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稲田姫邂逅記(前編)〜八重垣神社〜

 今回のイベントについて出発前に抱いていたのは、漠然としたイメージだった。

「奥出雲たたらの里に、たたらの象徴となる大きな桂(かつら)の木があって、ライトアップされたその木の下で演奏をする。」というものだ。

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 ひと月ほど前、最初の電話で「予算があまりないんです。しかも遠方です。無理ですよね。」こう尋ねられた。こういう場合、以前なら「あらためてこちらからお電話します。」と言って電話を切っていたかもしれない。でも、そうしなかった。6年前に島根県立美術館でのぽんかん。の演奏を聞いた方から、「あの時のオカリナと歌が忘れられない。」と言われて、あちこち情報を探して、電話をくださったというのだ。「縁があり、思いがある。」ということが伝われば十分だった。「行かせてください。」とこちらからお願いをした。

 温かな人たちに出会える期待と、ライトアップされた桂の木。そんな神様でないと立てないような場所で演奏できる喜びを感じていた。

 そうした漠然としたイメージだけを持って、2017年10月14日午前9時半くらいに岩美町を出発した。

 事前にルートを調べなかったわけではないけれど、「何となく国道9号をまっすぐ松江のあたりまで行く。そこからルートを考える。」と決めたのは、出発して15分ほど、鳥取道に向かう道の手前だった。鳥取道を通れば、高速中国道に合流する。その時そのルートを選ばなかったのは、9号をまっすぐの方が走り慣れていたからに過ぎない。

 松江中央という出口で降りた。これも「松江駅」という案内標識が見えたからで、でもなぜか駅の方とは反対に向かうことになった。その先に「八重垣神社」という標識が見えた。それでとりあえずそこまで行ってから考えようということになった。

 神社は、連休だからか、人が多かった。何かご祈祷が始まるのか、社殿の中にも人がたくさんいた。社殿の中央奥には御幣を垂れた50センチくらいの高さの柱が3つあった。その真ん中の柱が赤く光を放っているように見えた。順番を待って、お賽銭を投げ入れ、手を合わせると、社殿の中央に宮司と思われる方が、その柱の前に座った。ちょうど式典が始まるところだった。

 私たちぽんかん。の二人は、一歩も二歩も下がり、次の人のために場所をあけたが、その柱を見つめ続けた。そこから目が離せなくなっていたのだ。

 宮司が祝詞(のりと)を上げ始める。良縁成就のお祝いのことばと思われたが、二人はちがう神の言葉を聞いていたように思う。

 そこでようやく「ここは何?何を祀っているところなんだろう。」と思い、まわりを見渡すと、境内の中に質素な建物を見つけた。そこには、700年以上前に描かれた稲田姫の板壁画があるらしいことがわかった。谷口さんはその存在を既に感じていたようだったが、ぼくは、稲田姫とその建物の中で初めて対面する。

 絵の具が剥がれ落ち、すっかり地肌の見えるようになった大きな板に、残像のように6つの人物画が描かれているのが見えた。中央の稲田姫の姿だけは全体がくっきり見える。平安時代の衣装をまとい、頬を赤く染めた眉毛のない長い髪の女性として描かれている。

 稲田姫は、現代ではもちろん、平安時代ですら、古い日本神話の中の登場人物、いや登場神である。高天原(タカマガハラ)から追放され、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した素盞鳴尊(スサノオノミコト)の妻であり、その後大国主命(オオクニヌシノミコト)など多くの神々の母となる神様だ。素盞鳴尊が大蛇と闘っている間、髪をとかす櫛になっていたので、奇稲田姫命(クシナダヒメ)とも呼ばれている。

 その時、はっと思ったことがある。いつもなら出発してすぐにナビに沿ってクルマを走らせるところ、結果的に遠回りをして松江まで行き、八重垣神社に立ち寄ることになったのは「ここに来る必要があったのだ。」と。稲田姫のことを知らないでこのイベントに参加していたら、演奏そのものも、伝わるものも違っていただろう。

 松江から奥出雲までの道中は農道や山道だった。あとで聞いた話では、地元の人は米子や横田から行く道の方が整備されていて早いそうだ。しかし、その道中でまたしても「稲田姫」に関わるイベントを開催している会場の前を通ることになった。

稲田姫邂逅記(後編)〜たたらの灯オープニングコンサート《番外編》〜

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目覚めよと呼ぶ声が聞こえ

 つい最近、人類はかつてスーパーマンだったという記事を書いた。上空からしか形がわからないような巨大な構造物を作ったり、巨石を積み上げて、ひとつふたつならいざしらず、まるで日常の仕事のように年間400個もの古墳を作ったりした人類。

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 どう考えても、この地球には、ある時期、それも1万年くらいのスケールの時間の長さで、スーパーマンが存在していたのだ。これだけさまざまな証拠が見つかっているにもかかわらず、科学者が認めようとしないのは、当時の人類は現代の人々より劣っていたと考えているからだ。

NEVERまとめ-人類の歴史よりも古い『1万年前』に作られた遺跡まとめ

 現代人は進化しているのではない。自らが作り上げた文明によって、どんどん退化している。そしておそらく、数万年前にも経験した人類の滅亡を近い将来、経験することになるだろう。

 なぜ、人類は退化していると考えるのか。どこがどう退化しているのか。その退化は何がきっかけで始まったのか。

 まず、上空からしか形がわからないような巨大な構造物がどうして作られたのか。ナスカの地上絵もそうだし、日本の古墳の多くもそうだ。

 「当時の人類は、空を飛ぶことができたのだ。」と言いたいところだが、空を飛んだ証拠がまるでない。ただはっきり言えることは、当時の人類は、その広大な空間を認識する能力が非常に高かったのだろうし、もしかしたら、ある種の鳥類と交信ができる能力者がいたのではないだろうか。そう考えると、無理はないだろう。

 古墳は、祭祀を行う集会所であり、生活の場のひとつだったと考える。石棺があるために現代の人々はあれを墓だと考えているが、あれは、石を運ぶの中でも書いたが、最終的に施設が役目を終えるときに、取り壊すのではなく、「復活」を願い、最も影響を与えた人物の遺体を安置して扉を閉ざしたのではないだろうか。

 現代人が忘れ去った、その結果退化してしまった空間認識能力、ことばによらない、動物とも交わすことができた交信能力、生死の概念を超えた生活様式など。それらの多くは、人類が言語、文字を操るようになると、急速に消えてしまったのではないだろうか。つまり、文字の発明、その後の文明こそが人類の退化を加速した原因なのではないだろうか。

 さらに言えば、人と人とのコミュニケーション能力も変質したのだと思う。現代の人々の特徴の多くは、コミュニケーションに「感情」が多く作用する。年齢、肩書、性別、見た目の印象などが意識下、無意識下にイメージを作り上げ、そのイメージに対する感情をもとにコミュニケーションが始まる。その結果、いとも簡単に現代人はイメージによって感情が左右され、だまされてしまう。

 人類が退化するにしたがい、争いごとが増えた。同じ頃、文字や言語が発達すると宗教が生まれる。そうした宗教家が共通して人類に伝えようとしているのは「目覚めよ!(Awake!)」ということではないだろうか。完全に失われているのではない、眠っている能力が人類にはあるのだと思う。

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あらきまたえもん

 荒木又右衛門をひらかなで書いてみた。

 なんか、かわいらしい。

 ぽんかん。に丸が付いているのと同じような感じだ。

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 もちろん、荒木又右衛門と言えば、伊賀の鍵屋の辻の決闘で有名な剣豪であり、終焉の地である鳥取市玄忠寺にお墓がある。

 鳥取市内には、荒木又右衛門を祀った神社もあり、若桜橋の近くに黒住教鳥取大教会所の境内に小さな鳥居と祠がある。2017年8月26日土曜日、毎年この時期にやっているという奉納と夏祭りに招かれてぽんかん。で演奏した。

 夕方5時半、神聖な儀式から始まる。在りし日の剣豪を忍ぶとともに、平和への祈りの時間だ。その後、剣道場で使いこまれた、竹刀、木刀を燃やす供養の儀式に移る。近くの道場の子どもたちの剣道の型、なぎなた、金属の刀身を持つ本物の刀を使った有段者の大人の演武、詩吟に合わせた演武など、剣豪を祀る神社にふさわしい出しものばかりだ。

 予定より少し遅れて6時25分くらいから演奏を開始した。

 荒木又右衛門は、池田公に招かれて鳥取に来た。妻子を呼び寄せるが、妻子が到着する前にこの地で死んでしまう。この史実に合わせ、音楽の奉納という意味で、伊福部昭作曲の大伴坂上郎女「わがせこが」を1曲目に歌とオカリーナで演奏した。

 続く曲目はいろいろだったが、珍しく乱れたり、ミスをしたりした曲もあった。それでも、その乱れやミスを含めても、いい演奏だったと思う。会場一体となった充実感があった。実際に声をかけていただいたが、多くの方に喜んでいただいたと思う。

 ちょうど7時くらいに演奏が終わり、司会進行の女性が「見てください。きれいな夕日です。」と言っていた。赤いピンクの空だった。宮司の弟だという男性に「シルクロード」のテーマをリクエストいただいて、演奏できなかったことを記憶にとどめておこうと思う。

 リハーサルのときに不思議なうなり声を空の上に聞いたことも忘れない。

 神は信じようが信じまいが、確かに姿を見せることがある。今年は特に神社に縁があると感じている。

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石を運ぶ

 今ではクレーンやリフトトラックなど、多種多様な重機械があるから、重いものを運ぶのはそう困難ではないかもしれないが、古墳時代に人々は石をどうやって運んだんだろうか。

 石の比重は2.5~3.0くらいあります。たとえば一般的な冷蔵庫の大きさが100リットルだとすると、水なら100キロだけれど、石だと250〜300キロくらいある計算になります。これって、まず人力では、持ち上がらないでしょう。墓石や石棺になると、もっと重いものもあるわけです。重機械がない時代に1個の石を運ぶだけでも、現代人なら相当苦労します。お神輿をかつぐ要領で、たくさんの人数がいれば重いものも持ち上げられると思うのですが、そんなにたくさんの人が石を運ぶためだけに毎日働いたのでしょうか。

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 前回、古代人はスーパーマンという話をしたので、もう一度スーパーマンに登場してもらいましょう。

 言葉や文字に頼る必要のなかった時代の人類は、特別な能力を持っていたとは考えられないでしょうか。

 当時接点すらなかった遠距離の人々が同じ形の装飾品を身につけていたり、同じような家を建てたりしていたことをどう説明できるのでしょうか。そもそも、あの勾玉(まがたま)と言われる奇妙な形の装飾品はなんなんでしょう。石や骨や金属をあの形に、しかもさまざまな大きさに加工する意味はなんでしょうか。勾玉は、当時の人々が持っていた何か特別な能力の存在を象徴しているような気がします。

 彼らは、その能力を使って、いとも石を簡単に動かすことができたのだと思う。現代人にはわからないし、証明できない方法があったと考える方が自然です。

 何しろ、日本全国で、わかっているだけで、年間400個もの古墳を作っているのです。それに古墳というのは、もともとは墓ではないでしょう。現代の寺のような、何かしら儀式をやるための施設だったのでしょう。さまざまな儀式に使われ、最終的に、当時の有力者が葬られたと考えられないでしょうか。誰かが葬られたのちには、入口を閉ざす習慣があったので、また新たに作られたのだと思います。

 現代人にはすっかり退化してしまったけれど、人間には隠れた能力が今でも存在するかもしれません。計算やデータの蓄積に頼らない、感性を軸とした「知性」こそがその鍵を握るのかもしれません。

 ダンプの画像は、123RFのUSのサイトからダウンロードしました(リンク先はJP)。

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夏の終わりのミステリー

 通りの向こうで青い服を着た人が走ってくるのが見えた。その姿が非常にスローモーションだ。それに30度くらい傾いて見える。よく見れば道路から浮いている。ああ、これは霊だなと思う。

 霊が見えるというのは、五感の他の感覚があるということで、不思議でもなんでもない。小さい頃から、顔が半分しかない人や、壁から突き出た首が見えたりもした。

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 霊に見えるものは、脳内の映像であり、イメージだ。もともと複雑な音波・電波・光波の周波数だったり、空間の歪みだったり、時空のぶれだったりするものが、仮に第六感だとすると、その第六感を通じて脳内に映像を作り出す。

 霊に見えるものに、霊障はないと思うし、もとより恨みなどない。なにより一番怖いのは、生きている人間だ。もし、死んで恨みや怨念が残るのなら、世の中には、人間に殺されて、非業の死をとげた動物の霊であふれかえるはずだ。

 小さい頃は、それは怖かった。霊が見えることが怖いのではない。信じてもらえないのが怖かった。

 いろいろ調べていくうちに、脳の働きの解明されていない部分に、そういう働きがあるのではないかというふうに思うようになった。脳の中では、視覚であったり、想像であったり、記憶であったりと、さまざまなイメージが映像として常に流れている。そこに、潜在意識の映像が流れ込む。映画『マトリックス』で描かれていたのも、そういう世界観だった。そして、それも現実世界である。

 こういうことがわかってくると、生命というのは、奇跡的な現象だということがよくわかるようになる。人と人とは、見えないつながりが確かにあるし、偶然の多くは必然である。

 ここまでの話、あなたは信じるだろうか。たまにはこういうオカルトっぽい、ミステリーはどうだろうか。

 アイキャッチのかわいらしい舌を出すお化けはここからダウンロードさせていただきました。

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がたぴし

 ひゃっはー! 連日暑いですね。

 いかがお過ごしでしょうか。

 暑中お見舞い申し上げます。

 この暑いときに、九州はえらいことです・・・。

 鳥取県も昨年は中部で大きな地震がありましたが、災害はいつどこに起きるのか、全世界的な、地球的なと言いますか、気候の変動もあって、年々規模も回数も増えてきたように思います。

 明日は我が身かも知れません。

 被災された皆様の一日も早い復興を祈ります。

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 話は変わります。

 数年前にあるお坊さんに教えてもらったことがあります。

「その窓、戸が『がたぴし』言うでしょう。木枠で古いけん。この『がたぴし』言うのは、実は仏教用語なんよ。自分と他人とが、勝手にあっちだこっちだって言い合うと、噛み合わんでしょう。そんなときに『がたぴし』いう音がするだがなぁ。『我他彼此』と書いて、ものごとは自分のことだけじゃなしに、自分以外のもんも見んさいよ、いうことなんよ。」

 どうしてこの言葉を思い出したかというと、ふと『神の声を聞く』とはどういうことなのかと、歩きながら考えたことに始まります。

 神が今の自分を見たときに何を言うのだろう。何を教えてくれるのだろう。神社で手を合わせるときに耳を澄ませることがあります。

 神の声が聞こえたのか?

 いいえ。ぼくにはなーんも聞こえません。もし聞こえたとしたら、そんな気がするということだろうと思います。それは自分の心の声に過ぎません。

 結局のところ、自他ともにみつめることが必要なんだろうと思います。

 その感覚が開いていれば、自分の心の声も、他の声も聞こえるのかな。そのうち神の声も聞こえるのかな。

 修行や鍛錬、技術の積み重ねは、自他を見つめることで初めて意味を持つものだろうと思います。

 暑いけん、まぁ、ほどほどに(心の声)。

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猿の神社

 布勢運動公園、ええと、コカ・コーラウエストスポーツパーク? ここの駐車場にクルマを停めて、散歩しました。 

 Googleマップのナビにウォーキングで、「布勢 古墳」と入れて検索して、その名も「布勢古墳」というのを近くに見つけ、15分程度の距離でしたので、そこまで歩きました。少し高台になった住宅街の中、丘の上でした。

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 古墳のある広場の隅の方に「日吉神社こっち」みたいな看板が出ていたので、「この近くに神社があるんだな。」と、やっぱり興味をそそられます。古墳から竹やぶの中を降りていくと、ほぼ同じ敷地内、同じ丘の湖山側が古墳で、反対側が神社みたいな感じでした。「ひえじんじゃ」と読むそうです。ここは、「布勢の山王さん」と昔から親しまれている神社だそうです。

 神社なのに、狛犬らしきものは見当たりません。その代わり、猿の像がいっぱあります。子どもの守り神、安産、忌避けなどのご利益があるそうだ。しっかりお賽銭を投げ入れて、手を合わせました。

手を洗うところにも、お猿さん
本殿の左には子どもを抱えた猿が
本殿の右には、金の弊を担いだ猿が
古墳なのか、ただの丘なのかは素人目には区別がつかない。おそらく内部に石室があるのだろうし、上空から見ればもう少し古墳とわかる形をしているのだろう。

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こうげの白兎神社

 夕方、郡家(こうげ)に仕事に行きました。途中にかわいらしい看板が見えたので、近くの道路にクルマを停めて歩いて行ってみました。周辺に駐車場らしきものはありませんでした。地名は、八頭町福本とあります。

 田んぼの中にある小さな神社です。お社は、小さいので、遠くから見えるような大きな屋根はありません。鳥居も木立の影に埋もれているので、ふだんはそこに神社があるとは気づかないでしょう。看板がないと、そこに神社があることがわかりません。あぜ道の途中に休憩するための木陰がある、そんな風情です。夏には農作業の合間にここで休む人もいるのでしょう。

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「狛犬」ならぬ「狛兎」です。石のうさぎさんは新しくて、かわいらしい。

由緒正しき神社だと書いてあると思います。白兎神社の本家ではないかという説もあるようです。
お堂は閉まっていたので、お賽銭を入れることができませんでした。

 白兎神社というと、一般に知られているのは、大国主の命が白兎を助けた伝説のある海岸、白兎海岸の近くにある神社です。ただ、この物語に欠かせないのは、大国主の妻である八上姫という人物です。八上姫は、八頭の出身であり、白兎は、八上姫の飼いウサギだという説もあります。先日の御湯神社での「朗読と音楽 奏で」でも、宮司からさまざまな興味深い話を聞きました。

御湯神社での縁。「朗読と音楽 奏で」

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ぶらり、墓参り

 毎朝だいたい行く場所がちがうので、朝の散歩はいろんな場所に行くことになる。

 今朝は、久しぶりに伊福部昭さんの墓に行ってみようとクルマを走らせた。線香もロウソクも持たないで、ぶらっと墓参り。

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 その途中にちらっと「池田墓所」という立て看板が見えたものだから、ピーンと来て、ここに寄ってから行こうと決めた。

 名前だけは聞いたことはあるが、行ったことがなかった。観光案内の写真で見たことはあったから、亀の台座に載っているお墓というイメージはあった。奥谷という地名も聞いたことはあった。鳥取の昔のお殿様のお墓、それ以上のイメージはなかった。たぶん、それぐらいの知識があれば、それでじゅうぶんのような気がしていたからだと思う。

池田墓所入口
 住宅街の中の細い路地を進む。どうにかすれ違いできるかできないかくらいの道だ。その奥に、駐車場とトイレがあって、ちょっとした森の中の公園のような景色が見えてきた。

 駐車場から既に見えるのだが、巨大な墓石がその「森の公園」の中に、いくつも建っている。墓参の道は石畳になっているけれど、コモで養生してある。この冬の大雪で、灯ろうもたくさん崩れてしまったらしい。

 ここに、第十一代までの墓があって、そのほとんどに亀の台座がついている。それぞれの墓所の中に、また墓があり、墓参の道には灯ろうがいくつも建っている。

初代光仲公のお墓には、大きな蛇の抜け殻が台座の周囲に沿ってありました。

 初代光仲公の墓所から振り向くと、墓参の道が見える。この道が人で埋め尽くされた様子を想像してみる。初代のときは、もちろん二代目以降の墓所はなく、近くに住居もなく、深い森だったと想像できる。また、かつては、木造の回廊や廟所(びょうしょ)も建っていたらしい。入口の門だけが再現されていて、遠い昔に思いを馳せる。

池田家墓所、初代光仲公の墓碑の立つ場所から振り向くと、長い廊下のような墓参の道が広がる

 その後、宇倍神社、伊福部家墓所にも足を伸ばす。その先に七宝(しっぽう)神社という標記が見えたが、行ってみると、七宝水という湧き水が出るところがあった。この水が宇倍神社の手洗水まで引かれているらしい。この日は、水は出ていなかった。七宝神社の社殿は残っていないのかも知れない。

 宇倍神社の鳥居のそばに蓮池がある。ここを深い緑色のとんぼが、3羽ほど、ゆらゆらと飛んでいた。

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酉年(とりどし)にぴったりの神社

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 鳥取市から西向きに走り、吉岡から福井あたりに抜ける道の途中に、田んぼに浮かぶ島のような、こんもりした丘がある。そこを通るたびに鳥居があるのが目について、気になっていた。2017年6月9日、昨日の朝、多少の時間の余裕があったので、参拝してみることにした。

 参道の入口には、「式内 天日名鳥命神社」の碑が立っている。しきない、はわかるんだけど、神社の名前が読めない。「てんぴなとりのみこと」?いや、天はアマだな。帰って調べてみたら、「あめのひなどりのみこと」でした。ひなどり!そういえば、今年は酉年だったな。そう思うと、なんだか嬉しい。

 この日は昨日までの雨が晴れて、田植えの終わったばかりの水田が一面に広がっている。白鷺だろうか、田んぼで羽を休めている白い鳥が見える。

 参道は山裾からジグザグの階段になっていて、階段を登ると、昔からの森がそのまま残っているように感じられる。鳥居をくぐったあたりにも灯ろうと、一対の狛犬があったが、すぐ近く、階段の入口にもあった。

 開運八社巡りという赤い幟旗がところどころに立っている。

 おもしろいのは、境内の中央、社殿の真ん前にどーんと扇形の石が置かれていたことだ。ネットで調べてみたけど、なんの石かわからない。

 なんとなく、そこに農作物を置いて、しゃがんで拝むのにちょうどいいのかな。そんなことを思った。お米をまいたらそのまま鳥が集まってきそうだし。本当のところはよくわからないのだけれど。

亀甲に大の紋章
 丘の上、木漏れ日を受けて建つ赤い瓦の社殿。昔、ここに大きな岩があって、その岩に腰掛けて釣りを楽しんでいた神様がおられたそうな。昨年あたりから、どうしたわけか、神仏にご縁がある。こうした場所を訪れるたびに、空間がまたひとつ広がっていくような気がします。

 参拝した後、鳥居を出る時に、自然に振り向いてゆっくりとお辞儀をするようになりました。

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