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コンタクトレンズ、見える世界

去年の9月から、コンタクトレンズをつけるようになった。あれから半年・・・。

きっかけは、誤ってメガネを壊してしまい、メガネ屋さんに持っていくと「修理ができない。」と言われ、その足でコンタクトレンズを取り扱う店を訪ねていった。

ぼくが最近コンタクトレンズに変えたことを知る人から、たまに言われるのは「眼の中にモノを入れるなんて怖い。」ということ。

たしかに。

耳にピアス穴を開けるのが怖いということにも似ているかも。鼻輪やへそピアスもしかり。なんだか痛そうじゃないか。

ぼくも最初はドキドキだった。

コンタクトレンズのお店に行くと、お店の奥が眼科医院になってて、そこにはたくさんのスタッフ、たくさんのお客さんがいた。

担当制になっているらしく、一人の女性スタッフが順に案内してくれて、検査やアドバイスなどをしてくれた。

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さて、メガネがなくても見えるというのは、快適だ。

ときどき、ずれてしまったり、目にゴミが入ってるすると猛烈に痛い。それはまあ、仕方がない。

まず恩恵を受けたのは美術館だった。

大きな絵の前に立って、後ずさりしなくても、その絵の端から端までぜーんぶ見えるのだ。

メガネのときは、その場では視線を上から下に、右から左に移動して見ていたのだった。その時初めて気がついたんだけど。

それから、手先、指先は石鹸でよく洗う。目薬も一日に何度も使う。

メガネのときより、目の健康に気を使うようになったかもしれないと思うくらいだ。

夜空の星や、漁火も美しい。

自然の風景が、網膜に映るそのままの景色が見える。広がりがまったく違って見えた。

それから、顔が若返って見えるそうだ。

いや、これは単に慣れなんだと思う。その証拠に、半年たって、最近は言われない。

せいぜい久しぶりに会う人に「なんか違う気がする。」って言われる程度だ。

睡眠不足は目の健康に良くないな。パソコン作業もほどほどに・・・。

さて、おやすみなさい。

ハードレンズにはハード用のケア用品

コンタクトレンズと目薬という記事を書きました。

アトリエ・ヨシツカ「A♭オカリーナ」

田後90楽器博物館#18

アトリエ・ヨシツカのSmall-Gより半音高く調律されたオカリーナ、A♭(エー・フラット)管のオカリーナです。

高い音がC♯まで出せること、♭系の音階が簡単に演奏できること、深みや柔らかみのある高音が出ること、宗次郎氏の曲にA♭管を前提として作られた曲があること等々。

もちろん一般的ではなく、特殊管なので、アトリエ・ヨシツカには、無理をお願いして作っていただきました。

音色も、見た目の色彩もとてもキレイな楽器なので、もっと使いたいところですが、実際にはあまり出番はありません。

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A♭に調律された楽器は、そのままドレミを吹けば、A♭の音階が演奏できます。G管でA♭の音階を吹くよりも、指使いが簡単になります。

もっとも顕著なのは、管体が少し小さくなることで、音色が変わることです。楽器の完成度が高いせいもありますが、透明感が強いG管に比べて、華やかで深みのある音になります。

また、最高音よりも、もっと高い倍音が出せるのもこの楽器の特長です。

この音色と音域を活かせる曲があれば、これからもっと登場する可能性があると思います。

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鈴木楽器製作所「アンデス25F」

私は、どちらかと言うと「モノ持ち」ではない方だ。収集癖のようなものは何もなくて、壊して捨てるばかりである。

それでも「モノ」はどんどん増えていて、何とかこれを減らせないかと毎日苦慮している。

「モノ」を減らすと見えてくるのは「紙ゴミ」だ。

物置にしている部屋を見渡すと紙質の「モノ」であふれていることに気づく。

郵便物は一読したら即捨てる。文書の類もそうだ。どうしてもあとで見たいものがあればスマホでパシャッとやって捨てる。今頃便利になったものだ。

それでも、資料だの、専門書だの、どうしても残しておかないといけない文書などが残る。

いらない。

残った紙ゴミでやっかいなのは、個人情報がたんまり入っていることが多いからだ。いちいち破いたり、シュレッダーにかけたりして、手間がかかる。

現代の人々は個人で持つモノが多すぎる。

私にとって楽器は必需品だから、持たないわけにはいかない。それでも人目に触れないでふだんは眠っている楽器もある。

そういう楽器たちにスポットを当てる場所を作ってやろうと思う。一番は演奏で使うことだろうから、機会あるごとに音を人に聞いてもらおうと思う。

一部の楽器については、既に他のサイトで16点を紹介しているが、ここで17点目として先に紹介しておこうと思う。

ということで田後90楽器博物館#17
「鈴木楽器製作所・アンデス25F」
を紹介する。

一見すると「鍵盤ハーモニカ」に似ているが、鍵盤ハーモニカと違って鍵盤以外の部分が大きい。この部分には、たくさんの笛が並んでいるという楽器だ。

なかなかおもしろい。

楽しい。

簡単に吹ける。

が、音程は安定しない。

笛なので、強く吹けば素っ頓狂な高い音が出る。

弱く吹くと幽霊が出そうな低い音が出る。

おもしろい。

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緑の液体石鹸

コンタクトレンズを装用するようになって、以前より石鹸で手を洗う回数が増えたような気がします。

今頃だいたいどこでも手を差し出せば水が出る自動水栓になっていて、公共のトイレを使ったあとも、水でちゃっと洗ってすぐハンカチで手を拭くぐらいでした。

今では必ず手を石鹸で洗います。それも割りとていねいに1回1回洗ってますね。ついでにうがいもしたりして。

ふとね。あの緑色の液体石鹸が気になったんです。これ、家でも使えないかなと。自宅の洗面所の状況はというと、押すと泡の出てくるポンプ式の石鹸が置いてあります。それから、近くには固形の石鹸も置いています。

固形の分は、もう小さくなったのとかももったいなくて捨てないで、2つ3つ大きいのと一緒に手に持って洗ったりしてます。この小さくなったのって、泡がなかなか出ないし、落ちにくいんですね。結果的に2度洗い3度洗いとかして水をたくさん使います。

あの緑の液体石鹸、サラヤの「シャボネット石鹸」というらしいんですが(他の製品もあるようですが、だいたいこれ。)、ネットでも買えるんですね。ホームセンターとかにもあるのかもしれない。

で、取付用の容器なども売られてました。ちょっといいかもって思っています。

いろいろ調べてみると、この液体石鹸、指定した量に希釈することで、殺菌もでき、泡立ちもいいそうです。経済的かどうかは今のところはちょっとわかりませんけど、洗面所で使う手洗い石鹸をこれだけにすれば、掃除も楽かもしれません。

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月に魅せられて

ようやく春めいてきました。

冴え冴えとした冬の夜空もきれいなんですが、この冬は曇っていることが多かった。

最近は春めいて、遠くが霞む日もあるけれど、夜空は雲間にきれいに見えます。

今日ふと、「夕焼け小焼け」の歌詞の2番にある月は「十三夜」じゃないかなと思ったんです。

ぼくは真夜中に高くなって、夜空を煌々と照らす「十六夜(いざよい)」もまた好きなんですが、十三夜の美しさもあるなぁと再認識しました。で、十三夜くらいの月って、だいたい夕暮れ時に上がるような気がします。

中秋の名月・十五夜のあとの十三夜は特に栗名月と呼ばれているそうです。それはまだずっと先ですけどね。

今日の月はどんな月だろうなぁ。


月齢カレンダーとか、手帳にも書いてあるものとか、あるみたいですね。

月は最も身近な天体です。たまには見上げてみるのもいいかもしれません。
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ユニクロ2枚重ね

別にユニクロの回し者でもなんでもないんです。身内や友人にユニクロ関係者がいるわけでもありません。

ジーンズはエドウィンです。ジージャンはLee。

本当は、なんだっていいんですが。

今年の冬は、雪も多かったんですが、それ以上にこたえたのは「寒さ」でした。

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統計上、鳥取で真冬日が何日あったかとかは知りませんが、マイナス7度とかって、今までもあったのかなぁ。連日ずっと、こんなにマイナスになるのはあまり記憶にありません。道路も水道も、あちこち凍ってました。とにかくこの冬は寒さがこたえました。

その中で、毎日着たのはユニクロの下着でした。

エアリズムと長袖のヒートテック「極暖」の重ね着です。もう、これを毎日着てなんとか乗り越えたって感じです。

もともと、重ね着が苦手で、これまでもよく薄着でブルブル震えているのを指摘されていました。重ね着をすると、動きづらくなるのがいやというか、気持ちが重くなるんですね。

まず、エアリズム。まさに素肌感覚ってこのことですね。脱帽です。重ね着アイテムの中心にエアリズムあり。もちろん、薄着になってもそのまま着られます。シルクじゃ落ち着かないけど、エアリズムなら、気楽に着られます。

それから、長袖のヒートテック「極暖」です。「超極暖」はぼくには重いんですね。だから重ね着なんですが、これがあると、本当に寒くありません。

いやー、いい時代ですね。昔なら、綿入れを着たり、ダウンジャケットなどの厚ぼったい服を着るしかできなかったじゃないですか。あれが本当に苦手だったわけです。

どうやらその寒い冬も過ぎ去ろうとしています。まだ2月、油断はできませんけどね。

楽しい、春が待ってます。

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新春、白鳥の群れと出会う

2018年新春、1月5日朝、倉吉市を流れる天神川の下流、国道9号線から遠くに見える大山をながめながらクルマを市内に向けて川伝いを走り出すと、白鳥の姿が見えた。

土手の少し広いところにクルマを停め、降りてみると、ほんの数羽かと思われた白鳥が群れで羽を休めていた。

近づこうとすると、既に警戒モードの数羽が脚を伸ばし、反対方向を向いている。

それでも、鳥と鳥との会話をするかのような鳴き声も映像の中には収められている。

いい年になりそうな予感です。

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私という現象を生きる

 いつ頃というと、2年くらい前は確実にそうだった。ぼくは、それまでずっと長い間、自分には何が出来るのだろうかとか、もっといろいろなことがちゃんと出来るようにとか。というようなことを、常にぐるぐると考えていたように思う。

 人と比べると、割とすぐになんでも出来た方だと思う。それなりに評価もされた。器用貧乏だったかも知れないが、それはそれで、自信にもなった。

 しかし、そうそういつもうまくはいかない。失敗もするし、批判もされ、叩かれる。出来るはずなのにと思うし、どうしたらわかってもらえるのだろうと更にぐるぐると考えを重ね、がんばってきた。

 きっかけについては、長くなるのでここでは書かないが、こうしたそれまでの考えを捨てた。ある日から、ここにある、そのままの自分を見つめてみようと思うようになったのだ。

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 最初は「自分を見つめる。」ということがどういうことかもわからない。「どうすればいいか。」方法を考えているうちはうまくいかなかった。ただ「自分を見つめる。」とだけ念ずるだけの毎日だったと思う。

 今思うことは、ここにあるのはすべて現象に過ぎないということ。

 このぼく自身も現象なのだし、反応なのだと。

 ぼくが何かしようと思うのではなく、今どんな現象や反応が起きているのか、その現象をどう捉えるのか、その意味を考えるようになった。

 ぼくが自分で感じられるこのカラダは、単にぼくのものではなく、ぼくと世界をつなぐ媒体だ。成熟したり、病気になったり、老いたりすることは、単に状態の変化に過ぎない。57歳の肉体は57年間生存しないと得られない。このカラダが持っている価値や意味は、今ここに、既にある。

 思い起こせば、これまでも、何かしようとしてがんばって出来たのではなかったのだ。このカラダにその時々に価値や意味があったから、結果として、出来ることがあったのだ。

 ぼくは、ぼくというカラダを持って、この現象を、価値を意味を見つめて生きようと思う。

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目覚めよと呼ぶ声が聞こえ

 つい最近、人類はかつてスーパーマンだったという記事を書いた。上空からしか形がわからないような巨大な構造物を作ったり、巨石を積み上げて、ひとつふたつならいざしらず、まるで日常の仕事のように年間400個もの古墳を作ったりした人類。

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 どう考えても、この地球には、ある時期、それも1万年くらいのスケールの時間の長さで、スーパーマンが存在していたのだ。これだけさまざまな証拠が見つかっているにもかかわらず、科学者が認めようとしないのは、当時の人類は現代の人々より劣っていたと考えているからだ。

NEVERまとめ-人類の歴史よりも古い『1万年前』に作られた遺跡まとめ

 現代人は進化しているのではない。自らが作り上げた文明によって、どんどん退化している。そしておそらく、数万年前にも経験した人類の滅亡を近い将来、経験することになるだろう。

 なぜ、人類は退化していると考えるのか。どこがどう退化しているのか。その退化は何がきっかけで始まったのか。

 まず、上空からしか形がわからないような巨大な構造物がどうして作られたのか。ナスカの地上絵もそうだし、日本の古墳の多くもそうだ。

 「当時の人類は、空を飛ぶことができたのだ。」と言いたいところだが、空を飛んだ証拠がまるでない。ただはっきり言えることは、当時の人類は、その広大な空間を認識する能力が非常に高かったのだろうし、もしかしたら、ある種の鳥類と交信ができる能力者がいたのではないだろうか。そう考えると、無理はないだろう。

 古墳は、祭祀を行う集会所であり、生活の場のひとつだったと考える。石棺があるために現代の人々はあれを墓だと考えているが、あれは、石を運ぶの中でも書いたが、最終的に施設が役目を終えるときに、取り壊すのではなく、「復活」を願い、最も影響を与えた人物の遺体を安置して扉を閉ざしたのではないだろうか。

 現代人が忘れ去った、その結果退化してしまった空間認識能力、ことばによらない、動物とも交わすことができた交信能力、生死の概念を超えた生活様式など。それらの多くは、人類が言語、文字を操るようになると、急速に消えてしまったのではないだろうか。つまり、文字の発明、その後の文明こそが人類の退化を加速した原因なのではないだろうか。

 さらに言えば、人と人とのコミュニケーション能力も変質したのだと思う。現代の人々の特徴の多くは、コミュニケーションに「感情」が多く作用する。年齢、肩書、性別、見た目の印象などが意識下、無意識下にイメージを作り上げ、そのイメージに対する感情をもとにコミュニケーションが始まる。その結果、いとも簡単に現代人はイメージによって感情が左右され、だまされてしまう。

 人類が退化するにしたがい、争いごとが増えた。同じ頃、文字や言語が発達すると宗教が生まれる。そうした宗教家が共通して人類に伝えようとしているのは「目覚めよ!(Awake!)」ということではないだろうか。完全に失われているのではない、眠っている能力が人類にはあるのだと思う。

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第10回岩美現代美術展8月5日シンポジウム

 岩美現代美術展は、2017年8月5日〜21日まで旧岩美病院の「Studio652」で開催される、今年10年目を迎える現代美術のアート展です。詳しくは、岩美町HPお知らせ「第10回岩美現代美術展を開催します!」をごらんください。

 8月5日(土)には、シンポジウム「地域における現代美術の可能性」が開催され、実行委員会代表の小山勝之進氏の開会あいさつのあと、團紀彦氏の基調講演が行われた。

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 團氏の講演はたいへん興味深いものだった。開口一番「建築家というのは、アーティストに比べると、中途半端な存在だ。」と言われた。「建築物にはどうしても、イメージに制約が加わる。材質がどうか、強度がどうか、さまざまな条件をクリアしないと建築物は生まれない。」

 氏は、まず岩美町を訪れて「鎮守の森がありますか。」と町の担当者に尋ねたそうだ。そして、浦富の熊野神社を案内していただいたそうだ。

 なぜ「鎮守の森」か。スダジイなどの広葉樹の森、それも一種類の木ではなく、さまざまな種類の木が作る森があることが条件なのだそうだ。それは、人の手で育てる里山とは違う。その違いはなんだろうか。話が核心に触れる。

 氏が青山学院大学で、都市学の講義で学生に話されたのは、「たとえば、明治神宮の場合、神社の植生は100年設計で考えられているということだ。神社の周辺に木を植えるときは、『実のなる木はご遠慮下さい。花の咲く木もご遠慮下さい。』と言われるそうだ。花が咲き、実が実ると、道ができ、下草が育たない。ただし、木が一種類だと、病気になって枯れる。公園とは逆の発想で、人が入れないように森を作る。いわゆる里山は人の手が入った方が育つ。鎮守の森は、容易に人が入れない。」

 スライドでユーラシア大陸を上空から見た地形図が映し出され、中国とか、朝鮮半島、日本を上空から見ると、緑が多い。西に行くほど、茶色くなる。

 「アジアの都市の特徴は、都市と自然の境界がはっきりしないで、溶け込んでいる。逆にヨーロッパでは、都市と自然とは、はっきり区別がある。自然=無法地帯といっていいくらい、はっきりしている。こうして、ユーラシア地図を見ると、日本や中国には緑が多い。仏教も元は(色が茶色い=緑が少ない)インドから発祥しているし、哲学、宗教は、茶色い所から多く出ている。」

 氏の話は、共生とは何かにつながっていく。その上で「Symbiosis with Land 大地との共生」「Symbiosis with Others 他者との共生」「Symbiosis with Time 時間との共生」という3つの面を実例を挙げながら解説された。

 その中で特に興味深かったのは、「大地との共生」で話された、京都にあるスイミングプール(冬はスケートリンクになる)「京都アクリーナ」の設計例だった。元は平坦な土地に建築物を建てると、巨大なものになる。氏がその設計をシチューでたとえていたのも面白かったし、とてもわかりやすかった。その土地の土を運び出して、一つ一つの機能をシチューの具にたとえて配置する。そして、土を戻して、地下になる部分に機械室を作った。地形ごと設計したというものだった。

 もっと興味深い話は続くが、話は尽きない。書ききれないほどだ。

 氏が講演の最後に岩美町にヒントとして残してくれたのは、スペインのサン・セバスチャンにあるチリーダの自然と共生する作品群を紹介してくれたことだ。今回岩美町で大谷海岸に麒麟獅子のオブジェを作ったのも、そういうメッセージが込められているのだろうと思う。かつて以前岩美町でランドアート作品を作ったことがある大久保英治氏がこの岩美現代美術展に残してくれたメッセージにも通じるものだ。自然との共生、その可能性のある自然がここ岩美町には確かにある。

 講演のあとには、團紀彦氏、栩山孝氏、山本修司氏をパネラーに迎え、三浦努氏の進行でパネルディスカッションが行われた。

 パネルディスカッションの話の底流にも、冒頭の「鎮守の森」が流れているように感じた。自然にかなうものはないと。建築は自然を生かしたものだけが長く残る。長く残るからと言って、神社の狛犬をステンレスで作るわけにはいかない。美術館というものも、美術品が流出したり、売り買いできるようになってから作られたもので、最初の美術館が出来てからでもせいぜい200年くらいの歴史しかない。

 最後に今年町長を退くことが決まった榎本武利岩美町長のあいさつがあり、1時間延長という充実したシンポジウムが幕を閉じた。

 18時からは、会場を大谷海岸に移し、野外作品の紹介と、地元の麒麟獅子舞が演じられた。この日の司会は谷口尚美氏、暑い一日だったにもかかわらず、落ち着いた進行で時間の長さを忘れることができた。

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