「暮らし」タグアーカイブ

歩きだす名前

 人は、生まれてすぐに最初の名前がつく。そして、死ぬまでにいくつもの名前を身につけていく。男、女、誰かの子、兄弟、生誕地、学校、あだ名、会社、役職、資格、団体、勲章、戒名・・・。

 岩美の人は、見知らぬ人を見かけると「どっから来なっただ。」「あんねのもんか。」と聞く。お礼を言うときも「どこの誰かは知りませんが、親切にしてくれてありがとう。」とは言わない。まず、どこの人か。知っている人の身内かどうか。それが気になる。本当に気になるから聞くだけで、まったく悪気はない。

 三十歳頃に東京から練馬ナンバーの軽自動車で帰ってきた。近所の小学生に「おっちゃん、また来ただか。」と毎日言われた(笑)。何ヶ月後かには「おっちゃん、いつ去(い)ぬるだ。」と言われた(泣笑)。自宅で仕事を始めてもう18年目になるが、未だ親戚や近所の人には「今日は休みか。」と言われる(脱力)。出張専門にやっているため、看板を出していない。だから、本当にそう思うから言うだけで、まったく悪気はない。

 人は、どうして名前を欲しがるのか。どうして名前ではなく、そのままの人の心を見ようとしないのだろう。歩きだす名前に自分を預けたくはないと思う。

平熱の体温を計る

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感想(2件)

 「なんとなく寝不足だなぁ。」と思いつつ、夜中の1時、2時までだらだらと起きていて、それが普通という感覚だった。今でもそうだけど、目覚ましがなくても毎朝同じような時間に起きられた。でも、やっぱりいつも睡眠不足は解消されなくて、午後、夕方時間があくと、昼寝をしてしまう。こんなことなら、ちゃんと睡眠をとりたいと思い、自分の睡眠の状態を見ることができるJawbone UP3に興味を持った。UP3というのは、アクティビティトラッカー、日本語でいうと「活動量計」のひとつだ。UP3発売当初、発売延期があったり、いろいろなトラブルがあったために大きな有名サイトで酷評され、評判を落としてしまったが、製品そのものはその後もいくつかの改良を加え、アプリも新しくなって良くなっている。REM睡眠や深い睡眠の状態を毎日詳しく見ることができるというのは、しばらく前では考えられないことだった。

 睡眠の状態が詳しく見えるようになると、今朝はREM睡眠が少ないから、今夜は頭を休めようとか、時間が足りなかったので、早く寝ようとか、しっかり睡眠を取るようになるし、一定の時間に眠りにつくようになる。それからUP3の特長は、微弱電気により心拍数を計測できること。これも自分の体の状態を知るうえで欠かせない。歩数ももちろん計測できる。

 ある時、平熱の体温を自分が知らないことに気が付いた。これまで自分の体温を計るというと、風邪をひいたときか、病院で検査をするときくらいだった。病院そのものにはここ何年も行っていない。そこで、体温計を購入し、記録することにした。UP3のアプリには、体温を記録する項目がなかったので、iPhoneの「ヘルスケア」で記録をとることにした。体温計っていうと、もう水銀を使った体温計はなくて、電子式で、早く計れる機能のついたものがほとんどだ。体温計も電気屋で買う時代なんですね。ぼくは、いろいろ機能のついたものではなく、しっかり時間をかけて計れるシンプルなものを購入した。これが一番安いし、長持ちする。

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感想(6件)

パソコンって必要なのかな

 ぼくはパソコンを必需品だと思っている。仕事でWindowsを使う、マックも使う。パソコンがなければ暮らせないだろう。

 しかし、ほんの30数年前には、携帯電話も持っていなかった。新聞の折り込み広告の中で裏面に印刷されていない紙を探して、折りたたんで、また適当な大きさに切ったりして、メモ代わりに使っていた。今でもそれで事足りる暮らしをすることは可能だ。パソコンがなければ暮らせないというのは、単なる思い込みだし、本当は幻想だ。

 こうやってホームページに文章を記しているとき、本当は原稿用紙でもなんでも構わないのだ。人に伝えることが目的ではない。誰かに読まれる確証はまったくない。もともと自分の考えを整理することが目的だから、読まれなくてもいいし、メモに走り書きをしたってかまわないのだ。ある日突然消えてしまってもうろたえない自信はある。

 生活に必要なものは、個人商店があまり流行らなくなったこの時代でも、ごく身近に手に入れられる。コンビニだって本当は行かなくてもいい。このコンビニにも行かなくてもいいという考えをもっと広げると、この世の中で「便利なモノ」として挙げられるモノのほとんどが実は必要のないモノばかりなのに気付く。その「便利だけど必要のないモノ」の代表がぼくにとってのパソコンなのだ。出来るなら家だって、クルマだって手放したい。あまりこういうことを考える人はいないかも知れないが、ぼくは20代の頃は浮浪者になりたかった。彼らのほとんどは、浮浪者になりたくてなっているわけではないし、なろうとしてなるものでもない。だが、それくらいモノを持たない生活に憧れていたのだ。

 50代半ばを過ぎて、またふつふつとモノを持たないことへの憧れが浮かんでくる。それはある意味死への憧れなのかもしれない。墓や位牌も持たず、存在が消えるような死に方がいい。だいたい死人にモノを持たせようというのは人間はどこまで傲慢なのか。少しずつ、そのような瞬間に近づけたらいいなと思っている。