この記事を読んだ。https://mainichi.jp/articles/20210316/k00/00m/040/295000c
素晴らしいなと思った。本当にこの通りだ。
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素晴らしいなと思った。本当にこの通りだ。
いつもは、このカバンさえ持っていけばというひと揃いを持って出るんだけど、そうなると、ギターのレッスンにはギターを、パソコンサポートには、パソコンをプラス持って出ることになる。ひと揃いプラスA、さらにBという状況で、荷物がいつもいっぱい。
今日からひと揃いかばんをやめて、ギターレッスンのときには、ギターケースだけ、パソコンサポートのときには、パソコンバッグだけを持って出ればいいようにしよう。
物質世界の周波数を量れるようにしたもの。一人ひとりの時間は、それぞれの周波数で決まる。
謙遜とは「へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと。」とある(Google検索より)。
別の解説には「卑下することではない。」ともある。
そうか! ぼくは、これまで謙遜するつもりで、卑下していたんだな。相手を尊重したつもりで、それで何となく丸く収まるんじゃないかと勘違いしてた。ずっと、そんなカンジだったかも。
それがぼくの永年の癖で、ぼくは、自分自身に対しても低く見るようになっていたんだと思う。でも、それって結局ウソだね。相手に対してもウソをついてるってことになるね。
あっちゃあ・・・、と思ったハナシでした。
◆スポンサードリンクもし、辺り一面に砂漠しかないとしたら、目的地を目指して歩くしかない。
「どうしようか。」と迷う余地はない。じっとしていれば、確実に死ぬ。
「迷う」というのは、死ぬ以外の選択肢が多いということだ。
迷わないためには、こうすると「決める」以外にない。
流されるばかりだと、いつまでも決められない。
ものごとには、ひとつひとつ「意味」がある。
「意味」を見逃さないこと、つかむことが重要だ。そこには、過去も現在も社会も地位もない。
自分にとっての「意味」はなにか。そして、「決める」。それに尽きる。
◆スポンサードリンク意識が現実を作る。
そう思える人も、そう思えない人も、それが真実です。
その中でも、できる意識より、できない意識の方が強力です。
「できる。」と、なかなか思えなくても、「できない。」というのは簡単に思えてしまう。
その結果、できるはずのこともできない。
で、意識が働くわけです。下記は、これまでの、ぼくの場合ですよ。
「やれなくはない。」
「できるはず。」
「なんで、できないんだろう。」
「こうしたら、ああしたら、どーたらこーたら。」
で、その意識が、ますます確実にできない現実を作ってきたわけです。
できない意識の方が強力なんですから、意識すればするほど、できないわけです。
呼吸できない人がいますか。
空を飛べる人がいますか。
もともと、放っていても、できることはできるし、できないことはできない。
それなら、意識を捨てるのが一番効果的です。
そのまま、呼吸できる自分、空を飛べない自分を認めます。
できることはできて、できないことはできない自分を認めます。
できた。できなかった。は、結果です。
結果にとらわれず、自分を認めるのです。
というようなことを、今、ぼくは自分に問いかけているところです。
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自信がない。
不安だ。
漠然と。なんとなく・・・。
自信がない。何が?・・・答えられない。
不安。何が?・・・答えられない。
だって出来てないから。
ダッテ。デモ。ダカラ。
自信って、成功体験を積み重ねることだと思っていた。
知識を得て、できることを増やすことだと思っていた。
自信て、自分を信じること。
何かをして得られることじゃなかった。
今すぐできること、だった。
自分で信じられる自分を持てばいい。
時間も他人の評価もいらなかった。
自信がないということは、人の評価を待つことだった。
人に委ねることであり、自分をおとしめることだった。
自信はできるのでも、作るのでもない。
ここにあることを信じること。
それだけ。
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分刻み、いや秒刻みでスケジュールをこなしている人っていると思う。
すごいなぁ。
忙しいんだろうな、と思う。
ぼくなんかも、人からそう思われていたりするのかな。
いろいろ、やってるし。音楽も、パソコンも。
いつ休んでいるんだろうとか、思われてそうだ。
でも、ぼくは眠れる日は8時間寝てます。
クルマの中で、エアコンかけて、昼寝もします。たまに。
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本当に秒単位、分単位で動いている人にとって、1日はあっという間だろうし、極端だけど、人生そのものも一瞬のように思えるかも知れない。
それでも人は時間を切り分けて、いろんなことをやろうとするんだな。いろんなことができた方が充実していると感じるんだろうな。いや、そう思い込んでいるんだろうな。
できているかどうか、自分ではわからなかったりするから、評価や実績、できた記憶や知識にたよるんだろうな。
本当に満たされるのは、何かを感じている自分に気づくとき。
美しいとか、嬉しいとか、悲しとか、悔しいとか。腹立つっ、とか。
それを、自分の中からそのまま感じきるとき。
それって、時間ではないし、評価や実績、記憶や知識でもない。年齢も環境も関係ない。
ただ感じるのではなく、それを自分のものとして認識して、感じきること。
今まで、時間を切り分けて、ずっと歳を重ねて、記憶や知識に頼って生きてきた人にとって、かえって自分を感じ「きる」ってむずかしいことなんだろうなぁ、と、ぼく自身に重ねて、感じているところです。
ビビビ、って来るって言うじゃないですか。
第六感とか、シビレルとか。予感だったり、ひらめきのようなものだったり。
あれって「周波数」ですよね。
アナログの時代の、まぁ、デジタルでもいいんですけども、ラジオのチューナーがピタッと合う、その瞬間の感じ。
人間が色を感じるのも周波数です。光の周波数、波長。
音楽の音色や、音の高さを感じるのも、周波数です。音の周波数、ヘルツ。
生命や、天体にも、ゆったりとした周期があります。地球の自転とか、月の満ち欠けとか、これも周波数。
逆に光よりも速い周波数は、電波、レーダーなど。
◆
人は、時間という、一定のリズムの中で生きているって錯覚しているんだけど、それは、単に一つの周波数を基準にしているだけのこと。実際はさまざまな「ゆらぎ」の中で、意識を向けた方向でビビビを感じているわけ。
ビビビッってこうやって、ちゃんと周波数で理解できるはずなんだけど、ふだん目にしている理屈って、周波数を無視してるから。
たとえば「理論的に、まったく、ぴったりで正しいモノ。」にビビビッてくると思う?
美女と野獣が出会うのも、ビビビッなんだよね。理想的な出会いがいつも正解なんてことは、ないよね。
感性がビビビッときた出会いは、意味があるんだと思う。
そこを見逃さないことは一度きりの人生で大きな出来事だろうと思う。
親友との出会い、人生の岐路との出会い、いいことばかりじゃない、葛藤との出会い、傷つけられた思い出なども、思いとしてはいろいろあるんだけど、感じること、意味を知ることは大事なんだろうと思う。
ぼくは理屈ばかり追いかけていたから、ビビビは抑えようとしてきただろうと思う。これからのビビビは見逃したくは、ないな。
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今年の夏が特にそうなんだろうか。これから、来年から先もずっとそうなんだろうか。
あの各地で被害のあった豪雨のあと、一転して雨も降らず、酷暑が続いている。
この暑さは、まだ2週間続く予報だと出ている。40度ってなんだよ。体温以上じゃねぇか。
こまめに水分の補給をすること。極力、炎天下、外で体力を使わないこと。じゅうぶんに休息をとること。
それくらいかなぁ。気をつけるのは。
かといって、何もしないわけにもいかないし、もともと外仕事の人は、本当たいへんだと思う。
思考能力も、まぁ、もともとじゅうぶんではないところへもって、低下します。いろんなことがおっくうになります。
休みましょう、休みましょう。これはもうどうしようもないことです。がんばってはイケマセン。
飲める人は、昼間からでもビールを飲みましょう。眠れる人は、8時間でも9時間でも寝ていましょう。
さぁ、そう言いつつも、もうひと仕事、出かけてきます。ガンバルな。でも、もうひと仕事。ふうふう。
かんばらないで、できることを、やってきます。(2018年7月23日(月)18時に記す。)
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