』に作られた遺跡まとめ

 現代人は進化しているのではない。自らが作り上げた文明によって、どんどん退化している。そしておそらく、数万年前にも経験した人類の滅亡を近い将来、経験することになるだろう。

 なぜ、人類は退化していると考えるのか。どこがどう退化しているのか。その退化は何がきっかけで始まったのか。

 まず、上空からしか形がわからないような巨大な構造物がどうして作られたのか。ナスカの地上絵もそうだし、日本の古墳の多くもそうだ。

 「当時の人類は、空を飛ぶことができたのだ。」と言いたいところだが、空を飛んだ証拠がまるでない。ただはっきり言えることは、当時の人類は、その広大な空間を認識する能力が非常に高かったのだろうし、もしかしたら、ある種の鳥類と交信ができる能力者がいたのではないだろうか。そう考えると、無理はないだろう。

 古墳は、祭祀を行う集会所であり、生活の場のひとつだったと考える。石棺があるために現代の人々はあれを墓だと考えているが、あれは、石を運ぶの中でも書いたが、最終的に施設が役目を終えるときに、取り壊すのではなく、「復活」を願い、最も影響を与えた人物の遺体を安置して扉を閉ざしたのではないだろうか。

 現代人が忘れ去った、その結果退化してしまった空間認識能力、ことばによらない、動物とも交わすことができた交信能力、生死の概念を超えた生活様式など。それらの多くは、人類が言語、文字を操るようになると、急速に消えてしまったのではないだろうか。つまり、文字の発明、その後の文明こそが人類の退化を加速した原因なのではないだろうか。

 さらに言えば、人と人とのコミュニケーション能力も変質したのだと思う。現代の人々の特徴の多くは、コミュニケーションに「感情」が多く作用する。年齢、肩書、性別、見た目の印象などが意識下、無意識下にイメージを作り上げ、そのイメージに対する感情をもとにコミュニケーションが始まる。その結果、いとも簡単に現代人はイメージによって感情が左右され、だまされてしまう。

 人類が退化するにしたがい、争いごとが増えた。同じ頃、文字や言語が発達すると宗教が生まれる。そうした宗教家が共通して人類に伝えようとしているのは「目覚めよ!(Awake!)」ということではないだろうか。完全に失われているのではない、眠っている能力が人類にはあるのだと思う。

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あらきまたえもん

 荒木又右衛門をひらかなで書いてみた。

 なんか、かわいらしい。

 ぽんかん。に丸が付いているのと同じような感じだ。

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 もちろん、荒木又右衛門と言えば、伊賀の鍵屋の辻の決闘で有名な剣豪であり、終焉の地である鳥取市玄忠寺にお墓がある。

 鳥取市内には、荒木又右衛門を祀った神社もあり、若桜橋の近くに黒住教鳥取大教会所の境内に小さな鳥居と祠がある。2017年8月26日土曜日、毎年この時期にやっているという奉納と夏祭りに招かれてぽんかん。で演奏した。

 夕方5時半、神聖な儀式から始まる。在りし日の剣豪を忍ぶとともに、平和への祈りの時間だ。その後、剣道場で使いこまれた、竹刀、木刀を燃やす供養の儀式に移る。近くの道場の子どもたちの剣道の型、なぎなた、金属の刀身を持つ本物の刀を使った有段者の大人の演武、詩吟に合わせた演武など、剣豪を祀る神社にふさわしい出しものばかりだ。

 予定より少し遅れて6時25分くらいから演奏を開始した。

 荒木又右衛門は、池田公に招かれて鳥取に来た。妻子を呼び寄せるが、妻子が到着する前にこの地で死んでしまう。この史実に合わせ、音楽の奉納という意味で、伊福部昭作曲の大伴坂上郎女「わがせこが」を1曲目に歌とオカリーナで演奏した。

 続く曲目はいろいろだったが、珍しく乱れたり、ミスをしたりした曲もあった。それでも、その乱れやミスを含めても、いい演奏だったと思う。会場一体となった充実感があった。実際に声をかけていただいたが、多くの方に喜んでいただいたと思う。

 ちょうど7時くらいに演奏が終わり、司会進行の女性が「見てください。きれいな夕日です。」と言っていた。赤いピンクの空だった。宮司の弟だという男性に「シルクロード」のテーマをリクエストいただいて、演奏できなかったことを記憶にとどめておこうと思う。

 リハーサルのときに不思議なうなり声を空の上に聞いたことも忘れない。

 神は信じようが信じまいが、確かに姿を見せることがある。今年は特に神社に縁があると感じている。

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女の子たちの部屋、初訪問

 今日からしばらくは、あちらこちらのオカリーナ教室の皆さんとの訪問演奏が続くことになる。今日皮切りは、鳥取医療センター内に設けられている白兎養護学校卒業生の重度の方の訪問学級だ。ここには、2014年10月19日、2015年2月15日、10月18日、2016年10月16日、そして本日2017年6月18日で、5回目になるようだ。ここは、ホールでのオカリーナ教室の皆さんとご一緒での演奏のあと、今回初めて、ご要望をいただいて、一人で女の子たちの部屋を訪問することになった。

 ホールでの演奏でのお客様はベッドと車椅子の5名。それぞれに様々な表情や声の変化で、反応し、ときに何か伝えようとしているのがわかる。ずっと赤ん坊のように泣いていた女の子が、ぼくが一人でオカリーナを吹き始めると泣き止むのが不思議だった。終わったあと、一緒にいたオカリーナ教室の生徒さんたちが、泣いていたのは歌声で、ぼくの演奏のときは、聞いていたんだって解説してくれた。なるほど、そうだったんだー。

 聞いたことがない曲を聞くと、痙攣のようにガタガタ震えだす方もいた。介護のボランティアの方のほうが驚いていたように見えた。ふだんはこんなに反応はしないのかも知れない。その方は、終わる頃には痙攣が止まり、すっきりしたおだやかな表情に見えた。

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 10年以上前、障害を持っている方を対象にしたパソコン教室をやっていたことがある。そのときにたくさんの重度の方と接して、表情や動作など、外観だけでは、知性や感受性などの内面は計り知れないことを知った。当時、補助講師には、正直に「どう接していいかわからない。」「怖い。」「気持ち悪い。」「いやだ。」と表現してくれる人を選んでお願いした。同じような気持は、ぼくの中にもある。取り繕って、なんでもないという素振りを見せようとする人ほど、実際には彼らを見下していることがわかっているからだ。ぼくにとっては、そのように取り繕って自分を隠して生きている「一般の」人の方が、よほど、本当に怖いし、気持ち悪い。

 さて、ドキドキの初訪問だ。なんてったって、十代から二十代の女の子たちだ。彼女たちにとっても、ナマの演奏が聞ける、めったにない機会だという。開け放しの入り口から一歩入ると、廊下からは見えなかった、野球場のスコアボードのような巨大な電光掲示板が見えた。数字が色付きで表示されていて、ピコピコ電子音が常にいくつも聞こえる。演奏しながらベッドの間を歩いてくださいという無茶振りに応えて2曲を演奏した。付き添いの方の他に医師や看護師が何人もいて、時折電光掲示板を見ながら何やら仕事をしている。大変そうなのに、笑顔だ。

 数字のひとつが赤い文字になって、点滅すると、ベッドのひとつに数人が駆け寄る。音楽に反応しているらしい。喜んでいると言われても、ぼくにはまったくわからない。はあー、なんか緊張したなあ。まあ、初体験ってこんなものかも。ここは、誰もが入れるわけではない。また機会があればぜひもう少し反応がわかるといいなと思う。付き添いのご家族らしい方の笑顔に救われた時間だった。

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パソコンとオカリーナ〜音楽って素晴らしい。みゆうのライブ情報はここにあります。
音楽ライブユニット ぽんかん。

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2017オカリナフェスティバルin神戸へ

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 宍粟市にあるテレマン楽器は、オカリーナの品揃えが豊富なことで有名な楽器屋さんです。以前から楽器の仕入れには、ちょくちょく寄っていました。昨年、今年と2年続けて、ぽんかん。で市民センター波賀で演奏させていただいたり、先日は姫路でも演奏しました。いろいろなご縁があって、今年は2017オカリナフェスティバルin神戸に出場することになりました。

 この度の出演は、宍粟市のオカリーナ演奏グループpollo(ポーロ)のメンバーとしての出場です。polloというのは、イタリア語でチキン、鳥、という意味だそうです。オカリーナがガチョウだし、2017年は酉年だし、ということで、昨年末につけた名前です。

 演奏する曲目は、「いつか王子様が(Frank E. Churchill作曲・小山京子編曲)」「ねこバス(久石譲作曲・茨木智博編曲)」の2曲。昨日はメンバーのうち、5人が集まって、テレマン楽器の秘密の部屋「フクハラ亭」でみっちり練習しました。気がつけば3時間があっと言うまでした。大判焼き、うまかった!

 当日は、これまでお会いしていない他のメンバーも混じえて、大人数でのアンサンブルになる予定。夜遅く集まって、練習しているそうです。頼もしい存在です。

 今回初めてオカリーナ用のスタンド(テレマン楽器オリジナルのオカリーナテーブル)を購入して使ってみました。ケースに収納すると、想像以上に大きい。電子ピアノが入りそうな大きさです。それほど重くはないんだけど。ああ、でも持ち替えが楽だ!当たり前だけど。見た目もこの方がいいですね。そういや、今日からわたし、ヒゲ生えます。秋には剃るけど。

 画像は、岩美に帰ってから見た夕日。もう日没は過ぎていたのですが、いつまでも明るくて、きれいなグラデーションのまま暮れてゆきました。う~んビューティフル! いい一日でした。

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シャブ・・・やってます

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 自白します。シャブ、やってます。ギタリストは持っている人、多いと思います。毎日、時には一日、何回も使います。なんてったって、一発でハマります。快感ですね。

 はい。もちろん、カポタストの話です(誤解しましたか?)。G7も使っていますが、SHUBBはコンパクトなのがいいですね。たまたまバッグから2つ出てきたので、オリジナル(スタンダード)とデラックスを並べてみました。左がオリジナル、右がデラックスです。オリジナルの方が、カチッとはまる感じがします。といっても、デラックスの方がローラーとバネが付いている分、スムースにはまるから、そう感じるだけなのですが。

 もう40年ほど前ですが、高校生ぐらいまでは、パンツからゴムの部分だけを取り出したみたいな、ゴムが伸び縮みして穴に止める方式の安いカポばかり使っていました。G7が登場したのが2004年、SHUBBも1980年代なので、昔はそういうカポか、めちゃめちゃ高価なネジ式しか無かったんです。このパンツのゴム方式のカポは、装着し損なって、バチンと外れて飛んでしまったり、ゴムが伸びて、音にしまりがなくなって、妙な音が出てたりしました。当時は、カポを着けたら音が変わる、それはしょうがないことだと思っていました。輪ゴムと割り箸で応急的なカポを自作したこともありました。

 今は、締め付け調整のできないカポを使う気はしません。SHUBBの押さえゴムは、適度な硬さと厚みがあって、人差し指で押さえたときとテンションが変わらず、音の変化も小さい気がします。この押さえゴム、交換できるんですね。

 カポは、ギターの種類ごとにいろいろあります。12弦用とか、バンジョー用とかもあります。ウクレレは? カポは使わないかな。締め付け方式も、ネジ式、ウィットナーのカポのように独自のロック機構を持ったものなど、いろいろ。カポの種類もメーカーも迷うぐらい、たくさんあります。

 なんか、こういう普段何気なく見ている、使っているモノって、よくよく考えると、ものすごい進化というか、変化というか、時代を感じさせるものがあるように思います。逆に変わらないモノって、それだけもう完成されているってことなんでしょうか。

 まったく、カポとは関係ない方向に話がずれていますが、あの自販機とかについてるお釣りの取り出し口って、なんであんなに小さくて、取り出しにくいのかな。お釣りがある時には音と光で知らせてくれて、手のひらを入れたらそこで一度に出てくるみたいなものって作れないのかな。あるいは、スマホを近づけたら、お釣りが自動的にチャージされて、今度買う時に使えたりとか。

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音楽教室の本棚

オカリーナ三重奏「埴生の宿」

 これは、パソコンデスクの下にある棚、足元の空間です。ここには、本棚に収まりにくい背の高い本を並べています。本と本に挟まれてぎゅうっとサンドイッチになっているのは、コンパクトサイズのシュレッダーです。楽譜集など、音楽関係の本って、A4か、A4より一回り大きいサイズのものが案外多いんですね。それで、結果的にこの空間には音楽関係の本が集まってしまったというわけです。もちろん、これは一部です。

 テレビで学者さんや作家さん、あるいは政治家とかがインタビューを受けている背景に、図書館か?っていうくらい、背の高い大きな本棚にびっしりと難しそうな本が並んでいる、という風景を見たことを、ふと思い出しました。他の人の場合には、漫画のシリーズ本が順番に並んでいたり、本棚に入り切らない本が、ランダムに積み上げられている風景があったりと、本棚やその周辺を見ると、その人の日常の景色が見えるような気がします。

 私は、以前は文庫本などよく買って読んでいましたが、今は文芸書はほとんど買いません。繰り返し読む本以外は無駄に思えるからです。1回読むだけなら、図書館で借りるか、今はkindleでも、タブレットでも読めます。パソコン関係の専門書も最近はほとんど買わなくなりました。最新本の内容が半年後には古くなってしまいます。2〜3,000円払って買った本を束にして処分するのは、もう、もったいないですね。