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みやびな鶏。

ある日のオカリーナ教室シリーズ。(そんなシリーズあるのかな・・・)

オカリーナ教室、グループの名前は、それぞれに任せているので、自由な名前がついてる。

今日は、雅(みやび)な鳥と書いて、「雅鳥(がちょう)クラブ」。ダチョウ倶楽部と間違えそうだ。

オカリーナがイタリア語でガチョウだから、というネーミングらしい。

みやび、というより、にぎやかい。笑いが絶えない。

タグは「miyabi」にしよう。

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essay music オカリーナ

あるオカリーナ教室の様子

白壁天女琴リーナ(しらかべてんにょことりーな)という、長い名前のオカリーナグループに月2回レッスンのため、お邪魔しています。

名前が長いので、略称はないですか?と尋ねると「しらかべ」か、「ことりーな」だと言います。他のグループから「しらかべさん、ことりーなさん」と、そう呼ばれることが多いらしい。

「天女が抜けとるがな。」と大笑いしました。

現在男女9名のグループです。練習場所にちなんで、このページでのタグを「取調室」としました。以下のリンクからでもアクセス可能です。

https://tajiri90.com/tag/sirakabe

練習(レッスン)会場となっているのは、倉吉市文化活動センターの2階にある、通称「取調室」です。建物が元倉吉警察署で、その部屋の入口が鉄製の2重扉なので、グループの中で、そう呼んでいます。実際に、この部屋が取調室だったかどうかは、わかりません。

2019年12月20日(金)は、今年最後の練習(レッスン)でした。

高い音の練習曲

この夏ぐらいから、Amazonで販売している電子書籍「オカリーナ入門」に掲載されている「高い音の練習曲」を、やっています。今日は、高いドから上の音がよく響きました。順調に成果が出ているようです。

太鼓に囲まれた部屋

倉吉打吹(うつぶき)太鼓の保管部屋にもなっていて、太鼓のイベントがない時期には、部屋は大小様々な太鼓が並びます。太鼓がたくさん部屋に並んでいるときは、オカリーナの合奏の音色が柔らかくなります。不思議です。

打吹太鼓は、今年最後の大きなイベントが終了したようで、今日は、たくさんの太鼓が並んでいました。狭い部屋なので、太鼓がないときは、響きが大きくなります。今日はとてもオカリーナの合奏が、聞きやすい音で響いていました。

練習(レッスン)を行う部屋の響きはとても重要です。場所によってずいぶん響きが変わります。響きの乏しい場所では、ふだんの会話も控えめになったりします。

ここは、楽しいメンバーが集っていることもあり、実ににぎやかで和やかです。

ひとまず、続きは気が向けば、明日書きます。

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ぼくにとっての第28章。

この文章は、音楽家・岸本みゆうに書いた文章を、加筆訂正したものです。


1980年12月9日火曜日、ぼくは20歳になったばかりで、鳥取県西部にある米子市に住んでいた。

10月28日の誕生日には、下宿のきれいなお姉さんにカードをもらったんだ。「まっすぐに生きようと思うな 曲折多き人生も また美しいではないか」って書いてあった。好きだったな、そのお姉さん。ロマンスも何もなかったけど。

「きみ、作家になれる。文章を書くといいよ。」そんなことを言われたこともあった。ぼくが音楽をやっているって言うと意外な顔をされたんだった。

前の年に、高校を卒業したあと、東京の専門学校に行ったんだけど、続けるのがめんどうになって、退学届けを出して、鳥取に帰ってきた。

ちょうど親戚の建築会社で募集していたんで、大工の見習いをすることになった。その会社の下宿だった。

当時、その下宿に住んでいたのは、高齢の女性が二人と、近くのデパートに勤める20代の女性とぼくの4人。一軒家で、作り置きの料理の余りものを分け合うような、当時は、たぶんよくあった家族的な昭和な下宿だった。

自由に使えるキッチンが部屋の近くにあって、そのころ下宿にいるときはヒマだったので、ほぼ毎日自炊をしていた。その日の夜は日曜日に作ったカレーを温めて食べた。大きな深い鍋を買ってきて、3日続けてカレーを食べることも珍しくなかったんだ。

仕事はきついこともあったが、みんな優しい人ばかりで、楽しんでやってた。昭和56年(1981年)が酉年(とりどし)ということで、雪の多い冬だったが、境港に近いところで、人が住めるくらいの大きな鳥小屋の建築を手伝っていた。

当時は、インターネットも携帯電話もない。目覚まし時計代わりに使っていたラジオから、そのニュースが流れてきた。ぼくの中に世界が止まったような感覚があった。

「12月8日、ニューヨークの自宅前で、ジョン・レノンが銃で撃たれて亡くなりました。」

記憶は今でははっきりしていないけれど、泣きはしなかったと思う。ただ、体じゅうのいろんなところに穴ぼこが開いたような感じがした。

ぼくが会社を辞めて下宿を出たのは、翌年の2月だった。

マーク・チャップマンが開いたのが、「ライ麦畑でつかまえて」の第27章だったのだとしたら、もうその章は終わったと思う。今から始まるのは、第28章だ。

これから新しい世界が始まる。始まらないといけないと思ってる。

(ジョン・レノンの写真はジョン・レノン – Wikipediaから拝借しました。)

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essay iwami music オカリーナ

なんとなく、なんとなく

今日は、道の駅「きなんせ岩美」でのアポン・サロンコンサートでした。

こういったオープンな場所での演奏は、常に新しい出会い、予期せぬ出会いが待っています。

目の前にいるのは、たいてい、いつも「たまたま」そこに来られた方です。

今日も楽しいライブでした。あーたのしかった!!

そんだけーーっ!!

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打吹回廊という風景

2019年7月20日(土)、西日本では、九州を中心に台風の影響で、大雨が降っている地方もあった。

鳥取も数日前から影響は出ていて、長い時間雨が降っていることもあった。水曜日、木曜日あたりから、もしかしたら、20日のオープニングイベント自体の開催も危ぶまれている状況だった。

それでも無事オープニングイベントが開催できたのは、とても喜ばしいことだ。

「打吹回廊」というのは、鳥取県倉吉市の中心地にある、倉吉銀座商店街に新しくできた賑わい施設だ。以前ナショナル会館という建物?があった場所らしい。市役所や観光名所である、白壁土蔵群からも近い。
倉吉銀座商店街のFacebookページ

1980年代に当時倉吉から関金を結んでいたJR倉吉線が廃止になり、少子高齢化社会を迎えて、シャッターを下ろす店も多くなってきた。これは、全国的に地方の中心市街地に見られる光景だ。

それでも、この地域には、白壁土蔵群があり、近くには、倉吉パーススクエアもある。ここには、1500席の大ホール等を有する倉吉未来中心が建ち、数年後には、県立美術館ができる予定だ。
ウェブ版美術館準備室(鳥取県教育委員会)のページ

そういう意味では新たに活性化しつつある元気な地域と言っていいだろう。

人口が減り、商店が店を閉めるのは、寂しいことだし、かつての賑わいを懐かしく思うこともあるだろう。しかし、寂しい、残念だと思うことだけでは、何も生まれない。

今必要なのは何なのか、考えて作られた、新しいものが生まれたことを素直に喜びたい。

オープニングステージで演奏

この打吹回廊のオープニングイベントで、アポンとして、参加、ステージに華を添えました。

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店の名はライフ、自転車屋はない。

18歳で初めて鳥取から上京した時、電車の同じ車両に、大きな四角い荷物を背負った行商の人がいた。空は晴れていて、朝だった。通勤時間帯の少し前くらいで、3つくらいある改札で、当時のぼくと同じような年代、20歳前後くらいの駅員が、数人で常にハサミをカシャカシャ動かしていた、その音が今でも記憶にある。

初めて降りた東京の駅は、中央線の中野駅だった。東京駅でも乗り継ぎをしたのだけれど、メモを見ながら、案内標識を見ながらホームを探して歩いていたので、その当時の東京駅の記憶はまったくない。

改札を出て見えた奇妙な三角形の大きな建物が中野サンプラザだということはわかっていたけど、不思議とジオラマを見ているような感覚だった。

公衆電話ボックスを探して、電話をして、出迎えてくれた下宿先の新聞販売店主は、汗っかきの40代くらいの人だった。下宿から少し離れた高円寺駅に荷札を付けた荷物を預けていたので、かなり遠回りをして、野方(のがた)に着いた。東京の朝の匂いが独特だった。

下宿先には先輩も含めて6、7人の学生がいた。同じように新聞配達をしながら学校に通う仲間だった。同級生は4人だった。

店は新聞販売店、隣の店は、陽気な明るいおばさんのいるパン屋だった。

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瞑想の代わりに自画像を描く。

瞑想しようと思うと、ただの居眠りになっちゃうとか、何かしら、いろいろ雑念から抜けられなかったりします。

それなら、何か集中できることをやればいいじゃん。って、ことで、自画像っぽい絵を描いてみました。

瞑想すると、自分の意識を見ることになります。自画像を描くということは、瞑想の代わりに集中します。そして、自分に意識を向けることにもなります。

何をしちゃだめとか、そういうことを一切なしに、いろいろ意識に映し出されて、出てくるものを認めて、一心に絵を描きました。

ほっとしたら、夜中ですし、眠くなりました。

ただの居眠りじゃなく、本格的に、寝ます。ぐんない。

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吃音(きつおん)

幼いころぼくは、吃音でした。「どもり」と言うと、差別語と捉える人もいるようです。なので「きつおん」と今は言います。

未だにその名残があるのか、人に会うと、話す前にあれやこれや考える癖があります。ともすれば考えることに没頭してしまって、相手のことばを聞き逃すことが多かったように思います。

吃音そのものの症状は、中学校に入ってからは出なくなりました。40年以上前のことです。

この頃に吃音の症状が出なくなったのは、吹奏楽部でクラリネットを吹き始め、音楽に親しむようになったことが大きいように思います。

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症状は出なくとも、後遺症とまでは言えませんが、思考グセが残っていたことに最近気が付きました。思考グセですから、知識として知っていることを話すのは苦になりません。比較的スムースに話せます。

ところが、感性が問われる場面では、とたんに「怖がり」になります。緊張してしゃべれなくなるのです。どうやら、ぼくは、感じたことを言葉にするのが怖いのだということがわかりました。

人の話を聞くときに、自分が話す内容を考えるのではなく(思考グセ)、聞いている話をイメージすることに集中すると、緊張しないことがわかりました。感覚で聞いているので、「文字」や「文章」として考えなくても、言葉が出てきます。

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感想(23件)

実際には、このヘンな「思考グセ」と吃音との因果関係はわかりません。たぶん、性格や習慣、環境など、様々な要素がからみあっているのでしょう。

60歳前になって、やっとちゃんと自分と向き合おうとしています。遅すぎることはないのだと、自分に言い聞かせています。

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まだ1月のサクラの木の下

午前中は富桑地区公民館でのオカリーナ教室です。少し早い時間に到着したので、入り口から少し離れた桜の木の下に車を停めました。

もう、芽は出ています。サクラの花が咲く時期まで、あと 2ヶ月ぐらいはあると思うんですけど、こうして少しずつ芽を膨らませていくんだなぁと思います。

外の気温は3度くらいです。まだまだ寒いし、これから雪が降ることもあるだろうな。

さて、時間です。行きますか。

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チック・コリアin松江

今日(2018年10月20日)は、娘と松江まで行ってきました。

自宅から2時間ちょっとかかります。遠いですね。

せっかくなので、早めに行って、島根県立美術館にも寄ってきました。

美術館では、松平不昧(ふまい)公のコレクションの数々と常設展を見てきました。

昨日が雨でしたので、天候を心配していましたが、晴れてとてもいい天気でした。

今日のお目当ては、島根県民会館大ホールでの、チック・コリアのコンサートでした。

ピアノのウィングは最大に開いていて、高い位置に、2本のマイクが背の高いブームスタンドでセットされていました。

英語でご本人が話す内容は半分くらいしか理解できていないので、確かではないのですが、今回のツアーは録音して、CD化されるようです。なので、そのマイクは録音用だけで、客席から聞こえるピアノの音は、ほとんどが生音だけでした。

1曲目はモーツァルトとガーシュインが融合したような音楽でした。

二人の作曲家からインスピレーションを得て、インプロヴァイズするみたいなことを言っていたと思います。それがコンポーズすることだと。勝手な翻訳で、違うかもしれません。

チック・コリアは、とてもラフなスタイルでした。ナイキのスニーカーでしたし。

とにかく、音がきれい。音楽を聴きながら、清流が流れているように感じます。音のつぶつぶが光っている、そんな感じです。

2部ではピアノの影に隠してあった椅子を自ら、ピアノのそばに置いて、「What is this?」といい、話し始めます。

絵を描く人は、「肖像画」を描く。
写真家はポートレートを撮ります。
音楽で、同じようなことをやってみたい。
たぶんそんなことを言っておられたと思います。

客席に呼びかけて、手を上げた年配の男性がまずステージに上がりました。

ピアノのそばに顔が向き合う形で座ってもらい、その人をピアノごしに見るようにして、即興演奏が始まりました。

即興で描く、音楽の肖像画です。美しいけれど、少し難解な感じがしました。

今度は若い女性がいいと、手を上げてもらいます。

さっきよりたくさんの方の手が上がりました。

あなたは違う。と言われた方がおられました。若くなかったのか、男性だったのかは、よく見えませんでした。

2人目は二十歳かひょっとしたら、もう少し若いような細身の女性でした。

確かに奏でる音楽が違っていました。

透明感に満ちていて、非常に美しいシンプルなメロディでした。

今度は、連弾で共演したいといいました。なんて無茶なことを言うんだろうと思ってました。
それでも、ピアノの弾ける人に手を挙げてもらい、2人の男性がかわるがわるステージに上がりました。

それぞれ、エキサイティングな演奏でした。面白かった。すごい。

子どもたちのための小品を書いたというようなことを言い、全部はやらない、20曲のうちのたった(オンリー)3曲を演奏するといいつつ、結局12曲演奏しました。

1曲1曲、恥ずかしそうに指で「何曲目」というサインを作りながら。その度、客席も温かいかすかなどよめき。うん、いいんだよ、好きにしたらいいんだよ、という雰囲気。

アンコールは、ニューバージョンの「スペイン」でした。ロドリーゴのアランフェスのテーマが延々と続いた後、印象的な手拍子のあるフレーズが始まり、最後はスタンドオベーションでした。

いやー、楽しかった。

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