「music」カテゴリーアーカイブ

こうげの白兎神社

 夕方、郡家(こうげ)に仕事に行きました。途中にかわいらしい看板が見えたので、近くの道路にクルマを停めて歩いて行ってみました。周辺に駐車場らしきものはありませんでした。地名は、八頭町福本とあります。

 田んぼの中にある小さな神社です。お社は、小さいので、遠くから見えるような大きな屋根はありません。鳥居も木立の影に埋もれているので、ふだんはそこに神社があるとは気づかないでしょう。看板がないと、そこに神社があることがわかりません。あぜ道の途中に休憩するための木陰がある、そんな風情です。夏には農作業の合間にここで休む人もいるのでしょう。

◆スポンサードリンク



「狛犬」ならぬ「狛兎」です。石のうさぎさんは新しくて、かわいらしい。

由緒正しき神社だと書いてあると思います。白兎神社の本家ではないかという説もあるようです。
お堂は閉まっていたので、お賽銭を入れることができませんでした。

 白兎神社というと、一般に知られているのは、大国主の命が白兎を助けた伝説のある海岸、白兎海岸の近くにある神社です。ただ、この物語に欠かせないのは、大国主の妻である八上姫という人物です。八上姫は、八頭の出身であり、白兎は、八上姫の飼いウサギだという説もあります。先日の御湯神社での「朗読と音楽 奏で」でも、宮司からさまざまな興味深い話を聞きました。

御湯神社での縁。「朗読と音楽 奏で」

◆スポンサードリンク


人が変わるとき

 ぼくを知っている人は「え?」と思うかもしれない。ぼくは小さい頃は、犬が大の苦手でした。遠く100メートル先で姿を見ただけで、家に駆け込んでいました。姿が見えなくても、「ワン」と吠えた声を聞いたら、それがテレビドラマだったとしても、ビクッとしていたと思います。

 今は、犬に限らず、動物はみんな好きです。東京にいた頃は、ヒマなときはバイクに乗って山を走るか、温泉に行くか、美術館巡りをするか、何もないときは、牧場や動物園によく行きました。

◆スポンサードリンク


 自分自身が犬が苦手だったことを忘れていました。しかし、なぜか唐突に、ふと、思い出しました。

 犬が苦手だった頃は、人も苦手だったように思います。その頃のぼくは吃音(どもり)があり、学校での国語の本読みが一番苦手でした。

 変えてくれたのは、中学校で始めた音楽だったのかなと思います。人前で演奏するときの、少し緊張する、あの感覚がイヤではなくなっていました。逆に少しずつ、心地いいと感じるようになっていました。吃音もあまり出なくなり、1年生の時に前期、後期とあって、後期の生徒会長に立候補したので、まわりは相当驚いたと思います。結果は、落選でしたが、生徒会に入って、全校集会の司会を進んでやりました。

 人が変わるということを、「心を入れ替える」「別人のよう」と表現することがあります。あながち大げさではないのかも知れません。心が本当に入れ替わる、というようなことは現実に有るかもしれないと思うからです。

 今、また何か変わった自分を見ているような気がしています。

◆スポンサードリンク


変わらない風景〜G線上のアリア

 鳥取には、変わらないものが溢れています。都会の生活に疲れて、働くことに厭きて、静止した時間を味わいたい人は、ここに来るといいでしょう。

 そして、鳥取県東部には、「岩が美しい」「岩美」と書いて「いわみ」と読む地方があります。かつては岩井郡(いわいこおり)だったそうですが、どっちにしろ「岩」です。

◆スポンサードリンク


 その名のとおりに、岩山が多いし、海岸も岩と岩の間に、砂浜が広がっている、そんな感じです。岩石で作られた遺跡、石碑、古墳、墳丘墓なども、たくさんあるようです。

 なぜなんだろうと、思い、ふと今日インスピレーションを感じたことを書きます。

 ここは、岩の持つ周波数と調和している空間なのではないか。

 だから、もちろん、建物や、土地や風景は変わるんだけど、基本、その空間は、変わらない。ここに来て、その空間で暮らしていると、岩の持つ周波数と同化してしまうのではないだろうか。実際、何十年かぶりにここで誰かに会ったとしても、どんなに風貌が変わって、一見わからなかったとしても、実際は印象が変わったように思えない。時空の質がどうも他の場所と違う気がする。

 私のように、Uターンして帰ってきた(当時は仕方なく)のではなく、近年は、とても豊かな岩美の自然風土に魅力を感じて、移住してこられる方が多い。その人たちには、この岩美の人々はどう映るのだろうか。

 画像は、鳥取市円護寺にあるビルマ方面戦没者慰霊碑です。レッスンの合間に散歩していて、円護寺トンネルを抜けたところで見かけました。

 しばらく周辺を散策していると、時折ぽつりぽつりと訪れる人がいます。年配のご夫婦がクルマを止めて参る姿もありました。この周辺には未帰還者の慰霊碑や、平和の塔などがあります。この時、「G線上のアリア」のメロディが浮かび、先日入ってきたテナーGのオカリーナで吹きたいと思いました。

 「G線上のアリア」は、これから音楽ライブユニットぽんかん。で、練習します。

◆スポンサードリンク


女の子たちの部屋、初訪問

 今日からしばらくは、あちらこちらのオカリーナ教室の皆さんとの訪問演奏が続くことになる。今日皮切りは、鳥取医療センター内に設けられている白兎養護学校卒業生の重度の方の訪問学級だ。ここには、2014年10月19日、2015年2月15日、10月18日、2016年10月16日、そして本日2017年6月18日で、5回目になるようだ。ここは、ホールでのオカリーナ教室の皆さんとご一緒での演奏のあと、今回初めて、ご要望をいただいて、一人で女の子たちの部屋を訪問することになった。

 ホールでの演奏でのお客様はベッドと車椅子の5名。それぞれに様々な表情や声の変化で、反応し、ときに何か伝えようとしているのがわかる。ずっと赤ん坊のように泣いていた女の子が、ぼくが一人でオカリーナを吹き始めると泣き止むのが不思議だった。終わったあと、一緒にいたオカリーナ教室の生徒さんたちが、泣いていたのは歌声で、ぼくの演奏のときは、聞いていたんだって解説してくれた。なるほど、そうだったんだー。

 聞いたことがない曲を聞くと、痙攣のようにガタガタ震えだす方もいた。介護のボランティアの方のほうが驚いていたように見えた。ふだんはこんなに反応はしないのかも知れない。その方は、終わる頃には痙攣が止まり、すっきりしたおだやかな表情に見えた。

◆スポンサードリンク


 10年以上前、障害を持っている方を対象にしたパソコン教室をやっていたことがある。そのときにたくさんの重度の方と接して、表情や動作など、外観だけでは、知性や感受性などの内面は計り知れないことを知った。当時、補助講師には、正直に「どう接していいかわからない。」「怖い。」「気持ち悪い。」「いやだ。」と表現してくれる人を選んでお願いした。同じような気持は、ぼくの中にもある。取り繕って、なんでもないという素振りを見せようとする人ほど、実際には彼らを見下していることがわかっているからだ。ぼくにとっては、そのように取り繕って自分を隠して生きている「一般の」人の方が、よほど、本当に怖いし、気持ち悪い。

 さて、ドキドキの初訪問だ。なんてったって、十代から二十代の女の子たちだ。彼女たちにとっても、ナマの演奏が聞ける、めったにない機会だという。開け放しの入り口から一歩入ると、廊下からは見えなかった、野球場のスコアボードのような巨大な電光掲示板が見えた。数字が色付きで表示されていて、ピコピコ電子音が常にいくつも聞こえる。演奏しながらベッドの間を歩いてくださいという無茶振りに応えて2曲を演奏した。付き添いの方の他に医師や看護師が何人もいて、時折電光掲示板を見ながら何やら仕事をしている。大変そうなのに、笑顔だ。

 数字のひとつが赤い文字になって、点滅すると、ベッドのひとつに数人が駆け寄る。音楽に反応しているらしい。喜んでいると言われても、ぼくにはまったくわからない。はあー、なんか緊張したなあ。まあ、初体験ってこんなものかも。ここは、誰もが入れるわけではない。また機会があればぜひもう少し反応がわかるといいなと思う。付き添いのご家族らしい方の笑顔に救われた時間だった。

◆スポンサードリンク


パソコンとオカリーナ〜音楽って素晴らしい。みゆうのライブ情報はここにあります。
音楽ライブユニット ぽんかん。

眠りは創造のために

 「寝る間も惜しんで」という時、どこかに「眠ること=無駄な時間」という意識があるようだ。ぼくも以前は「宵っ張りの朝寝坊」で、とにかく時間が惜しい。4時間も眠ればそれでいい。そう考えていた。眠ってしまうと、その分人生の時間が削られてしまうぐらいに考えていたと思う。

◆スポンサードリンク


 でも最近は、睡眠が足りていないと昼間眠くなる。睡眠が4時間では足りないと思うようになってきた。他の人は歳とともに眠りが浅く短くなると言うが、ぼくの場合はどうもそうではないようだ。

 ぼくはJawbone UP3を風呂に行く時以外、常に手首につけている。歩数や心拍数(非活動時)を常時チェックすることができるし、何より、睡眠の質を知ることができるのが特にいい。

 左の図は、iPhoneのUPアプリの一画面で、今日の睡眠の状態を表している。たっぷり眠れたので、とても目覚めがいい。夜中に1度目が覚めたが、トータル6時間51分も眠ることができた。28分の深い眠りと、47分のレム睡眠があった。レム睡眠の時間は日によっては、60分くらいあるときがある。今日は意外と短い。このデータは明日でも1週間後でも見ることができる。

 最近、眠りの時間は無意識下の創造の時間ではないかと思うようになってきた。実際、夢の中の世界はいつも独創的でバラエティに飛んでいる。どの風景も記憶にはない風景だし、色彩感があるときもある。感触があって、リアルさに驚くことも少なくない。夢の中で作曲をしたこともある。名曲だった・・・という、その印象だけを覚えている。決して人生の時間を無駄に削っているのではない。

 時間というのは、生きている上でのさまざまなサイクルの波の上の1点だ。時間の長さを絶対視する必要はないと思う。どういう状態であるのか、どういう意味を持っているのかは、眠っている時も起きている時も同じなのだと思う。

◆スポンサードリンク


2017オカリナフェスティバルin神戸へ

◆スポンサードリンク


 宍粟市にあるテレマン楽器は、オカリーナの品揃えが豊富なことで有名な楽器屋さんです。以前から楽器の仕入れには、ちょくちょく寄っていました。昨年、今年と2年続けて、ぽんかん。で市民センター波賀で演奏させていただいたり、先日は姫路でも演奏しました。いろいろなご縁があって、今年は2017オカリナフェスティバルin神戸に出場することになりました。

 この度の出演は、宍粟市のオカリーナ演奏グループpollo(ポーロ)のメンバーとしての出場です。polloというのは、イタリア語でチキン、鳥、という意味だそうです。オカリーナがガチョウだし、2017年は酉年だし、ということで、昨年末につけた名前です。

 演奏する曲目は、「いつか王子様が(Frank E. Churchill作曲・小山京子編曲)」「ねこバス(久石譲作曲・茨木智博編曲)」の2曲。昨日はメンバーのうち、5人が集まって、テレマン楽器の秘密の部屋「フクハラ亭」でみっちり練習しました。気がつけば3時間があっと言うまでした。大判焼き、うまかった!

 当日は、これまでお会いしていない他のメンバーも混じえて、大人数でのアンサンブルになる予定。夜遅く集まって、練習しているそうです。頼もしい存在です。

 今回初めてオカリーナ用のスタンド(テレマン楽器オリジナルのオカリーナテーブル)を購入して使ってみました。ケースに収納すると、想像以上に大きい。電子ピアノが入りそうな大きさです。それほど重くはないんだけど。ああ、でも持ち替えが楽だ!当たり前だけど。見た目もこの方がいいですね。そういや、今日からわたし、ヒゲ生えます。秋には剃るけど。

 画像は、岩美に帰ってから見た夕日。もう日没は過ぎていたのですが、いつまでも明るくて、きれいなグラデーションのまま暮れてゆきました。う~んビューティフル! いい一日でした。

◆スポンサードリンク


ソウジセンタク、本を読む

◆スポンサードリンク


 自宅にオフィスを置いて、出張で仕事をしているので、時間があると、掃除、片付け、洗濯します。それから、ぼんやりと本を読んだり、インターネットサーフィンをしていたりします。

 こういうときの仕事は、少しだけ、ブログを書いたり、パソコンのメンテナンスをしたりとか、してます。そう。楽譜を書くのも仕事です。こんなふうにゆったりとした時間が持てて、クルマに乗ってちょっと足を伸ばせば、海があって、青空があって、山があります。こんなライフスタイル、都会では持てません。

 ここは岩美町です。ここの自然に魅せられて移住してくる人も最近は増えています。

 私も、かつては会社に勤めて、朝から晩まで毎日働くサラリーマンでした。ずっとそうして生きてきました。自分の時間を持てるのはそれが休日の楽しみなのだと、そう考えていました。だから、今の生活には、後ろめたさがどこかありました。「お金をかせがないといけない。」それが働くことだったからです。独立したときに、毎週新聞広告を出しました。PRして、仕事をいただいて、やっと生活ができる。もっと経済的にゆとりがほしい。こうしてぽっかり空いた時間はゆとりだとは感じられずに、焦ってばかりいました。

 この話は、もう少し続きを書こうと思います。今日はこの辺で。

◆スポンサードリンク


シャブ・・・やってます

◆スポンサードリンク


 自白します。シャブ、やってます。ギタリストは持っている人、多いと思います。毎日、時には一日、何回も使います。なんてったって、一発でハマります。快感ですね。

 はい。もちろん、カポタストの話です(誤解しましたか?)。G7も使っていますが、SHUBBはコンパクトなのがいいですね。たまたまバッグから2つ出てきたので、オリジナル(スタンダード)とデラックスを並べてみました。左がオリジナル、右がデラックスです。オリジナルの方が、カチッとはまる感じがします。といっても、デラックスの方がローラーとバネが付いている分、スムースにはまるから、そう感じるだけなのですが。

 もう40年ほど前ですが、高校生ぐらいまでは、パンツからゴムの部分だけを取り出したみたいな、ゴムが伸び縮みして穴に止める方式の安いカポばかり使っていました。G7が登場したのが2004年、SHUBBも1980年代なので、昔はそういうカポか、めちゃめちゃ高価なネジ式しか無かったんです。このパンツのゴム方式のカポは、装着し損なって、バチンと外れて飛んでしまったり、ゴムが伸びて、音にしまりがなくなって、妙な音が出てたりしました。当時は、カポを着けたら音が変わる、それはしょうがないことだと思っていました。輪ゴムと割り箸で応急的なカポを自作したこともありました。

 今は、締め付け調整のできないカポを使う気はしません。SHUBBの押さえゴムは、適度な硬さと厚みがあって、人差し指で押さえたときとテンションが変わらず、音の変化も小さい気がします。この押さえゴム、交換できるんですね。

 カポは、ギターの種類ごとにいろいろあります。12弦用とか、バンジョー用とかもあります。ウクレレは? カポは使わないかな。締め付け方式も、ネジ式、ウィットナーのカポのように独自のロック機構を持ったものなど、いろいろ。カポの種類もメーカーも迷うぐらい、たくさんあります。

 なんか、こういう普段何気なく見ている、使っているモノって、よくよく考えると、ものすごい進化というか、変化というか、時代を感じさせるものがあるように思います。逆に変わらないモノって、それだけもう完成されているってことなんでしょうか。

 まったく、カポとは関係ない方向に話がずれていますが、あの自販機とかについてるお釣りの取り出し口って、なんであんなに小さくて、取り出しにくいのかな。お釣りがある時には音と光で知らせてくれて、手のひらを入れたらそこで一度に出てくるみたいなものって作れないのかな。あるいは、スマホを近づけたら、お釣りが自動的にチャージされて、今度買う時に使えたりとか。

◆スポンサードリンク


御湯神社での縁。「朗読と音楽 奏で」

 御湯神社(みゆじんじゃ)のご本尊は4柱ある。大巳貴命(おおなむちのみこと)、つまり大国主命(おおくにぬしのみこと)とその妻八上姫(やかみひめ)、またその子御井神(みいのかみ)、元は別の神社に祀られ、合祀された猿田彦命(さるたひこのみこと)の4柱。

 今回の「朗読と音楽 奏で」(岩美まちづくりの会主催)で度々キーワードとして私の頭に浮かんだのは「縁」であった。「縁」と言っても、その時は気づかないのだが、あとで「縁」だと思えるものもある。そうした縁が、1200年の時を経てよみがえったような一日だった。

 現在の宮司小田哲郎氏は、私の通った岩美中学校の当時の音楽の先生であった。ここにも縁がある。

 かつて大国主命は、海岸で1羽のウサギを助ける。実はそのウサギは八上姫の飼いウサギだったという説がある。言い伝えの真偽はわからないが、あとで縁だと気づく。気づいたときにはウサギはもうそこにはいなかっただろう。大国主命と八上姫は多くの子をもうけるが、大国主命が出雲での国造りのときに妻となったスセリヒメは嫉妬深かった。八上姫は子どもたちを守るため、スセリヒメの迫害を恐れて因幡の国に帰ってしまう。

 伝承には諸説あるが、物語が生まれた背景には、縁によって結ばれた、今となっては無名の実在の人物がいたのだろうと思う。開け放たれた神社の中から外を見たときに、境内の東側にある稲荷神社の白狐の1体にずっと見つめられている気がした。その狐は「今、ここにある縁も、あらたな縁となる。」ことを語りかけてくれているようだった。

 今日は、夏のような青空だった。地元の小学校は明日日曜日が運動会らしく校庭にテントが準備されていた。朝のうちはまだ水田に人影は少なかったが、夕方には田植えが終わり、水が張られた水田がちらほら見えた。今日の一日で田植えをしたのだろう。明日も田植えは進むはずだ。

 ぽんかん。は今日ここで音楽を奉納し、朗読の代わりに宮司の「誰にでもわかる神様の話」を聞いた。終演後は、社務所を借りてお茶席をもうけた。みんな楽しそうだ。谷口尚美さんの差し入れのまんじゅうはすぐになくなった。いい縁をいただいたのだと思う。縁は無理に作る必要はない。大国主命は柔らかくも優しく、思慮深い神だったから、国造りの神となれた。この縁をただありがたく受け止め、ただ人の思いを大切にすればいいのだと思う。ひゃひゃあ、これはこれから楽しみだ。

こうげの白兎神社
次回龍神荘でのプレゼン

[以下は、スポンサードリンクです。]


音楽教室の本棚

オカリーナ三重奏「埴生の宿」

 これは、パソコンデスクの下にある棚、足元の空間です。ここには、本棚に収まりにくい背の高い本を並べています。本と本に挟まれてぎゅうっとサンドイッチになっているのは、コンパクトサイズのシュレッダーです。楽譜集など、音楽関係の本って、A4か、A4より一回り大きいサイズのものが案外多いんですね。それで、結果的にこの空間には音楽関係の本が集まってしまったというわけです。もちろん、これは一部です。

 テレビで学者さんや作家さん、あるいは政治家とかがインタビューを受けている背景に、図書館か?っていうくらい、背の高い大きな本棚にびっしりと難しそうな本が並んでいる、という風景を見たことを、ふと思い出しました。他の人の場合には、漫画のシリーズ本が順番に並んでいたり、本棚に入り切らない本が、ランダムに積み上げられている風景があったりと、本棚やその周辺を見ると、その人の日常の景色が見えるような気がします。

 私は、以前は文庫本などよく買って読んでいましたが、今は文芸書はほとんど買いません。繰り返し読む本以外は無駄に思えるからです。1回読むだけなら、図書館で借りるか、今はkindleでも、タブレットでも読めます。パソコン関係の専門書も最近はほとんど買わなくなりました。最新本の内容が半年後には古くなってしまいます。2〜3,000円払って買った本を束にして処分するのは、もう、もったいないですね。