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2017オカリナフェスティバルin神戸へ

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 宍粟市にあるテレマン楽器は、オカリーナの品揃えが豊富なことで有名な楽器屋さんです。以前から楽器の仕入れには、ちょくちょく寄っていました。昨年、今年と2年続けて、ぽんかん。で市民センター波賀で演奏させていただいたり、先日は姫路でも演奏しました。いろいろなご縁があって、今年は2017オカリナフェスティバルin神戸に出場することになりました。

 この度の出演は、宍粟市のオカリーナ演奏グループpollo(ポーロ)のメンバーとしての出場です。polloというのは、イタリア語でチキン、鳥、という意味だそうです。オカリーナがガチョウだし、2017年は酉年だし、ということで、昨年末につけた名前です。

 演奏する曲目は、「いつか王子様が(Frank E. Churchill作曲・小山京子編曲)」「ねこバス(久石譲作曲・茨木智博編曲)」の2曲。昨日はメンバーのうち、5人が集まって、テレマン楽器の秘密の部屋「フクハラ亭」でみっちり練習しました。気がつけば3時間があっと言うまでした。大判焼き、うまかった!

 当日は、これまでお会いしていない他のメンバーも混じえて、大人数でのアンサンブルになる予定。夜遅く集まって、練習しているそうです。頼もしい存在です。

 今回初めてオカリーナ用のスタンド(テレマン楽器オリジナルのオカリーナテーブル)を購入して使ってみました。ケースに収納すると、想像以上に大きい。電子ピアノが入りそうな大きさです。それほど重くはないんだけど。ああ、でも持ち替えが楽だ!当たり前だけど。見た目もこの方がいいですね。そういや、今日からわたし、ヒゲ生えます。秋には剃るけど。

 画像は、岩美に帰ってから見た夕日。もう日没は過ぎていたのですが、いつまでも明るくて、きれいなグラデーションのまま暮れてゆきました。う~んビューティフル! いい一日でした。

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ソウジセンタク、本を読む

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 自宅にオフィスを置いて、出張で仕事をしているので、時間があると、掃除、片付け、洗濯します。それから、ぼんやりと本を読んだり、インターネットサーフィンをしていたりします。

 こういうときの仕事は、少しだけ、ブログを書いたり、パソコンのメンテナンスをしたりとか、してます。そう。楽譜を書くのも仕事です。こんなふうにゆったりとした時間が持てて、クルマに乗ってちょっと足を伸ばせば、海があって、青空があって、山があります。こんなライフスタイル、都会では持てません。

 ここは岩美町です。ここの自然に魅せられて移住してくる人も最近は増えています。

 私も、かつては会社に勤めて、朝から晩まで毎日働くサラリーマンでした。ずっとそうして生きてきました。自分の時間を持てるのはそれが休日の楽しみなのだと、そう考えていました。だから、今の生活には、後ろめたさがどこかありました。「お金をかせがないといけない。」それが働くことだったからです。独立したときに、毎週新聞広告を出しました。PRして、仕事をいただいて、やっと生活ができる。もっと経済的にゆとりがほしい。こうしてぽっかり空いた時間はゆとりだとは感じられずに、焦ってばかりいました。

 この話は、もう少し続きを書こうと思います。今日はこの辺で。

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シャブ・・・やってます

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 自白します。シャブ、やってます。ギタリストは持っている人、多いと思います。毎日、時には一日、何回も使います。なんてったって、一発でハマります。快感ですね。

 はい。もちろん、カポタストの話です(誤解しましたか?)。G7も使っていますが、SHUBBはコンパクトなのがいいですね。たまたまバッグから2つ出てきたので、オリジナル(スタンダード)とデラックスを並べてみました。左がオリジナル、右がデラックスです。オリジナルの方が、カチッとはまる感じがします。といっても、デラックスの方がローラーとバネが付いている分、スムースにはまるから、そう感じるだけなのですが。

 もう40年ほど前ですが、高校生ぐらいまでは、パンツからゴムの部分だけを取り出したみたいな、ゴムが伸び縮みして穴に止める方式の安いカポばかり使っていました。G7が登場したのが2004年、SHUBBも1980年代なので、昔はそういうカポか、めちゃめちゃ高価なネジ式しか無かったんです。このパンツのゴム方式のカポは、装着し損なって、バチンと外れて飛んでしまったり、ゴムが伸びて、音にしまりがなくなって、妙な音が出てたりしました。当時は、カポを着けたら音が変わる、それはしょうがないことだと思っていました。輪ゴムと割り箸で応急的なカポを自作したこともありました。

 今は、締め付け調整のできないカポを使う気はしません。SHUBBの押さえゴムは、適度な硬さと厚みがあって、人差し指で押さえたときとテンションが変わらず、音の変化も小さい気がします。この押さえゴム、交換できるんですね。

 カポは、ギターの種類ごとにいろいろあります。12弦用とか、バンジョー用とかもあります。ウクレレは? カポは使わないかな。締め付け方式も、ネジ式、ウィットナーのカポのように独自のロック機構を持ったものなど、いろいろ。カポの種類もメーカーも迷うぐらい、たくさんあります。

 なんか、こういう普段何気なく見ている、使っているモノって、よくよく考えると、ものすごい進化というか、変化というか、時代を感じさせるものがあるように思います。逆に変わらないモノって、それだけもう完成されているってことなんでしょうか。

 まったく、カポとは関係ない方向に話がずれていますが、あの自販機とかについてるお釣りの取り出し口って、なんであんなに小さくて、取り出しにくいのかな。お釣りがある時には音と光で知らせてくれて、手のひらを入れたらそこで一度に出てくるみたいなものって作れないのかな。あるいは、スマホを近づけたら、お釣りが自動的にチャージされて、今度買う時に使えたりとか。

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御湯神社での縁。「朗読と音楽 奏で」

 御湯神社(みゆじんじゃ)のご本尊は4柱ある。大巳貴命(おおなむちのみこと)、つまり大国主命(おおくにぬしのみこと)とその妻八上姫(やかみひめ)、またその子御井神(みいのかみ)、元は別の神社に祀られ、合祀された猿田彦命(さるたひこのみこと)の4柱。

 今回の「朗読と音楽 奏で」(岩美まちづくりの会主催)で度々キーワードとして私の頭に浮かんだのは「縁」であった。「縁」と言っても、その時は気づかないのだが、あとで「縁」だと思えるものもある。そうした縁が、1200年の時を経てよみがえったような一日だった。

 現在の宮司小田哲郎氏は、私の通った岩美中学校の当時の音楽の先生であった。ここにも縁がある。

 かつて大国主命は、海岸で1羽のウサギを助ける。実はそのウサギは八上姫の飼いウサギだったという説がある。言い伝えの真偽はわからないが、あとで縁だと気づく。気づいたときにはウサギはもうそこにはいなかっただろう。大国主命と八上姫は多くの子をもうけるが、大国主命が出雲での国造りのときに妻となったスセリヒメは嫉妬深かった。八上姫は子どもたちを守るため、スセリヒメの迫害を恐れて因幡の国に帰ってしまう。

 伝承には諸説あるが、物語が生まれた背景には、縁によって結ばれた、今となっては無名の実在の人物がいたのだろうと思う。開け放たれた神社の中から外を見たときに、境内の東側にある稲荷神社の白狐の1体にずっと見つめられている気がした。その狐は「今、ここにある縁も、あらたな縁となる。」ことを語りかけてくれているようだった。

 今日は、夏のような青空だった。地元の小学校は明日日曜日が運動会らしく校庭にテントが準備されていた。朝のうちはまだ水田に人影は少なかったが、夕方には田植えが終わり、水が張られた水田がちらほら見えた。今日の一日で田植えをしたのだろう。明日も田植えは進むはずだ。

 ぽんかん。は今日ここで音楽を奉納し、朗読の代わりに宮司の「誰にでもわかる神様の話」を聞いた。終演後は、社務所を借りてお茶席をもうけた。みんな楽しそうだ。谷口尚美さんの差し入れのまんじゅうはすぐになくなった。いい縁をいただいたのだと思う。縁は無理に作る必要はない。大国主命は柔らかくも優しく、思慮深い神だったから、国造りの神となれた。この縁をただありがたく受け止め、ただ人の思いを大切にすればいいのだと思う。ひゃひゃあ、これはこれから楽しみだ。

こうげの白兎神社
次回龍神荘でのプレゼン

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音楽教室の本棚

オカリーナ三重奏「埴生の宿」

 これは、パソコンデスクの下にある棚、足元の空間です。ここには、本棚に収まりにくい背の高い本を並べています。本と本に挟まれてぎゅうっとサンドイッチになっているのは、コンパクトサイズのシュレッダーです。楽譜集など、音楽関係の本って、A4か、A4より一回り大きいサイズのものが案外多いんですね。それで、結果的にこの空間には音楽関係の本が集まってしまったというわけです。もちろん、これは一部です。

 テレビで学者さんや作家さん、あるいは政治家とかがインタビューを受けている背景に、図書館か?っていうくらい、背の高い大きな本棚にびっしりと難しそうな本が並んでいる、という風景を見たことを、ふと思い出しました。他の人の場合には、漫画のシリーズ本が順番に並んでいたり、本棚に入り切らない本が、ランダムに積み上げられている風景があったりと、本棚やその周辺を見ると、その人の日常の景色が見えるような気がします。

 私は、以前は文庫本などよく買って読んでいましたが、今は文芸書はほとんど買いません。繰り返し読む本以外は無駄に思えるからです。1回読むだけなら、図書館で借りるか、今はkindleでも、タブレットでも読めます。パソコン関係の専門書も最近はほとんど買わなくなりました。最新本の内容が半年後には古くなってしまいます。2〜3,000円払って買った本を束にして処分するのは、もう、もったいないですね。

2016年を振り返り

 このホームページの更新ができなかった2016年11月、12月は疾風のように駆けていったような気がします。

 2016年は、音楽ライブユニットぽんかん。が摩尼寺とつながったこと、これが何よりも大きなトピックでした。私たちは5月に縁があって、常駐しておられる居川敬信さんというお坊さんと出会います。ご住職は現在鳥取市立川にある大雲院と兼ねて住職をしておられるということで、ふだんはこのお坊さんがたった一人でこの寺の行事を執り行っておられます。出会ったその日にたまたま持っていたオカリーナを本堂で吹きました。音が雲のように天井に広がり、包み込むような響きがしたことを鮮明に思い出すことができます。ぼくは感動すると同時に、コンサートホールとは違う感覚に不思議さと軽いめまいのような浮遊感を感じていました。それでも二人で何度か訪れ、居川さんと話をしているうちに、谷口さんからここで自由な練習会をしてはどうかという提案がありました。

 ぼくが行っているオカリーナ教室の皆さんに声をかけて、10月まで5回の練習会を、本堂の奥にある如来堂で開催しました。摩尼寺については、中国観音霊場のホームページがありますし、ぼくのホームページの方でも詳しく書こうと思っています。

 谷口さんから、この如来堂で録音してぽんかん。のCDを作ろうという提案があったとき、漠然と童謡唱歌を収録するのかなというぐらいの考えしか浮かびませんでした。「ピアノは?電子ピアノ?」「オカリーナで?歌で?」考えがまとまらない中で、降ってわいたようにfacebook上の共通の知人であった吉田幹男さんという方から「こういう曲はどうだろう。」と大伴家持の歌に伊福部昭が作曲したという万葉五首の5曲の提案がありました。最初はどうしたらいいのか、イメージがわかなかったのだけれども、これまで、オカリーナと歌だけで演奏する曲目が既に何曲かあって、そのスタイルでやってみようということになりました。その後の機材の選定や録音の方法などの詳しいことはホームページの方に書くことにします。

確かにある「気配」という存在

 それがもし、映像として見えたなら「オバケ」とか「幽霊」とかになるんだろうか。今日もそんな「気配」を感じる瞬間があった。

 今日の晴れた午後。ある建物の2階。入口の扉には表面が凸凹したガラスがはめ込まれていて、向こうの光が透けて見える。ふとした瞬間にその向こうの光の中に人影が動いたような「気配」がした。そこはすぐ階段があって、さらに下には鉄の扉がある。もちろん、そのあと確認はしたが、誰もいない。いるはずがない。しばらくするとその「気配」は部屋の中に入ってきて、ゆっくり移動していった。その部屋の中には私以外に4人の人がいたが、誰もその「気配」を感じてはいない。

 見えない幽霊を「見た」とは言わない。それは確かに感じたけれど「気配」でしかなかった。きっと、ほんとちょっとした光のゆらぎだったのだろう。それがたまたまぼくが座った場所だけに感じられたのだ。

 以前、ある会でたまたま全盲の方と同席することがあって、その人が言った。「今日は15、6人くらいだな。」って。100人くらいはゆうに入れる会場だった。足音を数えていたのだろうか。見渡すと確かにそこには10数人の人がいた。「わかるんですか。」と僕は尋ねた。「うん。割と正確に。」足音や話し声、ドアの開け閉めの回数を数えているわけではない、とも言った。もっと人が多くてもあまり外すことはないそうだ。百人、千人規模だと分らないかもしれないが、もしかしたらそれでもわかるのかもしれない。その人はいつも、まるでぼくが見えているかのように、ぼくとまっすぐ向き合って話す。

 盲目の人がすべてそうだとは限らない。でも、思い出すと「気配」のする方をまっすぐ見る人は多い。

 人は見えるものに頼ろうとする。データがあれば、データを信用する。ことがらを理性的に判断しようとする。それもある種の知恵だと思う。その方が間違えにくいし、知識があれば、判断も早い。しかし、そのデータが間違っていたら、その知識が間違っていたら、そう考えたらどうなるだろう。

 「気配」というのはなんだろうか。ほんのちょっとした変化。光だったり、音だったり、においだったり、温度だったりする。きっと、数値では計れないような変化、データに残らないような変化、なのではないだろうか。

 自然界の生物はみな「気配」をただ感じて、見逃さないだけでなく、それを感じている自分自身を信じて、人間がデータに頼るよりも確実に判断をするのではないだろうか。

 現代の人間にも、ぼくにも今すぐできることがある。確かにある「気配」という存在、それを見逃さないこと。それを感じている自分を見ることだ。データや知識はそれから参考にしても遅くはないのだろう。



日本のキュビスム展

 鳥取はいいところだ。晴れた休みの日に美術館(実際は鳥取県立博物館だが)に行っても、人が少なく、ゆったりと鑑賞できる。人口が少ないというのはメリットも多いものだ。キュビスムといっても、作品はいろいろだ。これぞキュビスムという作品からキュビスム的な作品やら、シュールな作品やら。おもしろいのは、見ていて、自分の感覚をぐりぐりと動かされるような感じがすることだ。楽しかった。館内に入って、外に出ると1時間が過ぎていた。

 鳥取市内に出たのは、他にも用事があって、こっちのほうが本来の目的なのだが、とりぎん文化会館というところでイベントがあって、岩美高等学校ブルーマーティン・ジャズ・オーケストラの演奏を聞きに行った。

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摩尼寺、善光寺如来堂のご開帳

 2016年10月30日(日曜日)、秋の日の柔らかな日差しと青空のもと、今日は、摩尼寺境内にある善光寺如来堂のご本尊のご開帳に立ち会うことができた。来る11月3日には中国霊場の各寺の住職たちが一堂に会し、法要が行われるらしい。今日のご開帳は、実に80数年ぶりというから、当の住職ですら初めてという貴重な機会であり、緊張感ただようものであった。

 如来堂の中は、中国三十三観音霊場のご本尊の掛け軸とお砂踏みが用意され、ご開帳に先立って、10時から摩尼寺の僧侶3師によりお砂踏みと読経が行われた。立ち会ったのは、20名ほどだったが、県外からの熱心な信奉者の方もいて、遠くは山口の方からはるばる訪ねてきた方もいたほどだ。

ドレミはパターンの名前

「ファはファなのに、ファから始まるドレミがあるって、意味がわからない。」

 その方には、そう言われました。

 私はこう言いました。「『ドレミファソラシド』というのは、『1番目、2番目、3番目・・・』くらいの意味で、パターンの名前なんですよ。だから、まず音の名前は、ドレミではなく、ABCで覚えてください。その「ABCDEFG」を日本では「イロハニホヘト」でいう場合があります。ハ長調の「ハ」というのがそれです。

A B C D E F G

皆さんがドレミと言っているのは、ハ長調のドレミ

 これは正確に言うと、「C」の音(ハの音)から始まるドレミなんです。また、この場合の「ドレミ」のことを「音階」または「スケール(Schale)」と言います。あなたが以前聞いたことがある「ファから始まるドレミ」というのは、「F」の音(ヘの音)から始まる「ヘ長調のドレミ」であって、Fのメジャー・スケールとも言ったりします。

 ドレミというのは、音階であるパターンの名前ですから、そのパターンの約束事があります。それは、ミとファ、シとドの間は半音1つ分、という約束事です。他のドとレ、レとミ、ファとソ、ソとラ、ラとシの間はすべて半音2つ分です。ギターで弾くと、半音1つ分はフレット1つ分になります。Fのメジャー・スケールをこの約束事に当てはめてみると、単純にFGABCDEFと並べるだけでは、半音の位置がずれるので、Bの音を半音下げてB♭にする必要があるのです。



    ファ      
C   D   E F   G   A   B C
D♭   E♭   F G♭   A♭   B♭   C D♭
D   E   F♯ G   A   B   C♯ D
E♭   F   G A♭   B♭   C   D E♭
E   F♯   G♯ A   B   C♯   D♯ E
F   G   A B♭   C   D   E F
G♭   A♭   B♭ C♭   D♭   E♭   F G♭
G   A   B C   D   E   F♯ G
A♭   B♭   C D♭   E♭   F   G A♭
A   B   C♯ D   E   F♯   G♯ A
B♭   C   D E♭   F   G   A B♭
B   C♯   D♯ E   F♯   G♯   A♯ B